昨年に続く、わが家の海外旅行第2弾。パリ・ロンドン珍道中です。2001年8月7日(火)〜8月12日(日)

| 旅行記のメニューへ  | | パリ・ロンドン旅行記メニューへ  | | 前へ | | 次へ |

A すごいものをつくったもんだベルサイユ宮殿 パリ2日目午前 
 

8月8日(水)パリは晴。
 HISメニューに従えば今日の午前中はパリ市内バス観光の予定ですが、あっさりキャンセルしました。去年のロスの時は、設定されていたツアーが結局はお買い物ツアーだったことを反省してのことです。
 目指すはベルサイユ宮殿。
 
 ベルサイユは、パリの西の郊外にあります。フランス絶対王制の主、ブルボン王朝の宮殿です。パリのサンラザール駅からフランス国鉄(SNCF)の電車に乗って30分ほどで到着です。

 ガイドブックに、「繁忙期はチケットを買うだけで行列」と書いてありましたので、ホテルを早朝に出発し、朝9時に門前へ。まだ、混雑していないところでチケットを買いました。


 パリ、サンラザール駅。切符売り場で英語を使って何とか購入に成功。

 終点、ヴェルサイユ駅。 

 宮殿正面玄関開館まぎわで、まだ人もまばら。 
 

 宮殿正面。奥の3階建ての2階に国王の寝室があります。太陽王ルイ14世が、昇る太陽を意識して、東正面の位置に寝室をこしらえました。


 インフォメーションには日本語が分かるお姉さんがいて、いろいろ聞くと、ちゃんと日本語の音声ガイドもあって、通常の入館料に少し上乗せするだけで申し込めました。あとでも詳しく書きますが、こういうところは、日本語での説明が是非必要です。

 この宮殿については、教科書やなんやかで誰しも知識はあるところですが、行ってみるとその壮麗さに、全く驚くばかりです。
 
 日本の城や寺院も壮麗ですが、この広さと量感には圧倒されます。
 ちょっと変なことに思いが行きます。
 日本にしろヨーロッパにしろ、民衆の膏血を搾り取れば、宮殿の一つや二つ簡単にできるということは事実でしょう。
 しかし、そもそもヨーロッパの麦は、東アジアの米に比べれば、播種量に対する収穫量が桁違いに少ないはずです。その生産力でこれだけの建築物が残せるというのは、いったいどういうことなんでしょう。直感的な疑問が出てきます。


 
 太陽王ルイ14世のベッド。>金の刺繍がまばゆいばかりの豪華なベッド。


 国王の寝室のバルコニーから見た宮殿前庭。2枚上の写真と全く反対のアングルです。フランス革命の時、詰めかけた民衆を前にして、ルイ16世はこのバルコニーへ出ました。 


 壁画ルイ14世戴冠式

 ルイ16世の彫像


 太陽王ルイ14世

 中庭の騎馬像



  宮殿の裏(西側)には、大庭園が。
 はるか向こうの水は、池と思いきや、説明には、「運河」となっています。


 これが有名なベルサイユ宮殿鏡の間です。
 クリスタルのシャンデリアと、左手の壁の壁面に使われている17面もの特大の鏡が、この部屋を特別華麗にさせています。
 幅10m長さは75mもあるこの部屋は、盛大な儀式や、外国からの賓客を迎える特別な部屋でした。
 第一次世界大戦後のベルサイユ講和条約は、この鏡の間で結ばれました。 


 昼頃になると、宮殿は観光客で一杯になりました。トイレは長蛇の列です。
 我が一行は、12時前には宮殿をあとにしました。 歩き疲れの空腹で、パリに帰ってリッチに昼食という予定が、またもや、宮殿外のレストランでということになりました。
 あてもなく歩いていると、店の中から陽気なお兄さんが英語で声をかけてくれました。

「Where are you from?」
「Japan」
「Oh! Tokyo?」
「No」
「Nagasaki?」
「No,Do you know Nagoya or Osaka?」
「No」

 旅に行く前に、「フランス人は、フランス語以外は知っていてもわざと知らないふりをする」とか言う、たぶん昔の話を聞かされていましたが、実際に行ってみればそんなことは全くありません。
 英語を話せない人はともかく、サービス業の人は、みんな英語で質問すれば、それなりの英語でこたえてくれました。 


 これが有名なベルサイユ宮殿鏡の間です。
 クリスタルのシャンデリアと、左手の壁の壁面に使われている17面もの特大の鏡が、この部屋を特別華麗にさせています。
 幅10m長さは75mもあるこの部屋は、盛大な儀式や、外国からの賓客を迎える特別な部屋でした。
 第一次世界大戦後のベルサイユ講和条約は、この鏡の間で結ばれました。 


B ノートルダム・ルーブル・エッフェル塔 パリ2日目午後 |目次へ戻る |
 | パリの地図はこちら |

 午後は、パリ市内へ引き返して、まずは、ノートルダム大聖堂の見学。  ここの大聖堂の屋上から見るとシテ島を挟んで下流へ流れていくセーヌ川が一望できると聞いていたので、楽しみにしていました。


