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 2010年11月8日(月)から19日(金)まで、海外研修でイギリスへ行ってきました。
 せっかくよい経験をさせていただいたことですから、これまでの
アメリカニュージーランド北方領土(こちら→)研修と同じように、公式な研修・私的な自由研修の両方を含めて、自分の学んだことや面白エピソードをまとめて書いていきたいと思います。
 また、
同じプログラムで来年度以降海外研修に出かける方の参考になるように、「海外研修のHow to」にも意識して書きました。
 ※そのアドバイスを書いた部分は、のマークが付いています。また、最後にまとめを掲載します。
   (まとめは、最終ページP16にあります。→)
 
 よろしくおつきあいください。


  <研修記目次>
 記 載 内 容  記 載 日 

01 @はじめに 研修の概要説明  A荷物でいろいろありました Bどこを飛ぶんだ 

11月28日(日)

02 @環境教育の歴史 A持続可能な開発のための教育ESD BESDの課題

12月06日(月)

03 @何故英国へ A英国の教育と学校事情 Bサスティナブルスクールとエコ・スクール 

12月23日(木)

04 @エコ・スクール活動と外部award Aイギリスの学校のESD活動 B今後のESDの課題 

12月26日(日) 

05 @英国の基本 A広い・狭い? Bマンチェスター滞在 C市の歴史 D路面電車 

01月10日(月)

06 @マンチェスターは二つの世界初 A英国の川 B英国の運河 Cマンチェスターの運河 

01月22日(土)

07 @英国の鉄道の疑問 A最初の発明者 B1814年スティーブンソン C1825年SandD

01月23日(日)

08 @L&M鉄道 A本格鉄道か B1829年Rainhill C1830年 DLiverpoll・road駅&MOSI  

01月30日(日) 

09 @リヴァプール遠征1 AL&M鉄道 BDeansgate駅 CLLM D大聖堂   02月11日(金) 

10 @リヴァプール遠征2マージーサイド A海洋博物館 B豪華客船 C無制限潜水艦作戦 

02月20日(日) 

11 @リヴァプール遠征3 英国とWWU AUボート復活 B護送船団方式と狼群戦法 C敗北 

03月20日(日)

12 @今回の訪問のハイライトは、空軍博物館 A大日本帝国陸軍戦闘機五式戦 B桜花 

04月04日(月)

13 @Battle of Britainとは Aレーダー網 Bドイツ軍の失敗 C大失敗

04月11日(月)

14 @ドイツ本土爆撃 A爆撃の規模 B英空軍と米陸軍航空隊の違い Cドレスデン  

04月25日(月) 

15 @雑感1 Aサッカー マンチェスター・U  Bロンドン点描 Cタワーブリッジ周辺 

05月02日(月)

16 @雑感2 ACotswoldsと英国の気候 B英国教育とOxford大学 C王室と貴族 D両替 

05月09日(月) 


  <研修日程と訪問地>


 はじめに 研修の概要説明  10/11/28/記述・11/01/10修正 研修記目次へ

 今回私が参加したこの研修は、独立行政法人教員研修センター(茨城県つくば市)が企画した、「教育課題研修指導者海外派遣プログラム」というものです。
 これは、中堅・ベテランの教員から、特定のテーマに関する指導者を育てるために、海外に派遣して調査・研究をさせるものです。派遣期間は10日〜12日間です。平成22年度は、「学校評価と学校改善」「理数系教育」など10のテーマが設定され、そのもとに17の派遣団が編成され、合計200名弱の全国各地の先生方が参加しました。派遣先は、アメリカ・カナダ・ヨーロッパ各国・オーストラリア・ニュージーランドです。
 我が団の調査・研究テーマは、「
環境教育」です。どういう内容なのかは、次の02ページで詳しく説明します。

