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 余部橋梁の「橋桁移動旋回工法」 10/08/15記述   | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 はい、大変お待たせしました。
 それでは、「
橋桁移動旋回工法」の説明をします。


 前ページでも紹介しましたが、以下の説明図の元の図面や絵は、この橋の工事を担当している、「清水・銭高JV 山陰線鎧・余部間余部橋りょう改築他工事事務所」が発行している、「余部橋りょう便り」の25号(2010年4月発行)・26号(同6月発行)から、工事事務所の許可を得て、複写・転載しました。


 まず、ちょっと復習です。
 下の二つの図面をご覧ください。



 問題の工法をする部分は、コンクリート橋の一番東側(トンネル側)の部分です。その後で、の部分は、コンクリートの隙間をつなぐ工事を実施します。



 工法としては、A既設鉄橋撤去 → B桁移動旋回工 → C中央閉合工S字型橋桁と2番目の橋桁との接合)、D@橋脚の架設部分の撤去と進みます。



 長いこと列車を不通にできるのなら、旧橋の赤い部分をすっかり壊してから、この形で建設するのが、とても自然な発想です。しかし、現実には、新橋への切り替えのための、列車不通期間は、僅か26日間です。



 そこで、S字型橋桁は、始めから@橋脚の上で、他の橋桁と同じように建設されました。もちろん、旧橋の邪魔になってはいけませんので、形は同じでも、方向と位置が異なる状態で建設されました。


 写真02−01 旧線の運転休止直前の余部橋     (工事務所により 2010年4月に撮影)

 この写真は、工事事務所の『余部橋りょう便り』から許可を得て複写・転載しました。トンネルの入り口上部から鉄橋と餘部駅方面を撮影したものです。
 
S字型橋桁がほぼ完成している様子です。もちろん、右側(海側、北側)には鉄橋が存在していて、この時はまだ列車が通っていました。



 これが、日本で初めて採用された、「橋桁移動旋回工法」です。清水建設と銭高組が、「100年後の土木遺産」を作るという意気込みで取り組んだ工法だそうです。
 地上から40mあまりの高さの所で、長さ93m余り、重さ3800トンものコンクリートのかたまりをまず移動させ、ついで回転させてしまうのですから、すごい工法です。


  ※

 私自身は現地でこの様子を撮影するわけにはい来ませんでしたが、世紀の大工事です、新聞社は漏らさず記録していてくれました。
 神戸新聞撮影の映像が、「You Tube」に上がっています。工法の回転部分のポイントがよくわかります。是非ご覧ください。  →http://www.youtube.com/watch?v=lwDvimdB1EM 


  ※

 以下は、完成までの経過を記録した写真です。
 
兵庫県美方郡香美町役場のHPから、許可を得て、複写・転載しています。
  
香美町役場HP http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html
  
余部橋梁の記録 http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1179742996109/index.html
 
 この写真の複写・転載については、同役場総務課にメールで許可をお願いしたのですが、2日間ほどご返事がいただけませんでした。ひょっとして、ダメかなと思っていたところ、ある日の夜遅く、わざわざ総務課の担当のFさんからお電話をいただきました。「返事が遅くなって申し訳ないです。橋の完成直前の忙しい時だったものですから・・・。」
 そうですよね。
 線路・通信ケーブル等の完成、新橋の列車初通過は、2010(平成22)年8月12日ですものね。とても忙しい時期に、メールを差し上げてこちらこそ申し訳ありませんでした。それにもかかわらず、わざわざお電話をいただき、ありがとうございました。本当に感謝です。


 写真02−02 新線とホーム(撮影日 10/06/22)

 写真02−03 旧線とホーム (撮影日 10/06/22)

 これは、餘部駅のホームを、左は新しい線路側から、右は古い線路側から撮影したものです。


 写真02−04 S字型橋桁移動前              (撮影日 10/07/20)

 これは移動中のS字型橋桁です。


 移動・回転後の余部橋りょうです  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 香美町役場HP掲載の写真を、複写・転載して説明を続けます。


 写真02−05 S字型橋桁移動後          (撮影日 10/07/27)

 移動・回転が終わったS字型橋桁です。まだ、線路はつながっていません。


 私もたくさん写真を撮ってきましたので、香美町役場の少し前の写真と比較して、いくつか説明します。


左上 写真02−06 S字型橋桁(撮影日 10/07/20)
 移動前のS字型橋桁です。
 香美町役場のHP空の複写・転載です。

右上 写真02−07 (撮影日 10/07/30)
下   写真02−08 (撮影日 10/07/30)

 中央閉合工が完了し、S字型橋桁と隣の橋桁がコンクリートでつながりました。


 写真02−09 S字型橋桁     (撮影日 10/07/30)

 トンネル側の橋桁もつながっています。
 左の青いシートで覆われているのは、@橋脚です。この橋脚は、S字型橋桁を作って移動・旋回させるために、本来の橋脚の南側(写真でこちらに見える方の面)に臨時の仮橋脚が取り付けられていました。S字型橋桁が定位置に安着したため、工程表によれば、このあと8月16日から9月一杯かけて、仮橋脚が撤去されます。


