2000年10月6日(木)〜10月9日(月)
職場内のグループで、3泊3日(1日は機内泊)のシンガポール旅行に出かけました。これはその旅行記です。
シンガポール旅行


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1日目(6日)

@シンガポールの基礎知識

A夜の宴会

2日目(7日)

B市内観光(中国人街・アラブ人街インド人街)

Cナイトサファリ

3日目(8日)

Dジョホールバル

Eセントーサ島

   
@ シンガポールの基礎知識    | 目次へ戻る |
【シンガポール地図】


シンガポール航空の
スチュワーデス

 6日午前10時半に名古屋空港を飛び立ったシンガポール航空SQ981便は、現地時間午後3時半過ぎにシンガポール・チャンギ国際空港に到着。時差は日本より1時間遅れのため、正味6時間半ほどのフライトです。
 シンガポールのという国は、マレー半島の先端にある小国です。元はイギリスの植民地でしたが、日本の占領を経て第2次世界大戦後に独立。この時は、半島のマレーシアの一部でしたが、1965年に先端の島の部分だけ、さらに分離独立しました。大きな島と周囲の小さな島からなり、面積は全部あわせても約620平方kmしかありません。岐阜市の面積が、196平方kmですから、その3倍程度です。そこに280万の人々が住みます。
 
 中国系が70%以上と多数ですが、マレー人・インド人・白人といくつかの民族からなる多民族国家です。子どもたちは、小学校から、英語とは別にマレー語・北京語・タミル語(インドの言語)のうちから一つを選んで学習します。
 独立以来、親日家としても有名であったリー・クアン・ユー首相のもとで、目を見張る経済発展を遂げてきましたが、土地も資源も食糧も水も少なく、また市場が狭いためこれといった国内産業もなく、貿易と金融と観光の国です。
 
 そのためか、教育の水準の高い国ということでも有名です。シンガポールは、1994年と95年に行われた国際テスト、「第3回国際数学理科スタディー(TIMSS)」で、日本やアメリカを圧倒し、世界1の成績を収めました。このためか、アメリカの「エデュケーション・ウィーク紙」によれば、1998年の以来シンガポールの教科書がアメリカのいくつかの州の教科書として輸入されはじめ、今でも販売量が増加しているそうです。この9月の新学期には、全米で数千部注文があったとか。
 中身はあまりグラフィックスのないシンプルなものだそうですが、独特の「問題解決アプローチ」を採用し、代数コンセプトを低学年から導入するなど、子どもたちの数学的な理解力を高める内容になっているそうです。数学の先生方、一度試してみてはいかが。
  ※シンガポールの教育の分析は、 東京大学の藤田英典教授のHPへを参照。
  http://www.crn.or.jp/LIBRARY/TODAY/9806.HTM
 
 さて、シンガポール航空は以前から評判のいい航空会社と聞いていましたが、実際に乗ってみた評価は、二重丸。ボーイング777の機体は新しく、サービス・食事もまずまず。同行男性陣はスチュワーデスのコスチュームに魅了されました。帰りにチャンギ国際空港で待つ時に一緒に映ってもらったのが上の写真です。裾の長い民族衣装は、真正面にスリットが入っていて、大変セクシーです。日本へ来る便には、日本語が話せる女性が必ず入っています。この時点までは、一度も事故を起こしていない航空会社でした。(不幸にもこのあと、2000年11月、台湾台北空港で、工事中の滑走路から離陸という信じられないミスを犯して、この安全神話は崩壊しました。)


A 夜の宴会    | 目次へ戻る | | 【地図】へ戻る |


北京ダック


マンダリンホテル


シンガポールでもっとも由緒ある
ラッフルズホテル

 グループ旅行とは言え、8人が一緒に過ごすのは、最初の夜だけ。あらかじめ予約してあったホテルの近くの中国料理店へ行きました。
 ホテルは、シンガポールのメインストリート、オーチャード通に面しており、ホテル付近は、週末と言うこともあって、人人人。人口密度は相当な高さでした。
街路は少数の白人をのぞいては、いろいろなアジア系の顔で溢れています。日本に住んでいると自分たちは日本人で、あの人は韓国人・あの人は中国人とか何となく違いがわかる気がしますが、ここへ来ると、それは錯覚であることがわかります。
 
