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017 戦艦アイオワ、博物館となる  2012年08月13日記述 2013年2月3日修正 

 2012年5月のある日、アイオワ州に住むスティーブからメールが来ました。

「きみが興味を持っている
戦艦アイオワが博物館になるとのことだ。地元新聞のデモイン・レジスターで掲載されていた。もうすぐサンフランシスコからロサンジェルスに向けて最後の航海をするはずだ。別便で新聞記事を送る。」

 私の興味・感心をよく理解しているスティーブからの貴重な情報です。

 日本の新聞ではあまり話題になりませんでしたので、私もスティーブからのメールがなければ気がつかないところでした。調べてみると、
戦艦アイオワがこの7月7日から博物館として公開されることがわかりました。以下は、友人から送ってもらった新聞記事とウエブサイトで取材した戦艦アイオワ等の最近のレポートです。
  ※参考資料 「DesMoines Register」 Sunday,May13,2012 他

 戦艦とかにあまり知識がない方のために、まず最初に
戦艦アイオワについて簡単な説明をします。
 
戦艦アイオワは、太平洋戦争に入る直前にアメリカ海軍が建造をはじめた戦艦の一つで、個艦の名前のみならず、同じ型の戦艦4隻を代表する名前、「アイオワ級」の呼称としても使われました。
 戦時中の1943年から44年にかけて、
アイオワニュージャージミズーリウィスコンシンの4隻が就役しました。アメリカの戦艦群は、州名を付けることがならわしとなっており、この4艦もそれぞれ州の名前をもらっています。
 これらの戦艦群は、太平洋戦争の後半期に、仮に「日米戦艦艦隊大決戦」ということがあったとすれば、日本の
大和型戦艦と海上砲撃戦をおこなうことなったであろう、アメリカ海軍の最強の戦艦群です。しかし、現実にはその機会は生じませんでした。
 これ以降、アメリカ海軍は戦艦の建造はおこなわなくなり、結果的に
最終の戦艦群にもなりました。
  ※建造の経緯・性能等は、別ページで紹介しています。→目から鱗:「戦艦大和について考える5 大和とアイオワ」

 この4艦は、戦後も朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争期などで活躍し、レーガン大統領の軍備拡大路線の時には、巡航ミサイル・トマホーク等の搭載もおこなわれました。特に
アイオワウィスコンシンは、1996年制定の国防認可法において、「維持されるべき2隻の戦艦」に指定され、長く海軍の所有が続きました。 
 しかし、現時点では、いずれも海軍の艦隊からは除籍され、
アイオワを除いては、すでに「引退場所」に落ち着いていました。

 そしてその
アイオワも、その所有権がこの5月1日に正式に海軍からNPO組織の太平洋戦艦センターに譲渡され、同センターによって記念館(博物館)として公開が決まったというわけです。 


 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、ロサンジェルス市のサンペドロポート・オブ・ロサンジェルス周辺の航空写真です。
 それまで戦艦アイオワは、サンフランシスコ湾の奥にある
サスーン湾に停泊していました。この湾は現役を退いたアメリカ海軍艦船をモスボール状態で保存する海域です。
 
博物館になることが決まり、ここを出発して最後の航海に出かけ、サンペドロポート・オブ・ロサンジェルスに向かったのです。
 ついでに、ちょっと専門的になりますが、「
mothball」について説明します。mothballという英語は、元々の単語の意味は、「moth」が蛾を意味し、「ball」は普通に玉です。つまり、ナフタリンなどの「虫除けの玉」を意味しました。これが転じて、「in mothballs」で、何かを「しまい込んでおく」という意味で使われるようになり、現在では「mothball」そのものが「保存する」という意味となっています。
 軍艦などの兵器の場合は、防水・さび止め処置をして、長く保存しておくことを、「mothball」といいます。

 博物館の位置(新しい停泊場所)は、サン・ペドロのシーサイド・フリーウエイのヴィンセント・トーマス橋の南です。上の写真の橋がそれです。しかし、グーグルの衛星車写真が古くて、まだアイオワ本体は存在していません。(2013年2月3日現在)更新されたら登場するはずです。


