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 春の旅行は NHKドラマシリーズ?  10/03/21記述  13/08/13追加記述

 2010年3月12日から14日にかけて、春の旅行に行きました。またまた妻と二人の旅行です。

高速道路料金が安いうちに、また高速道路使って遠くへ行こう。」

「う〜ん、安いのはいいが、疲れる。

「そんな弱気なことは言わずに、行き先は恒例のNHKドラマシリーズにしようか。」

「そんなシリーズは、いつできた?

「去年は、大河ドラマ『上杉謙信』の春日山に行った。それをシリーズにすると、今年は大河ドラマは土佐の坂本龍馬。それから、去年末に放送して面白かった、あの秋山兄弟と正岡子規のやつ。今年も続編があるでしょ。」

司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』のこと?それなら伊予、愛媛県の松山。」

「そうそう、それそれ。ということは、行き先は、土佐高知と伊予松山。決定、決定。めでたし。めでたし。」

「高知は一度行ったことがあるから、どうせまた行くなら、同じ高知でもまだ行っていない、四万十川へ行こう。ついでに、高知と松山の市内で電車も見よう。」 


 ルート説明と経費      | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 というわけで、目的地と内容が決まりました。
 しかし、いつものことで、時間的余裕はありません。せめて3連休を使うとかができればいいのですが、3月の3連休は、すでに仕事が埋まっています。そこで、ごく普通の土日に行くことになりました。そうなると、土曜日の朝にゆっくり出発していては、四国南西端までいけません。
 そこで、仕事から帰った金曜日の夜に、夕食もそこそこに出かける計画にしました。これで2日目の土曜日の午後に、岐阜から約600km離れた四万十川河口近くにある、土佐くろしお鉄道中村駅に到着できるはずです。




  <訪問地と時間、走行距離>

日付

時間 行 程 距離 

12日

19:55

岐阜出発   0km
 

 

 

00:34

坂出北着  393km 

13日

07:12

坂出北出発  
 

 

  

08:58

高知桂浜着 519km

10:15

高知桂浜発   
 

高知城下周遊

  

12:35

高知城発 531km
 

  

15:10

中村駅着 659km

15:30

中村駅発

  
 

  

18:55

道後温泉着 814km

日付

時間 行 程 距離 

14日

07:20

道後温泉
松山市内周遊

  

12:30

道後温泉発  
 

 

  

13:40

大島亀老山展望台着 870km

13:55

大島亀老山展望台発
 

 

  

16:50

神戸-吹田間渋滞   
 

  

21:25

岐阜着 1343km

全走行距離は1343kmとなりました。実質運転時間は、約21時間30分です。(休憩時間を含む)


 いつもの自動車旅行のポイントは、鉄道とは違って、安い高速道路を使用するので、費用が大変安く上がることです。
 参考までに、経費です。 


項 目

説 明

単価等

合計金額

高速道路料金    

関ヶ原−早島本線

2,100

10,625

早島本線−坂出北

1,000

坂出−高知

1,000

高知−須崎東   550
内子五十崎−松山   550
今治−大島南   925
大島北−向島本線   1,000
福山西−関ヶ原   3,500

ガソリン代

全走行距離1343km@ 燃費16.9km/リットルA
ガソリン単価 125円/リットルB @÷A×B 

9,933

鉄道料金等  

伊予鉄道市内電車・バス 1日チケット

450

900

松山城ロープウエイ・天守拝観料総合チケット 

1,000

2,000

宿泊   

ホテルマイス(素泊まり、カラオケ・ゲーム付き???)

