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日本人のアイデンティティを考える1
   
 □現代日本人のルーツ 01/06/03作成 
 新モンゴロイドと古モンゴロイド  | 関連ページの案内へ |

 個人のアイデンティティの確立の上で重大な要素となるものが、父母や祖先との血のつながりです。もっとも、普通の人では、祖父母や曾祖父母ぐらいのもので、その上となると、もはや調べようもないのが実情でしょう。

 いきなり脱線ですが、生徒に自分の祖先に思いを寄せさせる時も、彼らの錯覚のひとつうちやぶります。
 「自分のひいおばあちゃんひいおじいちゃんを知っている人。手をあげて?」というと、クラスの何人かは手をあげます。
 せっかく手をあげた生徒ですから大事にしつつ、次にこう質問します。
 「正確には、8人いるんだけど、本当に知っている?」

 つまり、生徒の祖父母は合計4人、曾祖父母は合計8人います。これを全て知っている人など、まずいません。生徒諸君はそのうちの一人ないし数人を知ってるのみです。かくいう私も、一人しか知りません。
 人のルーツは、横溝正史の「金田一探偵」のドラマほど、それほど簡単には明らかになりません。いや、多くの場合明らかにしない方が幸せなのかもしれません。

 さて、これから、先達の業績を借りて、一個人どころか、現代日本人全体のルーツを探るという大風呂敷な話を進めます。これについては、歴史学・考古学をはじめ、人類学・医学・分子遺伝学等様々な分野から研究がなされています。その全貌などはとても叙述することはできませんので、ここでは日本史や現代社会、その他高校の授業で使えそうな簡単な話を紹介します。

 現代日本人がどうやって形成されたかという研究は、江戸時代後期に来日したかの有名なドイツ人医師シーボルトに始まります。その後、いろいろな研究が発表されましたが、それらを分類すると、次の三つに大別されます。
 @人種交替説  
A混血説  B移行説(または連続説)

 @は日本列島のなかで、人種が交替したという説。Aは縄文時代以来の集団と弥生時代以来に渡来した集団との混血によって現代日本人につながったという説。Bは縄文時代以来日本列島では、人種の交替や大規模な混血はなく、縄文時代人が少しずつ進化しながら、現代までつながっているという説です。
  
 長い研究史の各段階で、いろいろな説が有力になりましたが、現代の学界で有力なA混血説に基づいて、高校の教科書には次のように記述されています。
 「(旧石器時代の特色は)のちの縄文人にも受けつがれている。日本人の原型はこうしたアジア大陸南部の古モンゴロイドにあり、その後、弥生時代以降に渡来した
新モンゴロイドとの混血をくりかえして、現在の日本人が形成された。また、日本人でも北海道に住むアイヌ人の人々や南西諸島の人々(注 沖縄など)は、より強く古モンゴロイドの形質を受けついでいると考えられている。」
 ※石井進・笠原一男・児玉幸多・笹山晴生著『詳説 日本史』(1999年山川出版)

 
古モンゴロイド新モンゴロイドの説明をします。
 人類は今からおよそ450万年以上前にアフリカで誕生したとされていますが、それからずっと時代が下がって、進化した新人の一部がは東南アジア地域に移り、現在の東南・東アジア人全体のルーツとなりました。彼らを
古モンゴロイドと呼びます。彼らは誕生以来の、熱帯に適した特色を持っています。

 しかし、古モンゴロイドの一部は、アジア大陸の北部シベリアに移り住み、氷河期の寒冷な気候に適応できるように進化しました。この寒冷地適応タイプが、新モンゴロイドです。
 
 2000年11月に発覚した石器捏造事件で、日本の旧石器時代がいつ頃までさかのぼれるかは疑問な点がありますが、旧石器時代の存在そのものが否定されたわけではありません。
 旧石器時代から縄文時代にかけて日本に渡来し、縄文時代人となったのが上述の
古モンゴロイドです。

