戦後期1 |
<問題編> クイズは時代の古い順に並んでいます。答えは各問題のをクリックしてください。 |
最終更新日 2010年09月18日修正 ※印はこの5週間に新規掲載 |
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番号 | 掲載月日 | 問 題 |
1004 | 02/09/15 |
太平洋戦争は、日本のポツダム宣言受諾によって、1945(昭和20)年8月15日に終わりました。 |
1001 | 01/04/29 |
第二次世界大戦終了後(日本の降伏後)、旧満州国にいた多くの日本軍将兵がソ連軍の捕虜となり、最長10年以上及ぶ抑留生活を送りました。スターリンは当初満州の日本軍将兵をこのように扱うつもりはなかったのですが、ある他の計画が挫折したため、その代償として、この措置が取られました。その計画とは何ですか。 |
1006 | 02/11/03 |
1945年9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの上では、連合国9カ国の代表と日本政府の代表による、降伏文書調印式が行われました。この時、甲板上には、特別な意味を込めて二つのアメリカ国旗が掲げられていました。その二つの国旗とは何でしょうか。 |
1002 | 01/11/25 |
右のはてな印をクリックしてください。昭和21年2月に発行された10円札のデザインです。この紙幣は、戦争に負けた直後の占領期に発行されたという理由から、そのデザインについていろいろいわれのない非難を受けました。どんな内容だったでしょうか。 |
1005 | 02/10/19 |
太平洋戦争が終結(1945年)して2年目の冬、つまり、1946年末から47年初頭にかけて、日本経済は最悪の状況を続けていました。旧植民地からの帰還や戦地からの復員によって本土人口が急増する中、鉱工業生産は回復せず、人々は物資不足と飢えと寒さの中で、悲惨な状況にありました。 |
1003 | 02/03/10 |
戦後日本のインフレは、いろいろな施策にもかかわらず、1948(昭和23)年中も一段と悪化しました。このため、GHQのマッカーサーは、この年末から、本格的なインフレ抑制にかかります。それが、1948年12月の経済安定9原則の指令であり、翌年、本国から呼ばれて来日した銀行家ドッジによる、ドッジラインの発表です。 |
1007 | 04/10/31 |
次の2つの?印をクリックしてください。それぞれ写真が登場します。この2枚の写真から語る、戦後史といったら何でしょうか? その1 その2 |
<解説編>
1001 シベリア抑留を促したある計画の挫折とは何か。 | 戦後期の問題TOPへ | |
正解は、ソ連軍による北海道占領計画です。 |
ソ連の戦車T34型。ドイツとの「祖国防衛戦争」を勝ち抜いた第二次世界大戦中の主力戦車。主砲口径76.2mm。最大装甲70.0mm。 |
太平洋戦争中の日本の主力戦車97式中戦車。 |
1002 新10円札のデザインに対する不当な非難とは? | 戦後期の問題TOPへ | |
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この10円札は、昭和21年2月に新円切り替えに伴って発行された新10円札です。
凸版印刷が画家の相沢光朗氏に依頼したデザインをもとに作成されましたが、できた当時からいろいろな非難が巻き起こり、1952(昭和27)年には、国会でも問題となりました。その内容は次の6点です。
デザインした相沢氏はそんなつまりは全くないといっていますから、見る側がかってにそう思った言われない非難です。
政府は、1946(昭和21)年金融緊急措置令を発表して、国民の預金を封鎖し、銀行等から引き出せる金額を制限するという荒療治を実施しました。この時は、日銀券発行高は、1946年2月の614億円から、4月末の281億円と、一次的には減少し、インフレは収束に向かうかと思われました。 |
1003 なぜ、警視総監がインフレの抑制の効果を報告できたのか。 | 戦後期の問題TOPへ | |
正解は、「警視総監がいうには、東京では、この数年来では、久しぶりに、泥棒が金を盗むようになったから」です。
ドッジ来日の直前の49年1月、総選挙によって民主自由党が勝利し、吉田茂内閣が成立していました。この大蔵大臣が池田勇人です。吉田や池田や、選挙公約であった減税などの実現を懇請しますが、ドッジはこれらの要求を一切認めず、昭和24年度予算は、ドッジのねらい通り、超均衡予算をとなりました。 |
1004 1945年終戦後、新たな戦いが始まった島はどこか? | 戦後期の問題TOPへ | |
スターリンは、自らの命令を正当化するため、8月16日付けソ連共産党機関誌プラウダに次のように発表させました。
これらについては、日記・雑感「すごい小説です、浅田次郎著『終わらざる夏』」で紹介します。(→こちらです) |
1005 1946年末から銀座に掲示されたのは、何の生産量? | 戦後期の問題TOPへ | |
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以下は、45年から46年へかけての日本経済の状況です。 |
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1006 1945年9月2日戦艦ミズーリ艦上の二つのアメリカ国旗とは? | 戦後期の問題TOPへ | |
1945年8月15日正午、天皇の玉音放送によって、日本政府は全国民にポツダム宣言の受諾と敗戦を知らせました。
ミズーリ艦上では、日本政府の代表として、重光葵外務大臣、梅津美治郎参謀総長が参加し、降伏文書には、両日本代表と、マッカーサー(連合国代表)、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国他、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・オランダ・フランスの合計9カ国の代表が署名して、調印式を終わりました。
ペリー時代の星条旗が飾られたことについて、ピューリッツアー賞を受賞したジョン・ダワーは次のように、その意味を表現しています。 |