 ちろん、旅行者の中には、一見して明らかに我が同朋と判断できる人がいますが、特に若い娘さんなどは、顔かたち仕草から「これは日本人に違いない」と思えた人でも、話してみると現地の人だったりして、これまでの自分の「単純な思いこみ」がいかに底が浅い物であったか思い知らされました。
 また、行く前から、唾を吐いたら罰金とかいろいろ法律が厳しいと聞いていたので、さぞかしきれいな町だろうと思っていましたが、深夜0時頃の町は、ファーストフード店の周りがゴミだらけだったりして、日本とそれほど違うわけではありませんでした。ガイドのよれば、「教育の成果が出てずいぶんきれいになった」ということでしたが、確かに他のアジアの町に比べればきれいと感じましたが、「うわさ」ほどではありません。
 
 中国料理は、北京ダックをはじめとして、大変おいしいものばかりで、最後には紹興酒も飲んでご機嫌でした。そういえばこの日は、朝の空港の「出発式」以来ほとんど飲み続けだった気がします。
 ところが、さらにこの後、シンガポール1の高級ホテル、ラッフルズホテルの隣にある、ラッフルズシティー・ロング・バーへ。さらにトロピカルなカクテルを飲んで、一同大満足の初日でした。
 

 
B 市内観光    | 目次へ戻る | | 【地図】へ戻る |


チャイナタウンの
マーケット前


マーケットのの中で見つけた蛙
もちろん食材


シンガポール川の河口
ボートキー

 二日目は朝から、ツアーバスに乗って、午後2時までの市内巡りです。シンガポールは、経済の中心地「シティ」の他に、中国人街・アラブストリート(イスラム教徒の町)・リトルインディア(インド人街)といくつもの顔があります。
 中国人街は、シティの南にあります。左の写真の門の後ろのビルの地下には中国人用のマーケットがあって、様々な食材が売られています。真ん中は、蛙です。1匹$5です。いかが?
 シンガポールドルは、1$=65円ぐらいの交換レートです。
 
 中国人街のアパートは、ベランダというものがありません。左の写真を見てください。窓から出ている突起物は、物干し竿です。窓のすぐ下にポールを挿す金具が出ていてまっすぐ横に張り出します。
 シンガポールは、もともと、シンガポール川の入り江に発達した町。
 大航海時代が始まって植民地争奪戦が繰り広げられましたが、最初は現在のインドネシア及びマレー半島は、オランダ東インド会社の支配下に入りました。18世紀末からヨーロッパと中国の貿易量が増加すると、イギリスとしては是が非でも、東南アジアに中継点を設ける必要に迫られました。
 こうした事情から、1819年1月、イギリス東インド会社の派遣したラッフルズ卿が、シンガポールの地に上陸し、商館建設を開始します。これが、現在のシンガポールの直接の出発になります。
 
 右上は、入り江の近くの「Boat Quay」、河岸には各国料理の飲食店が建ち並びます。この対岸からでるボートクルーズも観光の名物です。(Quayはkeyと同じ発音で、波止場です。)左下は、近代的ビル群(シンガポールの金融の中心、シティ、高さ70階建て(約200m)のビル群が林立)を背景に立つ、ラッフルズ卿の像。ボートキーの対岸、シンガポール国会のすぐ近くにあります。 
 シンガポール川の河口に立つのがシンガポールのシンボル、マーライオン像。マーライオン(海のライオン)は、植民地時代が始まる前からのこの地の伝説の生き物です。海から現れて、人々に繁栄をもたらすのだそうです。


ラッフルズ卿の石像


河口に立つ
マーライオン像


アラブ人街の
イスラム寺院


リトルインディアの
ヒンドゥー寺院

 アラブ人街(正確にはアラブ人はいません。マレーシア人のイスラム教徒の町です。)には、でっかいモスクがありましたが、残念ながら工事中で右上の写真のように丸い金のドームは工事シートの下でした。「椰子の木にモスク」は赤道のすぐ北、北緯2度の国ならではです。 
 
