昨年に続く、わが家の海外旅行第2弾。パリ・ロンドン珍道中です。2001年8月7日(火)〜8月12日(日)
1 いつものHIS
家族旅行のパターンは、昨年のアメリカ旅行で修得できたつもりだったので、今回も、航空券とホテルの手配は、HISのメニューから選択しました。昨年のアメリカ旅行とは違って、今回の費用は割高となりました。その理由は二つです。
昨年は、8月19日出発、今年は、8月12日帰国と、お盆の最混雑期の回避の度合いは同じように見えますが、実は、8月上旬も、7月下旬も、旅費はあまり安くなりません。8月の下旬にはいると急速に安くなるのとは大違いです。安さなら、8月25日出発ぐらいが最高ですが、高校生・中学生をかかえる身、勉強と学校のことを考えると、仕方ありません。
HISのメニューでは、航空会社が選択できます。一番安いのは、大韓航空、次はキャセイ航空。さらに、KLMオランダ航空、ルフトハンザドイツ航空と高くなって、もちろん、JAL・ANAが最高の値段です。利便性より価格重視の我が家の方針に従い、最初は、大韓航空を申し込みましたが、5月の中旬の時点で、もう一杯でした。その他いろいろ事情があって、比較的高めのルフトハンザドイツ航空となりました。安い航空会社を選ぶのなら、もっと早くから申し込まなければなりません。
結果的に航空券・ホテル代・保険で143万円、滞在費+雑費を含めると、170万円ほどになりそうです。小公務員としては、ずいぶんの大盤振る舞いです。帰国後、お父さんは昼飯を売店のパンとおにぎり・・・・。ええい、ごちゃごちゃ言っとらんと早く飛びたまえ、ルフトハンザ。
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2 どこを飛ぶんだルフトハンザ
アメリカに行く時は、太平洋を東に飛ぶに決まっています。
では、ヨーロッパに行く時は?
「父ちゃん、社会科の先生だから知ってるよね。この飛行機どこを通って、ドイツに行くの。」小学6年生の3男Dの素朴な質問です。ルフトハンザ航空ですから、パリにいく前に、ドイツのフランクフルトで乗り換えになります。
「どこを通っていくんだろう。テレビの画面を見て、乗務員のお姉さんの説明をよく聞いて、自分で研究してご覧。」
生徒の自主性を重んじる教師らしい指導でしたが、実は、言われてみるまで正確にどこを飛んでいくのか知りませんでした。大昔のアンカレッジ経由(懐かしい)じゃあるまいし、今はロシアの空は自由に飛べるはずだぞ。
まもなく、乗務員の美しい声が流れてきました。
「当機は、只今佐渡島上空を北に向かって飛行中です。この後日本海を縦断し、ハバロフスク上空から西へ進路を向け、シベリアを横断後、オビ川河口を通過し、フィンランドのヘルシンキ上空をからバルト海を南下して、ベルリン上空を経由してフランクフルトへ向かうコースをとる予定です。飛行時間は、11時間30分を予定しております。」
「父ちゃん、オビ川ってどこ」
「ロシアの長い川だ。(社会科教師でも急に聞かれるとこれぐらいしか分かりません。)とにかく、シベリアをずーっと通って、北の方から、ドイツに入るのだ。すごいだろう。」
何がすごいのか自分でも分かりませんが、今までの外国旅行、アメリカ・ニュージーランド・シンガポールなんかよりは、なんとなく、すごい気がしたのです。
ちゃんと学習しましょう。下の地図の赤線が飛行ルートです。
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帰りの飛行機は、フランクフルトを現地時間の2時過ぎに出発して、ほぼ同じルートで帰ってきました。
その途中、ヘルシンキとオビ川の中間あたりで機上から撮影したのが右の写真です。進行方向へ向かって左側、つまり北極海の方向の風景を上空10500メートルから見たものです。
フランクフルトを出発して4時間後、現地時間では、ほぼ真夜中の12時ぐらいですから、、これは、いわゆる夏の北半球の高緯度地帯に見られる、白夜の沈まない太陽だと思うのですが、いかがでしょう。
右の棒のようなものは飛行機の翼、下の丸い縁取りのようなものは、飛行機の窓枠です。
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7日(火)の10時に名古屋を出発したルフトハンザ機は、時差の関係で、11時間以上飛行して現地時間の15時30分フランクフルト到着です。
HISの旅行では途中の乗り換えは全て本人の実力でしなければなりません。
今回も、到着が20分近く遅れたため、当初の予定では、16時35分発の乗り換え便(パリ、シャルル・ド・ゴール空港行き)を見つけるとなると、ちょっと焦らなければなりません。
「フランクフルトだ、ドイツだ」と無邪気に騒ぐ妻や子どもたちを引き連れて、父ちゃんはひたすら表示板を見て、だだっ広いタ |
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乗り換えたあとは小さめの飛行機
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ーミナルビルの中を大移動です。
