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 イギリス雑感2  11/05/09記述

 2010年12月から延々6ヶ月、16ページにわたって連載してきました、マンチェスター・ロンドン研修記も、このページで最後です。前ページに引き続いて、英国の教育・王室・気候風土などについてイギリス雑感を書き連ねます。
 また、P1・P15に続いて、旅行の「
教訓についても、織り込みます。 


 写真16-01 この車は・・・・?(撮影日 10/11/16)

 写真16-02     ポスト (撮影日 10/11/10)

 左:このハデな車は、警察のパトカーです。日本とはずいぶん趣が違います。
 右:ポストは、日本のイメージと同じです。日本はイギリスの郵便制度そのものをまねしました。ただし、最初に導入した明治初年は、まだ、金属製のポストはありませんでした。イギリスでポストが使われ始め、その色がやがて赤に統一されると、日本でもその赤い色のポストが模倣され、いまに至っています。
 


 写真16-03   これは・・・? (撮影日 10/11/08)

 写真16-04  トイレでは?  (撮影日 10/11/08)

 左:これはマンチェスターのピカデリー駅の有料トイレです。料金は、30ペンスです。
 右:これは、トイレではありません。よく見ると、「
TO LET」です。これは、事務所やビルのレンタルの案内です。 


 コッツウォルズ Cotswolds と英国の気候  | 先頭へ ||研修記目次へ

  研修最終日の11月17日、この日は自由研修にあたっていて、団員のほとんどは、オプショナル・ツアーで、ロンドンから130km程西方のコッツウォルズの田園地帯とその途中にある大学の町オックスフォードに出かけました。場所は次の地図17をご覧ください。(数名は他の場所に研修に行きました。)



 コッツウォルズは、イギリスの有名な観光地の一つで、旅行のガイドブックの表現を借りれば、「イングランドでも屈指の美しさを誇るカントリーサイド」なのだそうです。
  ※参考文献1 地球の歩き方編集室『’10~’11 地球の歩き方 イギリス』(ダイヤモンド社 2010年)P282
   このガイドブックのマンチェスター観光の記述は僅か5ページですが、コッツウォルズは24ページもあります。

 場所は
テムズ川の源流にあたる部分です。川の源流と言うと、日本なら2000m・3000m級の山々が連なるという山脈地帯を連想してしまいますが、ここはそうではありません。コッツウォルズ丘陵は、たしかに東へ流れるテムズ川と西のブリストル側に流れる川の分水嶺になっていますが、高度数百メートル程度の丘陵地帯が続くなだらかな地形で、日本の分水嶺のイメージとはずいぶん違います。
 わたしたちは、たくさんある
コッツウォルズの集落群のうち、中央部東側のバーフォード(Burford)、バイブリー(Bibury)、ボートン・オン・ザ・ウォーター(Borton-on-the-water)の3カ所を訪れました。

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 写真16-05 おもむきのある教会(撮影日 10/11/16)

 写真16-06  fish & tips (撮影日 10/11/16)

 左:最初に訪問したバーフォードの町の教会堂のです。小さな町の教会ですが、堂々たる建築物です。
 右:レストランで注文した定番メニュー、「
フィッシュ&チップス」 昼からこれだけの量と「油」は、ちょっと閉口です。
   イギリスの料理はあまり期待できないということを聞いていましたが、実は、旅行中は、インド料理・中国料理・日本風鉄板料理・イギリス風シーフード料理・純粋な日本風ラーメン・ごく普通のファーストフードと、あまりにもいろいろなものを食べてしまったので、「これぞイギリスの味」というのはこの「フィッシュ&チップス」ぐらいしか経験できずじまいでした。残念です。
 


 写真16-07  石灰石づくりの家々             (撮影日 10/11/16)

 バイブリーの風景です。今にも雨が降り出しそうな陰鬱な天気の日だったのが残念ですが、絵本にでも出てきそうな、「可愛い」と思わず言いたくなるような、石造りの家々が並んでいます。
 もちろんこれらの家は、ちゃんと住民がいて、「現役の家」です。
 コッツウォルズ地方は、多くの石灰岩の産地があって、地域ごとに微妙に石材の色が異なり、それを材質とする家々が、なんとも言えない風情で並んでいます。、


 写真16-08   民家  (撮影日 10/11/16)

 写真16-09   石積みの塀(撮影日 10/11/16)

 日本ならこんな石積みの家は、地震では大丈夫かなと思ってしまいますが、イギリスでは地震の心配はいりません。 


 写真16-10  テムズ川の上流のひとつです。              (撮影日 10/11/16)

 バイブリーを流れるテムズ川の上流の一つです。最上流部でも、こんな感じの穏やかさです。日本の上流の「谷川」的なイメージはありません。ダムの堰もありません。


 上は、日本とイギリスの降水量の比較です。
 オックスフォードは、テムズ川上流の都市です。日本に比べると、降水量はおよそ3分の1ほどで、しかも月による差がなく、1年中穏やかで差が少ないことが分かります。つまり、洪水の危険性も比較的少ないと言えるでしょう。
 それがコッツウォルズズのような穏やかな景観を作り出していると考えられます。


