太平洋戦争期1 |
<問題編>クイズは概ね年数の古い順に並んでいます。答えは各問題のをクリックしてください。 |
最終更新日 2013年03月18日 ※印はこの5週間に新規掲載 |
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番号 | 掲載月日 | 問 題 | ||||||||
910 | 04/02/15 |
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902 | 01/09/09 |
アメリカ時間、1941年12月7日、ハワイのパールハーバーに対して、日本の海軍航空隊は奇襲攻撃を敢行しました。開始直後、アメリカ軍がラジオと無線を通して全艦艇に発信したのが次の文章です。何と訳せばいいでしょうか。また、こういう内容の発信がなされた背景からどんなことを読みとるべきでしょうか。 |
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905 | 03/02/11 |
ガダルカナル島クイズその1。 |
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906 | 03/02/15 |
ガダルカナル島クイズその2。(はじめての人はその1からやってみてください) |
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913 | 12/11/12 | オーストラリアの高校の教科書の第二次世界大戦の章には、次のようなタイトルのページがあります。「Experiences at Kokoda and Milne Bay」 |
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904 | 02/06/08 |
太平洋戦争が始まってから、帝国海軍は、本国と占領地域との間の海上輸送の防衛を担う海上護衛総司令部(本部)を創設しました。それは戦争開始からどのくらい経てからでしょうか。 |
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911 | 04/06/05 |
太平洋戦争が始まって3年目の1944年、すでにアメリカを中心とする連合軍の優勢は明らかとなっており、この年6月、高性能爆撃機B29による本土爆撃が始まりました。さて、最初の爆撃目標は次のうちどれだったでしょう。 |
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901 | 01/07/01 |
1944年11月以来、マリアナ諸島を基地とするB29爆撃機の日本本土空襲が本格化します。当然日本上空で撃墜され、捕虜となる搭乗員も増えていきます。 |
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912 | 12/08/27 | 1944年12月13日、名古屋市東区大南町にある三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場はB29爆撃機90機による空襲を受けました。午後1時57分から2時間半に及ぶ昼間精密爆撃で、主要な工場建物のかなりの部分が破壊されました。 |
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903 | 02/05/11 |
東京音楽学校(現在の東京芸術大学の前身のひとつ)の優秀な生徒は、太平洋戦争期jに、ある特別な任務を帯びて、陸海軍に徴兵されました。その特殊任務とは何でしょうか。 |
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907 | 03/05/03 |
右の?印をクリックして写真を見てください。 |
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909 | 03/10/25 |
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914 | 13/01/28 13/02/04 補足 |
太平洋戦争末期の沖縄戦では、日本陸海軍の航空部隊による特別攻撃隊が、アメリカ軍機動部隊に大きな損害を与えました。戦局を左右することまではできませんでしたが、航空機ごと敵艦に体当たりするという捨て身の攻撃は、アメリカ軍艦船の将兵を恐怖させました。
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908 | 03/05/17 |
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915 | 13/03/18 |
太平洋における日本人将兵の戦没者は、およそ230万人といわれています。この人数は、戦場における戦傷死と戦病死の両方が含まれています。 |
<解説編>
902 「Air raid, Pearl Harbor. This is no drill. no drill.」意味は? | 問題編のTOPへ | |
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※ハワイの地図はこちらへ 映画「パールハーバー」の感想はこちらへ
当時のアメリカ人が日本人をどのように思っていたかを示す文章を引用します。
開戦当時の日本は、経済的にも、アメリカとは比較にならない弱小国でした。GNPは、アメリカの8%程度しかありませんでした。これは、今に置き換えて言うなら、メキシコ・オランダ・オーストラリアという国が、日本に戦いを挑むようなものです。(GNPの比較値は1993年のもの) |
現在でいうIT技術、当時でいう電子技術において、日本は、ヨーロッパ・アメリカに決定的に遅れていました。
※NHK取材班編『ドキュメント太平洋戦争3 エレクトロニクスが戦いを制す』(角川書店 1994年) |
海軍の専門的な部分に関する話から、いつものように、「日本人の実像」に迫ります。おつきあいください。
て太平洋上を遊弋しました。大戦全期間を通じてアメリカ潜水艦は、486万トン日本商船(貨物船・タンカー)を撃沈しましたが、これは、日本の商船の全喪失量814万トンの約60%でした。また、戦艦金剛や空母大鳳など軍艦も57万トン沈めています。 |
正解は、ローソクです。
けではなく、また、反対に、ローソクがあるというのは、まだ物資の比較的充分にあった状態を示しています。
1・3・4・5の目的は、アメリカとオーストラリアの分断です。
少なくとも海戦では、海軍はアメリカと互角の戦いをしました。
揚陸できた756トンのうち、食糧は686トンでした。一人1日1sが標準として、11月末時点の生存予想者23000人の、1ヶ月分です。もちろん、島のあちこちにいる将兵に公平に配布されたという仮定の下の数値です。実際にはそんなことはあり得ません。
補給がままならず、多く将兵が犠牲になった話をしましたが、ガ島戦の根本が補給戦にあったことの重要性、日本軍が受けたダメージは、多くの将兵が飢餓で倒れた事実と、もうひとつ、この攻防戦で、日本軍は多くの飛行機・搭乗員・輸送船を失い、回復しがたい打撃を被ってしまったことにあります。 |
このクイズでは、太平洋戦争中における日米両軍の情報収集に関する考え方の相違について考えます。もちろん、日本のそれは、わが国民性・社会性に根ざしたもので、結論は今の社会の「警句」としても転移できるものと思います。
日本軍を、スーパーマンか、「鬼神」のように考えるイメージができあがっていたといえます。戦いでは、敵を過小評価してなめてかかることも、過大評価してあまりに恐れることも、どちらも勝利にはつながりません。
苦境の中で飢えで病気で死んでいった日本軍将兵の最後の声が、ワシントンに眠っています。
われらの父祖達は、何故までにこのようなマイナス評価を受けなければならなかったのでしょうか。
日本陸軍では、あの日露戦争の旅順攻撃以来、大砲や飛行機などの火力の支援などを当てにせず、ただひたすら銃を持った歩兵の突撃による正面攻撃法が、その伝統になっていました。
火力の支援がないことなど想定しても、単なる慰めにしかなりません。その火力にどう対応するかが問題なのです。 |