いわゆる太平洋戦争、正確にはアジア太平洋戦争で死亡したとされる日本軍の軍人(軍属も含む)は230万人とされています。これには空襲や原爆の被害者や沖縄戦でなくなった市民は含まれていませんので、それも含めると、戦没者数は全体では310万人とされています。
戦争で人が死んだというと普通は「戦死」と考えますが、戦争では、意外と兵士が病死する場合が多いの現実です。
日露戦争直後、当時の陸軍省医務局長だった小池正直は、講演の中で次のように言っています。
「コルプの調査(注ドイツの学者)に従うに、1793年より1865年までのヨーロッパの諸大戦にて死亡したるもの800万のうち、150万人は傷死で、650万人は病死なるゆえに、同年ころまでの傷死と病死との比率は1対6。その後病死は追々に減じて、最近のヨーロッパ戦においては軍事衛生の進歩にて1対1.18となった。」
※『科学朝日』編『スキャンダルの科学史』(1989年朝日新聞社)P192
陸軍省医務局の記録によれば、日清戦争の時も戦死者より病死者の数が多く、病死者のうち、意外なことに、ビタミン不足による脚気の死亡者が4000人以上あったと言うことです。
日露戦争の時は、幾分改善されたようですが、事情は似たようなものでした。
さて、アジア太平洋戦争ではどうだったのでしょう。
一橋大学名誉教授で歴史学者の藤原彰氏は、死亡した軍人・軍属230万人の6割に当たる140万人は戦死ではなく、栄養失調による病気や飢えによって死亡したという研究を発表しました。現存する資料や証言をもとにした緻密な研究の成果です。もちろん推計も含んでいますので、絶対正確というわけにはいかないでしょう。
藤原氏は、食糧については日本軍の「現地調達主義」(進軍し占領した土地で食料を調達する)とそうせざるを得なかった輸送力の決定的な弱さによる補給の途絶が、膨大な飢餓を発生させたとしています。これにより、体力や抵抗力を失った兵士は、マラリアやアメーバ赤痢などの伝染病や下痢による衰弱死でばたばたと倒れていきました。ソロモン群島のガダルカナル・ニューギニア・インドのインパールなどはその典型的な例でしょう。
大量の餓死者を生み出した背景について、藤原氏は次のような要因を挙げています。
@過剰な精神主義 A敵の火砲の軽視
B補給部隊の軽視 C参謀(作戦を立案する将校)らの机上の空理空論敵作戦主義
また、「兵士の人権を無視し、天皇や国を守る弾丸や楯のように兵士を扱った」ことなども指摘しています。
※藤原彰『餓死にした英霊たち』(2001年青木書店
※『朝日新聞』2001年5月21日夕刊
※古山高麗雄『フーコン戦記』(1999年文藝春秋)
※高木俊朗『インパール』(1975年文春文庫)
今の日本人、とりわけ政治や行政に携わる人は、精神主義・補給の軽視・机上の空理空論などの過ちを、本当に克服しているでしょうか?
※→目から鱗「昭和時代前半の日本は何だったのか」へ
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