 写真16-11  乾燥と湿度 (撮影日 10/11/08)
 同じく気候の話題です。
 一般にイギリスの気候は乾燥していて、ホテルでは、洗濯物が直ぐに乾いて便利です。
 前年度にイギリス研修を経験した方から、「下着や靴下はあまり持って行かなくてもいい。洗濯すれば直ぐに乾くから。どうせ夜は何もすることはないから洗濯をしていればいい」と聞かされていたので安心していました。
 実際に夜に入浴の際に一緒に洗濯をしてハンガー等に干しておくと、朝にはほとんど乾いていて、夕方には、もう完全に乾燥という毎日でした。
 特にマンチェスターのホテルには、左の写真の銀色のパイプ(スイッチを入れると温かくなる)があって、干しておくとほんの数時間で乾燥できてしまうという優れものでした。 

 教訓6、洗濯はホテル内の自室でできる。湿気の少ない気候のため、室内に洗濯物を干しておけば、1日後には十分着られる。下着や靴下はたくさん持っていくことは必要ない。
 ただし、乾燥しているため、洗濯のしすぎで手が荒れます。手でもみ洗いするだけで洗濯する経験など日常生活ではしていません。このため結構苦労します。ハンドクリームは必需品です。さらに、15cm×20cmぐらいのサイズの小さな洗濯板を持っていくと便利です。ついでにリップクリームも必要です。これだけあれば万全です。
 
教訓7、洗濯用の小さい洗濯板があると便利。針金のハンガーも忘れずに。
 
教訓8、ハンドクリーム・リップクリームは必需品。


 英国の大学とオックスフォード  | 先頭へ ||研修記目次へ|| 研修日程と訪問地へ

 11月17日の自由研修日は、午前は大学の町オックスフォードへ、午後は、コッツウォルズへという日程でした。
 順序は逆になりますが、次にオックスフォードとイギリスの大学についてレポートします。

 まずは、イギリスの高等教育についての外観です。
 簡単に言えば、日本と同じように、21世紀に入ってからは大学進学率の上昇が続いているということです。
 1960年代に入るまでは、ウェールズを含むイギリスの大学は40数校であり、高等教育を受ける学生は国民の中の非常にかぎられた割合の人間でした。
 しかし、1960年代になると大学以外の高等教育機関が設立されるようになります。
 労働者階級を対象とした技術教育の流れを持つテクニカル・カレッジや教員養成カレッジなどで、これがポリテクニックと呼ばれる新たな高等教育機関となりました。また、イギリスで初めての私立大学バッキンガム大学も創設されました。さらに、オックスフォードとケンブリッジの両大学は長い間女子学生の入学を認めてきませんでしたが、オックスフォード大学が1972年に5つのカレッジに女子学生の入学を認め、この伝統も破られました。
 しかし、保守的伝統を守るサッチャー首相時代になると、旧来の大学とポリテクニックの二重構造に対する見直しが行われ、ポリテクニックへの補助金の削減など、「引き締め際策」が行われ、高等教育機関は、「冬の時代」を迎えます。
 実際には、この間にも、ポリテクニックは人文・社会科学系にも教育内容を広げ、発足後20数年の間に旧来の大学部門よりも多数の学生数を数えるに至りました。
 これらのことが反映して、サッチャー首相に代わった同じ保守党のメジャー政権は、1992年のポリテクニックといくつかのカレッジに独自の学位授与権と大学の名称の使用を認め、ここに、高等教育の二重構造は解消されました。イギリスの大学は、この時点で、一挙に90数校に倍増し、大学における高等教育は「エリート型」から、「マス型」へ移行しました。
  ※参考文献2 ヴィヴィアン・Hグリーン著安原義仁・成定薫訳『イギリスの大学』P4、424-434 

