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 リヴァプール遠征 まずはL&M鉄道について  11/02/11記述 11/11/09修正

 このページは、私が個人で出かけた「リヴァプール遠征」についての説明です。話題は、前ページから引き続いての鉄道、それから大聖堂、さらにです。

 まずは、現在のイギリスの鉄道についての説明です。本題とはほんの少々の関係でも何しろ好きなものですから・・・。(^_^)
 イギリスの鉄道網は、20世紀前半には、主に4つの鉄道会社に集約されました。
ロンドン&ノースイースタン鉄道ロンドン・ミッドランド&スコティッシュ鉄道グレイト・ウエスタン鉄道サザン鉄道です。
 これらの会社は、1948年に労働党政権のもとで国有化され、
イギリス国鉄となりました。
 そして、サッチャー政権に続いたメイジャー政権(保守党)のもとで進められた新自由主義の経済政策によって日本と同じように民営化が進められ、1993年の鉄道法によって国鉄は解体され民営化がなされました。その時以来、上下分離方式が取られ、線路・信号などインフラ整備を行う一つの会社と列車の運行を行う20数社の民営会社によって運営されています。前者の方は、当初は
レールトラック社が運営を任されましたが、2000年10月のハットフィールド列車脱線事故でその管理体制のまずさが露呈され、2001年には破綻が表面化しました。一時レールトラック社は再び国の財産管理に戻され、2002年には、新たにネットワーク・レイル社が設立され、現在に至っています。
 日本の完全分社化とは異なる、上下分離式の民営化の問題点については、イギリスのノンフィクション作家クリスチャン・ウルマーが優れた分析をしています。19世紀前半から半ばにかけて、そもそもイギリスの鉄道は国家的な計画や統制がないまま「自由競争」のもとで無秩序に敷設されたこと、それが第二次大戦後にほぼ丸ごと国有化されたこと、国有化当初は採算を度外視した運営がなされたこと、さらに、ビーチング計画によって、効率を無視した路線の再編成がなされたこと、そして、国鉄解体後の
レールトラック社による技術的に杜撰な運営が行われたことなどです。列車が定時運行される割合も、国鉄時代よりも比率が下がったとされています。
 日本では地域ごとの分社化によって、比較的うまく民営化が進んでいると思われます。しかし、JR西日本福知山線の尼崎の事故など、「民営化の無理」が起こすひずみについて、イギリスに学ぶ点(反面教師としても)は多々あると思います。
 ※参考文献1 クリスチャン・ウルマー著『折れたレール イギリス国鉄民営化の失敗』 

  さて、マンチェスター市内の2大中心駅と言えば、北のヴィクトリア駅と南のピカデリー駅です。
 
ヴィクトリア駅はマンチェスター市中心部の北東に位置し、1844年に開業しています。路線は主にリーズなど北東方面や北西方面の都市と結んでいます。また、リヴァプール行きの列車も出ています。
 そして、
ピカデリー駅は、マンチェスター中心部の東南に位置し、最初はマンチェスター・バーミンガム鉄道の拠点駅として開業し、やがてロンドン・ロード駅と呼ばれましたが、1962年から、ピカデリー駅と名前を変えました。ロンドンなど南の各方面への列車が出発していますし、ここからもリヴァプール・マンチェスター間の列車が出ています。
 ※参考文献2 湯沢威著『イギリス鉄道経営史』P72-83、105、233-266

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 通訳兼ガイド役のK氏にも確かめました。「マンチェスターからリヴァプール行きの列車は、北のヴィクトリア駅と南のピカデリー駅の両方から出ている。」
 午前中に滞在したマンチェスター科学産業博物館(
MOSI)は、市中心部南のリヴァプール・ロード沿いにあります。
 そこから近い2大ターミナルは、東南部にある
マンチェスター・ピカデリー駅の方です。


 写真09-01 マンチェスター・ピカデリー駅に入る Arriva train Walesのディーゼル列車(撮影日 10/11/12)

 この写真の列車は、Arrive train Wales社のClass 175 Cordia です。最高時速160kmで、ウェールズのLlandudno(スランディドノ 地図11参照)とを結んでいます。

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 写真09-02   右Virgin Train Class390           (撮影日 10/11/12)

