2007-04 | |||
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102 2007年06 月03 日(日) 映画「俺は、きみのためにこそ死にに行く」 |
2007年初めての映画鑑賞記は、「俺は、君のためにこそ死にに行く」(監督 新城卓)です。
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航空機による特別攻撃隊は、1944年10月にフィリピン戦線ではじめて編成されました。その事情は次のとおりです。
1944年10月当時、フィリピンに展開していた海軍の第一航空艦隊は、台湾沖航空戦で大きな被害を受け、数百機はあると予想される敵機動部隊の航空機に対して、僅か、30数機kという有様でした。しかも、戦闘機は比較的たくさんあるものの、爆弾や魚雷を持って敵艦を攻撃するタイプの飛行機、攻撃機や雷撃機はさらに少ない状況でした。
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関行男大尉ら26機は、1944(昭和19)年10月25日に出撃し、アメリカ軍の護衛空母5隻に体当たりを敢行、1隻撃沈、2隻大破の戦果を挙げました。当然ながらアメリカ軍が神風攻撃を予想していなかったこともあり、5/26という高い命中率を上げ、ねらい通り航空母艦を1隻撃沈するという、「大戦果」をあげたのです。 |
襲来する日本軍機に対するアメリカ空母機動艦隊の対空砲火網。
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この映画の舞台となったのは、鹿児島県西部の薩摩半島にある陸軍基地知覧です。 |
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【追記】 2012年9月10日以下を追記しました。 |
基地を出撃する陸軍の戦闘機一式戦隼(はやぶさ)。 |
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写真は、戦中の新聞写真からの切り抜きです。以下のサイトから複写させていただきました。 |
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軽戦闘機とか重戦闘機の説明は、岐阜・美濃・飛騨の話「各務原・川崎航空機・戦闘機4」(飛燕開発前夜、日本の戦闘機に求められたもの)にあります。 |
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特攻について、日本とアメリカの高校ではどのように教えているか? |
神風特別攻撃隊についての教科書の記述 |
日本 |
アメリカ |
石井進・五味文彦・笹山晴生・高埜利彦著『詳説 日本史』(山川出版 2004年) |
McDougal Littell 『The Americans』(1998年) |
「レイテ沖で連合艦隊は米艦隊に大敗し、日本海軍は組織的な戦闘能力を喪失した。この際はじめて、海軍の神風特別攻撃隊による体当り攻撃がなされた。」P343 |
「The Japanese threw their entire fleet into the battle for Leyte Gulf.
They also tested a new tactic, the kamikaze, or suicide-plane, attck in
which Japanese pilots crashed their bomb-laden planes into Allied ships.(Kamikaze
means "divine wind" and refers to a legendary typhoon that saved
Japan in 1281 by deatroying a Mongol invasion.) In the Philippines, 424
kamikaze pilots embarked on suicide missions, shinking 16 ships and damaging
another 80. Americans watched these terrifying attacks with "a strange admixture of respect and pity" according to Vice Admiral Charles Brown. "You had to admire the devotion to country demonstrated by these pilots". recalled Seaman Gerge Marse. "Yet, When they were shot down, rescued and and brought aboard our ship, we were surpraised to find the pilots looked like ordinary, scared young men, not the wide-eyed fanatical "devils" we imagined them to be."」P749 |
(右の日本語訳 引用者の訳です。) |
日本の若者が、授業では「特攻」についてその内容はほとんど習っていないのに対して、アメリカの若者は、「自殺攻撃」など自分たちにとって興味ある情報を得ています。 |
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