 飲茶料理の昼食のあと午後からはリトル・インディア、つまりインド人街へ出かけました。
 ヒンドゥー教の寺院はえもいわれぬにぎやかな飾りです。土曜日ということもあって道は人とタクシーで一杯です。
 ここのショッピングモールの食堂では、葉っぱの上のご飯を手で食べるというインド風の食事をする人をたくさん見かけました。
 
 ここで私は、この旅行のねらいの一つであった買い物をします。それは、ヒンドゥー教の有名な神様「シヴァ神」のブロンズ像で、高校の世界史の教科書にも載っているものです。
 ショッピングモール2階の骨董品屋の親父との会話です。


ヒンドゥー教の神シヴァ神

"I am looking for a bronze statue of Hindu Gods? Do you have?"
"Yah, those are Hindu Gods. This is one of the most famous God."
"Yes, I know this. I want to buy this if not expensive. How much?"
"S$200"
"It's too expensive. I want to buy it for S$100. Can I?"
"No, Sir. at least S$180."
"I don't have much money. cut the price to S$150."
"It's not expensive. If you buy it for S$180, you can go and sell it for more than 180$ at any shop."
"I will come back to the hotel if not less than S$160."
"OK, S$160,OK"
 最初の言い値からS$40値引きさせたので、まずまずかと思いつつ、財布をのぞくと、S$10札がなかったのでS$50札4枚で払おうとすると、
"I have no change."ときた、どうしようかと思ってると、"You pay 3 S$50 notes and any more S$2 notes." という。
しょうがないから、2ドル札2枚を渡すと(つまり、合計S$154)
"OK, don't mind,OK"だと。
しまった、財布の中にほんとにS$100しか持っていなかったら、それで買えたかもしれない。

このあとちょっと不気味な事件が起きました。
 ショッピングセンターの1階の食堂のテーブルで、購入したばかりのシヴァ神像を前に、集まった仲間たちに、先ほどの骨董品屋との交渉を説明していました。結局損をしたとか得したとかワイワイ言っていると、なにやら周りが変な雰囲気。何とインド人風の人が何人か集まって私たちと神像をじっと見つめているではありませんか。彼らの目はマジで、何か一言もの申したげです。
 
 「何の用?」と聞く勇気もなく、誰ともなく、「おい、やばい。片づけて帰ろう。」と目配せされて、あわてて鞄にしまってショッピングセンターをあとにしました。
 そうなんです。彼らの大事な神様の像を、得体の知れない日本人が買っていってしまっては、そりゃ無事では済まないのです。
 現在我が家にある神像は、たたりにあわないよう、家族全員から大事にされています。インド人のみなさんごめんなさい。

 

C ナイトサファリ   | 目次へ戻る | | 【地図】へ戻る |


ナイトサファリのマレーライオン


アニマルショーの蛇と観客の美女

 夕食は、シンガポールで有名な「ホーカーズ」という形式の店で取りました。「るるぶ」などを読むと大変よいもののように書いてありますが、日本で言うと、要するにショッピングセンターなどにある、安価で小さい店がずらーっと並んでいて、いろいろな味が楽しめるという形式の大衆レストランでした。
 ホテル近くのコピ・ティアム・ホーカーズは、ガイドブックでは、中華・インド・マレーシア・インドネシアなど様々な料理が楽しめるということでしたが、いざ行ってみると、どれがどの料理か区別が付かず、男6人の選んだ料理は、ほとんどが中華料理系でした。昨晩からずっと中国料理を食べ続けている気がしますが、まあ、中国系が7割以上の国ですから、しょうがないかもしれません。
 
 夕食のあとは、島の北部にあるナイトサファリ見学です。これは夜行性の動物を夜楽しもうというごく自然の発想から誕生した世界唯一の動物園だそうです。タクシーで出かけました。
 シンガポール観光の魅力の一つは、タクシーの安さでしょう。地下鉄(MRT)もバスも発達していますが、多人数ならタクシーが一番便利かつ割安です。初乗り運賃以降、220mぐらいでメーターが上がるのですが、何と、上がり方が¢10、つまり日本円で7円ぐらいの単位でしか上がらないのです。したがって、高速道路を使って島の端から端まで乗っても、S$20ぐらい、3人で乗ればひとり500円前後です。いつも一杯飲んで柳ヶ瀬(注 かの有名な我が町の飲屋街)から帰るタクシー料金に比べれば、ただ同然です。
 