 右側の電車は、ロンドンのEuston(ユーストン)駅(地図11参照)とを結んでいる Virgin Train社の Class 390電車です。最高時速225kmだそうです。マンチェスター-ロンドン間を最速1時間58分で結びます。
 左側の列車は、上の写真の、Arrive train Wales社のClass 175 Cordiaです。上下分離方式ですから、このピカデリー駅にも複数の列車運行会社が乗り入れているわけです。
 駅の屋根を覆っているのは、イギリスには多く見られるヴィクトリア女王時代からの train shedです。

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 写真09-03  朝8時台の出発時刻表です。              (撮影日 10/11/12)

 上の写真09-02のロンドン Euston 行きClass 390電車は、8時15分発です。

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 写真09-04    Cross Country社のPaignton 行き Class 220 voyger (撮影日 10/11/12)

 バーミンガム、プレストンを経て、南海岸のペイントン(地図11参照)まで行きます。Class220 Voyagerは、ディーゼル・電気併用列車で、最高時速は200kmです。

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 イギリスの主な鉄道路線です。
 このページのリヴァプール・マンチェスター間の鉄道とは直接には関係ありませんが、南北に長いイギリスには主な鉄道路線として、
ウエスト・コースト・メインライン(西海岸本線)イースト・コースト・メイン・ライン(東海岸本線)があります。

 19世紀後半は、この2本の鉄道は、それぞれ複数の会社によって運営されていました。
 イースト・コース本線は、
グレートウエスタン鉄道GWRノース・イースタン鉄道NERノース・ブリティッシュ鉄道NBRです。
 ウエスト・コースト本線は、
ロンドン&ノース・ウェスタン鉄道、カレドニアン鉄道CRです。

 このそれぞれの鉄道会社グループは、1888年と1895年に北へ向かっての激しい激しいスピード競争を展開しました。
 1888年がスコットランドのエディンバラまでの競争、そして、1895年がさらに北のアバディーンまでの競争です。
 これは現在から想像できる常識的な競争とは異なるものでした。会社が発表した出発時刻を守って運転するのではなく、可能であれば、運転手は記録達成のために、予定出発時刻を早めてもいいとされていたのです。
 おかげで、利用客が出発時刻のずいぶん前に駅についても、もうすでに列車は出発したあと、ということもありました。そういう時は、乗れなかった乗客のために、別の新たな列車が同方面へ向けて仕立てられたのでした。
 



 ディーンズ・ゲート駅発  | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ

 マンチェスター科学産業博物館(MOSI)を出た私は、鉄道の駅へ向かいました。
 しかし、
MOSIから見て、ターミナルのマンチェスター・ピカデリー駅は東側、リヴァプールは西側です。ピカデリー駅まで戻っていては、時間がかかってしまいます。
 私は、あえて、歩いて一番近い、
ディーンズ・ゲート駅に向かいました。dean というのは、イギリス国教会の司教(司祭)のことです。カトリック教なら bishop です。マンチェスターには、司教が司るマンチェスター大聖堂 cathedral があり、そこへ向かう道がdeans gate です。駅は、キャッスル・フィールドの直ぐそば、通りがロッチデール運河を越したところにあり、MOSIからは歩いてほんの8分です。

 駅に着くと、悪い予感がしました。
 土曜日だったので、駅員がおらず、「切符は車内で買ってください」と表示してありました。予想される悪いことは二つです。無人駅と言うことは、そんな駅には快速電車のような列車は止まりません。列車内で切符を買えといわれても、車掌がうまく回ってこなかったらどういうことになるのか?
 実はもっと恐ろしい「心配」があとでおそってくるのですが、それはこの時は気付きもしませんでした。

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 写真09-05・06 ディーンズ・ゲート駅電光掲示板  (撮影日 10/11/13)

 案の定、最初に来た列車はこの駅を通過して行ってしまいました。(上左の電光掲示板)
 紙の時刻表は見つけられませんでしたので、ホーム天井からつり下がった電光掲示板をじっと見ていると、直ぐに次の電車が来る知らせが出ました。これで、一つ目の悪い予想は回避です。
 案内のとおり、13:18発のNorthern Rail 
リヴァプール・ライムストリート駅行きの列車が直ぐにやってきました。 