9,240

道後温泉玉菊荘(2食付き)     22,283
道後温泉本館入湯料(2階休憩付き)   800  1,600

駐車場料金

高知城市営駐車場

450

総費用

(交通費・宿泊費の総額) 

 

57,031


 今回の二人分の総費用は、57,031円となりました。
 昨年の長野・群馬・新潟・富山旅行の総費用が合計 45,237円 であったのに対して、今回は、少し多めになりました。高速道路料金が、単純に「休日1,000円」と計算されないことが誤算でした。細切れに利用せざるを得なかったこと、橋をたくさん利用したことなどが理由でしょうが、正確な割引の基準は、実は不明です。


 金曜日の夜は一気に海を渡って香川県の坂出に宿泊しました。ここまで行けるのは時間的にぎりぎりでしたが、何とか到着できました。ただし、宿泊場所は、ちゃんと予約したホテルではなく、インターネットで見つけておいた、ごく普通の「ラブ・ホテル」です。 


 写真01−01 讃岐富士(撮影日 10/03/13)

 写真01−02 ホテル? (撮影日 10/03/13)

 真夜中の0時30分過ぎに坂出北インターチェンジを降りて、すぐそばにあるホテルに入りました。朝明るくなってよく見ると、讃岐富士が近くにきれいな姿を見せていました。
 このホテルは、インターネットで見つけておいたものです。ところが、ちょっと誤算がありました。右の写真の左手のホテルは、普通のビジネスホテルです。1泊シングル3980円です。もちろん素泊まり料金です。
 私たちが宿泊したのは右の赤いホテルです。ウエブ情報では、「泊まり料金 6200円〜」となっていましたので、ビジネスホテルよりは部屋は広いし、お風呂は広いし(^_^)、かなりお得と思って選択しました。しかし、入ってみると、部屋はほとんど満員の状態で(駐車場はほんの2・3台しか空いていませんでした)、「6200円〜」の下限の部屋は空いていませんでした。仕方なく、価格的に「最高級」の部屋を選択しました。そのおかげで、9240円となったわけです。ホテルは商売繁盛で何よりです。 


 まずは土佐高知 坂本龍馬像と記念館 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 今回のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の放映によって、高知は観光ブームです。
 もっとも、別にNHKの放映が無くても「龍馬人気」は非常に高いものがありますから、それに拍車がかかったというべきでしょうか。
 ちなみに、NHK大河ドラマに関して過去の報道から、数字を拾うと次のようになっています。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。


 今年の「龍馬伝」が飛び抜けていいとは言えません。また、「篤姫」のように、初回はダメでも尻上がりに好調となった番組もあります。私の直感では、少なくとも「天地人」よりは上に来ると思います。


 写真01−03 桂浜。東端の上龍頭岬から西を向いて撮影。デジカメ2枚合成。 (撮影日 10/03/13)

 龍馬像は、この写真では見えませんが、一番右手の小丘陵上にあります。
 正面の小丘陵上のミントグリーンの建物は、高知国民宿舎桂浜荘です。坂本龍馬資料館はその裏側(丘陵頂部の西側)にあります。国民宿舎の真下の建物は、桂浜水族館です。
 天候が曇り気味なのが残念です。





 写真01−04 
 桂浜丘陵上の坂本龍馬像
(撮影日 10/03/13)
 桂浜東部の丘陵上にあります。

 いつ見ても凛々しいお姿です。


 写真01−05 龍馬のアップ (撮影日 10/03/13)

 写真01−06 龍馬のアップその2(撮影日 10/03/13)

 写真01−07   坂本龍馬記念館です              (撮影日 10/03/13)

 天気がいいと、屋上から太平洋が眺望できます。この日は曇りがちで今ひとつでした。

 写真01−08 近江屋内部復原(撮影日 10/03/13)

 写真01−09 掛け軸 (撮影日 10/03/13)

 龍馬が暗殺された京都近江屋の復原です。壁の掛け軸には、龍馬の飛び散った血も再現されています。


 日本史の教師として一言。
 坂本龍馬と言えば、歴史上の人物としては、人気ランキング最高位の一人です。

 ※

土佐高知が龍馬を観光キャラクターにしているのは、今に始まったことではありません。
27年以上前のキャッチコピーをクイズにしてあります。こちらです。(→クイズ幕末明治維新:「龍馬にも、○○○○○○○、土佐の旅」」)

