現物教材 日本史2

原始・古代006 頭蓋骨プラモデル                           |現物教材:目次:日本史 |

4月の1番初めの授業で、「私の授業には現物やらクイズやら色々あると宣言します。生徒は言われただけではそれがどんなものか実感できません。早く、「度肝を抜く」必要があります。
 
 旧石器時代・縄文時代での学習に用いる、この迫力ある頭蓋骨は、度肝を抜く効果満点の品です。

 頭の部分は、右のように取り外しできます。
 迫力と同時に「おもしろさ」も必要ですから、この中に「脳みそ」を入れていきます。もちろん本物ではなく、本物の「味噌」です。白みそをラップにくるんで入れておくと、馬鹿受けです。(入れっぱなしにして忘れると悲惨なことになります。お気をつけを)

 このプラモデルは、アメリカのLINDBERG社のものです。
 サイトの検索を実施しましたが、同社のホームページは見つかりませんでした。
 国内のいろいろなプラモデルを扱っているサイトにも登場していません。
 行きつけのプラモデル屋?さんで、注文して気長に待ってください。
 右下は、同じ会社のBrain/Skullです。


【2004年4月20日追記】
 私が購入した岐阜市のプラモデル屋、HobbyShop TamTam に問い合わせしたところ、
  ※(http://www.hs-tamtam.co.jp/0201home/home.php  058-240-2123
「問屋がつぶれて最近は入荷できません」との答でした。

 横浜市のプラモデル屋、HobbyShop たからばこhttp://www.takarabako.jp/top.htm  045-901-9220)に聞いてみたところ、
「問屋が倒産して、定期的には入らない。(2004年)5月に静岡で、ホビーショーがあって、そこで手にはいるかもしれない。」とのことでした。どうも、現在は、国内で定期的に確実に購入する手段はないようです。

 yahoo.co.jp( http://www.yahoo.com/ yahoo.japanではなく英語版です。)で、lindberg skull(skullは頭蓋骨)と検索すると、たとえば、Hobbylikc.comhttp://www.hobbylinc.com/index.htm )では、いきなりlindberg社のskullの購入画面が現れます。(http://www.hobbylinc.com/gr/lnd/lnd71301.htm  )
 ここでオンラインショッピングができるはずですが、ここも現在は、在庫切れでした。

 また、HappyHobbyShopというお店も見つかりました。
 (
http://www.happyhobby.com/hobb_html/lindberg.htm
 ここでも購入できるはずですが、英語で在庫の確認、送料shipping の確認等をしなければならないと思います。

 確実な入手方法が提示できなくてすみません。

  

近代007 B29爆撃機プラモデル                           |現物教材:目次:日本史 |

 太平洋戦争は日本や諸外国に多くの犠牲者を出しました。
 日本国内の犠牲者といえば、それは、広島・長崎への原爆投下を含めて、アメリカ軍の本土空襲によるものがほとんどです。その空種の主役となったのが、アメリカ空軍の爆撃機B29です。
 すでに太平洋戦争が始まる前の1940年に原型機が発注されており、開戦から1年と経ていない1942年9月には初飛行に成功しました。1944年6月5日には、中国の成都から北九州を初爆撃し、この年11月からはサイパン島などマリアナ諸島を本拠地として、以後日本の降伏まで、連日日本各地を爆撃しました。
 
 2200馬力の高性能のターボエンジンを4基積んで、高度7500メートル以上でも最高時速566qが出せるというB29は、日本の戦闘機や高射砲にとっては、撃墜は容易ではありませんでした。

 空襲の最初の段階は、昼間高々度精密爆撃による、飛行機工場などの軍事目標の破壊でした。しかし、1945年にはいると、比較的低高度からの夜間都市無差別絨毯爆撃へと作戦が変更され、日本の各都市が灰燼に帰していきます。
 昭和20年3月9日(10日未明)の東京大空襲がその最初でした。この日、279機のB29が東京下町地区に夜間爆撃を行い、1夜にして8万3千人以上の犠牲者を出すという歴史的にも他に類のない「虐殺爆撃」となりました。
 ※空襲の説明は、日本史クイズへ

 岐阜市もこの年7月9日から10日にかけて120機以上の夜間爆撃を受け、市街地は一夜にして灰燼に帰し、800名以上の犠牲者を出しました。
  ※『岐阜空襲誌』編集委員会著『岐阜空襲誌』(1978年岐阜空襲を記録する会)