こういう時に一番いいのは、同じ目的地に向かう日本人旅行者を素早く見つけ、情報を共有することです。今回もうまい具合に、数人の「同行者」がいて、確認しながら、無事に乗り換え便ゲートに到着できました。着いてみたら、出発は16時55分になっていて、ほっと一安心です。
搭乗してみると、私の席のとなりは、金髪の美少女。こいつはさい先いいぞ。(何が?)Nicoleニコールちゃんでした。
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巻き貝の中ではありません。屋上へ続く螺旋階段です。 |
夕暮れの凱旋門 |
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シャルル・ド・ゴール空港に到着後、HISの現地係員にホテルに連れて行ってもらい、その後、雨にもかかわらず寸暇を惜しんでパリ市内見学です。
観光旅行というと、人間誰しも高いところへ昇りたがるものです。
地下鉄で真っ先に向かったのは、凱旋門。
屋上に上れることは知っていましたが、あんなに高いものだとは知りませんでした。
階段の数にして、230段以上。屋上に行きたいばかりに、一目散に上がりましたが、よく考えると、県庁の11階のわが職場までの階段の数が204段ですから、相当高いのです。案の定、運動不足の妻は、途中で休憩するはめになりました。心臓が悪い人は気を付けましょう。
※パリの地図はこちら |
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夕方の雨のシャンゼリゼ通り
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8月7日、夜8時。凱旋門の上からの臨む夕暮れのパリ市内(東方向)。右端にエッフェル塔、中央はシャンゼリゼ通り、左端はモンマルトルの丘。デジカメ5枚分の合成写真。
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屋上に出てみたら、ご覧の写真のように、パリは夕暮れの雨の中。気温は、18度ほどで、出発前の35度を超す猛暑に比べれば、涼しいを通り越して、寒い寒い。冷たい雨に降参して、そうそうに退散です。
こんな天気ではと観念して、エッフェル塔登りは明日へ延期。 遅い夕食はシャンゼリゼ通りでということになりました。
外国旅行というと、あそこのおいしいもの、こちらのグルメと、食べることを楽しみにしている方も多いと思いますが、我が家の家族旅行では、旅行の目的は「ひたすら冒険と学習」です。そのため、食べる楽しみのランクはかなり低く、おなかがすいたらごく自然に近くで食べる、というあっさりしたものです。
それでも、さすがにシャンゼリゼ通り、おしゃれな店がいっぱいあります。ガイドブックの「おしゃれなパリのカフェー」のページの一番先頭に載っていた「Fouquet's」(フーケ)を見つけて、ちょっと寒かったけど、シャンゼリゼ通りの舗道上の席で、夕食です。
メニューの割には高価な夕食でしたが、「パリ気分」を少しだけ味わって、「夜の遅い地下鉄は注意が必要」との忠告もどこ吹く風、一日目から、ホテル帰宅は、深夜11時です。 |
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夜、雨のシャンゼリゼ通り。向こうは凱旋門。 |
おしゃれなカフェ、Fouquet's(フーケ) |
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レストランで困るのは、当然ながらメニューが日本語でないこと。ここは幸いにもフランス語と英語が併記してありましたので、何とかなりました。
父 「さあ、豪華な肉か魚でもたのもうか」
長男「飛行機で一杯食べたのであまり食べられない」
三男「サンドイッチみたいなのでいい」
何と欲のないいい子たちでしょう。グルメ嗜好の娘を作らなかったことに感謝。それでも、場所代が高いせいか、合計600フラン。(1フラン約17円、つまり、約1万円)高価なグリルドビーフサンドイッチでした。
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パリの地図です。
Bのノートルダム寺院があるところが、パリ発祥の地、セーヌ川の中の小島シテ島です。
紀元前3世紀の中ごろ、ケルト人の部族のひとつ、パリシイ族がシテ島を要塞にして住み着いたのがパリの始まりです。もちろんパリという名称は彼らにちなむものです。
前52年に一帯は、カエサル統治下ののローマの支配下にはいります。
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3世紀の中ごろ、キリスト教が聖ドニによってもたらされました。聖女ジュヌビエーブは、451年アッティラのひきいるフン族が侵入した際、市民にパリを放棄しないようよびかけて、パリの守護聖人となりました。
そのあと、ゲルマン民族の一派フランク族のフランク王国が建国され、中世へと続きます。
ノートルダム大聖堂は1163年に建設されました。
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