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イギリスの基本の学習 11/01/09記述 11/01/12修正 11/02/06再修正 11/05/02再々修正 |
前のページまでで、いわゆる公式報告、つまり研修に出かけた目標達成や成果についての報告は終わりました。 |
何と、北緯53度です。 |
イギリスは広い・狭い | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
このページ以降、イギリスのいろいろな説明をしたり、日本との比較を考えますが、その時に是非必要なことが、イギリスは広い国か狭い国かという視点です。 |
国土面積は日本の2/3程しかありませんが、人口も半分ほどのため、人口密度で比較すると(の部分)すでに、イギリスは251人/ku、日本は338人/kuとなり、イギリスのほうが相対的に1.5倍ほど広くなっています。 |
写真05−01 高速道路 (撮影日 10/11/10) |
写真05−02 牧場 (撮影日 10/11/10) |
左上:マンチェスター市の周囲を回る高速道路M60。ほぼ平坦な部分をあまり大きなカーブなしに道は進みます。 |
写真05−03 丘陵地 (撮影日 10/11/10) |
写真05−04 丘陵地 (撮影日 10/11/10) |
上の二つの写真は、マンチェスターの東北にある「山間地」の風景です。「山間地」といってもなだらかな丘陵が続くところで、、山の上まで農場となっています。日本のような「切り立った山」は、イングランドでは希です。 |
マンチェスター滞在 | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
私たち研修団は、11月8日(月)にパリ・シャルル・ド・ゴール空港を経由してマンチェスター国際空港に着きました。そして、イギリス宿泊日数全10泊のうち6泊を、市の中心部のCity
Hallにほど近いプリンセス・ストリートに面したAloraホテルで過ごしました。 |
イングランド北部、マンチェスターとリヴァプール地域の地図です。両都市の間は直線距離で約50kmです。公式訪問した場所は、Eを除いてはマンチェスター市内から離れたところでした。 |
これはマンチェスターの中心部です。Aマンチェスター大聖堂、Lピカデリー広場、Bシティホールの三つに囲まれた部分が、マンチェスターの繁華街です。 |
写真05−05 プリンセス・ストリート、アローラホテル前 (撮影日 10/11/11) |
これは、夜明け前の街の様子です。煉瓦造りの趣のある建物が、いかにもイギリスという雰囲気を醸し出しています。 |
写真05−06 マンチェスター、シティーホール (撮影日 10/11/11) |
ホテルのやや北、プリンセス・ストリートとモンスリー・ストリート交差点から、朝のシティー・ホールを撮影したものです。荘重な作りが歴史の重みを感じさせます。 |
写真05−07 ホテルの部屋内部(撮影日 10/11/08) |
写真05−08 洗面所のパイプ(撮影日 10/11/08) |
左上:アローラホテルの部屋。マンチェスター中心部のホテルながら、広々としていてゆったり気分でした。 |
マンチェスターの歴史と発展 | 地図03M市中心部地図へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
ブリテン島の歴史をさかのぼれば、古くからケルト人の文化があったことは有名ですが、マンチェスターの歴史そのものは、ローマ時代の砦に源があります。ローマは、カエサルの時代からブリタニア征服を試みます。最初はうまくいきませんでしたが、紀元後1世紀末までには、ローマ帝国はブリテン島の大半を占領しました。 |
写真05−09・10 キャッスル・フィールド(撮影日 10/11/13) |
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案内の説明板によれば、この地にローマ人が砦を築造したのは紀元79年前後とされ、それからローマ帝国の衰退する410年まで、500年近く存続しました。 |
マンチェスターがこの地域の領主から中世都市の特許状を受けたのは、14世紀初頭とされています。その頃は、羊毛を加工する毛織物工業が盛んでした。
また、18世紀末からの蒸気機関を利用したクロンプトンのミュール紡績機が次第に主流となっていきますが、それへの転換を容易にしたのは、それ以前に、ペニン山脈の緩やかな川の水を利用したアークライト水力紡績の広範な広がりがあったからでした。