 団の構成メンバーは、団長・副団長・アドバイザーの大学教授・教員研修センターの指導主事・旅行者の添乗員と団員14名の合計19名です。女性は一人もおらず、まるで高校の時の男子クラスの修学旅行のようなのりで出かけました。(^_^)
 ただ行くだけではなく、帰国してからは、調査・研究事項をかなり分厚い
報告書にまとめ、また、出かけた本人は教育課題研修指導者として、環境教育に関する指導の実績を積まなければなりません。
 もちろん、旅行前にも事前研修が実施されましたが、旅行後報告書作成のための事後研修も実施されます。当たり前ですが、なかなか厳しい研修です。実は、かなり以前は、教員研修センターの実施する海外研修は物見遊山的な研修であったと伝説で聞いていますが、国費投入の効果が厳しく問われる今日においては、当たり前に、
「事業効果」を出さなければならない研修に位置付けられています。
 したがって、少なくとも昼の公式訪問等の時間は、参加者はとても真剣で、質問できるところはどんどん聞いてこなければならないという覚悟で出発しました。

 といっても、研修は公式研修ばかりではありません。上の表1を見ていただければわかるように、期間中に土日を挟んでいる分、昼間の自由研修もあります。13日(土)に自然史博物館に公式研修を行い、14日(日)に5時間の移動時間を取った分、17日(水)は終日自由研修となっています。
 そして、もちろん、勤務時間外の早朝・夕方・夜は、本人の自由です。いろいろな自由研修ができます。早朝は夜が明ければすぐに長時間散歩に出かけ、また夜はレストランやパブをめぐり、ロンドンでは「
オペラ座の怪人」を見ました。
 いろいろとても充実した研修になりました。


 荷物でいろいろありました  | 先頭へ ||研修記目次へ| 研修日程と訪問地へ |

 このページでは、研修の本編には入らず、周辺の話題をお話しします。
 まずは、荷物です。荷物でいろいろありました。
 自分自身は、海外旅行が久しぶりなので最初は知りませんでしたが、今時は、持参する
スーツケースは自宅から空港までは宅急便で送ればいいのだそうです。
 一昨年同じ研修に参加した方からアドバイスを受けて調べてみると、ゆうパックの「空港ゆうパック」、クロネコヤマトの「空港宅急便」ほか数社が取り扱っていました。
 2週間滞在の大きめのスーツケース(70cm×50cm×30cm)でも、岐阜−関西国際空港は、往復3800円前後とそれほど高価ではありません。重い荷物をゴロゴロするより、遙かに楽です。
 
教訓1、スーツケースは宅配で。(但し、もたもたしていると送れなくなる)
 
 当初はこれを利用しようと考えていましたが、結局挫折しました。
 理由は簡単です。荷物詰めが、11月7日の前泊のためのホテルへの出発の朝までかかってしまったからです。前週の11月4日・5日と岩手県出張だったのが誤算でした。

 しかし、このことは、運ぶ苦労はありましたが、私の場合、ひとつの「悲劇」を回避することにはなりました。


 関西国際空港集合は、8日(月)の早朝でしたので、前日に空港島の対岸にある、りんくうタウンのホテルに前宿泊をするという安全策をとりました。そこへは、岐阜羽島駅から新幹線で京都へ、京都からはJR西日本の関西空港行き特急はるかに乗って行きました。
 岐阜羽島駅で、京都駅で、そして関空駅でスーツケースをごろごろ押して移動したわけですが、その時にスーツケースの車輪に異常があることに気がつきました。
 重いスーツケースをごろごろ押そうとすると、どうも車輪の進みが重く、しかもまっすぐ進まず左の方へ曲がっていってしまうのです。明らかにスーツケースの車輪が壊れている感じです。
 ホテルの部屋で早速点検しました。すると、次のような異常が見つかりました。


 写真01−01 特急はるか  (撮影日 10/11/07)

 写真01−02 壊れた部分 (撮影日 10/11/07)
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 右上の写真をご覧いただければ、わかりますでしょうか。
 正確には車輪は何ともなかったのですが、車輪の取り付け分のケース本体が、重量に耐えかねてか、車輪の周囲2/3ぐらいで割れて陥没してしまっていました。これは重傷です。自分の判断だけでは頼りなかったので、添乗員のMさんに電話して、確認してみました。

「これで旅行を続けて大丈夫でしょうか?」

「絶対とは言いませんが、空港での扱いは非常に乱暴ですから、陥没部分が完全に割れてしまう危険性もあります。」

「新しいのに買い換える方がいいですね。」

「それをお勧めします。古い方の修理費用は、今回の旅行保険で何とかなります。古いスーツケースは、コンビニからご自宅へ送ってしまえばいいですよ。」

「そうですか。とにかくこれから関空のショッピング街に行って、良さそうなスーツケースがあるか探してきます。」

 新しいのを購入するというのは、なかなか迷うところですが、これまで使ったのは、私が人生最初に海外旅行に出かけた1992年に購入したものです。そそれから18年間、10回も海外に出動しましたから、もうとっくに減価償却はすんでいます。買い換えると覚悟を決めて、関空に向かいました。