 女学生だった私の母も当時住んでいた家を焼かれ、命からがら逃げ回ったそうです。それではくやしいので、授業では、
昔、B29が我が家を焼きに来た」と豪語しています。
 
 模型は、ハセガワ模型製の1/48スケールです。実物が全幅43mのものですから、模型といえ巨大なものです。上の写真の手前に置いてあるのは30センチ物差しです。
 右下は、コックピット部分のアップです。
  ※ハセガワ製作所 静岡県焼津市 054-628-8241 に電話または
    http://www.hasegawa-model.co.jp/   のサイトで注文できます。 B29爆撃機 1/48スケールは6200円
 
 


近代008 米軍が投下した焼夷弾(本物)                   |現物教材:目次:日本史 |

 岐阜空襲の際に、B29が投下した焼夷弾の本物です。
 焼夷弾とは、現代の軍事用語では、ナパーム弾と呼ばれているもので、火薬を詰めて物体を破壊する目的の通常の爆弾ではなく、発火・延焼性の強い油脂を詰めた投下弾で、信管部分の火薬によって発火し、火のついた油脂が四方八方に飛び火して、家屋などを焼くという目的のものです。
 木造建築の多い日本の都市の絨毯爆撃には、もっぱらこの焼夷弾が使われました。

 B29に搭載時は、写真の六角形の焼夷弾がたくさん束ねられて、1個の親焼夷弾となっています。投下されて落下時に、親焼夷弾が破裂して、写真の子焼夷弾をばらまく仕組みになっています。

 右の写真はその全体像です。長さは、約50センチ。
 左は上から中を撮したものです。この中に油脂が入っていました。

 信管は、右上の写真では、最下端の丸く見える部分です。この部分に火薬が入っており、信管が作用すると、小爆発が起こって、火のついた油脂が飛び散る仕組みです。

 但し、信管は右下の写真で分かるように5_ほどの突起で、落下しても何かの理由で発火しない場合もありました。
 戦後、そのような不発弾があちこちにあって、物資のない当時、うまく分解して、油脂を燃料に使ったという話があちこちの記録や回想録にでています。

 この焼夷弾は、昭和60年頃廃品回収業者の知り合いに、どこかから出てきたら是非保存しておいてくださいと頼んで、うまく入手したもので、残念ながらそう簡単には手に入りません。
 実はもう1本持っていますが、こちらは金属のサビが進んで、もうすぐ形がなくなりそうです。
 


原始古代008 糞石(本物)                         |現物教材:目次:日本史

 人間や動物の糞の化石糞石、英語でコプロライトといいます。
 糞石から、その動物の食性を調べる学問を
糞石学といいます。糞石学の歴史は古く、1875年にアメリカのウエーマンという学者が、フロリダの貝塚から発見した糞石を研究したという記録が残っています。
 また、年代の古い人間の糞石は、イランのザクロス山脈のアシアブというところから、約一万年前の人間の糞石が発見されています。

 写真は、恐竜の糞石です。(大きさは、写真の横幅が約6p)
 数年前に、名古屋栄の東急ハンズアネックスで購入しました。インテリアとしての販売品ですから、何万年前のなんという恐竜の糞石で、発見地がどこかというような学術的なことは、不明です。
 本当はそこまで厳密に行きたいところですが、一般の教員が誰でも手に入れることができるのは、このへんが限界です。

 縄文時代の鳥浜貝塚の話をするところで、この石を生徒に回覧します。みんな触れるのをいやがったり、臭いを嗅いでみたり、教室は大騒ぎです。
 ※縄文時代の鳥浜貝塚については、クイズ日本史のページへ
 
 しかし、相当昔のものですから、かちかちで、糞石と言われなければただの石にしか見えません。もちろん、においもありません。

 恐竜の糞石は、現在では、
東急ハンズ名古屋店7Fクラフトコーナーで、注文によって手に入れることができます。外国からの輸入品になりますし、形状・重さ・色などは、その時任せで、価格も8,000〜15,000円くらいとのことです。
 ※東急ハンズ名古屋店 052-566-0109(代表)  

【2009年7月26日 追記】
 恐竜の糞石の入手については、別のとkろが見つかりました。
 「化石販売の化石セブン One fossile One earthhttp://www.kaseki7.com/です。
 ただし、いつも商品が出ているとは限りません。現在は、「三畳紀のプチ人気恐竜コエロフィシスの2億年前のウンチ化石/中生代三畳紀(2億5100万 -- 1億9500万年前)」が商品となっています。3,900円(送料無料)です。


【2006年8月6日 追記】
 糞石について、面白い記述を見つけましたので、追記します。奈良文化財研究所の松井章先生の著書からの引用です。( 行間設定と、赤字太字設定は引用者がおこないました。)