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 21世紀に入ってからは、大学進学率は1990年頃の10%台から、一挙に倍増して、30%近くなりました。
 数が増えた大学にたくさんの学生が入ってくることにより、イギリスの大学に変化が生じてきました。心配な点としては学生の学力の低下、大学の序列化があります。
 学力の低下については、旧来の大学があとで紹介するオックスフォード大学の各カレッジがそうであるように、徹底した個人授業が中心でした。しかし、大幅に増えた学生に対応する特に新しい大学では、授業はマスプロ化しています。
 しかし、大学の序列化については、日本と様相が少し異なっています。
 その理由の一つは、日本と違って点数の競争による大学入試制度がないことに起因しています。イギリスでの大学入学資格は、18歳段階(第6学年、シックスス・フォーム)で受験する全国テストのGCE・Aレベルを取得することによりますが、その後は日本と違って、単純にペーパーテストの得点ではなく、面接・レポート提出を繰り返して、大学入学が許可されます。したがって、単純な「大学な偏差値ランキング」といったものはできないわけです。
 実際のところ、入学者のうちAレベルの割合の多い大学のトップは、1ケンブリッジ、2オックスフォードとなっていますし、リクルートのために金融業界の関係者がわざわざ大学へ出かけて雇用を募集する大学は、オックスフォード、ケンブリッジ、ダーラム、エディンバラ、ブリストルの5大学とされています。
 そもそも、オックスフォードやケンブリッジには、パブリック・スクール(全寮制の私立の一貫学校)からの入学者がほとんどでした。この点を改革するため、大学拡張以降、両大学において公立学校出身者の比率を高める方針がとられました。しかし、実際には、現在も両校の学生の大多数は依然として、管理職・専門職の家庭の出であり、一般の労働者の家庭の出身者の受け入れは進んではいません。「イギリスには依然として階級文化が存在する」と言われる所以です。
 ※参考文献2 ヴィヴィアン・Hグリーン著安原義仁・成定薫訳『イギリスの大学』P5
 ※参考文献3 秦由美子著『変わりゆく イギリスの大学』P19、22、34、37  

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 写真16-12   博物館  (撮影日 10/11/16)

 写真16-13 日本の埴輪  (撮影日 10/11/16)

 オックスフォード大学が運営する1683年創立のアシュモリアン博物館です。大学が運営する博物館としては世界一の収集品があるそうです。 


 写真16-14    ST Aldate’s通            (撮影日 10/11/16)

 St.Aldate’s通とHigh St.の交差点から南を向いて撮影しました。石造りの建物がいい風情を作り出しています。後方の塔は、クライスト・チャーチカレッジのトム・タワー(時計台)です。


 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、オックスフォード中心部の地図です。
 中央を南北に通っているのが、St.Aldates 通です。中央下右側の四角い緑が、クライスト・チャーチカレッジの中庭です。


 さて、本題のオックスフォード大学についてです。以下の説明は、ガイドをしていただいた、Hiroka Stockton さんの話や、次の文献を参考に記述しました。
 ※参考文献4 白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』(日本経済評論社 1955年)

 まず驚いたというか、あらためて学習したのは、「オックスフォード大学とは何か」ということです。言い換えれば、これまでのわたしたちの、「オックスフォード大学」に対する認識が誤っていました。
 私だけではありません。同行者は皆教員であるにもかかわらず、誰もオックスフォード大学の実態を知識として正確には知りませんでした。というよりは、「え~そうだったの。」というぐらい誤解していました。
 クイズで確認します。

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  ※黒板の上にマウスを置くと、正解が現れます。

 私も含めて、我が研修団のメンバーのうち、オックスフォードについての知識を持っているものは、全員、について誤った知識を持っていました。また、については、そういう仕組みについては知りませんでした。
 次に写真を掲げるクライスト・チャーチカレッジもマートン・カレッジも一つの分野の学問だけを教える単科大学ではありません。
 研修団のメンバーは、各県から集まった教師ですから、どこかで一斉に教えてもらたわけではなく、それぞれ何か勝手な思い込みをしたのです。
 原因は推定できます。英語の辞書には、次のように書かれています。
「college 
1《英》学寮(Oxford、Cambridge では多くの学寮が集まって University を構成する。学寮は独立した自治体で伝統的な特色を誇る)(中略)
2(1)《米》単科大学、分科大学、学部(後略)」
 ※参考文献5 『新英和大辞典』(研究社 1960年)P336

 この
1《英》学寮とあるにもかかわらず、2(1)《米》単科大学のみが、知識として蓄積されてしまったわけです。
 これは凡人だけがなせることではありません。
 かの
岩波広辞苑にも次のように書かれています。
「カレッジ【college】①分科大学。単科大学。②専門学校」
 ※参考文献6 新村出編『広辞苑 第二版補訂版』(岩波書店 1976年)P476

 これでは、オックスフォードやケンブリッジの「カレッジ」は説明していないも同然です。まあ、広辞苑にしてこうなんですから、普通の人間がしくじってもしょうがありません。(言い訳です (^_^) )

