これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。 |
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024 2006年の色丹島状勢3 豊かな自然 |
ロシア政府が2006年8月にスタートした「2015年までのクリル諸島社会経済発展計画」では、色丹島のインフラを整備し、水産業や観光業の振興を図ろうというものです。 |
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日本人が居住していた戦前の色丹島は、島の南岸にも集落がありました。 |
2006年夏の色丹島穴澗湾の衛星写真。中央四角く見える部分が穴澗の町です。 |
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上の写真の穴澗の町の部分をアップしたものです。 |
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※CのレストランとDの店舗を結ぶ道路のことは、交流記27で説明しています。 |
穴澗湾中央から桟橋を撮影。 |
穴澗港桟橋から港の南部を撮影。海の中のものは沈没した廃船。 |
穴澗港桟橋から港の中央に碇泊する交流船をを撮影。 |
今年の交流船は、Rosa Rugosa号480トン。根室港で。「ロサ・ルゴサ」というのはハマナスという意味だそうです。 |
交流船Rosa Rugosa号(写真のずっと沖合に停泊する船)から桟橋に向かう小型船Rosa RugosaU。 |
色丹島の豊かな自然は、人々の目を魅了するものです。 |
上の写真の交流船Rosa Rugosa号の右手の海岸線に茶色い物体が点々と見えます。その正体が下の写真です。廃棄物が海岸線に並べられています。廃船はもちろん廃戦車まであります。(撮影日 02/09/20) |
桟橋には廃船が横付けになっています。 |
穴澗港の桟橋の内側にある水路には、これまた廃船が放置されています。 |
1992年段階での色丹島の「環境問題」について、つぎのような記述があります。
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斜古丹湾(右側)とマタコタン湾(左側)。斜古丹湾は、「交流記23」で説明しています。 |
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下は、マタコタン湾内。 (撮影日02/09/21) |
上の衛星写真の一部(左側のマタコタン湾の最奥部の道路沿い部分)を拡大したもの。 |
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ゴミ捨て場の写真。Y先生の撮影です。(撮影日 06/08/06) |
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島の東部にある、エイタンノット崎(写真左の突端)。ロシア人には「地の果て」と呼ばれている所です。 |
この色丹島の南部の土地をめぐって、1992年に事件が起きました。いわゆる色丹島の土地に関する50年賃貸事件です。 |
ジミトロワ湾の衛星写真。 | 先頭の島全体の地図へ | |
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ジミトロワ湾内にあるイネモシリ海岸。 |
ソ連がロシアに変わり、当時のエリツィン大統領の下で北方領土の返還へ向けて交渉がはじまろうとしていた矢先のことでしたので、日本政府には衝撃を与えました。
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ジミトロワ湾の陸上側.。 |
観光によって所得を上げることは、色丹島にとって重要なことです。
2006年現在でも、いくつかのクリル諸島向けエコ・ツアーの外国のサイトを見つけることができました。(英語表記です。)
これらのサイトが参加者に呼びかけるクリル諸島の魅力は、自然の景観、火山、海岸、温泉、動物などです。 |
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