 その魅力を言葉で表すと何でしょうか?
 脱藩もいとわない天衣無縫な活躍、友人を思う優しさ、身分の上下という当時の絶対的概念にとらわれない確かな精神、勝海舟を暗殺に行きその場で説得されて逆に勝の信奉者となる素直さ聡明さこだわりのなさ・・・・、などなど。
 今回の福山雅治の龍馬も、彼のキャラクターがにじみ出て、大変魅力的な龍馬となっています。

 今回の「NHK大河ドラマ龍馬伝」:脚本福田靖には、これまでの、たとえば、司馬遼太郎『龍馬が行く』とは異なった視点が用意されています。それは、全編に、岩崎弥太郎の視点が取り入れられている点です。
 岩崎弥太郎、そうあの、三菱財閥をなした、政商・資本家の岩崎弥太郎です。日本史の教科書には岩崎弥太郎は太字で登場しますし、土佐藩出身であることも書いてありますが、岩崎自身が幕末の「政治史」に登場する人物ではないため、普通の授業では幕末期に龍馬とともに岩崎が何かやったと言う物語はありません。
 この人物の起用には十分意外性があります。

 しかも、第1回目の放送での岩崎の台詞は、期待を裏切って、というか期待どおりというか、十分予想外、そして刺激的で、注目を集めるものでした。
 1882(明治15)年、政商として財をなした岩崎の邸宅でパーティーが開かれます。そこで、ある新聞の坂崎という記者が、

 

「岩崎社長、坂本龍馬とは一体どんな人物やったがですか」

と、岩崎に問います。弥太郎は答えます。

 

「・・・・・・龍馬はの」
弥太郎が語り始め、坂崎は身を乗り出した。
「わしがこの世で一番嫌いな男やった」
「・・・・・・えっ」
「あんな脳天気で、自分勝手で、人たらしで、おなごに好かれて・・・・・・あればあ腹の立つ男は、どこにもおらんがじゃき」

福田靖作 ノベライズ青木邦子著『龍馬伝 T巻』(NHK出版 2009年)P8

 ドラマは坂本龍馬とともに、それに織りなす対立軸として、岩崎弥太郎の生活が細かく描かれています。大河ドラマとしてはもちろん、TV・映画ドラマとして、岩崎弥太郎の若い時代をこれだけ詳細にあつかった作品は、これまで無かったと思われます。
 彼の家は、地下浪人(じげろうにん)の家柄でした。
 土佐藩の独特の身分制度は、説明図01の通りです。 




 同じ下士の身分でも、龍馬の坂本家の実家は、才谷家という商家でしたから、経済的には恵まれていました。
 しかし、岩崎弥太郎の岩崎家は、郷士身分を金銭で譲渡し、藩からは何ら給与をもらっていない
地下浪人でしたから、意識は武士階級としての誇りはあっても、経済的には、僅かな田畑を耕し、虫籠を売るという極貧の生活でした。
 弥太郎の父親役を演じる、蟹江敬三は次のように語っています。

 

「地下浪人の暮らしを再現した岩崎家のセットはすさまじいボロさで、やるせなくなりました。格差社会の下の極致だなと。おまけに侍の誇りだけはあるので、農民にバカにされるとカーッとなってしまう。」

河野逸人編『NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝 前編』(NHK出版 2010年)P36

 
 この身分社会の格差が、今回のドラマの見所の一つです。


 写真01−10 (撮影日 01/03/25)

 写真01−11  (撮影日 10/03/13)

 写真01−10 高知城下から桂浜に向かう途中、城下からかなり離れたところにある長宗我部元親の像
 写真01−11 高知城にある山内一豊の像 


 土佐電鉄  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 高知での目的のひとつは、土佐電鉄を写真に撮ることです。たくさんの写真を撮りました。
 以前に名鉄美濃町線を走り、廃線後土佐電鉄に売却された電車、モ591号・592号の撮影にも成功しました。
 これについては、来週以降に、「目から鱗:各地の鉄道あれこれ12:各地の路面電車2土佐電鉄」で紹介します



