先史の世界その1
<問題編> クイズは時代の古い順に並んでいます。答えは各問題のをクリックしてください。  
最終更新日 2003年03月02日 ※印はこの5週間に新規掲載 
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番号 掲載月日   問                     題
103 02/07/14

 人類はいつ誕生したか?現在の高校の世界史の教科書には、「その出現は400万年前」と記述され、来年度からの新学習指導要領のもとでの新教科書には、「今から約450万年前」と記述されていますが、最新の発見では、もっとさかのぼるといわれています。さて、いつ誕生したのでしょうか。

105 03/03/02

 人類の進化を考える中で、現生人類(ホモ・サピエンス)の直接の祖先はいつどのように生まれたかをめぐって、「多地域進化説」と「アフリカ単一起源説」の二つが考えられています。さて、現段階では、どちらの説に有利な状況でしょうか。

104 02/08/25

 2002年8月、岐阜県とロシアの研究チームが、シベリアの永久凍土からマンモスの脚を発見しました。さて、この脚の足の裏の長さは何pだったでしょうか。また、この調査隊の最終目的はなんでしょうか。

101 01/01/07

 人類は今から6万前にすでに死者を埋葬するという文化を持ってたことがわかっています。その証拠となったのは、一体なんでしょう。

102 01/05/27

 世界で初めて土器を作った文化は現在で言うどの地域の文化でしょうか。


<解説編>

101 ネアンデルタール人が埋葬の習慣を持っていたことを示す証拠は何。  | 先史の世界の問題TOPへ |      

 人類の誕生、すなわち、今の猿と人類の共通の祖先の中の一群が、直立2足歩行を始めたのは、世界史の教科書レベルでは、今から約400万年前のこととされています。但し、最近のDNA分析駆使した遺伝人類学の見地からは、500万年以上前のことと推定されていますし、2000年の12月には、ケニアの地域博物館とフランス高等教育研究期間コレージュ・ド・フランスの合同調査隊は、ケニアのナイロビの北150キロほどのバリンゴ地方の今から600万年前の地層から、直立に足歩行をしていたと見られる猿人の化石を発見した発表しました。(『朝日新聞』00年12月5日)
 
 いつまでさかのぼれるかは微妙な所がありますが、人類の誕生の場所は、アフリカの大地溝帯(エチオピアからケニア・タンザニアへ続く地域)であることはほぼ通説となっています。遺伝学的なシュミレーションでは、今から100万年ほど前、人類は「出アフリカ」をして、ユーラシア大陸へと発展していきました。(つまり、人類があちらこちらで同時発生したのではないのですよ。)
 今から約20万年前、ネアンデルタール人(いわゆる旧人)が出現しました。化石の出土からは、新しいタイプの人類が出現したことを判定するのは容易です。しかし、その人類がどのような文化を持っていたかを判断するのはそう簡単ではありません。ましてや、埋葬という習慣は、人間が「死」というものを意識した上での行為となります。単純に死んで穴に埋まったとか言う場合とどのような証拠を持って区別できるのでしょうか。
 
 イラクのシャニダールという洞窟の中で、5/6万年前と推定されるネアンデルタール人の「墓」が発見されました。正確には、埋まっている人骨の周りを慎重に調査した結果、埋葬された「墓」と判明しました。その判断の鍵となったのは、人骨の周りの土の中に含まれていた
大量の花粉です。
 花粉は、現代の犯罪捜査などにも利用されますが、本来生殖細胞ですから非常に寿命が強く、乾燥したところでは消滅してしまいますが、湿った場所では土の中に何万年も残るのです。洞窟の中に大量の花が咲いているはずはありません。しかも調べてみると、花粉は7種類の花のものであり、今でも、その地方には同種の花が存在しているものでした。
 
 もうわかりますね。これは、
先に逝ってしまった人を偲んで、残った人が、死体を埋めた上に、大量の花を摘んできて捧げたものと推定ができるのです。現代人が、葬式の時に行うのと同じ行為です。
 6万年前も前に、すでに人類は死者に花を捧げていました。現代人の心に何かを残してくれる発掘でした。
 ※佐原真『考古学千一夜』(1993年小学館) 
   「科学朝日」編『モンゴロイドの道』(1995年朝日新聞社)  