 前掲の白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』には、オックスフォードの
universitycollegeについて次の7点の特色があげられています。

 universitycollegeの関係は、日本に詳しいオックスフォードの学者によれば、江戸時代の幕藩体制の幕府と藩のようなもの。別にたとえれば、EUと加入諸国のようなもの。つまり、universityには全体を統括し、管理する権限はあるが、基本的にはcollegeに強い自治権がある。
 具体的には、universityの重要な機能は、college間の調整、渉外、講座開設と試験、学位認定、図書館・博物館・実験所などの維持である。学生の支払う学費は、universityに支払う分とcollegeに支払う分がある。

 collegeは大学の基本であり、もともと語源は、collect、つまり集まることを意味した。端的に言えば、collegeとは集まって「食う寝る住む」ところである。言い換えれば、寄宿舎である。今ではそうではないが、昔は教員も一緒に住んでいた。寄宿舎の舎監がイコール、学長であった。
 もともと寄宿舎なので、各collegeには、宿泊所・食堂の大ホール、教会、図書館、そしてなんと地下の酒蔵も完備している。

 collegeは社交訓練の場である。異世代の人、異性とはもちろん、外国人との交際も含めて「社交」という体験を学ぶ場である。

 collegeは「チュートリアル」が特色である。つまり、徹底した個人教育がなされ、質のよい指導が受けられ充実した研究ができる。学期中はチューターに週1度指導を受け、そのつど課題や次週までに読んでおく本を何冊も指示される。次の指導までに、図書館などでそれを調べて、過去の研究業績や自分の意見を発表することになる。
 この厳しい指導のおかげで、オックスフォード大学の卒業率はなんと97%を誇る。学生も優秀、指導者も優秀ということである。学期の終わりには、学生全員に対して学長の口頭試問がある。これも日本の大学にはない。日本では、普通の学生は学長とは会うこともない。

 collegeは伝統訓練の場である。礼儀作法、きまりなど、守るべきものは守ることを徹底される。たとえば、図書館で本を利用するときは、伝統のガウンを着て、管理者のところに行き、次の宣誓を行う。
「私は、この図書館が所有もしくは保管する書物や資料その他のものを、持ち出したり、それに書き込んだり、よごしたりはしません。館内に火を持ち込んだり、点火したりしません。館内で煙草を吸ったりしません。そして、図書館のすべての規則を守ることを誓います。」

 collegeは公開が原則である。私たちが訪問できたように、観光客もcollegeに入ることができる。もちろん、立ち入り禁止の場所もあるが、授業をやっていなければ、公開が原則である。日本の大学へは、一般の観光客がバスでやってくることはない。

 universityとしての共通の伝統もある。
 一つ目は、「質の崇拝」。実用的で効用的なものよりも、より本質的なものを重視する。
 二つ目は、義務感の強調。貴族の子弟の教育の伝統を引き継ぎ、フランス語で言う「nobless oblige」(ノーブレス・オブリージュ)、身分の高いものは当然勇気・仁義・高潔などの徳を備え、社会の中で果たすべき役割(義務)を果たすべきであるという精神の強調である。
 

 ※参考文献4 白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』P6~10、30~56

 これで、universitycollegeの違いや特色が概ね理解いただけたでしょうか。

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 写真16-15・16・17   (撮影日 10/11/08)

 クライスト・チャーチカレッジです。
 左下はTom Gateに掲げられている全体の案内図です。
 左上はそのTom Gateから見た中庭です。右上は、中庭から見たTom Tower(時計台)とその下の Tom Gate です。

 このカレッジは、1525年に枢機卿ウルジィによって創立され、1546年には、国王ヘンリー8世が再興したという由緒あるカレッジで、オックスフォードのトップ・カレッジとして、なんと13人もの首相を輩出しました。最も有名な政治家は、世界史の教科書にも載っている19世紀の自由党党首で、何度も首相となった
ウィリアム・グラッドストーンです。
 
 
  


 写真16-18   クライスト・チャーチカレッジのホール(食堂)です。        (撮影日 10/11/16)

 かの有名な、ハリーポッターの魔法学校の食堂のモデルとなったところです。ただし、ここでのロケは許されず、撮影はこれそっくりのセットを作って行われました。


 写真16-19  肖像画 (撮影日 10/11/16)

 写真16-20  大聖堂です (撮影日 10/11/16)

 左:創設者の枢機卿ウルジィと国王ヘンリー8世の肖像画です。
 右:大聖堂の内部です。この大聖堂は、クライスト・チャーチカレッジの教会であると同時に、イギリス国教会のオックスフォード教区の大聖堂でもあります。したがって、名称は、churchではなく、
cathedralです。
 ここでの儀式は、イギリスの時刻より5分遅れで実施されるそうです。イギリスの標準時は世界の標準時、グリニッジを通る0度の子午線が基準です。しかし、オックスフォードは、グリニッジよりは、西へずれていますから、オックスフォードの南中時間は、標準時でいうと12時5分になると言う理屈から、5分遅れなのだそうです。
  ※参考文献4 白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』P35
 

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 写真16-21 教会堂  (撮影日 10/11/16)

 写真16-22  寄宿舎  (撮影日 10/11/16)

 左:Cathedralの外観です。
 右:
寄宿舎です。学生は、夏休みには寄宿舎から荷物を一切持って退去しなければなりません。夏休みには、寄宿舎は学会等の開催にともない、外部の方が宿泊するホテルとなるからです。大学は儲けることができるところはしっかり儲けるのです。 