 ナイトサファリは、フラッシュが使えないため、いい写真は撮れていません。左はマレーライオン。右の写真は、「アニマルショー」で、参加した観客が大蛇にからまれるところです。やくざにからまれるのもいやですが、蛇はもっと・・・。


D ジョホールバル    | 目次へ戻る | | 【地図】へ戻る |


市内を縦横にめぐ
るバス路線はちょ
っとわかりづらい


日本の地下鉄以
上に快適なMRT


マレー鉄道の機関車
客車の中には冷房が
なかった


マレー鉄道のチケット

 今度のシンガポール旅行では、飛行機・ホテル・半日の市内観光という最低限のパックは組みましたが、それ以外は、旅行社のオプションは一切使用しないという、「玄人の旅行」に挑戦しました。その圧巻が3日目で、オプショナルツアーなら貸し切りバスで回るところを、この日一日で、徒歩と帰りの飛行機も含めてなんと9種類もの交通機関を利用して、「自力」で「冒険旅行」をしました。
 
 その第一の目的地は、シンガポールから狭い海を渡った向こうにあるマレーシアのジョホールバルです。
 ホテルから徒歩で向かったのは、地下鉄(Mass Rapid Train)の駅。日本の地下鉄以上のきれいな車両でした。MRTは郊外では地上へ出ますが、【地図】に緑線で示したように、島内の半分のエリアをカバーしています。 
 最寄りの地下鉄駅で降りて、当初の計画では、そこからマレー鉄道のシンガポール駅まで徒歩で行くところでした。ところが、地下鉄駅を出てすぐに、通勤途中のマレー系の若い女性に「Teach me the way to the Singaporu Station.」と訪ねたら、なんと「私、日本語できます。」とのラッキーな返事。前に栃木県の日産の工場に働きに来ていたことがあるという、可愛い娘さんでした。
 おかげで案内してもらってバスで駅に行けました。列車は特に予約もなしで切符を買うことができます。指定席もありません。ついでになぜか冷房もありません。国境を越える列車ですから、まず駅で税関を通ります。このあと、国境の駅ウッドランドニュータウンで出国審査がありましたが、日本人だからというわけで、全く問題なしでした。  そのあとすぐに列車は、シンガポール島とマレー半島を隔てる海、2キロほどのジョホール水道をわたって、マレーシアに到着です。シンガポール駅を出てからは40分ほどで、国境を越えて隣国です。
 シンガポールの豊かさはASEANの中では別格最高とは聞いていましたが、マレーシアは事情が違います。ジョホールバル駅に降りるといきなり「物乞い」がいたのには驚きました。シンガポールでは一人も見かけませんでしたから。
 
 ジョホールバルで見学したのはスルタン王宮。スルタンはイスラム教の王。マレーシアは王制の国ですが、日本とは違って、国内のそれぞれの地域に9人いるスルタンの互選によって国王が選ばれています。もちろん議会があって立憲君主制ですが、いかにもイスラム教国という感じです。
 王宮の中には、数代前からのスルタンが集めた美術品などの贅沢品が陳列されています。「民衆の膏血を搾り取った」というのは、西洋型民主主義に偏した見方でしょうか。 

 せっかくマレーシアまで来たのですが、日程の都合上、滞在時間は僅か3時間。帰りは、徒歩による国境通過に挑戦しました。通常は、バスまたは列車で通るのですが、歩いても30分ぐらいの距離と見込んで挑戦です。
 ちょっと歴史を振り返ると、この水道を日本人が大挙して越えたことが20世紀に2度ありました。
 
 1度目は、太平洋戦争の始まった直後。
 当時シンガポールはイギリスの植民地で、イギリス東洋艦隊の根拠地であり、イギリスの東南アジア支配の要でした。真珠湾攻撃と同じ日、大日本帝国陸軍はシンガポール攻略のためイギリス領マレー半島コタバル他に上陸し、シンガポールを目指して南下しました。シンガポールを守るイギリス軍の最後の防衛線が、このジョホール水道だったのです。1942年2月8日、数万の日本軍が兵士が、この水道を渡ってシンガポールに上陸しました。このあと、日本軍の指揮官山下奉文とイギリス司令官パーシバルの有名な会見が行われ、イギリス軍は降伏します。
 2度目は、1998年フランスワールドカップのアジア第3代表を決める最終戦が行われた、1997年11月16日。
 この日、日本代表はこの地で代表の座をかけてイランと対戦し、延長戦までもつれ込む熱戦の末、岡野(浦和レッズ)の決勝Vゴールで勝利しました。この日、応援に駆けつけた日本人は推定8000人以上だったと聞きます。