 写真09-07 13:18発 (撮影日 10/11/13)

 写真09-08 4人掛けにテーブル(撮影日 10/11/13)

 やってきたのは、ノーザンレイル社のディーゼルカーでした。あとで調べたら、class156というタイプで、最高時速121kmとのことでした。日本の新幹線と同じ標準軌なので列車の車体幅は広いのですが、中の座席は横1列が2座席×2の4席となっており、大変ゆったりしていました。4人掛けに一つずつテーブルも付いています。車内はすいていて楽ちんでした。最高に残念だったのは、運転席が客席と区切られていて、先頭車両の一番前に立って窓越しに写真を撮影するということができなかったことです。 

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 写真09-09 ノーザン鉄道(撮影日 10/11/13)
 
 
ディーンズ・ゲート駅を出て、ブリッジ・ウォーター運河を渡り、リヴァプール方面へ向かう、ノーザン鉄道のclass156系ディーゼル列車。同じタイプの列車をこの日の朝に撮影していました。
 この撮影場所の直ぐ西(写真右側)で線路は二股に分かれ、まっすぐ北西側へ行く線路は旧リヴァプールロード駅のすぐそばを通って、1830年に開通した線路と同じ路線をリヴァプールロードへ向かいます。
 →地図08を見てください。
 


 北側(進行方向のリヴァプールに向かって右側)の席に座って窓の外を見ていると、次の悪い予感、うまく車掌さんから切符が買えるかどころか、もっととんでもない心配がおそってきました。
 ディーンズ・ゲート駅を出た列車は、私の予想では、MOSI構内の旧リヴァプールロード駅のそばを通って、西のリヴァプールへ向かうはずです。現実に、MOSIの中にいた時に、外を通る列車を見ています。
 ※→前のページの写真写真08-07 です。

写真09-10 表示はLiverpool(撮影日 10/11/13)

  ところが、私の乗った列車は、ディーンズ・ゲート駅を出るとすぐに大きく左に回り、西南の方向へ向かいはじめました。向かう方向が違います。
「えっ、リヴァプール行きではないの?」
 乗り間違いをしたとしたらえらいことです。

 ちょうど、そこへ車掌さんがやってきました。

「この汽車はリヴァプール行きですね?」

車掌

「はい、そうです。どこの駅まで行きますか?」

 

リヴァプール・ライムストリート駅まで、片道、大人一枚下さい。」 

 車掌

「はいわかりました。9ポンド80です。」 

 

「あの、私は日本から来た旅行者ですから詳しくわかりませんが、マンチェスターからリヴァプールに行く路線は、歴史の教科書に書かれている1830年に開通の路線と、この路線と二つあるのですか?」 

 車掌

「はいそうです。南路線と北路線と二つあります。これは南路線です。・・・・・・」(よかったよかった、安心してあとの説明は頭に入りませんでした。(+_+)) 

 確かに、停車駅の駅名と、『地球の歩き方 イギリス』の地図の地名を確認すると、オリジナルとは違う、南回りの路線を走ってリヴァプールへ向かっています。これで、外国で行き先の違う列車に乗ってしまうという「危機」に陥ったわけではないことははっきりしました。やれやれです。
 
 帰国してから調べると、地図08に書いたように、
マンチェスター・リヴァプール間鉄道は、1830年に開通して基本的には今に継承されているオリジナルの路線=北路線と、いろいろ経緯はあったけど、1870年代にはつながったウォリントン経由の南路線があって、マンチェスター・ピカデリー駅からはどちらの路線へも向かう列車があることがわかりました。一つ東よりのオックスフォード・ロード駅には両路線の列車が停車しますが、ディーンズ・ゲート駅には南路線の列車しか停車しないということだったのでした。

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 リヴァプール・ライムストリート駅  | 先頭へ ||研修記目次へ

