2 文部科学省の方針にはESDの原理が貫徹されていない
1990年代に第二期の環境教育が広がりを見せ始めた時代において、環境教育の広がりを阻む要因を指摘する意見のひとつとして、次のものがありました。(赤字は引用者が施しました)
※参考文献6所収、植原彰(山梨県牧丘町立牧丘第三小学校教諭)「環境教育、いま学校でできること」
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環境教育というのは外国から輸入した学問・概念である。
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環境教育の範囲が広すぎて全体を見渡すことが難しい。
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「ゴミを正しく分けて捨てるなど、今の体制下でもできる、言葉は悪いかもしれないが、小市民的「地球に優しい」行動ができる人間を育てようというのが環境教育なのだろうか?それとも、学習の結果、自分にとっても、環境にとっても悪いものだと判断したら、ゴルフ場反対、林道反対、原発反対など、極論すれば、今の体制に反対することも辞さないような人間をそだてようとしているのだろうか?
文部省や教育委員会は、どこまでを環境教育と考えているのだろうか?また、どこまで、本気に取り組むつもりなのだろうか?現場の人間まで、それが伝わらない。」
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第三期のESDも、外国から輸入された概念であり、また、現在のESDは第二期の環境教育以上に広範な内容を含んだ概念です。上記の批判、「環境教育はよくわからない」を克服するためには、これまで以上に文部科学省が大きな役割を果たす必要があると考えられます。
では、文部科学省は、ESDについて、新学習指導要領(2011年小学校施行、2012年中学校施行)においてどのように示しているでしょうか?
ここが一番肝心なところですが、現状は芳しくありません。
これについて、まず阿部治教授は、次のように指摘しています。(赤字は引用者が施しました)
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環境教育を取り巻く環境は、かつてないほど整備されている。しかし、新学習指導要領においても、環境教育の目指す「持続可能な社会」の扱いは、「総則」や教科の「目標」には見られず、中学校の社会科、理科の「内容」で扱われているにすぎない。
(引用者注:高等学校の学習指導要領においても、地理歴史、公民、理科、保健体育、家庭、農業、工業、水産、理数の「内容」で扱われているが、総則や教科の目標には記されていない。)
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※新学習指導要領における「環境教育」に関わる主な内容(文部科学省HP
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/013/003/shiryo/attach/1299713.htm |
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(現学習指導要領においては)文部省が総合学習(引用者注、総合的な学習の時間)で取り組み課題として環境、福祉、国際、情報を例示したことで環境教育を総合学習の一つとして取り入れる学校が急増した。小学校から高校までの総合学習を通じて、半数以上の学校がなんらかの環境教育をテーマに取り組んでいる状況となったのである。
しかし、総合学習の導入と同時に行われた学校週5日制度の導入や授業時間削減に対して、学力低下を招いたとの批判が産業界や保護者から出たことや、OECDの国際学力テスト(PISA)の成績が不振だったことなどから、新学習指導要領(2008年)においては総合学習の時間は半減することになる。
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※参考文献7所収、阿部治「世界と日本の環境教育の歩み」P26
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ついで、朝岡幸彦(東京農業大学大学院)教授は、学習指導要領に規定されたからと言って、すぐさまESDが発展していくには大きな課題があり、それは次の点であると指摘しています。(赤字は引用者が施しました)
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今次の学習指導要領の理念に関する問題である。周知の通り、学習指導要領の理念は「生きるカ」に凝縮されている。「生きるカ」は、“確かな学力、ゆたかな心、健やかな体”に要約できるが、この理念の背景には「知識基盤社会」の到来にいかに対応するかという文科省の時代認識が根強くある(文部科学省 2008:1)。この社会観には、「グローバル経済による競争激化に伴う金融自由化や労働法制の弾力化、司法改革等の社会の変化に自己責任で対応し他者と切磋琢磨して21世紀の社会を生き抜いていくために学校教育の改革が急務」(中央教育審議会答申 2008:8)との言説から、変化の激しい経済情勢の中で国際競争と技術革新ができる人材を育成する思想が内包されていると言えよう。このような社会観は、「世代間の公平、地域間の公平、男女間の平等、社会的寛容、貧困削減、環境の保護と回復、天然資源の保全、公正で平和な社会」(DESD関係省庁連絡会議 2006:150)の実現を目指すESDと対極にあるのではないか。だとすれば、「知識基盤社会」対応型教育ではなく「持続可能な社会」構築の理念を柱とした学習指導要領への実質的な転換が求められる。
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総合的学習における「学力」の問題がある。国が求める「学力」は、「読み・書き・算盤」的な数値で表現できる学力と、PISA調査に対応する思考力・判断力・表現力等の学力のバランスに配慮した概念であり、その学力観は環境教育にも少なからず影響を与える。総合的学習の目標には「探究的な学習」を行うとの文言が入ったが、「今回の改訂を最も端的に記せば、『国際標準の学力を育成するために、探究的な学習とする』と言えよう」(田村 2009:9)との言説から、環境教育を実践する際にもPISA型学力の育成を図る授業が求められているとも解釈できる。だとすれば、OECD(経済開発
協力機構)の教育観とPISAを批判的に検討した上で、環境教育(ESD)の立場から総合的学習の「学力」論を提示すべきである。その検討を始めなければ、総合的学習=PISA対策の時間となる可能性は十分にあるだろう。
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※参考文献8所収、朝岡幸彦「序章 子ども・学校・社会をつなぐ環境教育」P13−14
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両教授の4つの意見を総合すれば、文部科学省の新学習指導要領には、ESD実施の原理が貫徹されていないことがわかります。同じ文部科学省でも、学習指導要領を担当する初等中等教育局教育課程課と、ユネスコを担当する大臣官房国際課国際政策室及び国際統括官付ユネスコ係はセクションが異なります。これまで私たちは、新学習指導要領の解説において、ESDのことを詳しく説明されたことはありません。
この曖昧さ、極言すれば二重構造は、学校の先生方にとっては、困ったことです。
それも踏まえて、広島大学名誉教授中山秀一氏の言を借りて、もう一度何をすべきかを確認します。(赤字は引用者が施しました)
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「 新学習指導要領における「持続可能な社会の構築」の学習は、環境保全の視点を踏まえることが、まず前提に置かれている。このとらえ方は、環境基本法制定以降の「持続可能な社会の構築」の考え方に強く引き寄せられた表現と言ってよい。それは、ある点で日本の伝統的な、環境保全あるいは環境立国構想にこだわった日本固有の「持続可能な社会の構築」の考えに立つ。また、別の見方をすれば、1960年代に始まる公害学習、続く1990年代の環境基本法以降に発展した環境教育の延長線上にあることが分かる。
他方、ユネスコ国際実施計画は、2003年に日本ユネスコ国内委員会が、ユネスコに提言した国際実施計画に盛り込むべき提言の前文がベースとなっている。同前文には、「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)は単にSDの理念と具体像を教えるだけの教育ではなく、SDを支えるための行為規範を与える教育であるべきである。ESDはすべての人々にSDに合致した知識、技能、価値観、生活態度、生活様式の転換を迫るものである。また、このような新しい考え方に基づくあらゆる段階の教育における教師の役割も重要なものである」と明言した。」
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参考文献9所収、中山修一(広島大学広島経済大学名誉教/元ユネスコ国内委員)「提言 持続発展教育の過去、現在、未来」
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