 写真16-23   図書館  (撮影日 10/11/16)

 写真16-24 マートンカレッジ (撮影日 10/11/16)

 左:オックスフォード大学の中央図書館、ボドリアン図書館。1602年の創設です。550万冊の本、13万点の手紙など、そして100万枚の地図や楽譜が保存されています。
 右:オックスフォード最古のカレッジ、
マートンカレッジです。1264年創設です。現皇太子殿下が留学したカレッジです。 


 写真16-25  裏道  (撮影日 10/11/16)

 写真16-26 ラドクリフ・カメラ(撮影日 10/11/16)

 左:マートンカレッジからボドリアン図書館へ向かう裏道。
 右:ラドクリフ・カメラです。
ボドリアン図書館の分館で、閲覧室となっています。

 前掲書にボドリアン図書館に関する興味深い記述がありますので、ちょっと長いですが引用します。
「今、″世界広しと言えどもこれ以上の所はないであろう″と記しましたが、私にこのような気持を抱かせる一つの要素は、この大学の図書館の見事さです。
 13世紀に創立されたオクスフォード大学には、36のコレッジとたくさんの研究所があり、そのコレッジや研究所にもそれぞれ図書館、図書室がありますが、この大学が世界誇っているのは、世界最古の図書館の一つボドリアン・ライブラリィ (中央図書館)です。
 ボドリアンの創立は、1602年、約400年も前のことであり、ここには550万の蔵書、22万点を超えるマニュスクリプト (手紙などの手稿)、5000点を超えるインキュナビュラ(西歴1500年以前の西洋の印刷物の総称)、100万枚を超える地図、厖大な数の楽譜、そして中世の絵巻物から20世紀の小売商の広告まで、幅広い蒐集があります。日本に関係のあるものとしては、日本で刷られた最初の活字印刷本 (イズス会教会によってもたらされた活字印刷機を使って、1591年に刊行されたキリシタン版。17世紀半ばにボドリアンに入った)、三浦按針の航海日記(1615年、もちん手書き)、そして、1613年に家康が東インド会社に与えた通商許可の朱印状などが特筆すべきものでしょう。
 しかし、私がこの図書館に魅せられるのは、こういったコレクションの豊かさだけでありません。ここで働いている司書や受付、手荷物預かり所の人たち約300人が優秀でとても親切なことです。

 何か問題があったら、どうぞ質問をして下さい。われわれは忙しく見えるかもしれませんが、われわれは皆さんを助けるためにここにいるのです。 

 パンフレットに書かれたこの言葉に励まされて、私はボドリアンで多くの質問を投げかけました。あちこちの部署に電話をかけて綿密に検討されて返ってくる答え、質問に直接関係なくとも、派生する問題にまで事前に答えが用意されている行き届いたサーヴィスは、私に″ここでは、かなえられないものはない″と思わせたほどです。
 ボドリアンには、英国で出版された本はすべて架蔵されることになっていますが、それでも時には、目指す本に出会わないことがあります。すると、この国のレディング・ライブラリィ・システムはよく発達していて、少し時間はかかりますが、他の図書館からその本が必ず届けられるのですから、学生や研究者にとってこれ以上の幸福があるでしょうか。
 身体障害者へのサーヴィスも感心するほど立派に行われています。車椅子の人や歩行に問題のある人に対してはもちろんのこと、目が不自由な人のためには、盲導犬の入館が認められ、テープを聞いたり付添人が朗読するための部屋も用意されているようです。これは公共図書館ならば当然かもしれませんが、大学図書館であることを考えた時、日本との違いを感じざるをえません。
 帰りに荷物預かり所でコートや荷物を受け取る折に、こちらはもちろん「サンキュー」と言うのですが、必ず向こうも丁重に「サンキュー、マダム」と言って預けたものを渡してくれます。お金を支払うわけではないのになぜ「サンキュー」と言うのか不思議な気がしますが、〃サーヴィスする機会を与えて下さってありがとう〃という心なのでしょう。貴重な本を見せてもらい、その上このような礼儀正しい言葉を聞いて図書館を出ると、ああ、これが成熱したイギリス文化だな、と本当に感心してしまいます。」
 ※参考文献4 白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』P174-177
 

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 イギリス王室・貴族 | 先頭へ ||研修記目次へ|| 研修日程と訪問地へ

 エリザベス女王の孫、ウィリアム王子とキャサリン(ケイト)・ミドルトンさんの結婚で、イギリスの王室や貴族に関する関心が高まっています。これについても少々レポートします。
 まず、それに関係してはいるのですが、唐突にいきなり、とんでもないクイズです。