 探しに行ったら、ちゃんとショッピングモールの2階に海外旅行用品店があって、大型スーツケースも売っていました。思い切って店員さんに聞いてみたら、古いのは無料で引き取ってもらえるということでした。
 添乗員のMさんが勧めてくれた家へ送り返して保険で修理するという手も魅力的でしたが、狭い我が家に海外旅行用のスーツケースを二つも保存しておく場所がないことに気付き、結局、新しいのと交換に引き取ってもらうことにしました。
 一度、新しいのを持ってホテルに帰り、詰め替えて、空になった古いのを持ってまた店に戻って、引き取ってもらいました。りんくうタウンと関空の間の橋をJRと南海電車で2往復しました。出発前夜のなかなかの大騒動でした。


 写真01−03 詰め替え中(撮影日 10/11/07)

 写真01−04 右が新規購入(撮影日 10/11/07)

 新しいスーツケースも、1992年以来使っていた古いものと同じく、ツートンカラーの目立つ色合いのものを選びました。白と黒の新しい方の価格は21,000円で、古い方よりもやや大きく、持ってきた荷物はすっぽり入りました。写真で見てわかるように新しい方がちょっと大きめです。
 比較的安い値段で、色合いも大きさもまずまずのものが購入できたので、この時は、大変満足でした。とりあえず、一難は乗り越えることができたわけです。
 ところが、世の中そううまいことばかりではありません。この一見うまく切り抜けたスーツケース事件が、次の災いにつながりました。
 次の写真をご覧ください。何が次の災いとなったか、おわかりいただけるでしょうか? 

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 左 写真01−05 Heavy のタグ    右 写真01−06 AIR France の Excess baggage ticket 
 いずれもロンドン・ヒースロー空港で撮影 (撮影日 10/11/18)
 


 内容積の大きなスーツケースを買った私は、その分日本へ持って帰る土産を一杯詰めることができ、たくさんの土産を購入してしまいました。
 そのため、
荷物室に預けるスーツケースの重量が規定を超過してしまったのです。
 添乗員のMさんから、「荷物預けのチェックが厳しいですから気をつけてください」と言われてはいましたが、普通は旅行者は自分の荷物の重量がどれぐらいあるかは、知るよしもありません。

「往路が何とかなったのだから、帰りもうまくいく。」
と気楽にカウンターに行ったら、エール・フランスの受付嬢のお姉さんから厳しく指摘されてしまいました。この荷物は、重量オーバーで受け入れられないと。
 本来エール・フランス機は、
23kgが制限重量でしたが、ロンドン・ヒースロー空港の重量計測装置のデジタル数値は、なんと29.5kgを指していました。6.5kgのオーバーです。
 2、3kgならともかく、6.5kgはちょっと減量して何とかするという重さではありません。

 私は仕方なく、
超過料金を払うことにしました。
 その時、私のスーツケースに取り付けられた荷札が、左上写真01−05の「
heavy」で、支払ったあと私が受け取ったレシートが写真01−06です。いくら払ったわかりますか?
 右上の赤点線の、「
EXCESS BAGGAGE TICKET」が「超過荷物チケット」です。そして、その超過料金は、「GBP 87.00」、つまり、イギリスポンドで87ポンドということになります。換算すれば、10,000円以上の出費となったわけです。
 
 重量を考えると大量には購入してはならないお土産があります。


 写真01−07 土産物                   (撮影日 10/11/20)

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 重量がかかるお土産の代表例は、マグネットやチョコレートです。私は、職場のみなさんへマグネットを50枚ほど購入してしまいましたが、これだけで、1kgは越えてしまいました。(-_-;)
  ※悔しかったので、帰宅後、スーツケース内の各荷物の重量を自宅のはかりで量ってみたのです。