 高知城とひろめ市場    | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 高知城は高知市内の中心にあります。
 高知駅から高知城天守までは直線で1.3kmです。
 大高坂山という、標高30mあまりの小丘陵の上にある平山城です。


 写真01−12   高知城。大手門と天守です。               (撮影日 10/03/13)

 関ヶ原の戦い後、1601年に土佐24万石の大名となった山内一豊が築城しました。


 昼食は、高知城の近くにある、ひろめ市場で取りました。
 「高知流屋台村」というキャッチコピーですが、屋台と行っても、本当の屋台ではなく、スーパーのフードコートの巨大なものといったところです。
 これが、商店街の真ん中にあり、観光客ばかりではなく、市民や近隣会社のサラリーマンなども利用しています。


 写真01−13 ひろめ市場正門(撮影日 10/03/13)

 写真01−14  (撮影日 10/03/13)

 写真01−15 テーブル  (撮影日 10/03/13)

 写真01−16 鰹のたたき (撮影日 10/03/13)

 写真01−14・15にあるように、市場の中は、たくさんの店が並んでいます。その数は60店舗余りとのことです。
 私たちがメニューの中から選んだのは、鰹のたたきです。ほかに、クジラ肉などもあります。


 高知駅前から路面電車で南へ向かうと、江の口川を越えて、3番目の電停で路面電車の東西と南北の路線が交差しています。はりまや橋交差点です。
 そして西に曲がって3番目の電停が高知城前です。駅から城にかけて繁華街が自然に形成されています。
 城の南隣には、高知県庁も高知市役所も並んでいます。


 写真01−17   高知城電停前を発車して西(伊野方面)へ向かう土佐電気鉄道の路面電車。(撮影日 10/03/13)

 背景に見えるのは、高知城天守閣です。左手奥には高知県庁が、その手前には高知市役所があります。土佐電気鉄道については、「目から鱗:各地の鉄道あれこれ12:各地の路面電車2土佐電鉄」で紹介します。 


 昨年から、自分のふるさと、岐阜の町のことを考えています。
 高知や熊本のように、江戸時代の城下町の伝統を持ち、今もその城が市街地の中心にあって自然に観光客や市民の求心力になっているというのは、とてもうらやましい限りです。我が町岐阜市には、その自然さがありません。駅前に金々の織田信長像はありますけど・・・・。(+_+)

これらについては、岐阜・美濃・飛騨の話:03岐阜の原風景・現風景「JR岐阜駅北口前広場の織田信長像と岐阜の歴史」その1〜3で説明しています。


 土佐中村    | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 高知市内には、昼過ぎまで滞在しました。
 高知城の他にいろいろな施設を見学したかったのですが、この日は松山の道後温泉宿泊です。しかも、来た時と同じ高知道路(高速道路)を戻るのではなく、西に向かって、四万十川経由で南側から松山に入る計画です。
 高知から四万十川河畔の土佐中村を経由して松山までは、距離にして270km余り、所要時間は7時間です。先を急がねばなりません。


写真01−18   黒潮町伊田港(撮影日 10/03/13)

写真01−19   看板(撮影日 10/03/13)

 高知道は須崎東までで途切れます。そこから国道56号線を土佐中村、つまり最近の合併でできた四万十市の中村へ向かいます。
 途中、黒潮町では国道は海沿いを通り、太平洋が眺望できます。ホエール・ウオッチングの看板も出ています。


 一生懸命走って、2時間半ほどで土佐くろしお鉄道中村駅に到着しました。
 土佐くろしお鉄道は、1986年に誕生した第三セクターの鉄道です。高知県内の旧国鉄ローカル線を引き継ぎ、当初は窪川-土佐中村間だった路線を、1997年に
宿毛まで延長しています。それまで「陸の孤島」だった宿毛も鉄道でつながったわけです。 


 写真01−20 中村駅(撮影日 10/03/13)

 写真01−21 時刻表 (撮影日 10/03/13)

