太平洋戦争期6 |
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<解説編> |
912 アメリカ軍爆撃機隊が名古屋の三菱工場の詳細情報を入手した理由は? | |||||||||||
全体のボリュームが大きくなりますから、次の順序で説明します。
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まずは正解です。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
1・2・3の選択肢を冷静に考えると、あの戦時下に、一番あり得ないことは、「2 日本にいたアメリカ人スパイの活動」です。これはちょっと奇抜なダミーでした。 |
その詳細な情報とは、どのようなものだったのでしょうか?このクイズの設定は、次の参考文献1から多くの示唆を得ました。 |
恐るべき詳細な情報です。 |
では、この情報をアメリカ軍は、どこでどのようにどういう捕虜から入手したのでしょうか? |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
ガダルカナル島は敗北の末に撤退を余儀なくされた島、アッツ島とサイパン島は、歴史年表上は「玉砕」=「守備隊全滅」の島ですから、いずれもそれほどたくさんの捕虜がいるとは思えませんが、実は、かなりの捕虜がいたのです。 |
写真912−01・02 サイパン島バンザイクリフ (撮影日 07/08/04) |
写真912−03・04 サイパン島の戦車等の残骸 (撮影日 07/08/04) |
これらの写真は、元の職場の同僚が新婚旅行でサイパン島に行った際に撮影してきてもらったものです。Oさん、感謝。 |
この事実から、二つの疑問が出てきます。 |
まずは上記の一つ目の疑問点、アメリカの情報収集システムについて説明します。 |
ほっと横道へそれますが、最初に日本陸海軍と米軍との激しい戦いが演じられたソロモン諸島やニューギニアを管轄した南西太平洋連合軍翻訳尋問部隊(ATIS)では、生身の捕虜以上に、日本軍の文書から多くの情報を入手しました。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
アメリカ軍は、日本軍に情報が渡るのを恐れて、兵士が日記等の文書を持参することを禁じていました。それとは対照的に、日本軍兵士は、諜報の固まりでした。日本軍兵士は前線にまで日記や手紙や遺書などをポケットに入れて持ち歩いていたからです。日記などの中には、軍の作戦や命令を書き写したものも多くありました。 |
さて、最後は、日本軍将兵の問題です。 |
日本国の為に戦い捕虜となった将兵のみなさんを悪く言うつもりは全くありません。 |
【クイズ912 日本軍の捕虜と情報収集 参考文献一覧】
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