昨年に続く、わが家の海外旅行第2弾。パリ・ロンドン珍道中です。2001年8月7日(火)〜8月12日(日)

| 旅行記のメニューへ  | | パリ・ロンドン旅行記メニューへ  | | 前へ | | 次へ |

D 地下鉄・国鉄・RER、そしてユーロスター・・パリからロンドンへ 
 ※パリの地図はこちら

 さて、旅と言えば、我が家の男どもにとっては、楽しみは、当然乗り物、とりわけ鉄道です。
 私は、いわゆる鉄道マニアというわけではありませんが、普通の男の子以上には、鉄道が大好きです。
  ※この事情は、「何だこりゃったら 何だこりゃ」「男の子は鉄道好きが一番」に書きました。


パリ地下鉄、Potre de Clichy。赤矢印が駅名。青矢印が、列車の最終目的地。他に案内はなし。


左 改札口。キップを入れて取り出したあと、前の扉を押して入る。
右 地下鉄回数券carneカルネ。10枚で58フラン。市内均一料金の1回券は、8フラン(約140円)。8回乗ると元が取れる。 


パリ・ロンドン旅行では、パック旅行のバスは極力控えて、ひたすら自分たちの力で地下鉄に、列車に乗りました。
 パリもロンドンも、日本の大都市のように地下鉄が発達していて、観光客にはとても便利です。しかも、安い安い。
 但し、パリの地下鉄の感覚は、日本のそれと違うところがありました。
 
 第一に、改札口です。キップを入れて再び取り出したあと、何と前方の金属の扉を押して入るのです。しかも機械のタイミングがあわない時もあるらしく、子どもたちは、最初の駅で、いきなり、入り損ないました。
 二つ目は、駅構内の案内です。ホームに降りると、駅名(上写真赤↑)と電車の最終目的地(天井から下がる表示板、青←)の表示しかありません。日本の駅にあるような、「○○→□□→△△」などの次の駅表示はないのです。
 つまり、ホームを探す時から、電車の終着駅(降りる駅ではない)を呪文のようにとなえ、間違えずに選択しなければなりません。自分が降りる駅が、Concordeでも、とりあえずは、その路線の終着駅、Cateau de Vincennes を探して、ホームへの階段を下りるのです。いくつかの路線が集まる乗換駅では、これがなかなかの大仕事です。しかも、Cateau de Vincennes を覚えていたら、表示は、Vincennes だったりします。
 なかなか頭を使わせるパリ地下鉄です。


 サンラザール駅に入線するフランス国鉄SNCFの近郊線電車。


上 RER高速郊外鉄道の2階建て電車。ベルサイユ駅で。

右 SNCFのキップ。購入したあと、はさみ(半円部分)は自分で機械に通して入れる。自動改札ではない。


鉄道好きの我が一族(妻を除く、一緒にするなという注文が出ました)にとって、この旅行のハイライトは、ユーロスターでのドーバー海峡トンネル通過です。
 
 パリ北駅には、税関と入国審査ゲートがあって、空港と同じ雰囲気で列車に乗ります。但し、審査は厳しくはありません。スタンプは、ガイドから要求しないと押してもらえないということを教えてもらっていたので、「Stamp Please」とお願いして押してもらいました。
 
 列車の内部は新幹線と同じ雰囲気ですが、電車ではなく、機関車が客車を引っ張るタイプのため、モーターの振動や音が少なく、その分乗り心地は良いように感じました。
 あまりに快適なのと、昨日までの疲れのため、すぐに寝てしまいました。
 気が付くと、外は夜。そんなわけはありません。海峡のトンネルの中でした。

 パリ北駅のユーロスター。編成全体は新幹線より長く、ホームの先端までは遠かった。走っていたら、なぜか、女性の係員からホームでは走らないように注意された。何故だろう?


 ユーロスターのビュッフェです。

パリから僅か3時間でロンドンに到着です。フランス国内を1時間半、トンネル通過に30分弱、トンネルを出てからロンドンまでが1時間です。

 着いたのは、ロンドン東部、テムズ川にほど近い、ウォータールー駅。
 この駅に着くことは、パリから来るフランス人にとっては、あまり嬉しくないはずです。かのフランスの偉大な皇帝ナポレオンが、最後の敗北を喫したのが、ベルギーのワーテルロー(Water loo)の戦い。この駅の地名は、この時の戦勝を記念して付けられました。その英語読みが、ウォータールーなのです。イギリスがユーロスターの発着駅として、この駅を選んだのは、偶然でしょうか、意図的でしょうか。
 
 日本人の私たちは、そんな細かいことに気にもとめず、入国審査官に、「channel tunnel」のスタンプをもらって(ずばり、海峡トンネル)、イギリスの空気を吸いました。

 「父ちゃん、このトンネルを掘るのに、日本の技術が役に立ったんだよね。」
「そうだ。前に母さんが買った本に書いてあったな。日本の地下鉄を掘る技術が応用されて、確かフランス側の穴掘りマシーンは、日本の企業がつくったやつだったはずだ。予定以上に掘削が進んで、中間点からイギリスの方へ越えていったんだっけ。」
 ※参考 宇賀克夫(川崎重工業・土木機械部長)著『ドーバー海峡を鉄道が走る』(1994年あすなろ書房)


| 旅行記のメニューへ  | | パリ・ロンドン旅行記メニューへ  | | 前へ | | 次へ |