色丹島との草の根交流記22

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


| 北方領土訪問記はこちら | | 草の根交流記のメニューページへ | | 前へ | | 次へ |

022 2006年の色丹島状勢1 新しい学校  
@ビザ無し交流

 ナターシャの気がかりは、悲しい銃撃事件の影響で、ビザ無し交流が中止になってしまうことです。
 
 事実、北海道根室市の藤原弘市長は8月16日(事件の当日)、今年度の北方四島とのビザなし交流と人道支援を中止するよう外務省と内閣府に文書で要請しました。
 記事を読んで私も心配しました。

 市民が犠牲になった根室市長の気持ちも分からないではないですが、一時の感情でこれまでの交流の積み重ねを失うことはもっとマイナスです。

 しかし、国や実施団体は冷静でした。
 外務省は、翌8月17日に「中止をする考えはない」と回答し、また、北海道も、「対話の窓口を閉じるのはプラスにならない」としてビザなし交流の計画通りの実施を求める方針を確認しました。

 さらに、元島民らでつくる根室市の千島歯舞諸島居住者連盟の小泉敏夫理事長(83)は「15年積み上げてきた交流と今回の銃撃事件は別だ。今後も交流を進め、支援事業も続ける」と話しました。 
 
 結果的に、今年の交流もつつがなく行われました。
 色丹島へは、事件前の、8月5日・6日の教員訪問団、そして、9月16日・17日学生中心の訪問団と二つの訪問団が訪れました。

 後のグループの訪問直前、ナターシャは交流としてどんな行事があるのか、メールで教えてくれました。

 As for the activities of this group, we'll give them a lesson of Russian in a new school. And, of course, there will be an excursion around the school.There will be discussions on different problems: Ecology, The Kuril Development Program, Education...

 And another one the next day: peculiarities of national character: the Russians and the Japanese, position of women, Problems of the Young.
Besides, there will be a fotball match, kite flying...
There will be visits to Japanese cemetry in the village of Malokurilsk and in the Bay.
 And meeting and discussion with people who study Japanese on the island - in the restaurant. 

 このグループの活動に関しては、新しい学校で彼らにロシア語のレッスンを行います。そして、もちろん、学校の周りを案内します。そして、エコロジー、クリル開発計画、教育などに関して意見を交換します。
 翌日には、別の話題、国民性の特色、ロシア人と日本人、女性の地位、若者の問題についての意見交換があります。
 また、サッカーの試合があります。そして、たこ上げ・・・。
 マロクリリスコエの近くの日本墓地と、湾岸への訪問もあります。
 そして、日本語を勉強している島民とレストランで会合と意見交換があります。

 有意義な交流になったようです。


A新しい学校とロシア連邦政府
 

 上のナターシャのメールの中に、「新しい学校」という言葉が出てきます。
 そうです、色丹島にロシア政府の資金で、新しい中学校ができたのです。
 色丹島の穴澗の学校は、1994年北海道東方沖地震の際に倒壊し、それ以来仮住まいでした。2003年には再建計画が決まり、校舎建築がはじまっていました。その校舎が完成したのです。
  ※建設開始時の事情は2003年の交流記にあります。こちらです。

 新校舎に関するメールの問答を紹介します。

 「 8月の終わりは、クラボザボツコエ(日本名、穴澗)の新しい中学校の開校式典の準備に追われました。夫のアンドレイは、記念式典の責任者でした。国後島はもちろんサハリンの政府からも教育行政の関係者が視察に来ました。

 9月1日の記念式典には、モスクワからロシア連邦政府のフルセンコ教育科学大臣や極東政府の代表、イワン・マラホフサハリン州知事などたくさんの要人が色丹島へやって来ました。もちろん、新聞記者もです。

 最初に、開校記念式典があり、それから、通常の9月1日の伝統的な始業式がありました。そのあとで、私たちは大臣と意見交換をしました。
 今は、立派な校舎の中で、快適な生活をしています。大きな教室、体育館、食堂、コンサートホールなどなど。」 

  色丹島に、モスクワ政府の教育科学大臣がやってくるなんて、大事件です。思わず質問をしてしまいました。

「ナターシャ、大臣が来るなんてすごいじゃないですか。
 どうして、わざわざモスクワからはるか離れた色丹島へ来たんですか?一小学校の開校式にしては、大げさすぎませんか?」

