太平洋戦争期4
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<解説編>
910 筏に乗ったおじさんと小さな物体は何でしょうか?                | 問題編へ |

 あらかじめお断りです。
 このクイズは、現段階でははっきりと結論を示すことができない、調査途中のものです。 
 いろいろ詳しく情報をお持ちの方から意見も伺いたくて、敢えて掲載しました。

 問題の写真は、ある写真の一部を示したもので、全貌を示すと右の写真となります。

 とりあえずですが、正解、この写真は、ハワイ・オアフ島の真珠湾(パールハーバー)と、そこに浮かぶアメリカ太平洋艦隊の戦艦群の模型を精巧に再現したプールのような施設の写真です。
 ここでは、仮に名前を付けて、この写真を「
真珠湾ミニチュアセット写真」と呼びます。

 以下、次の点について説明します。


 1写真の出典
 2映画「パールハーバー」の問題のシーン
 3本当はどこの写真


1写真の出典
 この写真は、アメリカのワシントンの国立公文書館分館に所蔵されている「日本関係資料」からコピーされたものです。
 アメリカには、「国民に対する情報の公開」というシステムが非常に発達していて、ナショナル・アーカイブスと呼ばれる国立公文書館は、全米になんと31カ所も設置されています。

 そのうち、ワシントンのものは、政治・外交上、アメリカ政府が過去に入手したものが所蔵されている所として有名です。
 紙の文書は、ワシントンの中心部、スミソニアン博物館などの博物館群が並ぶ一角にあり、ここに示されたフィルム、ビデオ、映画、音声記録などは、そこからバスで40分ほどの、メリーランド州のメリーランド大学の隣にある分館に所蔵されています。

 National Archives and Records Administration (NARA) の公式サイトはこちら

 「私がコピーしてきた」といいたいところですが、違います。

 ここに掲載した複写資料は、岐阜女子大学文化創造学部の元教授菊川健氏が、2000年から2002年にかけて、4回訪問され、いずれも膨大な時間を割いて複写されたもの多数の資料のほんの一部です。
 
 2004年2月3日に開催された、岐阜県高等学校教育研究会公民地歴部会の講演会で先生にご講演をいただき、さらに先生の「自由にお使いください」とのご厚意で、写真資料のうちの140枚をCDでいただきました。そのおかげで、掲載することができました。

 そもそも、NARAの資料の保存は、特に丁寧に項目別分類がなされているわけではありません。写真は、「日本関係資料」というきわめて大きな分類で、おおむね時期別に封筒や箱に整理されているだけです。その中から、先生が「発掘」され、ご提供いただいた貴重な資料です。
(ナショナル・アーカイブスは、著作権についてはフリーですので、先生のご了解をいただいた結果、これらの写真は、著作権上は問題ないものです。)

 
NARAの写真には、裏に英文で簡単に解説がしてあります。「真珠湾ミニチュアセット写真」の裏書きを日本語訳すると、「真珠湾ミニチュア・日本軍作成・軍艦配置」となります。
 
 先生からいただいた、真珠湾攻撃関係の他の写真を紹介します。


左上=「真珠湾攻撃:炎上する戦艦群
正確には、手前で炎上しているのが、戦艦アリゾナ(現在記念館がある)、後ろは、左ウエスト・ヴァージニア、右テネシー。
左下=「真珠湾攻撃・炎上する格納庫・戦闘機・消火活動する水兵
フォード島の海軍基地のカタリナ飛行艇(哨戒機)、戦闘機ではない。
下=「真珠湾攻撃・炎上する軍事施設
この写真は、位置は特定できないが、この時代にすでにカラーフィルムが使用され記録に残っていることが驚異である。アメリカの日常生活のレベルの高さがわかる。


2映画「パールハーバー」の問題のシーン

 さて「真珠湾ミニチュアセット写真」の写真を見て、はっとひらめいたことがありました。
 2001年夏に公開された映画「パールハーバー」の1シーンです。
 ご覧になった読者の皆さんは覚えておられるでしょうか?

 私は、映画「パールハーバー」の映画評の中で、日本の様子をあまりにも奇妙に描くシーンの一つとして、こう書きました。

「大きなプールに軍艦を浮かべて戦法を練るシーンも二度あって、浮かんだ軍艦を動かす役の下っ端の兵隊は、ふんどし一丁の裸の姿です。2秒か3秒の細切れのシーンですが、何故か、ふんどしが印象に残ってしまいます。」
 このシーンに違和感を持った(怒った)方は結構な数で、現在でも、インターネットの検索サイトで、「映画パールハーバー ふんどし」と検索すると、70件ほどがヒットするという状況です。
 その映画のシーンですが、この写真とイメージが似ていると思いませんか?
 右の写真は、プールの水中にいるおじさんと軍艦のアップですが、これはどうやらふんどし姿です。
  ということは、これはあくまで推定ですが、「パールハーバー」の監督か脚本家が、このシーンを写真で見ていて、そのイメージから映画のあのシーンを作ったといえるのではないでしょうか。
 
「ふんどし姿で軍艦の模型?そんなバカな。そんなこと日本人がするはずがない。」
という我々の批判は、苦しい立場に追い込まれそうです。

3本当はどこの写真
 ところで、ここでもう一つ確かめなければならないことがあります。
真珠湾ミニチュアセット写真」が、タイトルにあるように、本当に「真珠湾ミニチュア・日本軍作成・軍艦配置」なのかどうかです。

