| 旅行記のメニューへ | | | 全行程目次・地図へ | | | 一つ前へ | | | 次へ | |
夏の旅行は 出雲・石見の島根県シリーズ 10/08/08記述 |
2010年7月30日から8月1日にかけて、夏の旅行に行きました。またまた妻と二人の旅行です。行き先は、出雲・石見です。
|
ルート説明と経費 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
このところの夫婦旅行は、金曜日の夜に出発し、土日をフルに利用して、日曜日の夜には帰ってくるというパターンでした。しかし、今回は、出雲・石見旅行といいながら、初日に兵庫県の日本海側の余部に立ち寄るため、いつもの計画では、時間的に大変苦しいことが判明しました。 |
<訪問地と時間、走行距離> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
自動車旅行のポイントは、安い高速道路を使用することですが、今回は、道を間違えたり、途中で三男Dのアパートに立ち寄ったりして、理想的な費用設計とはほど遠い金額となっています。また、途中、山陰高速道路のように試験無料区間もあって、次に同じ所を通ったらいくらになるかよくわかりません。 |
|
今回の二人分の総費用は、72,009円となりました。 |
まずは余部鉄橋です | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
まず最初の行き先は、兵庫県の日本海側、美方郡香美町香住区余部にある余部鉄橋です。 |
若狭道を春日まで走り、朝来・養父を経て、豊岡に入り、国道178号線沿いに余部に至るルートです。 |
写真01−01 ありし日の余部鉄橋 (撮影日 06/08/12) |
1912(明治45)年3月1日に完成して以来、98年にわたって活躍してきましたが、2010年7月から撤去が始まりました。 |
その理由は、余部鉄橋については、2007(平成19)年3月から架け替え工事が始まり、順調に続けられてきましたが、このほど最終段階を迎え、まもなく新しいコンクリート製の橋が完成という状況にあるからです。
旧鉄橋の利用は、2010(平成22)年7月16日(金)で終了し、これを書いている8月8日現在は、旧線路と新線路の取り替え工事中のため、香住駅と浜坂駅の間が列車運休となっており、代行バスが運行されています。
|
|||||
写真01−02 代行バス通知 (撮影日 10/07/30) |
鉄橋以外の部分は、旧来の線路やトンネルをそのまま利用する形で掛け替えが進められていますから、新橋もずいぶん高い所を通る橋となっています、 |
写真01−03 新コンクリート橋を南側から撮影 残念ながら逆光です (撮影日 10/07/30) |
||||||||||
香美町のサイトには、新しい橋は次のように紹介されています。
旧橋は、全部で11もの橋脚がありましたが、新橋は、僅か4本です。上の写真の新橋コンクリート橋脚は、右から1番目・2番目(東側、鎧駅側から数えて)のそれです。道路の上に立っているように見える旧橋の3本の鉄橋脚は、同じく、東から3番目・4番目・5番目のそれです。 |
新橋の建設の方法がすごいです | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
新橋の建設は、技術的には、高いところの作業、大きなクレーン車が必要という困難な点はあるでしょうが、明治時代末期の工事に比べれば、それほど難しいものではないと想像されます。 |
まず、旧橋・新橋の基本的な位置関係と建設上の課題です。下の地図03と地図04をご覧ください。 |
※ | 写真は、国土交通省の「国土情報ウェブマッピングシステム」の「カラー空中写真閲覧」の航空写真を借用しました。下の地図04も同じです。サイトはこちらです。→http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html |
余部鉄橋は見上げるような高いところにある鉄橋です。問題点は、それだけではありません。鉄橋は、長谷川という小河川が造る河口部の谷をまたいでいます。東も西も山になっています。西の駅側には駅を作るだけの平坦地がありますが、東側は、鉄橋からいきなりトンネルに入ります。 |
写真01−04 旧餘部駅ホームと旧線路と桂。 (撮影日 06/08/12) |
餘部駅の方から眺めると駅の前の直線線路が、そのまままっすぐ鉄橋につながり、そのまままっすぐ、鉄橋東側のトンネルに入っていることが分かります。 |
つまり、橋の東側は、すぐにトンネルにつながっているため、新しいトンネルをセットで掘ることでもしない限り、上図の紫の部分の橋・線路(S字型橋桁)の建設に大変手間取ってしまうことになります。 |
写真01−05 新橋のトンネル側部分 (撮影日 10/07/30) |
この写真は、不通になった7月17日から、僅か14日目の7月30日の写真です。 |
さて、どうやって、このような短期間にこの大仕事を成し遂げたのでしょうか?いちおうクイズ仕立てにしました。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
このページを最初からちゃんと読んでいれば、自ずと正解が選択できますね。 |
新橋の架橋方法の説明です | 全行程目次・地図へ || 先頭へ | |
まず、新橋全体の架橋の方法を説明します。 |
以下の説明図の元の図面や絵は、この橋の工事を担当している、「清水・銭高JV 山陰線鎧・余部間余部橋りょう改築他工事事務所」が発行している、「余部橋りょう便り」の25号(2010年4月発行)・26号(同6月発行)から複写・転載しました。 |
この「余部橋りょう便り」は、現地の橋りょう工事現場の掲示板に貼り付けてあったものです。工事事務所(TEL 0796−34−0071)に確認して、当サイトでの利用の許可をもらいました。 |
|
写真01−06 余部橋りょう便り (撮影日 10/07/30) |
上の両図の@橋脚の部分が、今話題にしている、S字型橋桁の部分です。 |
では、その工法の具体的な説明は、次のページで行います。 |
| 一つ前に戻る | | | 次へ進む | |