 14ページでは、ドイツ本土爆撃について説明しました。(→)その中に、イギリスの爆撃機の名前が出てきました。
   ・ヴィッカース・ウエリントン      ・ハンドレページ・ハンブデン   ・ショート・スターリング
   ・ハンドレページ・ハリファックス   ・アヴロ・ランカスター
などです。
 このネーミングのうち、前半分の、ヴィッカース、ハンドレページ、ショート、アヴロというのは、飛行機の製造会社の名前です。アメリカなら、B29爆撃機の正式名称、「ボーイングB29スーパー・フライング・フォートレス」の「ボーイング」の部分です。
 後半の、ウエリントン、ハンブデン、スターリング、ハリファックス、ランカスターというのは、B29の「スーパー・フライング・フォートレス」にあたる愛称です。B29の場合は、「超・空の要塞」という、強そうな愛称です。ちなみに、同じボーイングのB17爆撃機が「フライング・フォートレス」でしたから、B29は「スーパー」がつきました。
 そこで問題です。
 イギリスの爆撃機の愛称、ウエリントン、ハンブデン、スターリング、ハリファックス、ランカスターは、ある共通のものから付けられています。それは何でしょうか?


  ※黒板の上にマウスを置くと、正解が現れます。

 正解は、「家の名前」です。
 そうですね、この項目のタイトルが、イギリス王室・貴族なんですから、これでクイズの答えが、地域や川であるはずがありません。それなら大笑いです。(^_^)
 正確に言うと、公爵家・侯爵家の家の名前から選択された愛称です。

 日本では、貴族制度(華族制度、イギリスと同じ公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5爵位制度)は、第二次世界大戦後の民主化によって消滅しましたが、イギリスでは、今も続いています。
 では次のクイズです。
 一体、現在のイギリスには、どのくらいの貴族がいるのでしょうか?


  ※黒板の上にマウスを置くと、正解が現れます。

 ※この数字は、エイドリアン・ルーム著渡辺時夫監訳『英国を知る辞典』(研究社)に掲載されている数字です。
  直接には、参考文献7 小林彰夫著『イギリス貴族』P24より引用しました。  
 

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 これだけの貴族が現存し、その頂点に、イングランド王室があるわけです。これこそがイギリスの伝統文化の最たるものでしょう。そして彼らのもっている「ノーブレス・オブリージュ」の精神が、いい意味でイギリスの伝統になっていると考えられます。
 もっとも、チャールズ皇太子のもと妃、ダイアナ妃はオールトラップ子爵家(後にスペンサー伯爵家を相続)の出身ですから貴族階級から迎えられた妃でしたが、今回のウィリアム王子の王妃となったケイト(キャサリン)・ミドルトンさんは、両親が英国航空に勤務し、後に実業家として成功した家の出ですから、全くの庶民階級から迎えられた妃となります。
 ウィリアム王子が結婚と同時に皇族公爵である
ケンブリッジ公爵となりましたから、ケイトさんも、ケイトという愛称ではなく、正式に、ケンブリッジ公爵夫人キャサリン妃となりました。
 このケンブリッジ公爵という称号は、世界史の教科書にも出てくる17世紀後半の国王ジェイムズ2世が、子息チャールズに対して贈ったものです。360年の伝統のある爵位です。ただし、前のケンブリッジ公爵は1904年に死亡し、100年以上断絶していた爵位です。
 
 王族についていえば、日本の皇族と違う点は、ウィリアム王子が、普通にフルタイムで仕事をしていることです。彼は、スコットランドのセント・アンドルーズ大学を卒業後、陸軍士官学校に入ってこれを無事卒業、さらに、2008年には海軍兵学校及び空軍士官学校でも教育を受け、3軍の尉官の階級を持っています。
 現在は、ウェールズのアングルシー島の空軍基地にヘリコプター操縦士として勤務しており、新聞によると、二人は直ぐには新婚旅行には行かずに、現地で生活しているそうです。
 つまり、王子は基地勤務の兵士、キャサリン妃はその妻・専業主婦というわけです。5月5日にキャサリン妃がジーンズにカーディガンという服装で近くのスーパー・マーケットに買い物に行ったそうです。もっとも、ボディガードが5人も付いていたとのことです。大変ですね。
  ※参考文献8 『岐阜新聞』2011(平成23)年5月8日付け朝刊5面 


 写真16-27   雨のバッキンガム宮殿          (撮影日 10/11/14)


 写真16-28     衛兵の交代                     (撮影日 01/08/10)

 この写真は10年前に家族旅行で行った時に撮影したものです。今回はこんなパレードには巡り会いませんでした。 


 写真16-29   バッキンガム宮殿前を行く衛兵のパレード         (撮影日 01/08/10)


 写真16-28    雨のウエストミンスター寺院             (撮影日 10/11/14)

 2011年4月29日、ここでウィリアム王子キャサリン・ミドルトンさんの結婚式が行われました。
 ウエストミンスター寺院は、イギリス王室の寺院ですが、国教会の司教座がある寺院(管区を管轄する寺院)ではありませんので、単なる寺院(abey)であって、大聖堂(cathedral)ではありません。
 これとは別に、イングランドにおけるカトリックの総本山であるウエストミンスター大聖堂が、ここから600m程西にあります。