「政府は、国後島、択捉島、色丹島に合計170億ルーブルのクリル諸島開発資金をつぎ込むことになりました。私たちの学校の建設は、そのstarting pointに当たるのです。
 だから、記念すべきおおがかりな式典をしたのです。」

 そういえば、2003年の段階で、アンドレイが、「ロシアでも他に類を見ないすごい学校ができる」と言っていたのを思い出しました。
 本当に、すごい学校ができたようです。

 それにしても、170億ルーブルというと、最近の為替レート、1ルーブル=4.43円として計算すると、753億円となります。

 ロシア連邦政府もずいぶん思い切った投資を決めたものです。これは、プーチン政権のどういう意図決意を示すものなのでしょうか。もう少し情報を集めなければなりません。


 クラボザボツコエの新しい中学校。

 まだ外装と校庭を建設中の8月上旬の写真。
 写真提供は岐阜市内の中学校のY先生。(撮影日06/08/05)


この写真を提供していただいた方の色丹島渡航(2006年8月)については、次回に紹介します。こちらです。

 完成した中学校。

 色丹島の他の建物とは違って、群を抜くあでやかさです。
 (2006年8月末ナターシャ撮影)

 新しい学校の写真は、「交流記27」に追加しました。こちらです。


Bクリル諸島開発とロシア連邦政府の意図

  前回ナターシャがメールで教えてくれたロシア連邦政府の「クリル諸島開発計画」について、もう少し調べてみました。

 この計画は正確には、「2015年までのクリル諸島社会経済発展計画」といいます。今年、2006年8月3日に、ロシア連邦政府の閣議で承認されました。
 
 2007年から2015年までの9年間に投資される総額は、正確には、179億ルーブル(1ルーブル=4.43円で792億円)です。
 閣議で説明を行ったグレフ経済発展貿易大臣によると、この計画では、「クリル諸島をロシアの戦略的領土」と位置づけ、国境警備隊家族を含めて現在19300人の人口を、2015年までに28000人に増やし、漁獲量等水産業水揚げを2倍に、産業全体では、生産額を1.5倍にしようとするものです。

 第1段階では道路・埠頭・空港などのインフラの整備を行って住民の居住環境を整備目指し、初年度の2007年には、25億ルーブルの投資によって、国後・択捉両島における全天候型空港の建設や、両島と色丹島の大型船が接岸できる埠頭の建設を行う計画です。

 また、特別プログラムには、資源探査も含まれており、すでに択捉島では金鉱脈の探索も開始されたそうです。

 ロシア連邦政府は、ソ連解体後、1995年から10年間の第一次クリル諸島発展計画を立案したものの、資金難からほとんどのインフラ整備が計画倒れに終わりました。
 すでにこのシリーズで紹介しているように、色丹島の埠頭も公共施設も道路も、ほとんど放っておかれたままです。日本の人道援助による、発電所や水産工場や学校が建てられたのも、このようなロシア政府の政策の貧しさが背景にありました。
 人口も、90年代初頭と現在とでは、数千人規模で減少してしまいました。

 今回の計画はうまくいくのでしょうか?前回と同様、計画倒れになってしまうのではないでしょうか?

 各方面の分析では、今回は、前回と違って、多額の資金が投資されそうです。
 理由は、サハリンで進む石油開発を核として、ロシア連邦政府が進めている、極東石油化学コンプレックス構想にあるようです。

 つまり、ロシアのサハリンでは、現在、日本企業(三井物産、三菱商事)とオランダ資本のロイヤルダッチシェルが石油のと天然ガスの掘削をしていますが、ロシア連邦政府は、これにロシア資本を参加させ、さらには、ただ単に原油や天然ガスの輸出だけに終わらせるのではなく、石油化学コンビナート建設して、自前の石油化学産業を確立する意図を持っています。これが極東化学コンプレックス構想です。

 これが実現すれば、当然、それらの重要な施設を守る軍事力が不可欠となります。こうなると、米ソ冷戦時代にも増して、クリル諸島の戦略的価値が高まります。
 クリル諸島のインフラの整備は、産業面での利用と軍事面での利用の両方を兼ねたものというわけです。

