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リヴァプール遠征2 マージサイド 11/02/20記述 |
前ページに引き続いて、リヴァプール遠征の続きです。
大変ありがたかったのですが、この時すでに時刻は4時を過ぎ、日没と最終入場時間(16:30)が迫っていました。70歳過ぎの老夫婦だったので、歩くスピードがとても遅いんですね。(- -;)
結局、私が走ったら5分とはかからない距離を、10分以上かけてゆっくり案内してもらいました。親切は素直に受けなければいけません。(-.-) |
ちょっとここで余談です。 |
写真10−01 Beatles story(撮影日 10/11/13) |
写真10−02 Beatles story (撮影日 10/11/13) |
博物館ビートルズ・ストーリーです。 http://www.beatlesstory.com/ |
写真10−03 ポート・ビル (撮影日 10/11/13) |
写真10−04 アルバート・ドック(撮影日 10/11/13) |
左上:中央の教会のような建物は、Port of Liverpool Buildingです。この建物は、1904年に建築を開始され、1907年に完成しました。それから87年間、1994年まで、Mersey Dock and Harbour boardの本部として使用されました。 |
写真10−05 夜景 (撮影日 10/11/13) |
写真10−06 □ (撮影日 10/11/13) |
こちらが、私が撮影した写真です。 |
写真10−07 対岸 (撮影日 10/11/13) |
写真10−08 夜景です (撮影日 10/11/13) |
対岸のバーケンヘッドです。マージー川河口部は、狭いところでも1.2km程の幅があります。 |
リヴァプール海洋博物館 | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
リバプールマージーサイド海洋博物館(Liverpool merseyside maritime museum)は、アルバートドックの建物の倉庫の建物を利用して、1980年にオープンしました。 |
写真10−09 海洋博物館 (撮影日 10/11/13) |
海側から見た海洋博物館です。水面はカニングドックです。 |
写真10−10 海洋博物館 (撮影日 10/11/13) |
写真10−11 正面玄関 (撮影日 10/11/13) |
左上:ワッピング通から見た海洋博物館です。 |
この海洋博物館は、リヴァプールが貿易を通しての世界への窓口であった歴史を顕彰する博物館です。奴隷貿易や移民や大西洋航路の豪華客船の沈没や、第二次世界大戦中の船団輸送等が、テーマとなっています。しかし、私が入館できたのは、16時25分でしたので、展示物を見ることができる時間は、閉館の17時まで僅か35分間しかありませんでした。 |
※黒板の上にマウスを置くと、正解が現れます。 |
豪華客船沈没 | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
海洋博物館で学習した(英語を苦労して読んだ)ことがらとして、まず、北大西洋航路の豪華客船の話をします。 |
写真10−12 タイタニック号の模型です |
イギリス政府は、イギリス資本の海運会社の保護とブルー・リボンの奪回の両方の意味で、キューナード・ライン社の新造船建造に補助金と低利融資の双方で援助を行いました。(ただし、戦時には国家が徴用し武装した仮装巡洋艦に改造するという条件付きでした。)ルシタニア号はライバルのドイツ船のほぼ2倍のサイズを持つ巨大客船で、下で説明しますが、その力をフルに発揮して、スピード争いの王座を奪還します。 |
写真10−13追加 切手に描かれたタイタニック号 (撮影日 13/10/06) |
カナダの1ドル80セント切手に描かれたタイタニック号の美しい姿です。 |
タイタニック号は、何回も映画化され、超有名な船の一つですが、その沈没は海難史上の重要な事件であっても、中学校や高等学校の教科書に掲載される歴史的な意義のある事件ではありません。 |
ル号の沈没と第一次世界大戦のドイツ無制限潜水艦作戦|研修記目次へ| |
まずはルシタニア号の沈没の状況です。 |
写真10−12 ルシタニア号の模型 (撮影日 10/11/13) |
ちなみにルシタニア号の名前は、古代ローマ帝国が現在のポルトガル中央部・スペイン西部にまたがる地域に設置していた属州の名前に由来しています。 |
これについて、このドイツ潜水艦によるルシタニア号の撃沈が第一次世界大戦全体でどういう意味を持ったかについての高等学校の教科書の記述は、次のようになっています。 |
これを読むと、微妙な判断をしてしまうことがおわかりでしょうか。 |
無制限潜水艦作戦の真実 | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
まず、そもそも、潜水艦という兵器の話から進めます。 |
ドイツ潜水艦の戦果と敗北 | 研修日程と訪問地へ || 先頭へ ||研修記目次へ| |
1917年2月の再度の無制限潜水艦作戦の宣言は、ドイツ潜水艦の活躍にどういう影響を与え、また、その成果はどうなったでしょうか。 |
ドイツ海軍のUボートは頑張りました。
この結果、Uボートは、大戦中に大量に建造されたものの、喪失数(沈没・自爆・抑留)も178隻に上りました。 |
実は、このリヴァプール・マージーサイド海洋博物館の潜水艦に関する展示は、第一次世界大戦のものではなく、第二次世界大戦のものが中心でした。 |
【タイタニック号・ルシタニア号の沈没および第一次世界大戦とUボート 参考文献一覧】
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