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 円とポンドの交換     | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ

 この長いマンチェスター・ロンドン研修記も最後に近づきました。
 最後の前に、外国旅行の際の日本円と外国通貨の両替についてレポートします。
 結論を言ってしまえば、たくさんの日本円をたくさんのポンドにしてイギリスに持っていくのは、全く愚の骨頂であることが分かりました。
 私の場合を例に具体的に説明します。
 8月31日、この時は日本円が高い時期だったので、渡航の2か月前でしたが円をポンドに両替しました。
  
203,322円≒£1,400 の交換でしたから、£1≒145.23円です。
 この時の実勢レートは、
£1≒137.23円でしたから、(145.23-137.23)×1,400=11,200円の手数料を取られたことになります。
 また、11月19日、帰国の日、関西国際空港で余ったポンドを円に両替しました。
  
£330≒39,771円 の交換でしたから、£1≒120.518円です。
 この時の実勢レートは、
£1≒138.24円でしたから、(138.24-120.518)×330=5,848円の手数料を取られたことになります。合計すると、11,200円+5,848円=17,048円です。
 ちょっと多めにポンドを持っていっていっぱい買い物をしようとしたことが、あだになりました。
 £1,400を持っていって、£330もあましたわけですから、もっと少なくすべきでした。

 それよりもそれよりも、そもそもポンドを持っていって現金で買うという方法が、時代にそぐわないことが分かりました。アメリカやイギリスのようなカード決済が発達したところでは、カードで支払えばいいのです。暗証番号さえ覚えていれば、何ら問題はありません。事実、途中乗り換えをしたパリのシャルル・ドゴール空港では、当然フラン通貨なんか持っていませんから、みんなカードで決済していました。イギリスでは現地に人は、普通のコンビニでコーラ1本買ってもカードで支払っていました。

 それがどのくらい得なものか具体的な数字をあげます。
 私は、11月15日にバーバリーの店で、妻と長男の婚約者のために清水の舞台から飛び降りるつもりで、バックを2個買いました。その値段は、
£1,170でした。
 これが、どのようにカードで決済されたのかというと、次の月の請求明細によれば、
161,282円でした。
 これを換算すれば、
161,282円÷£1,170=137.847円、つまり、£1=137.847円です。
 この購入日11月15日の実勢レートは、帰国後新聞で調べたら、
£1=137.11円でした。
 つまり、(137.847-137.11)×1,170=
862.29円の「手数料」で済んだことになります。£1あたり、0.737円の損失です。これはほとんど無視できるロスです。
 
 私は、£1,400をもっていき、£330を余しましたから、現地で
£1,070をつかったことになります。また、203,322円をポンドに換え、余った分で39,771円を手に入れましたから、日本円にすると、163,551円分つかったことになります。
 イギリス滞在中の実勢レートは、最高£1=134.58円から、最低£1=138.24円まで変動しましたから、仮に平均値として、
£1=136.43円としましょう。もし、全額カードで支払っていたとしたら、先のバーバリーでの購入の時の差額率(137.847÷137.11≒1.00537)を適用して計算すると、
  £1,070×136.43(平均値)×1.00537(差額率)=
146,764円 となります。
 実際につかった金額の日本円分と比較すると、
  
163,551円146,746円16,805円
 の差となります。つまり、すべてカードを使用していれば、
16,805円が節約できたわけです。

 為替レートの点から見た換算でも、上記の比較でも、いずれにしても、うまくやっていれば、
1万7000円前後の節約ができたわけです。
 
 教訓9、現地での買い物はできうる限りカードで。現地通貨への交換は少なめに。


 まとめ イギリス研修から得られたもの  | 先頭へ ||研修記目次へ

 長い、長~い、マンチェスター・ロンドン研修記もいよいよ終わりになりました。
 最後のまとめといっても、すでにここまでに、本題の環境教育を初めとして、運河の話、鉄道の話、潜水艦の話、五式戦の話、イギリス本土防空戦の話、ドイツ爆撃の話、そして、イギリスの雑感と思う存分書いてきましたので、今更まとめに何を、という感じです。
 ですが、いちおう最後のけりですから、感想めいたもの、印象に残ったことをもう一度強調するために、二つだけ付け加えたいと思います。

 一つ目は、運河や鉄道のページや最後の雑感1・2(P15・P16)で、たびたび触れたように、イギリスは伝統的な文化を重んじる国だということを、あらためて実感できた点です。
 国の歴史の古さという点なら日本も負けてはいませんが、戦勝国であったことなどの要因はあるにせよ、王室や貴族社会や、古い建物・文化財の保存や、古い伝統の維持などに熱心です。やはり時代が変わっても大事にしなければならないものは大事にしなければなりません。それが、郷土を愛すること、国を愛すること、そして自分を誇りに思うことの原点になっていきます。

