さて、みなさん、これで安心しては行けません。何か説明が足らないと思いませんか?
そうです、上の教科書D(図D)の説明はうまくできたと思いますが、上表の「発見」の1992年モミ圧痕の説明はできていません。
それから、クイズ113の中で引用した教科書の縄文時代の記述の中に、実は、見落としてはいけない、一言がありました。
もう一度引用します。どの部分かわかりますか?
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2004(平成16)年版の教科書「縄文時代」 |
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「今からおよそ1万年余り前の完新世になると、地球の気候も温暖になり、海面が上昇して日本列島も大陸と切り離されて、現在に近い自然環境となった。植物も亜寒帯性の針葉樹林に代わり、東日本にはブナやナラの落葉広葉樹林が、西日本にはシイなどの照葉樹林が広がった。また、動物も、大型動物は絶滅し、動きのはやいニホンシカとイノシシなどが多くなった。(中略)
縄文時代の人々は、新しい環境に対応した。とくに植物性食料は重要で、前期以降にはクリ・クルミ・トチ・ドングリなどの木の実やヤマイモなどを採取するばかりではなく、クリ林の管理・増殖、ヤマイモなどの半栽培、さらにマメ類・エゴマ・ヒョウタンなどの栽培もおこなわれたらしい。また一部にコメ・ムギ・アワ・ヒエなどの栽培もはじまっていた可能性が指摘されているが、本格的な農耕の段階には達していなかった。土掘り用の打製の石鍬、木の実をすりつぶす石皿やすり石なども数多く出土している。
狩猟には弓矢が使用され、落とし穴などもさかんに利用され、狩猟の主な対象はニホンシカとイノシシであった。また、海面が上昇する海進の結果、日本列島は入り江の多い島国になり、漁労の発達をうながした。今も各地に数多く残る縄文時代の貝塚からわかる。釣針・銛・やすなどの骨角器とともに石錘・土錘がみられることは、網を使用した漁法もさかんにおこなわれたことを示している。」 |
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石井進・五味文彦・笹山晴生・高埜利彦他著『詳説日本史』(山川出版 2004年)P7−9 |
そうです。赤い太字の最後の部分に、「一部にコメ・ムギ・アワ・ヒエなどの栽培もはじまっていた可能性が指摘」とあります。
この、コメというのは何でしょうか?
弥生時代=コメ、という単純な図式は、現代の高校日本史の教科書では、すでに完全にくずれ、縄文時代にも「コメ」が登場するのです。一体どうなっているのでしょうか?
次の 【縄文と弥生、日本の地域差を考えるシリーズ4】 では、それをクイズにします。
また、ずっと後回しにしてきました、照葉樹林文化について考えます。
※一度問題編に戻ってください。こちらです。 |