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日本の東西文化の比較T 味

 下の「日清のどん兵衛きつねうどん」の東西比較の他に、次の関連項目で、東西の比較に触れています。
 

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○縄文時代の照葉樹林文化とナラ林文化

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「日清どん兵衛きつねうどん」東西比較2007

 ※01/01/21初版作成 07/12/16改訂版作成

 はじめに

 私の住む岐阜県は、東西文化の接点に位置します。細かい部分では錯綜しているものもありますが、言葉・食材・味などおおむね東文化圏に属します。県境の町関ヶ原から国道21号線を西へ行けば、すぐ隣は西日本文化圏に属する滋賀県米原市になります。

美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)の国境については、岐阜・美濃・飛騨「岐阜県の東海道線あれこれ3」で説明しています。→

 そんな「日本の真ん中」からお届けする、東西の味比較。まずは入門編として、かの有名な日清食品の「日清のどん兵衛きつねうどん」の東西の違いです。
 そこから、発展して、
江戸時代の商品流通にも言及します。 

 まず、普通どちらかの文化圏に居座っていれば、東西で違いがあるということは実感ではわかりません。私は、生まれは東文化圏の岐阜、途中4年間だけ西文化圏の京都に暮らしたというような経験があったので、その違いが実感できました。
 日清食品は、「どん兵衛」以下いくつかのカップ麺で、東西の味文化の違いを意識して、東日本向け「どん兵衛」、西日本向け「どん兵衛」という風に分けて生産・流通させているのです。

 どん兵衛にもいろいろありますが、すべてに東西版があるわけではありません。
 左のうち、
きつねうどん肉うどんには東西版はありますが、きつねそばには、東西版はありません。


 左の写真は「どん兵衛」が12個入った段ボール箱の表示です。よく見ると、右隅に「西」と印刷されています。
 これが
西日本versionです。もちろん東日本向けの商品は、同じ場所に「東」と表示されています。

以後日清食品の「日清のどん兵衛きつねうどん」の商標(以下「どん兵衛」と略)を使用しますが、あくまで東西文化比較という「学問的」な目的からのもので営利目的ではないことをお断りしておきます。

  以下、東西製品の微妙な違いを説明します。


 パッケージの違い

 以前は、パッケージが東と西とでは違っていて、二つ並べると誰にでも違いはわかりましたが、1999年からは、ふたのデザインは、まったく同じになりました。
 2007年版では、識別できる僅かな違いは、違いは次に3点です。

 ふたの右隅とパッケージの横側にある「標準栄養成分表」の右隅に印刷された、(W)(E)の表示です。もちろん、WestとEastの略です。

 ふたにスープの特色を端的に著す次の言葉が示されています。
  東(E):
鰹だし   西(W):鰹・昆布だし


 これは1999年から使われたパッケージデザイン。この時から、デザインに明確な違いはなくなりました。

 2007年版、右下のだしの表示が違っています。また、中央左端の「熱湯5分間」の下に小さな字で(E)(W)と示されています。
 また、器の横の部分の(下の写真の右下隅)にも、同じく、
(E)(W)の文字があります。


 あげの違い

 あげは、成分表示上は、「味付け油揚げ」となっていて、東西同じ表記ですが、実際には、写真のとおり、東の方がぶ厚いこってりした感じのものが入れてあります。お湯を含むともっとはっきりし、食感は全然違います。


 実際に食べてみるとその違いは

 湯を入れて5分後、ふたを開けてみると、油揚げは圧倒的に、(E)がジューシーな感じです。スープの色の違いはもっと顕著です。(W)は麺が比較的透けて見えるの に対して(E)は底の方の麺は見えません。

 麺にはあまり違いが認められません。成分表ではナトリウムの内訳がちがうので(E)が少し塩辛いのかも知れませんが、ほとんどわかりません。
 スープの違いは色だけではありません。(W)は味が薄く、より「だし」がきいている感じです。(E)は味が濃く、こってり塩辛い感じです。(W)のスープは最後まで飲めそうですが、(E)は飲んだら満腹という感じです。