102 世界で初めて土器を作り出した文化はどの地域のものですか。  | 先史の世界の問題TOPへ |    

 世界史の教科書では、氷河期が終わった約1万年前から新しい環境に適応する動きがおこり、イラン西南部からアナトリア高原南部を経て、ギリシア地方にいたる西アジアから東地中海域を中心に、農耕・牧畜が始まったとされています。教科書のひとつは次のように記述しています。
 「この地域では、野生の穀類や、家畜として買うのに適した野生動物が存在したため、住民は有利な自然条件利用して、前7000年(注 今から9000年前)ころには、他にさきがけて麦の栽培と、食用の家畜(ヤギ・羊・牛・豚など)の飼養をおこないはじめた。また、磨製石器とともに土器や織物もつくり、土や日干し煉瓦で小屋をたて、集落を形成した。」
 ※江上波夫・山本達郎・林健太郎・成瀬治著『詳説 世界史』(1999年山川出版)P11
 
 しかし、現段階の日本の考古学の研究では、最も古い縄文土器は約1万2000年前のものとされており、日本の縄文土器が、世界で一番古い土器といえます。
 同じ山川出版の教科書でも日本史の教科書は次のように記述しています。
 「また、縄文土器の変化から縄文文化の時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に区分されている。このうち最初の草創期の土器は、現在のところ世界で最も古い。今後、アジア大陸などでこれに匹敵する古い土器が発見される可能性は十分にあるが、日本列島に住んだ人々が更新世から完新世への自然環境の変化に対応する、新しい文化を早い段階に生み出していたことは確かである。」
 ※石井進・笠原一男・児玉幸多・笹山晴生『詳説 日本史』(1999年山川出版)P12
 縄文文化と土器については、現物教材リスト参照


103 人類はいつ誕生したか?                          | 先史の世界の問題TOPへ |   

 人類の誕生については、来年度からの新しい教科書には、「人類は猿人・原人・旧人・新人の順に進化した。直立二足歩行を特徴とする人類が誕生したのは、今から約450年前のアフリカにおいてである。この最初の人類を猿人といい、アウストラロピテクスやホモ=ハビリス等が知られている。」とあります。
 ※佐藤次高他著『詳説世界史』(山川出版、教科書センター用見本P18)
 また、最近はやりの遺伝子の分析では、人類とチンパンジーは、500万年〜600万年前に枝分かれしたともいわれていますが、教科書的情報は、それとも整合性があるものでした。

 ところがこの「450年前」はあくまで、教科書的情報です。(もっとも、年輩の方は、「人類は200万年前誕生」という一世代前の教科書の情報で学習されている場合も多いかと思います。)
 これまでの説の解説は、「目から鱗」の「人類はどこで誕生したか」を参照
 

これまでの説(人類誕生は今から
500万年から400万年前)


 実はもっと古い時代の化石人口が発見されています。 

 2000年には、ケニアで、のちにオロリン・ツゲネンシス(通称ミレニアム・アンセスター)と呼ばれることになった600万年前のものとされる化石人骨が見つかりました。
 また、2001年には、エチオピアで、520万年〜580万年前と推定される、アルディピテクス・ラミダス・カダバ(440年前発見の通称ラミダス猿人の仲間)が発見されました。

 そして、今回、もっと古い化石人骨の発見を、新聞各紙が報じました。
 ※以下は、02年7月11日付の、『朝日新聞』・『産経新聞』・
  『毎日新聞』・『中日新聞』より。
 
 フランス・ポワチエ大学のミシェル・ブルネ教授が率いるフランス・チャドなどの国際研究チームが、2001年7月から02年2月にかけて、
中央アフリカのチャド共和国の北部のジュラブ砂漠で、今から700万年前のものとされる化石人骨(ほぼ完璧な頭骨と下あごの断片など最低で5体分のもの)を発見したのです。
 人骨は、学名は
サヘラントロプス・チャデンシスとされ、通称として、現地語で「生命の希望」を示す、トゥーマイ猿人と名付けられました。

 発見の状況・分析等の所見は次の通りです。

  1. 発見報告は、7月11日付イギリス科学誌『ネイチャー』に発表された。

  2. 発見場所は、チャドの首都ヌジャメナの北約800`。01年7月地元の大学生が砂漠の砂岩層で頭骨を発見。以後続々と発見された。

  3. 化石のあった地層は炭化物がほとんどないため、放射性同位元素による年代測定はできなかった。しかし、同じ地層からでたゾウやカバの祖先の化石や、これまでにすでに年代が確定されている地層との比較から、600万年前から700万年前のものと推定される。研究チームは、700万年前と断定。