ノートルダム寺院、1163年建設開始。


 ノートルダム寺院横のセーヌ川。フランス東部の高地に源を発し、イギリス海峡へ注ぎます。  


 ところが、着いてみると大行列。
 聞くと、1時間半待ち。残念ながら登頂はあきらめました。今は、夏の観光のシーズン。昨日のような冷たい雨の日ならいざ知らず、晴天の日は、パリの名所も日本のテーマパーク状態です。

 ノートルダム寺院は、フランスのキリスト教の総本山として、1163年に建設が始まりました。完成まで200年かかりました。中の窓という窓は全てステンドグラスです。
 ここでは、ナポレオンの戴冠式が挙行されています。

 オルセー美術館でも、入場までに40分の行列待ち。少々うんざりですが、世界的な美術品のためにはやむを得ません。
 
 ルーブル美術館は、とてつもなく広い美術館です。
 この日は、1週間に2度ある、午後9時30分まで開館という特別な日でしたので、17時40分に入場して、終了までに見てしまうと言う強行軍です。
 インフォメーションには、フランス語・英語・イタリア語・ドイツ語・スペイン語・ロシア語・中国語、そして日本語のパンフレットが置いてあって、地図には、たとえばモナリザのような、有名作品の展示場所が書いてあります。
 
 家族5人一緒というわけには行かないので、2班に分かれて、見学しました。 



左上 この真っ黒な岩石は、メソポタミアのハムラビ法典がくさび形文字で刻まれたものです。遠くから見るとただの岩。

右上 ミロのビーナスと、何故か次男Y。

左下 大きさと圧倒的な量感で、見学者の注目を集めていたサモトラケのニケ。小学生の3男Dも、「すげぇー」と驚いていた。 


 2班が競争するようにして、3階建てのルーブルを走り回りました。午後9時半閉館は確かなのですが、午後7時頃を過ぎると、人員配置の関係か、エスカレーターは止まるは、所々に防火シャッターは降りてくるはで、まるで、「ザ・迷路ルーブル」になってしまいました。
 それでもくじけず、我が家の記録は、「ルーブル美術館、完全走破」でした。山とか秘境とかじゃないんだっつーの。ただ歩いてどうする。
 全ての回廊を歩いたつもりですが、印象に残っているのは、写真撮影した十数枚の有名作品ぐらいです。本当は、2・3日かけてゆっくり回りたいところです。    しかし、とてつもない美術館でした。


 ルーブルを出たのは、午後8時半過ぎ。まだ、これで終わりではありません。
 この後夕暮れのコンコルド広場、夜のエッフェル塔に出かけました。
 コンコルド広場は、フランス革命の時にはギロチンが置かれ、ルイ16世、マリーアントワネット、マクシミリアン・ロベスピエールなど数千人の人々が処刑された場所です。

 夜のエッフェル塔は観光の名所のひとつです。トロカデル広場というセーヌ川の対岸の場所から見る夜のエッフェル塔は、写真のようにとても絵になるものです。東京タワーと違って、鉄骨構造が細かいので、ライトアップには一層生えます。
 ところが、夜10時というのに、上へ登るエレベーターの前には1時間待ちの行列。案内には、「歩いて登る人の料金」というのも書いてありましたが、ルーブルでエネルギーを使い果たした我々は、さすがに、登頂を断念しました。残念でした。ちなみに、エッフェル塔は真夜中12時まで営業です。 

 「明日は、ユーロスターの中で眠ればいいや。」という思いもあって、本日のホテル到着は、23時30分。 ハードな2日目でした。



左上 夕闇迫るコンコルド広場。中央下よりのオレンジの部分は、凱旋門のアーチの向こうに沈む夕日です。
右上 トロカデル広場から見たエッフェル塔。
左下 宇宙船の基地かなんかではありません。エッフェル塔を真下から見たところです。 


C スリ、危うく大災難 パリ2日目夜  <目次>へ戻る
 ※パリの地図はこちら

 外国旅行に行く時にいつも頭を悩ませるのは、現金の所持や両替です。今回は、特に2カ国に行くと言うことから、新しい方法にチャレンジしました。それが右の写真の2枚のカードです。
 左上はアメリカのシティ・バンクの「WorldCash」カード、右下はVISAの「VISA TravelMoney」です。
 いずれも、日本で入金しておき、その分だけ、現地のATMで現地の通貨で引き出せるというカードです。これと通常のクレジットカードがあれば、行く前の両替は全く不要です。
 

 上WorldCash 下VISATravelMoney

   「WorldCash」はシティバンクのインターネットHPから注文できますが、私の場合は出発3日前に行動をおこしたので、返送が間に合わないことから、名古屋栄のシティバンク名古屋支店まで出かけてつくりました。カードさえあれば、名古屋空港で出発前入金・帰国後残金引き出しができます。