 13:18にマンチェスター・ディーンズ・ゲート駅を出た列車は、途中のウォリントン・セントラル駅(13:45)などたくさんの駅に停車し、14:24にリヴァプール・ライムストリート(LLS)駅につきました。正味1時間6分です。
 一つ手前の
エッジヒル駅からは、1830年の開業当時とは異なるルートとなっています。
 リヴァプールの町は、東方面から西の海辺へ向けて急傾斜の地形となっています。
 このため、
エッジヒル駅LLS駅の間の線路は、新たにトンネルと切り通し削って1836年に開通しました。しかし、当初、この1.8km間は、急傾斜であったため、蒸気機関車による運行ではなく、エッジヒルにあった定置式の蒸気機関によってロープ牽引で列車を引き上げる方法がとられました。


 写真09-11 リヴァプール・ライムストリート駅               (撮影日 10/11/13)

 見事な大屋根のリヴァプール・ライムストリート(LLS)駅です。
 マンチェスターやバーミンガムなど東部南部方面へのリヴァプールの玄関口です。
 左の列車が私の乗ってきた列車、class156です。
 中央に停まっているのは、class142です。class156は座席が横1列が2座席×2で、非常にゆったりしていましたが、class142は、日本の新幹線の同じように、横1列が3座席+2座席でした。
 行きは、偶然ながら南路線を来てしまいましたので、マンチェスターに帰る時は、話の種にオリジナルの北路線に乗りたいと思っていましたが、これまた偶然、18:13発のマンチェスター・ピカデリー駅経由マンチェスター国際空港行きの列車に乗ったら、これがオリジナルの北路線を通って、ピカデリー駅まで行ってくれました。しかも、停車駅は少なく、19:01に到着し、正味48分の乗車時間でした。 


 写真09-12 LLS内部  (撮影日 10/11/13)

 写真09-13  LLS玄関 (撮影日 10/11/13)

 いかにもイギリスの鉄道のターミナル駅といった感じの駅です。 


 話の順序が逆になりますが、ここで鉄道の駅について先に帰りに経験した話を書きます。帰りは地下鉄道マージーレイルを利用しました。 


 写真09-14 リヴァプール・ジェイムズストリート駅              (撮影日 10/11/13)

 この駅は、マージー川河口をくぐり抜けて、リヴァプール中心部と対岸のバーケンヘッドを結んでいる地下鉄道の駅です。河口部分のトンネルが開通し、この地下駅ができたのは1886年のことです。日本の明治19年です。
 列車の前のMは、
Mersey Railway (マージー・レイルウエイ)の略号です。現在では、この地下鉄道の路線は、リヴァプール側の3つの鉄道の駅Moor Fields駅Lime Street駅Central駅をループ状に地下で結んでいます。
 Moor Fields駅Central駅は、通常の鉄道が地下の駅となっており、Mersey Railwayは、さらにその下の深い地下を通っています。(↓下の地図11を参照) 


 写真09-15 マージーレイル・ジェイムズタウン駅
 写真09-16 マージーレイル・ライムストリー駅
     (撮影日 10/11/13)   

 夕刻は日本の地下鉄並みに2分間隔です。
 右の写真は、このマージー・レイルのライム・ストリート駅の改札口を出たところですが、自転車を引いた少年がいました。自転車ごとのMレイルに乗っていたのです。イギリスでは、こういう自転車乗り入れはOKなのです。
 


 写真09-17 左:車内で購入した行きの切符 右:ジェイムズタウン駅で購入した帰りの切符(撮影日 10/11/13)

 リヴァプールのマージーサイドを見学しての帰りは、来た時と逆ですから、ライム・ストリート駅へは、かなりの坂を登ることになります。そこで、歩いてゆくのはやめて、地下鉄に乗って行くことにしました。
 地下鉄のジェイムズ・タウン駅とおぼしき所に着くと、切符は自動販売機ではなく、窓口で買わなければなりませんでした。行きの列車内で車掌さんから購入するのもスリリングでしたが、外国で単独行動をする時は、当たり前ですが、英会話というスリリング兼猛烈プレッシャーを乗り越えなければなりません。むしろ自動販売機の方が気楽です。字を読む方がわかりやすいですから。
 