 さてこのジョホール水道の道路ですが、ガイドブックにも水道の「橋」と書いてあるものもありましたが、実は、ずっと堤防道路でした。真ん中の写真は、ジョホールバル側から見たシンガポール側の「国境の町」ウッドランドニュータウンです。右の写真は堤防道路の中間点での記念撮影。せめて国境線を示す「白い線」ぐらいあるかと期待したのですが、何もありませんでした。ともかく、「歩いて」国境線を越えたのは生まれて初めての経験です。 


スルタン王宮


ジョホールバルから見た水道


水道の真ん中で


E セントーサ島    | 目次へ戻る | | 【地図】へ戻る | 

 本日6つ目の乗り物は、ケーブルカーです。行き先は、セントーサ島。シンガポール本島の南にある小島を埋め立てて、大幅に拡張したリゾートパークです。
 ここへは、橋を渡ってバス・タクシー、海を越えてフェリー、そしてケーブルカーといろいろな手段がありますが、ちょっと値段は高いですが、ケーブルカーは乗ってみる価値があるものです。高所恐怖症の私は、相当びびった数分間でした。左下は、ケーブルカーから直下のシンガポール港ながめ。左から二つ目は、シンガポール港とシティの遠望です。


セントーサ島へわたる
ケーブルカー


セントーサ島から見た
シンガポール中心部


モノレールから見た
マーライオンタワー


セントーサ島フェリー
乗り場

 セントーサ島には、水族館・マーライオン塔・歴史館・ビーチなど様々なテーマの施設があり、ここだけで1日楽しめます。しかし、我々は、午前中のジョホールバル遠征のため結構疲れており、島内一周のモノレール(本日7つ目の乗り物)に乗ったあとほんの数カ所を回っただけでした。あまり十分には楽しめなかったのは残念でした。
 いろいろな施設の中でも、入場料がやや高いですが、アンダーウオーターワールド(水族館)は見る価値充分です。水槽の下部を特殊なアクリルで作った水のトンネルが結構な距離にわたって作られており、気分は「海底探検」です。
 
 右から二つ目の写真は、モノレールから見たマーライオン塔。夜には、「光のショー」が催され、目からレーザー光線が照射されます。夕刻、本日8つ目の乗り物、フェリーにのってセントーサをあとにしました。右は、去りゆくフェリーから見たセントーサ島の桟橋です。
 
 フェリーを下りてシティへ向かうタクシーの中で、一悶着。
「To Elgin Bridge near Boat Quay」と目的地を告げても、中国系の老人の運転手は分からないらしく、ちんぷんかんぷん、さあ大変。1台ならともかく、2台に分乗していますからはぐれたら大変です。結局、もう1台の運転手も理解できず、途中で車を止めて協議するはめに。最終的には、「Ah, Boat Quay, OK」となりましたが、どうも、我々の発音「ボートキー」ではなく「ボッキー」なら分かってくれたようでした。英語は難しい。
 途中、私が意志が通じない運転手を怒ったものですから、老人の運転手さんがびびってしまい、にわかに降りはじめたスコールにも、緊張してかワイパー回し忘れてあぶない運転になってしまうわで、ヒヤヒヤ・ドキドキの20分間でした。どこの国でも老人はいたわらねば。(それにしても、ちゃんと英語の分かる人を雇えよ!!タクシー会社さん!!)
 夕食は、Boat Quayのインドネシア・中国料理を味わいました。南国特有のスコールのあとのちょっとしのぎやすい気候の中で、河畔で飲むタイガービールと辛い辛い豆腐料理は格別でした。
 あとはホテルのそばの高島屋で最期の土産を買って、夜10時30分には再びチャンギ国際空港へ。
 
 あっというまの楽しいシンガポール旅行でした。


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