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各地の鉄道あれこれ12
 全国各地の鉄道の話題あれこれについて紹介します。

 各地の路面電車 その2 高知(土佐電気軌道)

 このページは、2010年3月13日に訪問した土佐の高知市内の土佐電気鉄道(土佐電鉄)の市内電車のレポートです。
  ※もともとの旅行記は、こちらのページの掲載してあります。→旅行記「土佐高知・伊予松山旅行記1」 
 
 といっても、ここで土佐電気鉄道のすべてを紹介しようというものではありません。旅の途中に、今回の旅行では高知市内には、たった2時間だけ滞在しただけです。撮影した写真もごく限定的なものです。
 次の二つをテーマにしたピンポイントの説明です。
 1 2005(平成17)年3月末で廃線となった旧名鉄美濃町線の電車を撮影する。
 2 前ページの熊本市電でもテーマにした「路面電車と天守閣」を撮影する。


| 土佐高知・伊予松山旅行P1 「高知城とひろめ市場」へ |


 土佐電気軌道に関する基本データは次のとおりです。

 路面電車としては、伊野線・後免線・桟橋線の3路線を経営。3線ははりまや橋で交差。総延長25.3kmで、広島電鉄に次ぐ。(広島電鉄の郊外線である宮島線を除くと日本最大の路面電車路線を誇る。)

   開業は1903(明治36)年5月。現存する路面電車19事業体の中では最古の歴史を誇る。 
   どこの路面電車も同じであるが、1970年代以降のモータリゼーションの波にのまれ、2000(平成12)年には軌道事業の赤字額が3億5000万円ほどになったが、それ以前からの経営改善の努力が実を結んで、2005(平成17)年度には、ささやかながら約300万円の黒字となる。  
   1990(平成2)年、「世界の電車」計画をスタート。ドイツ、ノルウエイ、ポルトガル、オーストリアの電車を導入。 
   2002(平成14)年、軌道では日本初の超低床式連接路面電車ハートラム(101号)を導入。  

 参考文献 このページの記述には次の本を参考にしました。
土佐電鉄の電車とまちを愛する会編『現役西湖の路面電車 土佐電鉄が走る街 今昔 定点対比50年』(ネコパブリッシング 2006年) 


 桟橋車庫   | 先頭へ |

 高知市内の南にある桂浜から市街地に入った私たちは、 高知港の桟橋通りへとやって来ました。この道は、そのまま高知駅前までつながり、はりまや橋から南は土佐電鉄桟橋線となっています。南端の終点、桟橋5丁目の一つ北にある桟橋車庫が今日の目的地です。


 写真12−01 土佐電鉄桟橋線終点、桟橋五丁目電停           (撮影日 10/03/13)

 200形電車の204号です。1950年代に製造された古いタイプの電車で、この車両は1950年の製造だそうです。この少し前に都電に6000形という普及タイプが登場し、それが好評で各地にそのコピー版が現れました。これもその一つです。今年還暦を迎える車両です。
 写真の電車の左手にあるコンクリートの構築物は、高潮防波堤です。すぐ隣が海で、昔は停車中の電車から海面が見えたそうですが、今は無理です。


 写真12−02 桟橋車庫前電停                  (撮影日 10/03/13)

 桟橋車庫前電停の801号。こちらは下関市を走っていた山陽電気軌道の車両として1959年に製造されたものですが、1971年に山陽電気軌道が路線が全線廃止となり、高知に移ってきました。


 写真12−03 桟橋通りから見た桟橋車庫の全景です。右側は本社ビルです。 (撮影日 10/03/13)


  さてさて車庫には着いてみたもののどこまで入ってどこまで撮影できるのか、ちょっと心配でした。普通はどこの鉄道会社でも一般市民が車庫の中に入ってくるのは歓迎しないはずです。とりあえず、本社ビルの玄関まで行って、たまたま通りかかった制服の形に聞いてみました。

「あのー、一市民ですが、電車を撮影していいですか?」 

社員

「はい、電車の撮影ですね。どうぞご自由になさって結構です。この奥には工場がありますが、そこは作業をしていますから危険なので立ち入り禁止です。それ以外の手前の電車がおいてあるところは、電車の間に入っていってもかまいません。ただし、動く電車に気をつけてくださいね。」 