 ガラス越しに、大柄なお姉さんがこちらを見ています。まず、本当にライム・ストリート駅まで行けるかどうか確かめなければなりません。

「私は日本からの旅行者でよく事情が分からないが、この駅からライムストリート駅までいけるのですね?」

係の女性

「Yes」

「片道1枚、お願いします。」

係の女性

「○×▼□○、▼○□△・・・」

 お姉さんが何か言っています。
 日本でも窓口での会話というのは中は静か外は騒音の中という状況でなかなか聞きづらく、やりとりが難しいのが普通です。加えて英語のヒアリングが今一ですから、なかなかお姉さんの英語が聞き取れません。
 「pardon repeat」 と言って、もう一度言い直してもらいましたが、まだ分かりません。
そこで、意を決して、

「私はライム・ストリート駅まで行き、そこからノーザンレイルの列車に乗り換えて、マンチェスター・ピカデリー駅まで行くつもりです。」

と言いました。

係の女性

「all right。9.80ポンド」

と言って、上右の写真の切符をくれました。
 結果的に、彼女は親切にも、「あなたはライム・ストリートから乗り換えてどこへ行くのか」という趣旨のことを伝えようとしていたのでした。左(列車内で購入したディーンズ・ゲートからライム・ストリートまでの切符)と右(地下鉄道ジェイムズ・タウンからマンチェスター・ピカデリーまでの切符)の切符の料金を見てください。どちらも、料金は9.80ポンドです。お姉さんの心遣いのおかげで、地下鉄の分だけを余分に払うことなく切符が購入できました。めでたしめでたし。

 マージーレイルの駅から階段を登って、地上鉄道のライムストリート駅に来ると時刻は17時50分ごろでした。運悪くちょうどマンチェスター・ピカデリー駅行きの列車が出たばかりで、次のピカデリー駅行きまでにはずいぶん時間がありました。
 同じように電光掲示板の出発時刻表を見ていた中年のお姉さんと目が合いました。

「すみません。日本からの旅行者でよくわからないんですけど、マンチェスター・ピカデリー駅行きは、次の電車まで40分も待たなければなりませんか?」

女性

「いいえ、大丈夫よ。こちらについていらっしゃい。」

 あとを付いていくと、隣のホームには、マンチェスター国際空港行きが発車待ちでした。

女性

「この列車なら、マンチェスター・ピカデリーに停まるわ。次の列車よりずっと早く着くわ?」

「ありがとう。」

女性

「18時13分発だから、まだ、コーヒーぐらい飲めるわ。じゃ、よい旅を。」

 私も夕食のサンドイッチを食べることができました。イギリスの方は、親切な方ばかりです。


 海港都市リヴァプール  | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ

  上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、マージー川河口周辺の地図です。航空写真にして上の地図12と比べながら見てください。


 さて、話を元に戻して、リヴァプールの説明です。
 マージー川の河口に開けた、
海港都市リヴァプールの歴史はそれほど古いものではありません。中世のイギリスにおいては、アイリッシュ海(ブリテン島の西側のアイルランド側の海)に臨む港と言えば、すぐ南にあるチェスターの方が繁栄していました。しかし、17世紀末にチェスター港が河川の押し流す泥の堆積によって衰退すると、それに代わって、リヴァプールが西海岸の代表的港に成長していきました。

 これを助けたのは、最初は、18世紀における
植民地との三角貿易でした。
 イギリスからアフリカへ日用品や銃砲を、アフリカから新大陸へ奴隷を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを輸出する貿易は、リヴァプールに繁栄をもたらしました。
 18世紀後半からの産業革命の時代には、マンチェスターなどランカシャー地方の綿工業製品の原料・製品の輸出入港として隆盛を極めたことは、これまでマンチェスターの説明で見てきたところです。
 第二次世界大戦時のドイツの空襲や、戦後の繊維産業の衰退によって、かつての賑わいは失われましたが、マンチェスター同様、港湾地区の再開発が進み、新たな観光資源(→例 ビートルズ・ストーリー http://www.beatlesstory.com/)をもつ魅力ある都市として、人気を集めています。18・19世紀の海港都市としての姿を残している一部の地域は、「
海商都市リヴァプール」として、2004年にユネスコ世界遺産に登録されています。


 リヴァプール大聖堂   | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ

 ライムストリート駅を降りたあと、最初の目的地、イギリス国教会のリヴァプール大聖堂に向かいました。
 イギリス国教会の大聖堂です。高さ100m以上の塔の頂部から、市内を鳥瞰するためです。