 湯を入れて5分後、ふたを開けてみると、油揚げは圧倒的に、(E)がジューシーな感じです。スープの色の違いはもっと顕著です。(W)は麺が比較的透けて見えるの に対して(E)は底の方は見えません。

 麺にはあまり違いが認められません。
 スープの違いは色だけではありません。(W)は味が薄く、より「だし」がきいている感じです。(E)は味が濃く、こってり塩辛い感じです。(W)のスープは最後まで飲めそうですが、(E)は飲んだら満腹という感じです。


 原材料と栄養成分表の違い

 スープにこれだけの違いがあるのですから、成分とか原材料に違いがあるはずです。
  まず、栄養成分表です。右がその比較です。
 この二つを比べると、微妙に違いますが、大きな違いはありません。 

 次に、原材料では、次のような違いがありました。
 西日本版のみにあるのは、
昆布エキス酵母エキス植物油脂です。東日本版に固有のものは、でん粉だけです。
  どの原材料がどういう味につながるかは、専門家ではありませんから詳しく分かりません。
 しかし、
西日本版の味の特色を示すものとして昆布味があることは、言うまでもありません。

栄養成分

西日本バージョン 東日本バージョン

エネルギー

412kcal 411kcal

たん白質

10.1g 10.5g

脂質

15.4g 15.0g

炭水化物

58.3g 58.6g

ナトリウム

2.5g 2.5g

めんかやく0.9g

めんかやく1.0g

スープ1.6g

スープ1.5g

ビタミンB1

0.20mg 0.19mg

ビタミンB2

0.28mg 0.22mg

カルシウム

175mg 175mg


西日本バージョン(W)

東日本バージョン(E)

味付油揚げめん(小麦粉、でん粉、植物油脂、食塩、植物性たん白)
味付油揚げ、食塩、魚介エキス、かまぼこ、醤油、ねぎ、
昆布エキス、糖類、たん白加水分解物、香辛料、魚醤、酵母エキス植物油脂、乳糖、豚ゼラチン、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、炭酸Ca、増粘多糖類、カラメル色素、酸味料、酸化防止剤(ビタミンE)、香料、紅麺色素、パブリカ色素、ビタミンB2、クチナシ色素、ビタミンB1、(原材料の一部にさば、魚介類を含む)

味付油揚げめん(小麦粉、でん粉、植物油脂、食塩、植物性たん白)
味付油揚げ、食塩、醤油、魚介エキス、糖類、かまぼこ、ねぎ、香辛料、たんぱく加水分解物、
でん粉、魚醤、乳糖、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、炭酸Ca、カラメル色素、増粘多糖類、酸味料、酸化防止剤(ビタミンE)、香料、パブリカ色素、クチナシ色素、ビタミンB2、ビタミンB1、紅麺色素、(原材料の一部に豚ゼラチン、魚介類を含む)



<参考資料>
 以下は、以前に発売されていた「どん兵衛」の調味料の成分です。そんなに大きく変わってはいませんが、少しずつ改良されていることが分かります。

【調味料】
食塩、醤油、魚介エキス、糖類、蛋白加水分解物、
植物油脂、でん粉、七味唐辛子、椎茸エキス、昆布エキス、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、炭酸カルシウム、カラメル色素、レシチン、増粘多糖類、酸化防止剤(ビタミンE)、パブリカ色素、香料、ビタミンB2、ビタミンB1、クチナシ色素、紅麹色素

【調味料】
食塩、醤油、魚介エキス、糖類、野菜エキス、七味唐辛子、蛋白加水分解物、肉エキス
動植物油脂、昆布エキス、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、炭酸カルシウム、カラメル色素、レシチン、増粘多糖類、酸化防止剤(ビタミンE)、パブリカ色素、ビタミンB2、ビタミンB1、クチナシ色素、香料、紅麹色素


 この旧バージョンの原材料では、比較をすると、(W)には椎茸エキスが独自のものとして入っており、(E)には、肉エキス・野菜エキスが入っています。さらに、(W)は植物油脂だけですが、(E)には動植物油脂が入っています。
 専門的なことはわかりませんが、現在のものより、(E)のこってり塩味感の原因が明確です。