 「VISA TravelMoney」は、我が岐阜県の十六銀行のパンフを見て申し込みました。しかし、妻が出かけた島支店では、女性店員が「こんなカードがあると言うことをどこでお知りになりました?」と言う始末。おいおい、きみんところのパンフに乗っているし、ちゃんとホームページにもでているぞ。
 「WorldCash」(引き落としごとに手数料200円)と違って、手数料はただですが、もともとドル立ての口座のため、申し込んだ銀行でしか入金・引き出しができないのが難点ですが、カード有効期限が10年と長いのは利点です。

 パリ・ロンドンでは両方とも使い、カード自体には何のトラブルもありませんでした。
 但し、ロンドンのオックスフォード広場のATMでは、私本人のミスから危うく失敗を演じるところでした。
 ATMの画面に表示される英語は落ち着いて読めば意味は何とか分かるのですが、その時は、繁華街の街路に設置されたATMで、後ろに行列ができていて、早く処理しなければならない状況でした。
 
 残高確認のあと、500ポンド(約9万5千円)を引き出そうとすると、指示通りやってないのか、うまくいきません。3度目のやり直しの時、前回と同じような画面に思えたので、今度もだめかと判断しました。画面をしっかり読まずに、出てきたカードをとって、順番を待っていた栗色の髪の女性に「I failed.Please」といって、ATMの前から移動しました。2メートルぐらい離れたところで家族と次ぎにどうしようか話していると、「Sir」と先ほどの女性が声をかけてくれます。何事かと、彼女が指さすATMを見ると、なな、なんと、現金取り出し口に20ポンド札25枚がざくざくと・・・。
 あやうく、イギリスに500ポンド寄付してしまうところでした。親切なイギリス市民に感謝、感激!!


   さて、今回の旅行の最大の事件、地下鉄でのスリ撃退の話をします。

 海外旅行に行く時は、旅行社からいろいろ注意があります。その一つは、いろいろな手口でこちらを油断させ、そのスキに財布・カバンをかっぱらうというものです。
 私は自分の判断で、海外旅行の時はもっぱらウエスト・ポーチに財布や家族分のキップなどを入れて移動しています。自分の腹の前に財布を置いとくのが、ポケットより感覚的に一番安全と思うからです。
 ところが、それが狙われました。

 パリ2日目は、朝のヴェルサイユから夜中のエッフェル塔まで大移動の日でしたが、日本の東京にいる以上に、現地の人からいろいろ声をかけられました。
 朝、サンラザール駅でキップ売り場が分からずにうろうろしていると通りすがりの人が、「May I help you?」。
 自動販売機の画面の前でフランス語が読めないでいると後ろの人が、「Can You speak English?」と説明。
 そして、ヴェルサイユの昼時には、例の「Nagasaki?」のお兄ちゃん。
 ごく自然と、声をかけられて普通に反応する状態になっていました。

 コンコルド広場からエッフェル塔に向かう地下鉄の乗った直後、中学生ぐらいの男女が近寄ってきて、男の子が「What time?」と聞きました。
 「It’s a quater past nine.」 と答えると、分からないらしく、私の手を取って、時計を見ます。
 これはなんか変だと思っていると、女の子(トレーナーを腰に巻いていて、自分の手をその中に入れていた)の体が、ウエスト・ポーチに触れた感じがしました。
 男の子は、なおもしつこく、時計を見ようとしています。
 これはひょっとしてと思って、男の子に、
 「9:15」と語気を荒らげながら答えつつ、左手で、上着の下のウエストポーチを触りました。実は、この時は、右下の写真のように上着のジャンパーを着ていたので、それをめくらないとウエストポーチの中は見えない状態でした。 


 左のウエストポーチを付けた状態で、上着を着ると右のようになります。この状態で、中の財布をすられました。

 すでに、もう、財布はありませんでした。
 女の子がスリとったのは明白です。

 しかし、ほんの数秒でいろいろ考えました。
 言葉は話せないし(英語でもスリという単語はとっさには思い浮かばなかった)、取り返すにはこの子の体に触ることになる。ひょっとまちがって声でも挙げられたら、明日の新聞は、「日本の公務員、パリ地下鉄でいたいけな少女に痴漢!」か。おいおい、どうしよう。
 
 男の子以外に後ろには仲間がおらず、少女が、手かもしくは、腰に巻いたトレーナーに隠していることに自信を持った私は、思い切って、巻いたトレーナーをめくりあげました。
 すると、足下に、ぽとりと財布が落ちたのです。

 すぐに拾い上げて、相手が何とか言う前に、
 「なんだ、おまえら」と日本語で一喝しました。

 周りのフランス人も注目し、お互いがにらみ合って、一瞬の沈黙。
 その時、地下鉄が次の駅に着き、彼らは脱兎のごとく逃げていきました。妻の観察によると、階段を登っていく時は、4人連れだったそうです。

 奇跡的な、財布奪回劇でした。
 ボーとしていたら、今頃、どこかで皿洗いかも・・・・。
 それからしばらくは、近づく人すべて、スリに見えて、気分の悪い時間を過ごしました。

 パリの夜は、油断もスキもありません。 


| 旅行記のメニューへ  | | パリ・ロンドン旅行記メニューへ  | | 前へ | | 次へ |