また、マンチェスターは単なる工業都市としての機能だけではなく、綿製品の国際市場としての中心としての役割を果たしました。1830年頃には郊外のCannon street や Hight streetには、綿製品の卸売店が数百軒も軒を並べ、ドイツ人やフランス人、オランダ人をはじめ、ヨーロッパ各国の商人の店も進出していました。 |
写真05−11 MOSI正面 (撮影日 10/11/13) |
写真05−12 蒸気機関 (撮影日 10/11/13) |
マンチェスター科学産業博物館(MOSI:Museum of Science and Industry です。18世紀後半の蒸気機関から始まって、いろいろな産業遺物が展示されています。社会科の学習にはとてもいいところです。 |
写真05−13 綿紡績の実演 (撮影日 10/11/13) |
写真05−14 紡績機 (撮影日 10/11/13) |
この日は、11時30分から綿紡績の実演が行われました。説明がすべて英語なので、詳しいことはわかりませんでしたが、綿花から綿糸を紡ぐまでの様子がよくわかりました。 |
20世紀前半には、マンチェスターの市域人口は75万人に達し、バーミンガム・リヴァプールと並んで、イギリス第2の都市となりました。
1980年代になって、都市の再開発と企業誘致等による産業構造の転換が行われ、人口減少はようやく停まり、街は徐々に息を吹き返しました。現在では、金融機関や新聞社・テレビ局などのメディア企業、学術機関、研究所などが立地し、中心部は賑わいを見せています。、 |
写真05−15 ピカデリー駅付近の再開発 (撮影日 10/11/08) |
1980年代末から、CMDC:Central Manchester Development Corporation によって、市街地中心部再開発が積極的に行われました。上の模型は、産業科学博物館(MOSI→詳しい説明は、ページ8)に展示されている、マンチェスター再開発の様子を説明するものです。 |
写真05−16・17 マンチェスター・ピカデリー駅 (撮影日 10/11/11) |
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近代的に改装されたマンチェスター・ピカデリー駅です。もとはマンチェスター・ロンドン・ロード駅といい、建物は1880年代に建造されたものです。 |
写真05−18 旧GNR本社ビル(撮影日 10/11/13) |
写真05−19 ヒルトンホテル(撮影日 10/11/13) |
左上:旧GNR(グレート・ノーザン・レイルウエイ)の本社ビル、今はショッピングセンター |
路面電車 メトロリンク | 地図03M市中心部地図へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
そのマンチェスター再開発の象徴が、路面電車メトロリンクです。 |
写真05−20 ピカデリー広場の分岐点を通る電車 (撮影日 10/11/12) |
メトロリンクは4路線あり、その総延長は、37kmです。半端な距離ではありません。 |
写真05−21 運転席 (撮影日 10/11/12) |
写真05−22 車内 (撮影日 10/11/12) |
快適な車内です。 |
写真05−23 乗車券売場 (撮影日 10/11/12) |
写真05−26 聖ピーターズ広場方面から来てピカデリー広場で分岐するピカデリー駅行き(撮影日 10/11/12) |
写真05−27 聖ピーターズ広場(撮影日 10/11/10) |
写真05−28 マーケット通駅(撮影日 10/11/12) |
市街地の駅でも、日本の路面電車の様な低い「乗り場」ではなく、高さ90cmのプラットフォームがあります。 |
写真05−29 高架線 (撮影日 10/11/13) |
写真05−30 ピカデリー駅 (撮影日 10/11/14) |
左上:郊外へ向かう路線は、聖ピーターズ広場駅を過ぎてしばらく行くと、旧来のイギリス国鉄の鉄道路線へ上がって高架線となります。写真は、ディーンズ・ゲート=キャッスル・フィールド駅西ですれ違う電車。 |
今回はこれで終わりです。 |
【イギリスとマンチェスター及び産業革命、メトロリンク 参考文献一覧】
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