 東西の食文化圏と日本史の学習

 この日清どん兵衛の東西の味の違いは、もちろん、日本史の学習の一部です。
 日清食品は、西日本versionの特色として、昆布味を重要視したスープを仕立てています。
 これは、西日本では、だしとして昆布が重用されていることからきています。
 
 そこで疑問が生じます。今も昔も昆布の主産地は、北海道です。現在では、総生産量の90%以上が、北海道で獲れています。地理的に考えれば、その消費地は、むしろ、東日本に多いとなるはずですが、実はその逆で、西日本に多くなっています。その理由はなぜでしょうか?
 
 いつものクイズ風にすれば次のようになります。

 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 補足です。
 まず、上のクイズの答えで言っている、「西廻り航路」というのは、日本史の江戸時代の学習に出てくる、「河村瑞賢が整備した西廻り航路のことです。
 
福井の敦賀(この港の重要性は、岐阜・美濃・飛騨「岐阜県の東海道線あれこれ」でも説明しています。→)などの近畿地方と、山形県の酒田旅行記に詳しく説明しています→)、秋田、青森、蝦夷地の松前などを結ぶ回船は、「北前船」と呼ばれました。
 それによって蝦夷地産の昆布が北陸や近畿をはじめ西日本に運ばれたわけです。それが、西日本よりむしろ東日本における昆布人気を作りました。
 
 これは現代も同じです。
 以下は、
日清どん兵衛の東versionと西versionの境と、総務省の家計調査による昆布の消費量ランキングを示したものです。
 単なる地理的な常識から言えば、
中部地方の富山県は、東西のどっちかと問われたら、感覚的に東と言うことになるのではないでしょうか。
 しかし、
食文化圏では、富山・石川・福井の北陸は、西日本です。  


総務省の家計調査のページはこちらです。http://www.stat.go.jp/data/kakei/5.htm


 さらに補足すれば、数年前までは、日本の昆布消費量の第一位は、沖縄県でした。
 今も、昆布は沖縄料理には欠かせないものです。
 西廻り航路は北陸から陸路で、また、瀬戸内海を経て大阪や京都に物資を運ぶものです。それと沖縄を結びつけるのは、ちょっと飛躍しています。
 なぜ、
北の昆布と南の沖縄が結びつくのでしょうか

 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 またまた補足です。
 ここまで来ると、
江戸時代の琉球の歴史にも話が飛びます。
 ご存じのように、琉球は中世には琉球王国として独立国の立場を保ち、東シナ海の中継貿易の拠点として繁栄しました。
 近世初頭、
薩摩藩の侵略を受け、事実上服属国となりましたが、薩摩藩は形式的には独立国という立場を取らせました。琉球が清に対して行っていた朝貢貿易に目をつけ、それを利用して国内製品を密輸して利益を上げようと策略したからです。
 特に幕末には、
薩摩藩は、砂糖などを上方で売って昆布を購入し、その昆布を清に輸出して利益を上げることができました。

どん兵衛を使った日本史授業は、あちこちで試みられています。
たとえば、岐阜県の総合教育センターのHPには、実践例が指導案として掲載されています。
  →「新学習指導要領の趣旨を実現する地理歴史・公民科授業実践事例集」の案内です。
  →「日本史Aの学習指導案」です。(PDFファイルです)


 おわりに

 授業で東西どん兵衛比較を題材にするには、本物を手に入れなければなりません。
 私なら、県境を越えて「西」まで50分でいけますが、そんな方ばかりではありません。

 そこで紹介するのが、
日清食品のオンライン・ショップです。
 ここでは、東西取り合わせという嬉しいパックも用意されています。また、商品開発の歴史も勉強できます。

日清食品のHPは、こちらです。→http://www.nissinfoods.co.jp/
日清食品のオンラインショップはこちらです。→http://shop.nissinfoods.co.jp/


 是非一度、授業でお試しください。
 次ページは新たに追加した続編、「東西文化の相違 番外編 「日清どん兵衛三昧」ついでに北海道版」です。


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