 これだけ大きな戦略が描かれているとなると、国後・択捉・色丹・歯舞の価値も変わってきます。

 この地域が自立できるような状態になれば、エリツィン時代のような「返還」ムードは消え去り、 ロシアの戦略的領土という主張のもとで、最早北方領土返還はあり得なくなります。

 そういう点では、拿捕・銃撃事件は、単なる突発的な事件なのか、それとも、ロシア戦略の変化を象徴的に示す事件なのか、船員が一人亡くなられたことだけにとどまらない注目すべき事件ということになります。

参考資料
井上孝亮「【ユーラシア新世紀】銃撃、サハリン2中止命令の背景 千島列島(クリール諸島)開発本格着手」『時事トップ・コンフィデンシャル 2006/9/26』(時事通信社)
「北方領土問題/見逃せぬ不当な新たな動き」(世界日報社 8月24日社説)http://www.worldtimes.co.jp/
「ロシアのエネルギー戦略で重要となる東方」(ノーボスチ・ロシア通信社)
http://www.rian-japan.com/news/details.php?p=368&more=1


<地図の番号をクリックするとテーマにジャンプします。>

色丹島は、東西に27.7km、南北に9km、面積253.3平方kmの長方形の島です。島の大部分は海抜200m前後の丘陵に覆われていています。丘陵は海岸にまで到達しており、海岸線には砂浜はあまりありません。北海道の最東端納沙布岬からの距離は、73.3kmです。

上の地図は、いつも使っている「NASAのWorld Wind」からの借用写真をもとに作成しました。
「NASAのWorld Wind」の説明はこちらです。


C外務大臣の色丹島訪問

 実は、色丹島のクラボザボツコエの新しい中学校ヘは、9月1日のフルセンコ教育科学相に続いて、9月28日にロシア連邦政府のラブロフ外相も訪問すると発表されていました。

 新クラボザボツコエ中学校は、すでに完成しているわけですから今度の「クリル諸島開発計画」に入っているわけではありません。
 しかし、ロシアの歴史上はじめてという外相までやってくるのですから、これをきっかけに本気でクリル諸島の開発を進めようという姿勢が見て取れます。

 計画が発表になった後、28日を過ぎてもどの報道にも、「ロシア外相、色丹島訪問」というのが発見できませんでしたので、ナターシャに聞いてみました。

「外相は、色丹島へ来たの?」

「残念ながらラブロフ外相は、色丹島へ来ることができませんでした。
 予定では9月28日の昼、外相は大型ヘリコプターでサハリンを出発し、国後島を経由して、まず最初に水晶島に立ち寄りその後色丹島に来るはずでした。
 しかし、この日、天候は最悪で、学校を休みにしなければならないくらいひどい風雨でした。ヘリコプターが飛べる状況ではありませんでした。そのため、外相は、渡航を全面中止、その日の夕方にはサハリンからモスクワへ帰っていきました。」

 ナターシャは、新しい学校で歓迎する計画が実行できずに残念がっていました。
 外相の色丹島訪問は実現しませんでしたが、ロシアの動きは、積極的です。
 
 2006年7月ビザ無し交流で色丹島に渡った、参議銀議員の渡辺孝男氏は、その時の色丹村長の歓迎挨拶について、次のように述べておられます。

「午前10時半過ぎからは人口約千人の穴澗の街の中心にある文化会館にてセディフ穴澗村長、ダネリア南クリル地区(国後島、色丹島、歯舞群島)議会副議長らによる歓迎式および意見交換会が行われた。この折の村長のあいさつの中での「ロシアは石油で経済発展しており、この村も十年後には日本と同等の生活レベルになる(主旨)」との強気の発言の背景にはプーチン大統領が昨年、総額1千億円に及ぶ社会資本整備計画“クリル発展プログラム”を承認したことがあるようだ。これまで日本は緊急人道支援でこの穴澗にも発電所や倉庫などを作ってきたが、もう日本の援助は必要ないともとれる発言は、その後日本の交流団に様々な波紋を呼び起こすことになった。」

渡辺孝男議員のHPの「主張」より。こちらです。http://www.watanabetakao.net/index.html

 色丹島の歴史と2006年の現状を、新しい写真も使ってさらにレポートします。


| 北方領土訪問記はこちら | | 草の根交流記のメニューページへ | | 前へ | | 次へ |