 土佐中村駅です。
 時刻表は、高知方面へは1日19本です。
 9本の赤いプレートは特急を示します。このうち、上から8本は、直通で岡山行きの特急南風です。最後の19:33発は、高松行き特急四万十です。普通列車はすべて松山と高知を結ぶ予土線との連絡駅である窪川まで行き、そこで高知方面行き列車に乗り換えます。中村駅08:04発の南風10号の高知到着は10:00です。特急でも2時間弱かかります。私たちは自動車で高知から2時間半できましたから、それほどは変わらない所要時間です。
 一方、宿毛行きは、1日14本です。なぜか夕方から夜の時間帯だけ、特急南風が直通で宿毛まで行きます。特急なら17分で到着です。 


 写真01−22   中村駅3番ホーム、宿毛方面行きワンマンカー             (撮影日 10/03/13)


 写真01−23   中村駅北側の待避線、窪川方面行きワンマンカー          (撮影日 10/03/13)


 四万十川    | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 15:30、中村駅を出て、四万十川河畔を上流へ上りました。国道441号線です。目指すは155km先の松山です。


 写真01−24   四万十川を渡る土佐くろしお鉄道のワンマンカー  (撮影日 10/03/13)

 宿毛発土佐中村行きのワンマンカーです。西から東へ四万十川を渡ると、次は大きく南へカーブして、終着の中村駅はもうすぐです。 

 先を急がなければなりませんが、一つだけ寄り道して四万十川らしさを見学するのも大切です。せっかく来たのですから。
 それは、
四万十川流域に全部で58も現存する沈下橋です。(そのうち県が保存しているのは、47橋だそうです。)
  ※詳しいサイトはこちらです。
    →「四万十川ポータルサイト 四万十かざぐるま」http://binbi.net/shimanto/river3.htm


 写真01−25   勝間沈下橋 (撮影日 10/03/13)

 写真01−26    勝間沈下橋 (撮影日 10/03/13)


 写真01−27   勝間沈下橋                 (撮影日 10/03/13)

 沈下橋とは、増水時に川の流れが橋の上を越し、橋が水中に没することを前提とした橋のことです。四万十川にはこういう橋がいくつも架かっています。


 写真01−28     (撮影日 10/03/13)

 国道441号線沿いには大きな看板があり、「映画『釣りバカ日誌』の撮影でも使用された橋」と紹介されています。


 写真01−29   勝間沈下橋の上からの撮影です。              (撮影日 10/03/13)


 写真01−30   岩間沈下橋               (撮影日 10/03/13)

 勝間沈下橋の上流にある岩間沈下橋です。四万十川の流域の雰囲気は、山からいきなり海に出るという点から、熊野川に似ています。→旅行記:「熊野古道ちょこっと探検記」


 途中、四万十川中流の江川崎まで本流をさかのぼり、そこから窪川から来た予土線に沿って、さらに支流の広見川さかのぼり、県境をこえて愛媛県に入ります。


【2013(平成25)年8月13日 追加記述】
 
2013年8月12日、 この四万十川中流域の地域が夏のトップニュースを飾りました。
 四万十川中流域にあたる四万十市西土佐地区(JR予土線江川崎駅のやや南)で、
日本の最高気温の記録を更新したのです。新記録は、41.0度です。
 ※それまでの最高は、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市がいずれも2007年に記録した
40.9度でした。

 四万十川流域というと自然豊かな地域という印象があり、内陸部の多治見市や熊谷市ほどには最高気温を記録する場所という感じではないように思えます。
 ところが、この西土佐地区は、標高は70mとそれほど高くなく、周りは山に囲まれた盆地地形であることや、海からはの南風は届きにくく空気がよどみやすいなどの条件が重なって、最高気温となったと思われます。
 ※参考文献 『朝日新聞』(2013年8月13日朝刊) 


 その先、さらに分水嶺を越えて、内子五十崎まで国道を走り、そこから松山自動車道路に入りました。
 かなりきつい行程でしたが、予定の19時のちょっと前にホテルの駐車場に滑り込みました。 


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