「はい、あ、はい。自由・・・・にいいですね。」 

 何か拍子抜けでしたが、さすが、土佐電鉄です。現在残っている路面電車の運行主体としては、日本で一番歴史が古いだけのことはあります。創設は1903(明治36)年です。えらいもんです。立派です。

 お言葉に甘えて、ずっと車庫の中に入っていきました。

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 写真12−04 すごいですね。これが間近に見られるのです。         (撮影日 10/03/13)


 写真12−05 グッズ販売店(撮影日 10/03/13)

 写真12−06 古い転轍機(撮影日 10/03/13)


 写真12−07 時刻表  (撮影日 10/03/13)

 写真12−08  同上  (撮影日 10/03/13)


 本社ビルの1階の一番奥には、土佐電鉄グッズの販売店もありました。ただし、土日は休業で、記念品の購入はできませんでした。
 時刻表を見つけました。はりまや橋を経由して、東の端の後免方面行きです。平日には朝7時・8時台には6本ずつ、夕方の18時台には8本も運行されています。市民の足として十分の機能を果たしていることが分かります。
 時刻表の08:11の部分には、小さい字で「低」と書いてあります。下の説明には、「低=低床車両」と説明があり、さらに、「低床車両(ハートラム)は車両検査等により運休することがあります。」と書いてありました。

 ハートラム(101形)とは、2002年から狭軌では国産初の3連接超低床式電車として1編成運行されている新型電車です。

 この日は、この車庫の中にいました。
 町中を走る姿を撮影できなくて残念です。

写真12−09  101形ハートラム (撮影日 10/03/13)


 土佐電鉄の経営努力も、評価できます。市民の足として親しまれるためには、それなりの作戦が必要です。


 写真12−10  ラッピング電車          (撮影日 10/03/13)

 土佐電鉄の車両にはいろいろなラッピングが施されています。ラッピングが始まったのは、1969(昭和44)年と早い時代からだそうです。1969年と言えば、大阪万博の1年前です。
 この801号は、通常の企業ではなく、「人KENまもる君と人KENあゆみちゃん」の人権啓発電車です。


 

 写真12−11 おきゃく電車  
 (撮影日 10/03/13)

 この607号は、「おきゃくでんしゃ」です。
 右手に「貸切 楽しい時を予約してみませんか?」とのプレートがかかっています。

 そうです。
 この車両は、宴会占用の電車なのです。「カラオケ無料」だそうです。
土佐電鉄のHPの案内によれば、「ビール飲み放題&料理つきの場合 お一人様3,980円 」だそうです。
http://www.tosaden.co.jp/train/event
.html )


 写真12−12 奇抜な塗装の198号                  (撮影日 10/03/13)

 どの鉄道会社にも、いろいろ面白い車両というのがあります。
 この土佐電鉄にも、最初は別のいろいろなところを走っていた路面電車が、ここへ移ってきて第二の「人生」ならぬ、「電車生」を送っています。
 この電車はなんと、ノルウエイの首都オスロの市電だった車両です。「世界の電車」計画で導入されました。
 この奇抜な塗装は、オーロラやアイスホッケーのイメージだそうです。ちょっと無理があるかな。 


 写真12−13         (撮影日 10/03/13)

 写真12−14       (撮影日 10/03/13)

 桟橋通りを終点の桟橋5丁目電停までいった618号がまた戻ってきて、桟橋車庫に入ります。クロネコヤマトの宣伝塗装です。


 591号・592号 旧名鉄美濃町線電車     | 先頭へ |

 さてさて、ここへやってきたのは、ただ漠然と路面電車を監察することが目的ではありません。
 2005(平成17)年3月末で廃線となった、旧名鉄美濃町線の591号・592号の活躍振りを確認するためです。
  ※名鉄の廃線については、こちらへ(→岐阜・美濃・飛騨の話「名鉄揖斐線廃線物語」
 桟橋車庫でさがしたのですが、残念ながら見あたりません。
 上の写真の618号の乗務を追えて降りてきた運転手さんに、思い切って聞いてみました。

「あのー、私、岐阜から来たのですが、以前に岐阜を走っていた名古屋鉄道の路面電車が、土佐電鉄に買収されて今は市内を走っていると言うことだそうですが、間違いないですよね。」