 ついで、弥生時代のはじめから古墳時代にかけて、おもに朝鮮半島を経由して多くの人々が渡来します。この渡来系弥生人が新モンゴロイドです。
 この二つのグループが混血して、現代人となったというのが、現段階での有力な説です。まとめると次の表のようになります。


弥生時代はじめから7世紀までのおよそ1000年間に渡来した新モンゴロイドはどのくらいの数なのでしょうか。自然人類学者の埴原和郎氏は「数十万から100万」と提唱していますが、これはかなり多めの推定で、批判もあります。
 しかし、かなりの新モンゴロイドが渡来したことは、否定できません。
 ※埴原和郎「日本人の形成」『岩波講座日本通史第1巻 日本列島と人類社会』(1993年岩波書店)P96

 では、古モンゴロイドと新モンゴロイドとはどのような違いがあるのでしょう。  
 右の絵は、発掘された頭蓋骨の模式図です。

 
 寒冷地適応した「新」は、熱の発散を防ぐため、彫りの深くないのっぺりした顔になります。
 同じ理屈で、身長も低め、手足の長さも短めになります。耳たぶも小さくなり、まぶたは眼球を寒気から守るため、脂肪が厚く付いて一重まぶたになります。
 
 理屈が難しいのは体毛です。寒いところでは体毛があるほうがよいように思いますが、むしろ水滴が付いて凍るのを防ぐために、体毛のないすべすべの肌になります。

 耳あかは、もっと難問です。

 私は耳あかが湿ったタイプなのです。湿った耳あか、いわゆる飴耳の人は、風の強い日に屋外で活動するとすぐに耳あかがたまって耳掃除が必要となり、面倒なことこの上ありません。熱帯タイプの「古」の耳あかは何故湿っているのでしょうか。


 それは、湿らせる原因となっている耳の中の分泌液ににおいがあって、熱帯のジャングルの中では、耳の中に小さな虫が入ってくるのを防ぐ効果あるからでした。
 現代人の私の耳にそんな「武器」は必要ありませんが、これも宿命です。
  ※埴原和郎『日本人の骨のルーツ』(1997年角川書店)

 一番難問は、酒に強いか弱いかです。これについては、山ほど説明したいことがありますので、テーマを改めて説明します。
   
目から鱗「酒に強い人弱い人」


   

特色のポイント

新モンゴロイド(弥生時代の渡来人)

高め

@

身長

低め

長め

A

手足の長さ

短め

彫りが深い

B

顔の形

平板

耳たぶがある

C

耳の形

耳たぶがない

湿っている

D

耳あかの種類

乾いている

二重

E

まぶた

一重

濃い

F

体毛

薄い

強い

G

飲酒

弱い

 

 ではこの「古」・「新」の違いは、現代の日本では、どのように「分布」しているのでしょうか。
 特色によって、違いはありますが多くは右図のような特色となります。

 右は、頭蓋骨についてのいくつかの測定値から見た、縄文時代人からの距離です。
 数値が多ければ、縄文時代人から距離がある、つまり、新モンゴロイドの血が強く混じっているということになります。

 これによれば、北海道アイヌと沖縄地方人は、距離が小さく、畿内地方人は、距離があって、弥生以後の渡来人の血が濃く混じっていることになります。
 
 血液型の分布等もこのような特色(地理学的には勾配)があり、弥生時代以降に渡来した人々が、のちに畿内の中枢に入って、大和政権移行の支配者階級を形成した事実と符合します。
 ※松本秀著『日本人は何処から来たかー血液型遺伝子から解く』(1992年NHKブックス)

<関連ページ案内>
目から鱗 日本人のアイデンティティを考えるU 「酒に強い人弱い人」
目から鱗 日本人のアイデンティティを考えるV 「酒に強い人弱い人」の東西分布
「クイズ日本史原始〜古墳時代編」005・・・あなたの縄文人度・弥生人度をテストします
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