「 藤原京のトイレの話を続ける前に、私のトイレ考古学への思い入れを述べておこう。

 1977年夏から一年半のアメリカ、ネプラスカ大学留学時代、一番の親友となったのが、国立公園局中西部考古学センターのマーク・スタイガー君であった。彼はコロラド大学の大学院で修士課程を終え、しばらくこの研究所で働いて学費を貯めて、博士課程へと進むつもりだと言っていた。彼の専門がコロラドからアリゾナ、ユタ、ニュー・メキシコ州に分布する7世紀から12、3世紀に栄えた、アナサジ文化の人びとの残した糞石の分析だった。アナサジ文化の人びとは、日干し煉瓦(アドビ)や板状に割れる岩石を建材に使った、通常2、3階建ての共同住宅に住んだことで有名である。この地方は砂漠地帯なので、日本の乾燥地遺跡とは異なり、年間を通じて雨水が染み込んでこないため、有機遺物がよく保存され、集団住宅の片隅のトイレ跡には多くの糞便が乾燥したまま堆積していたのである。

 そもそも糞石の研究は、中生代、第三紀の恐竜の化石床から出土する巨大な糞の化石の分析から始まった。考古学では1960年に、カナダのモントリオールにあるマックギル大学のカレンとキヤメロンという寄生虫学者と考古学者との共同研究によって、分析法が確立した。
その研究法のエッセンスは、乾燥遺跡から出土した糞石を三リン酸ナトリウムの0.5%溶液に一晩浸しておくと軟化し、さらに臭いまでが蘇るということと、その溶液が茶色に変色するとイヌのもので、透明のままだとヒトのものだということだった。

 マークはアナサジ文化の遺跡から出土した糞石を一生懸命に軟化させ、内容物を50倍から300倍の顛微鏡で観察して花粉、胞子、寄生虫卵を検鏡し、10倍から30倍の実体顕微鏡で砕けたマメ、トウモロコシ、カボチャなどが含まれていることを私に見せてくれた。私も留学する前、宮城県の大木囲貝塚の発掘で、貝層の中から糞石を発掘した経験を積んでいたので、日本に帰ってから彼の研究を応用しなければならないと考えた。その際、糞石の中に花粉が大量に含まれていることを知り、東北大学の理学部の助手だった日比野静二郎さんや、菊地多賀夫さんに手紙を書いて日本での糞石研究における花粉分析の可能性について相談した。

 帰国してからも、糞石への思いは持ち続けていたが、まだ大学院生の身分では、糞石を砕いて分析するという破壊分析のための糞石サンプルの入手もままならず、文学部の施設では、マークが行っていた実験設備は望む術もなく、どうしてよいかわからないまま、数カ月が過ぎていった。

 國學院大学の小林達雄さんのお宅で、糞石研究に情熱を燃やす
国際基督教大学の千浦美智子さんを紹介されたのはそのころだった。私は彼女と意気投合し、彼女の糞石の研究のお手伝いをしようと思った。話を伺ってみると、彼女も私と同様に、日本考古学に飽きたらず、日本の大学を卒業後トロント大学で修士号を取得し、日本に帰国してからは糞石をテーマに研究活動を続けていたのだ。その後彼女の研究室を訪問し、日本考古学への不満やこれからの糞石研究の見通しを時の過ぎていくのも忘れて語り、さらには彼女のもとで研究をしないかと誘われ、大いに心が動いたのだった。しかし、ほどなくして彼女はガンに倒れ、闘病の甲斐なく34歳の若さで亡くなられてしまった。その経緯は、日野原重明氏の『死をどう生きたか』(中公新書、1983年/新装版、2002年)に詳しい。そうしたいきさつで、私の糞石研究も頓挫を余儀なくされ、そのままお蔵入りになってしまった。」


 自分の手持ちの糞石も三リン酸ナトリウムで、溶解してみたい気もします。(次のが手に入るあてがついたらかな・・・。)

松井章著『環境考古学への招待−発掘からわかる食・トイレ・戦争−』(岩波新書 2005年)P47−49

国際基督教大学の千浦美智子さんと鳥浜貝塚については、旅行記「若狭・丹後・但馬旅行1」で詳しく紹介しています。

奈良文化財研究所環境考古学研究室のHPです。http://www.nabunken.go.jp/soshiki/matsui/

環境考古学について改めて説明します。
環境考古学とは、貝塚から発見された遺物を、本来の考古学・歴史学以外に、動物学・植物学・生化学・寄生虫学・花粉学・土壌学・生理学などのの研究者がそれぞれの専門分野の成果を総合して多面的に探究することによって、縄文時代・弥生時代の人々の暮らしを明らかにしようとする試みです。