運転手

「はい、そうですね。えーと(車庫内を見渡す)、今はここにはいませんから、2両とも運行中ですね。この桟橋線を走っているはずです。」 

「そうですか。車体の色は赤いままですね。」 

運転手

「はい、赤い色です。」 

「ありがとうございました。」 

 桟橋線を走っていると言うことは、じたばたしなくても、ここで待っていれば、やってくると言うことです。
 どのくらいかかかるかは分かりませんが、時間の許す限り、待つことにしました。

 余り時間がかかると、次の予定が消化できません。「早く来てほしい・・・・。」

 と思っていたら、ほんの10分後に、その旧名鉄車両がやってきました。


 写真12−15 旧名鉄591号                   (撮影日 10/03/13)

 高知駅方面からやってきた、591号。名鉄美濃町線と同じ番号です。美濃町線廃線から6か月後の、2005(平成17)年12月から運行をはじめました。
 もともとは、1957(昭和32)年製です。
 屋根上の冷房装置は名鉄時代からのものです。旧名鉄美濃町線には、590形が3両ありましたが、冷房化されていた591と592のみが譲渡されました。593は、旧美濃町線美濃駅で旧塗装に戻って展示されています。(→「名鉄揖斐線廃線物語18」へ) 


 久しぶりに見ました。591号です。
 窓の形などちょっと違っています。ここへ来る前に大阪の工場で、少し改良が加えられたと聞いています。

 写真12−16 名鉄市ノ坪車庫の591号                  (撮影日 05/04/10)

 中央の少し見えている赤い車両が591号です。廃線の10日後の写真です。


 写真12−17 同じく市ノ坪の591号           (撮影日 04/10/24)

 中央、架線柱の後ろの車両が591号です。こちらは廃線の半年前の写真です。両側の車両はともに解体されてしまいもう存在していません。


 写真12−18 新旧の591号の比較です。          (撮影日 左10/03/13 右04/10/24)

 一番大きな変化は、乗降口が3カ所(3扉)だったのが、2カ所(2扉)になった点です。前方の窓枠も少し丸みを帯びました。また、行き先表示は、LEDになっています。少し色調が違って見えますが、太陽光とカメラの違いによるものと思われます。
 土佐電鉄では、「ふるさとカラー」と呼んでいて、譲渡・購入先の当時の塗装をそのまま使う場合もあるそうです。


 さらにラッキーなことに、592号も続けてやってきました。 


 写真12−19  592号です。          (撮影日 10/03/13)

 上の時刻表によれば、15分後の次の車両が592号だったことになります。LEDの行き先表示は、「桟橋5丁目」となっています。


 写真12−20  左592号 右591号          (撮影日 10/03/13)

 おかげで、旧美濃町線でもなかなか撮影できなかったお宝写真が撮影できました。591号と592号の同時運行です。手前の分岐線路は、桟橋車庫へ入る引き込み線です。


 写真12−21 左592号 右591号、アップです           (撮影日 10/03/13)

 左は、桟橋車庫電停を出て、終点の桟橋5丁目電停へ向かう592号。赤い尾灯が付いています。
 右は、桟橋5丁目で発車を待つ591号。LEDの行き先表示は、591号はもちろん「高知駅」ですが、592号もすでに次に備えて「高知駅」になっています。 


 高知城と土佐電鉄      | 先頭へ |

 最後は、この「各地の路面電車」のシリーズの核にしようと思っている、「路面電車と天守閣」です。


 写真12−22 高知城大手門と天守閣         (撮影日 10/03/13)

 高知城は高知市内の中心部にある平山城です。


 高知城も市街地の中心部にあり、周りをビルに囲まれているため、うまいアングルで撮影ができるかどうかちょっと心配でした。ところが、ところが、城下町を甘く見てはいけません。
 天守の真南には、重厚なケヤキ並木が美しい立派な通りがあります。300m程の短い通りですが、その南端には、西から東に流れる鏡川があり、その北岸(通りの南端)にある山内神社に通じています。そうです、高知城の主をまつる神社です。その通りを、見事に土佐電鉄の伊野線が横切っています。
 絶好の撮影ポイントが見つかりました。 


 写真12−23 天守閣と土佐電鉄電車です。           (撮影日 10/03/13)

 高知市内本町から見た電車と天守閣です。電車の左手奥には高知市役所が、さらに堀の内側、城の石垣のすぐ南下には、高知県庁があります。


 江戸時代からある城の周りに市街地が連なり、大通りを路面電車が走る。その窓からは天守を仰ぎ見ることができる。
 こういった情景は、日本の宝ですね。 


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