太平洋戦争期8 |
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<解説編> |
914 空母バンカーヒルに突入した特攻機の日本人操縦員の氏名が判明した理由は? 13/02/04補足 13/02/10再補足 | |||||||||||||
全体のボリュームが大きくなりますから、次の順序で説明します。
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まずは補足説明です。
ただ、戦闘機等に爆弾を搭載して体当たりする特攻攻撃は、攻撃の威力という点からは雷撃や急降下爆撃よりも効果は少なく、装甲の厚い大型艦を一撃で沈めることは事実上できませんでした。したがって、沈没したアメリカ海軍艦船には、戦艦・正規空母(大型空母)・巡洋艦などの大型艦は含まれていませんでした。 |
歴史書・戦史書に掲載される写真として有名な、1945年4月11日の戦艦ミズーリへの体当たりの場合、ゼロ戦が右舷後方から斜めに突入したこともあって、人員の被害はなく、船体に小さな損傷を与えたにとどまりました。 |
写真914-01戦艦ミズーリに突入するゼロ戦 |
このゼロ戦の場合、突入の瞬間には爆弾を吊下しておらず、より大きな被害にはなりませんでした。爆弾は、突入前にすでに捨て去ってしまっていたか、突入直前に投下したが、はずれて海上で爆発したかのどちらかと考えられます。 |
写真914-02 サイパン沖で日本海軍の攻撃を受けたアメリカ・エセックス級空母 (戦時中の写真はがきから) |
アメリカは1943年からエセックス級空母を大量に就航させ始め、大規模な機動部隊を編成して日本海軍を圧倒しました。(全24隻、戦争中には17隻が就役)このページの主役の空母バンカーヒルはその7番艦で、 ペンシルバニア州のベツレヘム・スティールで建造され、1943年11月の第二次ラバウル襲撃作戦から戦闘に参加しました。 |
だからといって、特攻隊機の攻撃が、アメリカ空母機動部隊にとって小さなダメージだったというわけではありません。 |
そして、空母バンカーヒルは、1945年5月11日の午前中に、神雷部隊の第七昭和隊の2機の航空機の体当たりを立て続けに受け、大損害を受けました。 |
5月11日の午前10時過ぎ、最初の特攻機、ゼロ戦が右舷後方から近づき、飛行甲板(最上部の甲板)に機銃掃射を加えつつ緩降下し、第3エレベーター(一番後部)のやや後方で甲板に衝突しました。操縦員は、激突の少し前に500kg爆弾を投下し、その爆弾は同じく第3エレベーターの後方に命中しました。爆弾はそこで爆発したのではなく、飛行甲板を突き抜けてその下の格納庫(飛行機を格納しておくスペース、その床を格納甲板といいます)の左側壁を破って艦外に飛び出し、左舷から少し離れた空中で爆発しました。爆弾の信管はもともと、物体に当たってからほんの少し遅れて作動する遅発信管でしたので、その分だけ作動が遅れ艦外へ出てから爆発したのです。 |
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写真914-03 炎上する空母バンカーヒル ※参考文献2(光人社 1952年) P103より複写 |
2機の特攻機零戦の体当たりによって生じた4度の爆発(機体×2 爆弾×2)によって、甲板上の航空機、格納庫の航空機が炎上し、燃料・爆弾・砲弾等が誘発して、艦の中央部から後部にかけて大火災が発生しました。 |
空母バンカーヒルへの日本軍ゼロ戦の体当たりの状況は、ご理解いただけたと思います。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
選択肢2は、機種・部隊等の確認には効果を発揮しますが、いちいちそのエンジン番号の機体に誰が乗っているかを記録しているわけではありませんから、現代からでは搭乗者の特定は無理です。 |
正解は、選択肢1です。 |
空母バンカーヒルのアイランド(艦橋)の基部に体当たりした特攻機の操縦者の日本人が、小川清少尉であることがわかった源は、甲板上にあった遺体の飛行服の切れ端の名前の文字でした。しかし、ただそれだけでは、直ちには操縦者の名前の判明にはつながりません。体当たりを受けたアメリカ海軍には、憎きパイロットの名前を特定するというような職務は存在しないからです。 |
アメリカ艦船上に残された日本人操縦員を示す氏名の断片からその人物が判明した例は、この空母バンカーヒルだけの特殊な例ではありません。 |
もう一つ、特攻機とアメリカ軍駆逐艦の物語を紹介します。この物語は、平義克己前掲著、『我 敵艦ニ突入ス 駆逐艦キッドとある特攻、57年目の真実』(扶桑社 2002年)に、多く依拠しています。 |
右の衛星写真をご覧ください。 |
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日本軍機の襲来をいち早く発見して連絡し、機動部隊本隊が迎撃の準備ができるように時間稼ぎする重要な任務です。この偵察任務はアメリカ機動部隊では、レーダーピケット任務と呼ばれていました。この任務部隊の上空にはアメリカ軍戦闘機が護衛についていましたが、基本的には、機動部隊本隊の被害を少しでも少なくするためのおとり役、生け贄役という性格を持った部隊であり、沖縄戦ではアメリカ軍は130隻の駆逐艦を投入しましたが、その3分の2が被害を受けました。 |
写真914-04 このページの体当たり機が使用したゼロ戦(52型) 靖国神社遊就館 (撮影日 03/11/28) |
機体中央部下面に、250kgまたは500kgの爆弾を吊り下げて、体当たり攻撃を行いました。 |
日本軍の航空隊の捨て身の攻撃は、アメリカ軍に予想外の損害を与えました。沖縄海域で戦ったのは、上陸したアメリカ陸軍と海兵隊、そしてアメリカ海軍です。その3軍の人的損害(死者+負傷者)数は次のようになりました。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
沖縄本島へ上陸した陸軍と海兵隊が、多くの犠牲者を出したのはいうまでもありません。しかし、死者・行方不明者だけの数では、陸軍よりも海兵隊よりも、海軍が多くなっています。もちろん、日本軍特攻隊の「戦果」です。 |
K・T・ケネディは、しばしば引用した『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ 米軍兵士が見た沖縄特攻の真実』の最後に、次のように結んでいます。 |
同じく何度も引用した平義克己氏の前掲書の本文の最後の部分です。 |
日本軍特攻機と体当たりされたアメリカ軍艦船という、戦争によって運命が交錯した両者を取り上げ、ちょっと重々しい文章を連ねました。長いクイズの解説を終わります。 |
特攻隊については、次のページでも触れています。 |
【クイズ914 空母バンカーヒルに体当たりしたゼロ戦の操縦者が判明した決め手は? 参考文献一覧】
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