 戦艦アイオワを含めた4戦艦の現状をまとめてみます。 

BB61 
 戦艦アイオワ

 2012年6月までサンフランシスコ湾サスーンのモスボール海域に停泊。その後、ロサンジェルスに回航され、7月7日からサンペドロのポート・オブ・ロサンジェルスで博物館として公開されている。
  →
カリフォルニア州サン・ペドロの戦艦アイオワ博物館の公式サイトです。
   http://www.pacificbattleship.com/

BB62 
 戦艦ニュージャージ

 2001年からニュージャージー州カムデンのデラウェア川に記念艦として係留されている。
  →記念館公式ホームページ http://www.battleshipnewjersey.org/
  →Googleの地図(写真)で停泊状況を確認します。

BB63 
 戦艦ミズーリ
 

 1999年からハワイ州オアフ島のパールハーバーで記念艦として繋留されている。
  →記念館公式ホームページ http://www.ussmissouri.org/
  →記念館日本語ページ http://www.missouri-kinenkan.org/ 
  →Googleの地図(写真)で停泊状況を確認します

BB64 
 戦艦ウィスコンシン
 

 2000年12月からヴァージニア州ノーフォーク市ノーティカス・ナショナル・マリタイム・センターに繋留され、公開艦となっており、甲板は見学可能。 
  →元乗員の組織
    USS WISCONSIN BB64 http://www.usswisconsin.org/
  →Googleの地図(写真)で停泊状況を確認します。 


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 サンフランシスコ湾から太平洋に出て、サンペドロのポート・オブ・ロサンジェルスへ向かう戦艦アイオワ。アメリカ海軍の公式ページには、「the former battleship USS Iowa (BB 61) 」と書かれていますから、正式には「元アメリカ海軍戦艦アイオワ」です。
 横を追い越していくのは、イージス駆逐艦デカーターです。
 アメリカ海軍の公式サイト(http://www.navy.mil/index.asp)のPhoto Galleryから借用しました。 (12/06/01撮影 (U.S. Navy photo by Mass Communications Specialist 1st Class Eli J. Medellin/Released)


 アイオワ州もミシシッピ川とそれに合流するミズーリ川に挟まれた中西部の内陸の州ですから、戦艦アイオワを州内に繋留するわけにはいきません。他の3隻のうち、2隻は東海岸に、1隻はハワイに繋留されていますから、最後になったアイオワの繋留先としては、西海岸のどこかというのが常識的な選択だったのでしょうね。

 日本の巨大戦艦は2隻とも海の底ですが、あの戦いの終了から65年以上経て、アメリカの4隻は、「健在」です。
  ※戦艦大和については、こちらで詳しく説明しています。
    →目から鱗の話:「戦艦大和について考える 1~17」
 
 スティーブとメールでやりとりしました。

「ロサンジェルスでは、アイオワ州民が簡単に見学に行くわけにはいかないね。」

「しょうがいないね。そのかわり、州都デモイン州議会議事堂に大きな模型がある。」

「そうだった。デモインに行った時、私も見た。あの頃はデジカメを持っていなかったので、ほとんど写真を撮っていない。すまないけど、夏休みになったら州議会議事堂に行って、写真を撮ってきてくれないか。」 

「おやすい御用だ。少し待っていてくれ。」 

 7月に入って、スティーブからデモインの州議会議事堂にある戦艦アイオワの模型の写真がたくさん送られてきました。巨大すぎることと、付けられた照明がガラスケースに反射していることからあまりいい写真ではありませんが、最後に少し掲載して、このレポートを終わります。
 ※すべて撮影日は、2012年7月18日(アメリカ時間)です。 


 写真14-01 これがアイオワの模型です。本物の47.75分の1モデルで、長さは6m弱あります。日本の場合だと旧海軍の艦艇などは民間の好事家が模型を製作して寄付をするという形が多いですが、これはアメリカ海軍省の製作したものを借りているとのことです。
 縮尺が不思議な値ですが、1フィートを1/4インチに縮小するとこうなります。


 写真15-02・03 艦首部分です。                       (撮影日 12/07/18)  

 写真15-04 迫力の2番砲等です。    (撮影日 11/07/24) 

 写真15-05・06 艦橋と艦中央部                 (撮影日 12/07/18)  

 写真15-07・08 3番主砲塔と艦尾                 (撮影日 12/07/18)  

 以上、戦艦アイオワのレポートでした。 


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