 
教訓2、重いお土産は気をつけよう。例 磁石・陶器・・・
 お土産以外では、訪問先でたくさんの資料(パンフや本)をもらったのも効きました。この重量が、1.8kgもありました。
 いろいろ工夫しても結果的にこれらの重量物を抱え込んでしまったらどうするのか?
 同じ団のメンバーの中には、罰金を払った人はほんの数人で、あとの多くの方は、うまく切り抜けました。その方法とは、機内持ち込み手荷物の量を増やして、しかも数を二つにして、かなりの量を手荷物にすることです。
 手荷物は、本来、「規定内のもの一つと、あとはハンドバッグのようなもの」となっていますが、このチェックは大甘です。かなり大きなバッグを2つ持って入ってもOKでした。
 
教訓3、重量オーバーしそうなら、機内持ち込み荷物を増やして対応。大きなバッグ二つでもOK。
 但し、往路からこうするのは持ち運びに重くて死にそうになりますから、あくまで帰りの対策です。心得た人は、初めからそういうバッグをスーツケースに内蔵していったり、現地で安いものを買っていました。賢い、賢い。


 写真01−08 出発前meeting (撮影日 10/11/08)

 写真01−09 出発前集合写真(撮影日 10/11/08)

 左の写真で、中央奥でしゃべっているのは私ですが、この時は、みなさんに注意を促すために、9年前のパリ・ロンドン旅行の時にスリにあった話をしました。教訓としてはリアルでした。
 ※その話は、
パリ・ロンドン旅行記に掲載してあります。→こちらです。 


 どこを飛ぶんだ      | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ

 欧米に旅行で出かけるというのは楽しいものです。
 しかし、誰しも思われることですが、その行き帰りの飛行機に乗る時間の長さだけは勘弁してくれといいたくなります。今回のパリ経由の旅行では、
関空−パリ間の往復フライト時間は、合計24時間になりました。
 私は今回で4回目の欧米旅行ですが、今回の旅行では、その往復の時間を、社会科の教師らしい「研究」の時間に充てました。
「えっ、研究?」と思われるかもしれませんが、そんなたいしたことではありません。上のタイトルにも書いた、「どこを飛ぶんだ、エール・フランス?」つまり、
エール・フランス機の飛行航路を特定することです。
 方法はといえば、実に簡単です。最近の旅客機は大変便利になっていて、それぞれの座席の前(前の座席の背面)にモニターが付いていて、映画などを見ることができるのはよくご存じのとおりですが、そのモニターで流れるメニューの一つに、「
飛行機の現在位置」というのがあり、それを確認していれば、飛行航路はわかるわけです。

 この研究の大敵は、「眠気」と「嫌気」です。
 私の場合も往復24時間のうち、合計5・6時間分は、眠ったり、映画を見たりと少し「浮気」しましたので、「完璧」というわけにはいきませんが、ほぼチェックできたと思っています。

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 写真01−10 ボーイング777−300ER、関空搭乗前             (撮影日 10/11/08)

 エール・フランスは往路の291便、復路の292便とも機種は、ボーイング777−300ERでした。エール・フランスのHPによれば、全長73.9m、全幅64.8m、巡航速度マッハ0.84,巡航高度10,700mとなっています。座席巣は325席もある大型機です。
 添乗員Mさんの計らいで、私たちの団は、常識的な固まって座席を占めるという形を取らず、19名のそれぞれが2本ある通路側に席を取るという形を取りました。これは効果満点でした。電車の車窓と違って、飛行機では窓側はそれほどの意味がありません。それより、トイレに行く、飲み物を取りに行く等、移動自由の通路側の方が何倍も居心地のいい席となりました。
 おまけに復路の私はとりわけ幸運で、9割ほどの座座席が埋まっているのに、私の隣の席が空いているという好条件に恵まれました。


 写真01−11時間・距離情報 (撮影日 10/11/08)

 写真01−12 速度・高度情報(撮影日 10/11/19)

 左は往路のロシアのコラ半島(白海中部)沖合上空でのデータ。パリまであと3時間31分となっています。
 右は復路の中国の北京付近のデータ。速度1013km/h、高度11277m、出発地からここまでの飛行距離9278kmです。

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 写真01−13 シベリア上空  (撮影日 10/11/08)

 写真01−14 北京上空  (撮影日 10/11/08)