 つまり、日本海軍が本当にこのようなかなり精巧な
真珠湾ミニチュアをつくって、作戦の参考、または攻撃隊の訓練に使ったかどうかです。
 私は、これは、日本海軍が作ったものではないと思っています。
 以下いろいろな疑問点を示します。
 
1 この人たちは何者
 まずは、ふんどし姿の人間や、イカダの上の人間が、軍の関係者かどうかです。格好だけから見ると、軍人らしくありません。イカダの人は、ふんどし姿の人よりはまともですが、それでもはっきり軍人の格好とはいいきれません。
 但し、軍人でないからといって、軍が関係していないという証拠にはなりません。軍の命令でも、作るのは業者でしょうから。

2 元将兵の証言
 真珠湾攻撃の訓練は、当然ながら極秘裏におこなわれました。
 「模型」による事前の訓練について、実際に真珠湾攻撃に参加した将兵の証言を見てみましょう。

 攻撃当時海軍大尉で、航空母艦赤城の艦爆隊(急降下爆撃隊)の分隊長であった阿部善次さんは、次のように証言しています。
「4艦合同(注 航空母艦赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4艦)という異例の訓練の目的を知らされたのは,たしか(昭和)16(1945)年10月半ばであったと記憶する。分隊長以上の指揮官が笠ノ原基地に集められ、バラック建ての士官室で源田参謀、淵田中佐から作戦の説明を受けた。大きなテーブルを覆った白いシーツの下から、精巧な真珠湾の模型があらわれたのが、強く印象に残っている。」
 ※阿部善次著「戦艦アリゾナに放った入魂の徹甲弾」
   (『戦旗クラシックス 真珠湾攻撃』新人物往来社 2003年5月 P127)

 模型といえば、その程度でしょう。このプールは大きすぎます。

3 真珠湾の情報はどうやって入手できたか
 日本海軍は、攻撃を成功させるために、真珠湾のアメリカ海軍の情報の収集に努めました。
 ハワイにいる在留邦人からもいくつも情報が得られましたが、決定的なものは、在ホノルル日本領事館書記生として諜報活動を行っていた吉川猛夫海軍予備役少尉(海軍を引退した将官)です。

 しかし、それらの情報源からでは、そこまでは無理だろうと思われる情報が、あの写真のミニチュアには盛り込まれています。


上は、ハワイ諸島とオアフ島の地図です。
 右は、真珠湾攻撃後、 アメリカ軍が作った艦船の繋留図。『戦旗クラシックス 真珠湾攻撃』(新人物往来社 2003年5月)P127の図より作成。

下は、上述の写真の艦船模型に軍艦名を記入したもの。


 いくら優秀な諜報網があったとしても、当日の、戦艦の完璧な繋留位置まで事前につかむことは不可能です。
 戦艦ペンシルバニアは修理用のドックにいました。
 ましてや、戦艦アリゾナの右舷にいる特務艦ヴェスタル、戦艦カリフォルニアのそばにいる油槽船ネオショー、これらは、この12月7日(現地時間)の全く偶然の配列です。
 
 開戦日より前の真珠湾の航空写真は、前掲『戦旗クラシックス 真珠湾攻撃』に合計3枚掲載されていますが、そのいずれにおいても、繋留位置の戦艦群の隻数も配列もすべてバラバラです。

 つまり、上の写真のミニチュアには、攻撃日より事前には入手することがあり得ない情報が含まれているのです。

4 写真の正体は
 ということは、この
真珠湾ミニチュアセット」は、真珠湾攻撃のあと、攻撃隊が撮影して持ち帰ってきた写真をもとに作られたものなのです。
 では、誰が何の理由で、こんな精巧なミニチュアを作ったのでしょうか?
 これから示す結論には、証拠はありません。あくまで、推理結果です。

 
 真珠湾ミニチュアセット」は、1942年12月3日、つまり太平洋戦争開戦ほぼ1周年を記念して封切られた、東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」のセットでしょう

 この映画は、日本海軍による真珠湾の米軍奇襲攻撃とマレー半島沖のイギリス東洋艦隊撃滅の大成功を喧伝し、国威を発揚するために、 大本営海軍報道部が企画し、海軍省が後援した戦意高揚映画です。
 監督は黒澤明の恩師・山本嘉次郎で、実際の予科練(海軍飛行予科練習生の略、茨城霞ヶ浦に基地があった)で撮影された訓練シーンなど、 今となっては、歴史的な価値も高いといわれています。
 しかし、 この映画の最大の注目点は、 戦後に"特撮の神様"と呼ばれることになるあの円谷英二の記念すべきデビュー作である点です。
 その独創的なアイディアと、 ミニチュアを駆使してダイナミックに描かれた真珠湾攻撃とマレー沖海戦の2大海戦シーンは、 圧巻の出来映えとされ、戦後の東宝特撮映画の原点とも位置づけられています。
 この写真は、そのセットの写真と推定されます。
 実は、この映画のフィルムは、戦後のアメリカ軍の占領の際に、作り物ではなく記録映画と間違えられて押収されてしまったという「名作」です。
 この写真も、勘違いされて、タイトルが付けられたと考えられます。いかがでしょう。

 映画「ハワイ・マレー沖海戦
は2001年から復刻版が、DVDで販売されています。定価6000円、特価4800円です。
 我が家の財務省と相談の上、できたら見てみたいと思っています。
 もし、他の情報がありましたら、お教え願います。