 二つ目は、これこそが本題ですが、そういう古い伝統を守る国が、一方で率先して環境問題、特に二酸化炭素排出問題では、世界のリーダーとして、積極的に取り組んでいる点です。
 
ESD(Education for Sustainable Development)がかけ声だけに終わらないように、我々も身近なところから取り組んでいかねければなりません。(私は、自動車通勤を控えて、自転車通勤をするところから始めました。4月は、20勤務日中8回でした。まずまずです。)
 行動以上に重要なのは、心です。
 昨年の岐阜県の高山市の久々野地区社会教育運営委員会青少年育成部が主催した第5回中高生川柳大会で、エコをテーマにした句が最優秀賞を獲得しました。飛騨高山高校2年生の谷口恵莉香さんの句で、「
優しさや 思いやりまで エコ社会」です。
  ※参考文献9 『岐阜新聞』2010(平成22)年8月17日飛騨版

 友達との関係や近所づきあいも含めて、優しさや思いやりまでが、「エコ」、すなわちこの場合は、「節約」「縮減」されてしまっているという意味合いの警句で、作者の谷口さんの社会に対する鋭い指摘と、ご自身の「私はがんばるぞ」という決意が伝わってくるいい句です。

 実は、エコ社会、環境に配慮する社会というのは、本当は普通以上に、相手への思いやりやつながりが必要な社会です。
 以前ある学校で偽物のエコ活動の実践をやってしまいました。
 生徒会の担当の発案で、HR活動の時間に学校の隣を流れる長良川の河川敷を掃除しようという「環境活動」が行われました。男子クラスの担任だった私は、こういう時こその団結力とばかりに、ほかのクラスに負けないように河川敷のゴミを集めることに成功して、すっかり満足していました。
 しかし、そのあとで、思慮の足らなさに愕然としました。体育館のそばに集められたゴミのそばを、部活動の指導に向かおうと通った時に、そこに立ち尽くしている校務員さんのつぶやきを聞きました。
「これを誰が分別して、後始末するか分かっとるかて」

 つまり、大量のゴミの分別と、業者への引き渡しを、2人の校務員さんに任せ、あとは知らないという「環境活動」だったのです。これでは単なる自己満足の環境活動以外の何物でもありません。
 そもそも環境活動は、川でたとえるのなら、自分の位置をよく見て、川の上流のことも下流のことも考えることです。つまり、ここで何かしたことが、そこにつながる何かにどういう影響を与えるか、そこからつながる何かにどういう影響を与えるか、それをつねに意識することから始めなければなりません。
 この心こそが、一番大切なことです。それを忘れてはいけません。 


 【コッツウォルズ、オックスフォード、イギリスの貴族 参考文献一覧】
  このページ16の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

地球の歩き方編集室『’10~’11 地球の歩き方 イギリス』(ダイヤモンド社 2010年)

ヴィヴィアン・Hグリーン著安原義仁・成定薫訳『イギリスの大学』(法政大学出版局 1994年)

秦由美子著『変わりゆく イギリスの大学』(学文社 2001年) 

白井厚・白井堯子著『オックスフォードから』(日本経済評論社 1955年)

『新英和大辞典』(研究社 1960年)
  新村出編『広辞苑 第二版補訂版』(岩波書店 1976年) 
 

小林彰夫著『イギリス貴族』(講談社現代新書 1991年) 

 

『岐阜新聞』2011(平成23)年5月8日付け朝刊5面

 

『岐阜新聞』2010(平成22)年8月17日  


【この旅行記の中でレポートした、外国旅行のポイントのまとめです】
教訓1

スーツケースは宅配で。(但し、もたもたしていると送れなくなる)

教訓2

重いお土産は気をつけよう。例 磁石・陶器・・・

教訓3

重量オーバーしそうなら、機内持ち込み荷物を増やして対応。大きなバッグ二つでもOK。 

教訓4

お土産は事前に現地でやすいいいものがいっぱい見つかります。間違ってもカタログで事前に購入するという方法はやめましょう。とくにイギリスはカタログ製品はいいものはありません。

教訓5 ロンドン市内の移動は地下鉄で、一日フリー乗車券を買うこと。
  教訓6

洗濯はホテル内の自室でできる。湿気の少ない気候のため、室内に洗濯物を干しておけば、1日後には十分着られる。下着や靴下はたくさん持っていく必要はない。 

  教訓7

洗濯用の小さい洗濯板があると便利。針金のハンガーも忘れずに。

  教訓8

ハンドクリーム・リップクリームは必需品。  

  教訓9

現地での買い物はできうる限りカードで。現地通貨への交換は少なめに。


 ほんとに長い研修記になりました。
 個人の旅行と違い国費で参加させていただいた研修だけに、報告にも気合いが入った結果です。
 最後までおつきあいくださってありがとうございました。


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