原始〜古墳時代4 |
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<解説編> |
小学校・中学校・高校と、学習を発展的に進めていくためには、前の段階でどこまで学習しているかを確認し、そこから次のステップへの巧みな導入を図らねばなりません。しかも、生徒の多くは、教科書に書いているからと言って、それほどは理解していない、覚えていないという現状も把握していなければなりません。 |
銅鐸は、 初期の時代は数pから20・30p程度の大きさでしたが、前の質問の解説にあった「邪禁」の意味を持つことになってから、その形はだんだん大きくなっていきました。 日本で一番大きな銅鐸は、滋賀県の野洲町の大岩山遺跡から発見されたもので、高さは134.7pあります。
授業で生徒に見せるものとして、銅鐸の模造品は、各地の博物館等で手に入れることができます。しかし、、値段が高いのが難点です。 |
この問題は、完成したばかりの前方後円墳の表面がどうなっているかという問題を意味します。 |
答えは、人間の糞の化石,糞石の発見と研究です。
最近では、青森県の三内丸山遺跡が発掘され、縄文時代中期後半に、これまでの教科書の常識を覆す高度な定住文化が存在していたことが、一般の皆さんへも十分に広まりました。
蛇足ですが、インターネットで「糞石」を検索すると、このページでいう糞石とは違うものが一杯登場します。医学的には、「糞便が長時間にわたって大腸内に停滞すると、水分が吸収されて硬くなり、糞石となって直腸に潰瘍(糞石潰瘍)を起こすことがある」とのことです。くわばら、くわばら。 |
ちょっと長くなりますが、邪馬台国の位置の記述を説明します。「魏志倭人伝」の邪馬台国に関する記述は、「郡より倭に至るには、海岸に循(したが)って水行し・・・、」という文章で始まり、朝鮮半島にあった「帯方郡」からの道程が、方向と水陸の区別、距離または期間で記してあります。 |
そこへ一石を投じたのが、地理学者室賀信夫氏です。 |
このクイズの答えには、動物の骨が残っていたという誤答が予想されますが、実はそれでは簡単すぎてクイズにはなりません。 |
前方後円墳では、夜に、後円部の頂上で、埋葬の儀式が行われ、夜明けとともに、前方部では、新首長の首長権継承の儀式が行われました。後円部と前方部の境に、ニワトリ型形象埴輪は飾られていたと推定されます。朝を告げ、新首長の新しい支配を告げるトリでした。 |
新村出編『広辞苑』(岩波書店1976年第2版)を見ると、地名としての「から」には、次の二つが掲載されています。これが正解です。
いずれの言葉も、現代の若者用語としては死語となってしまいました。
詳しく調べるには、この道の研究の先達、大場昇氏のHP「からゆきさんの小部屋」が最適です。 |