 地図は、現在位置を示す縮尺の違うものが丁寧にローテーションで出てきますので、ちゃんとモニタリングしていれば、どこを飛行したかが克明にわかります。
 左は、シベリアのエニセイ川上空を飛んでいることを示しています。
 右は、左より拡大されたバージョンです、中国北京市の北東を通過していることを示しています。
 便利になったものです。
 アメリカ行きの場合は、位置を見たり外を見ても、下は太平洋ですからほとんど興奮はありませんが、ヨーロッパ便はほとんど陸地の上を飛びますから、いろいろな情報に興奮です。
 

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 写真01−15 最短距離線              (撮影日 10/11/24)

 地球儀の上に、テープでパリ−大阪の最短線を引いてみました。しかし、実際の航空路はこれとは異なっています。

 この写真は、Replogle社の地球儀「World Nation series 12 INCH DIAMETER GLOBE E610」の上にテープを貼って撮影しました。この地球儀は、表面に凹凸もあって大変わかりやすい地球儀です。感謝。 


 写真01−16 大阪(関西空港)−パリ(シャルル・ド・ゴール空港)往路        (撮影日 10/11/24)

 実際の往路をテープで示しました。
 往路のAF291便は、関西空港を離陸したあと、何と東に向かい、程なく北上して能登半島から日本海を縦断し、
ロシア沿海州に達するとそこから一気に北西に向きを変えて、シベリア東部を通って、コラ半島南の白海を南下し、フィンランドのヘルシンキ、スウェーデンのストックホルム、デンマークのコペンハーゲンを通過して東北側からパリに入りました。

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 写真01−17 パリ(シャルル・ド・ゴール空港)−大阪(関西空港) 復路         (撮影日 10/11/24)

 実際の復路をテープで示しました。
 復路のAF292便は、パリ(シャルル・ド・ゴール空港)を離陸したあと、東に向かい、往路と同じくロシア領内を横切りましたが、往路とは違ってかなり南よりのコースを取り、
バイカル湖の南西端をかすめてモンゴル人民共和国東部をウランバートルのやや東で縦断して、中華人民共和国の首都北京の東方上空を通過し、そこで東に大きく旋回し、遼東半島山東半島の間を通過して、ソウルの南上空を通って朝鮮半島を横断し、南に旋回して日本海を南下し、島根県・鳥取県境から岡山県上空を通過して瀬戸内海を渡り、徳島県上空で大きく旋回して南側から関空に入るというルートを取りました。


 写真01−18 最短距離・往路・復路 東アジアの部分             (撮影日 10/11/24)

 往路・復路のうち、日本に近い部分が大きく異なっています。
 エール・フランスに聞いたわけではありませんが、往路が北回り、復路が南回りとなるのは、北半球の中緯度・高緯度地帯を通る
偏西風の影響を考えてのことと推定されます。
 往路は、逆風となる
偏西風を避けるためにより高緯度地帯を航路とし、復路は偏西風に乗ってスピードを増すためにより南を通るルートを航路としているというわけです。
 
往路の速度表示は、820km/hから890km/hでしたが、写真01−12の表示のように、復路は1000km/hを超える時もありました。
 このような異なるルートを取ることと偏西風の影響があるため、パリへ向かう
往路の所要時間は12時35分、パリから帰る復路は11時40分となっています。


 あらためて地図に描くと下記の地図01のようになります。(多少の誤差はお許しください。)
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 写真01−19 シベリア東部 (撮影日 10/11/08)

 写真01−20 日没  (撮影日 10/11/08)

 いずれも往路の写真です。往路は、シベリア東部通過までは天気がよかったのですが、そのあと陸地は雲の下に隠れてしまいました。
 西に向かってどんどん進むわけですから、日没を追いかけることになります。
 


 写真01−21 夜明け  (撮影日 10/11/19)

 写真01−22 大鳴戸橋  (撮影日 10/11/19)

 いずれも復路の写真です。
 左は、中華人民共和国内蒙古自治区上空で撮影した夜明けです。
 右は、ずっと高度が落ちて、関空に着陸寸前の旋回中に撮影した大鳴戸橋と鳴門海峡のうず潮です。
 


 このページは、この研修記の前座の位置付けです。
 次ページは、環境教育のこれまでの歩み・研修の目的などについて説明します。ちょっと退屈ですが、おつきあいください。


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