 写真02−10 観音様と橋脚 (撮影日 10/07/30)
 鉄橋からコンクリート橋への掛け替えの必要性は、鉄橋の寿命が来た言うことだけではありません。この地域は、海からの風が強く、毎秒20m以上の風になると、列車は待機させられます。この回数は、年回200回以上に及び、列車の定時運行に大きな障害となっていました。
 これを避ける方法の一つは、橋梁上に防風壁を立てることです。ところが、旧鉄橋ではそのような構造物を立てることはできず、それが掛け替えの主因となりました。
 強風によって起きた悲劇が、
1986(昭和61)年の列車転落事故です。
 この年の12月28日13時24分、この鉄橋の上から、回送列車の客車が橋の下まで転落し、乗務員の車掌さんと、下のカニ加工工場で働いていた従業員5名の合計6名の方が亡くなりました。
 事故原因は、秒速33mと記録された強風により、客車があおられて落下したためと推定されました。この列車は、香住駅で乗客を降ろし、浜坂駅へ回送される途中でしたので、乗客は乗っていませんでした。
 カニ工場跡に建てられた観音様のすぐ後に、東から二つ目のコンクリート橋脚がそびえ立ちます。旧橋の鉄橋脚が華奢に思えます。


 写真02−11 餘部駅へ登る坂の途中から撮影 (撮影日 10/07/30)

 旧橋は産業遺跡としての価値が高いため、新橋の架橋と同時に、兵庫県によって、旧橋の保存も考えられてきました。兵庫県の余部鉄橋利活用基本計画のHP( →http://web.pref.hyogo.lg.jp/wd05/wd05_000000073.html )に詳しく紹介されています。
 「
余部鉄橋利活用基本計画」( →http://web.pref.hyogo.lg.jp/contents/000123703.pdf )によれば、写真の餘部駅よりの3本の鉄製の橋脚は残され、展望台などの「鉄橋記念施設」や道の駅も建設される予定です。


 写真02−12 余部橋梁全景           (撮影日 10/07/30)

 海側の余部漁港からの撮影です。
 このあと、新橋には透明な
高さ1.7m防風壁が取り付けられます。
 これにより、強風による規制は、現在の風速20m毎秒以上から、同30m毎秒へと緩和されます。列車待機は、これまでの年間200回以上から40分の1の5回以下へと激減するはずとのことです。列車の運行の定時性を維持することがこの新橋梁の使命です。
 ※『朝日新聞』(2010(平成22)年7月17日朝刊)より


 ついに完成  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 新余部コンクリート橋は、予定通り、2010年8月12日に開通し、朝6時30分に浜坂発豊岡行きの一番列車が通過しました。餘部駅から地元住民120人が乗り込み、開通を祝ったとのことです。
 ※asahi。com「2010年8月12日10時51分 余部橋梁が開通 一番列車に地元住民も乗車』より
    →http://www.asahi.com/national/update/0812/OSK201008120062.html  

 また、10時過ぎには、慰霊碑への献花が行われ、10時25分からは、兵庫県知事・鳥取県知事・JR西日本副社長・関係市町村長が参加して、開通セレモニー・完成記念式典が行われました。
 ※鳥取県県政一般・報道提供資料より →
   http://db.pref.tottori.jp/pressrelease.nsf/webview/38843CDC8155B7684925777A00295A1C?OpenDocument


 写真02−13 開通当日の余部橋梁    (撮影日 10/08/12 香美町が設置しているライブカメラの映像です)
   →
余部橋梁ライブカメラ http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1270077904503/index.html

 開通の日の最終列車、大阪18:05発の播但線回り鳥取行きの「はまかぜ5号」が、トンネルを出て、S字橋桁部分を通過しているところです。ライブカメラは、橋梁南側(山側)の小学校校舎の屋上に設置してあります。
 ※小学校と橋の位置関係はこちらの写真でわかります。→旅行記「出雲石見1」


 写真02−14 開通二日目の余部鉄橋  (撮影日 10/08/13 香美町設置のライブカメラの映像より)

 開通二日目の下り一番電車です。餘部駅に07:20に到着する直前、トンネルを出てS字型橋桁を通過する所です。


 みなさんも是非一度は、余部鉄橋に旅行してください。
 香美町役場総務課のFさんから、「しっかり宣伝してください」と頼まれたから言うわけではありませんが、一見の価値はあります。
 ただし、餘部駅はなかなか遠いところで、そう簡単には行けません。次に説明します。





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 さて、旅行の最初に余部に寄り道して、ずいぶんいろいろな話に広がってしまいました。
 この旅行の本来の目的地は、
出雲・石見(島根県)です。
 2010年7月30日の夕方、写真02−12を最後にを撮影した後、出雲に向かいました。
 次ページは、
映画『RAILWAYS』一畑電鉄に乗車です。


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