  4. 頭蓋容積はチンパンジーと同程度の350cc。大きさや後頭部の形は現在のチンパンジーに似る半面、顔はアウストラロピテクスに似ている。

  5. 形態は類人猿に似ているが、類人猿に比べ、顔面の長さが短く、犬歯が小さく先端から平らにすり減っていることや歯のエナメル質が厚いという歯の特色や、背骨がつながる頭骨裏の穴の位置から見て、直立二足歩行が可能な猿人であったと判断。

  6. 発見場所は当時現在の約80倍も大きかったとされるチャド湖の湖岸で、林もあり様々な動物が暮らしていたと考えられる。

 これは次の点で画期的でした。
  1. 700万年前とすると、「人類誕生(起源)」をケニアのオロリンより、さらに100万年さかのぼらせることになる。猿と人類との進化上の空白(ミッシング・リンク失われた環と呼ばれる)を埋める大発見である。

  2. ほぼ完璧な頭骨の発見は、約300万年前のものとされるアウストラロピテクスがこれまでの最古。一挙に400万年さかのぼらせることとなった。

  3. 発見場所は、これまでのアフリカ東岸の諸地域とは違い、中央アフリカ。人類発祥の説明はアフリカ東岸を中心に組み立てられており(「アフリカ東海岸で発生し、世界に広がった」という考え方、映画『ウエストサイド・ストーリー』をもじって、『イーストサイド・ストーリー』といわれている)、この説が覆される可能性もでてきた。研究チームは、「人類は、600万年前より以前に、アフリカ全体で広範囲に誕生した」と分析している。国立科学博物館人類研究部長馬場悠男氏も、「はるか昔、いろいろな種類の人類の祖先たちがいて、それぞれに進化した結果、我々につながったのではないか」と談話している。(左図参照)

  4. 遺伝子分析による、「人類とチンパンジーの枝分かれは500万〜600万年前」説の見直しも迫ることになる。

 こうなると、これまでの人類進化の系統図も変更しなければならなくなります。
 研究チームのブルネ教授は、右の新しい系統図を提案しています。
 
 今後の詳しい研究の成果が楽しみです。
 

104 シベリアで発見されたマンモスの足の裏の長さは?この調査の目的は何?| 先史の世界の問題TOPへ | 

  足の裏の長さについては、日本史のナウマン象の足後の大きさクイズ と同じで、生徒諸君は、とてつもなく大きなものを連想するでしょう。
 正解は、30pです。


 さてこの調査ですが、岐阜県が本年度から毎年1200万円の予算をあてて、ロシアと国際共同研究チームを作って行っている研究の一環です。
 今回の発見の場所は、シベリアの北極海に面したサハ共和国(首都は有名なヤクーツクです)マクスノーハ河の河口部で、シベリアの大河レナ川の河口の東、およそ400`ぐらいの所です。(東経140度、北緯72度)
 この肉片が正真正銘マンモスなら、日本として初めての発見となります。
 
 地下約1.5bから2bの永久凍土の中から、右前脚と左後脚の2本が発見され、右前脚にはブロンド色の体毛も付着していました。膝から下がやく80p、足の裏の長さは30pでした。
 周辺では、長さ約80pの上腕骨(新聞の表現、前足の太股の骨のことかな?)、骨盤、脊髄などの骨も多数見つかり、骨の大きさや発掘状況から約3万年前のマンモスの可能性が非常に高いとのことです。

 このプロジェクトは岐阜県の梶原知事が1999年9月にロシア訪問したしたのがきっかけで生まれました。研究チームは、日本からは、岐阜大学医学部・農学部、県畜産研究所の県機関と東京の微生物研究所が加わり、ロシアからは、マンモス博物館や国立研究センターなどが参加して結成されました。
 
 発見された肉片は、現在はヤクーツク市の研究所に保管されています。今後、ロシア政府の許可を受けてサンプルを日本へ輸送し、10月中旬以降、近畿大学生物理工学部(和歌山県)でDNAの解析に入ります。

 その究極の目的は、クローン技術による、マンモスの復元です。
 
 日本側のチームリーダーで近畿大学生物理工学部の入谷明学部長は、「良好なサンプルであれば、タイの大学でインド象の胎内に核移植を考えている」と話し、マンモス復元の夢があることを語りました。
 ※『岐阜新聞』2002年8月24日朝刊

 そのうち、岐阜県立自然動物園かなんかを作り、生きたマンモスがドドドッ−と走り回る世界一の夢の洪積世パークにしましょう。