 写真09-18・19 メトロポリタン大聖堂     (撮影日 10/11/13)

 紛らわしいですが、この近代的な建物はリヴァプール・メトロポリタン大聖堂です。カトリック教会の大聖堂です。 


 写真09-20   リヴァプール大聖堂              (撮影日 10/11/13)

 この大聖堂は、英国国教会の大聖堂です。英国国教会の大聖堂としては、最大のものです。それほど古いものではありません。1904年に着工され、1978年に完成しました。完成までに74年です。中にあるパイプオルガンは、イギリスで最大だそうです。塔の頂部は、高さ101mです。


 写真09-21 聖壇(撮影日 10/11/13)

 写真09-22 ステンドグラス (撮影日 10/11/13)

 私は、こちらから英国人にむやみに話しかけるタイプではありませんが、どうしても会話に入るシチュエイションというのがあります。
 このリヴァプール大聖堂の塔に昇るときがそうでした。
 101mの塔頂までは、10人乗りぐらいの大きなエレベーターで途中まで行き、そこで4人乗りに乗り換えるという形でした。4人乗りに乗り換えるところで、年配のおじさんと二人きりになってしまいました。黙っているのはお互い変なものです。

「日本から来た旅行者です。」

老人

「遠いところからようこそイギリスへ。私はロンドンから来た。リヴァプールは美しい町だ。・・・・」

 降りるエレベーターでは、3人の私より少し年上の感じのご婦人と私一人という組み合わせでした。3人ともフランス語で会話しています。これは話す機会はないなと安心していると、偶然、そのうちの一人の方と目が合い、すぐに、

女性

「Can you speak English?」

 と尋ねられました。
 3人とも、パリからの観光客でした。ビートルズのファンだとのことでした。旅は誰の心もオープンにします。


 写真09-23 マンチェスター方面              (撮影日 10/11/13)

 二つのエレベーターに乗って、さらに階段をかなり上って、塔の屋上に着きました。
 これは塔の屋上から東の方角、50km彼方のマンチェスター方面を臨んだ写真です。中央、やや左に見えるのが、ヒルトンホテルのある高層ビルと思われます。
 後方にある山並みが、ペニン山脈(ペナイン山脈)です。山脈と言っても日本のような急峻な山岳ではなく、なだらかな峰が続きます。


 写真09-24   マージー川の河口                (撮影日 10/11/13)

 大聖堂の西側、マージー川の河口部です。川の下を、2本の道路と地下鉄が通っています。向こう岸は、バーケンヘッド。その向こうはアイリッシュ海です。
 川のこちら側、中央の観覧車の右が
アルバート・ドックで、その周囲に下で説明するマージーサイド海洋博物館があります。


 大聖堂を出て、リヴァプールの中心街を通って、歩いて港へ向かいました。海港リヴァプールを見なければ、来た甲斐がありません。


 写真09-25 街並み (撮影日 10/11/13)

 写真09-26 中華街  (撮影日 10/11/13)

 左上:大聖堂の上から見るリヴァプール街並みは、まるで積み木のおもちゃのようでした。
 右上:イギリスの大きな町にはどこにでも中華街があります。
 


 写真09-27 週末の賑わい(撮影日 10/11/13)

 写真09-28  ヴィクトリア女王 (撮影日 10/11/13)

 左上:週末の夕方のチャーチ・ストリートの賑わいです。大道芸人もいて、大変な人出でした。
 右上:ロード・ストリートのヴィクトリア・モニュメントです。ヴィクトリア朝時代が、リヴァプールの最も輝ける時代でした。
 


 リヴァプールの中心部を歩いて、マージーサイド(マージー川の河口)を目指します。
 古くからあるドック、そして
海洋博物館
 ちょっと長くなりましたから、次のページで説明します。


 【イギリスの鉄道及び国有化 参考文献一覧】
  このページ9の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

クリスチャン・ウルマー著坂本憲一監訳『折れたレール イギリス国鉄民営化の失敗』(ウェッジ 2002年)

湯沢威著『イギリス鉄道経営史』(日本経済評論社 1988年)

高畠潔著『イギリスの鉄道のはなし』(成山堂書店 2005年)  


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