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02 本当に怖い時は・・・・その2 01/06/03 |
僕はいつのころからか乗り物酔いに悩まされるようになった。 船・バスはもちろん、遊園地のティーカップ、バイキングの船などなどいずれも苦い経験を持っている。 遠足で生徒を連れて遊園地に行って、バイキングにやられて、ずっと寝ていたこともあった。 生徒の宿泊研修でバスで乗鞍岳に行かなければならなかった時は、くねくね曲がるスカイラインの山道でのバス酔いに備えて、強力なアンプルの酔い止めを飲んだ。ところが、あまりに薬が効き過ぎて、研修2日目の昼までふらふらしていたという失敗もあった。 昨年のアメリカ家族旅行では、グランドキャニオン空中遊覧の小型飛行機の中で、エチケット袋をもって、ゲロ寸前の状況だった。 つまり、僕は、耳の中の三半規管と前庭の調節機能が弱く、加速度への順応性がきわめて悪い生き物なのである。最近のテレビの体力ゲームの中に出てくる、バットを地面と頭に付けてぐるぐると3回まわって歩くなどと言う暴挙をしようものなら、それから丸一日布団の中にいなければならない。 しかし、そういう経験と照らし合わせてみて、あのとき乗り物酔いにならなかったのは、やはりすごかったという経験がある。 ある年の夏休み、自衛隊のイベントで、防衛大学や防衛医科大学やその他の基地施設などを見学するツアーに招待された。3年生の生徒の進路指導の参考になればというイベントである。 名古屋空港から、自衛隊の神奈川県厚木基地まで、海上自衛隊の基地間連絡の定期便に乗せてもらうことになった。定期便といってもジェット機ではなく、今となっては懐かしい日本製の名機YS11を改造した輸送機だった。 YS11には新婚旅行の時北海道(女満別-千歳)で乗ったことがあり、小さい飛行機とはいえ「大丈夫」と思っていた。 ところが、その日は事情が違っていた。 関東沖に低気圧があり、雨が降っているばかりか、気圧の変化が激しいという悪条件だった。本来なら欠航になるところ、我々イベント参加者を運ぶという使命があったので、予定を少し遅らせて、YS11は離陸を強行した。 機内は旅客機とは違い、映画で見た爆撃機のような、機体の骨組みが丸見えのなかなか勇ましい状態で、操縦室も扉で隔離されておらず、客席から丸見えであった。僕は、操縦席の様子が見たくて、最前列の席に座って、これもまた無骨なシートベルトを締めた。 静岡県西部上空のあたりから、低気圧の影響がもろに出始めた。 わがYS11は、強い風の中、懸命に勇敢にエンジンを吹かし、何かの拍子で下降気流入って、何十か何百メートルか分からないが、何秒間もの長い間、すーと「落ちる」というのを繰り返した。体で感じる状況では、長〜い下りエレベーターに乗っている感じである。 これは、正直怖かった。 同乗者の中で、われらのツアーの案内役をしている陸上自衛隊係員(もちろん飛行機は不慣れ)が、真っ先に顔色を青くさせはじめたのは滑稽だった。 はっきりいって、怖い。 すーとこのまま落ちたらもうだめ、という感じが10分、15分と永遠とも思われる長さで続く。 不安な状況に決定的を悪化させたのは、すぐ前のコックピットにいる操縦士の間で交わされた言葉。 前述のように、僕は、彼らの言葉が聞こえる最前列にいたので、彼らの率直な感想が聞こえてしまった。 YS11が思いっきり降下した時、 副操縦士「キャプテンいまのはすごかったですね?」 操縦士「おー、本当にすごかった。ちょっと経験したことがないやつだったな。」 機長ー、後ろで民間人が聞いているのだから、やせがまんでもいいから、「なあに、大丈夫」とかいってほしかったなー。 その前の年、御巣鷹山で日本航空123便のジャンボ機が落ちた話を思い出し、バラバラになってもよいように、手足にマジックで名前を書こうかと馬鹿なことを悩みつつ、無事に着くことを祈った。落下する飛行機の中で、無意味でも手足を踏ん張りつつ、ひたすら祈った。 揺られて落ちておよそ2時間。もちろん予定より大幅に遅れて、厚木基地に無事着陸。 物理的な体験からすれば、僕の加速度調整能力では、へろへろに飛行機酔いになっているはずなのに、この時は何ともなし。 怖くて足を踏ん張ったので、筋肉は非常に疲れていたけど、気分は本当に何ともなし。 人間、本当に怖いと、飛行機酔いなんぞになっているヒマはないという事実がわかった。 この経験に比べれば、遊園地のどんな絶叫マシーンも目じゃない。 |
03 酒が飲めない男の独り言・・・・ 01/06/03 | |||||||||||||
僕はあまり酒が飲めない。あまりという曖昧な言い方ができる理由は、下の図に示すように、全く飲めないわけではないが、ちょっと飲めばすぐに「もう勘弁してくれ」となるからである。 大学生になって、コンパなどで酒を本格的に飲み始めた時は、「酒に対する強弱が遺伝の作用による」、という真理を知らなかったため、「訓練すればたくさん飲める」という先輩の言葉を信じて、無理して飲んだ。
いろいろ言ってもきりがない。
最後にひとつだけ。
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1歳の誕生日で、ケーキのローソクに手を伸ばしてとろうとする長男K.。 |
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おっとりした明るい顔が得意の次男Y、10ヶ月。 |
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今はもう見かけなくなったお櫃から、しゃもじで直にご飯をむさぼるちゃっかりものの三男D.1歳。 |
07 男の子は鉄道好きが一番 01/08/26 |
3枚の写真の続きではない。 ※「パリ・ロンドン旅行記」へ |
左: 1959年のわたし、4歳の時。母の証言によれば、伊勢湾台風に襲われた歳の冬の写真だそうだ。 |
それから、小さい頃から、旅行はほとんど自動車を使わず鉄道だった。車窓を眺めながら、町を教え、山を教え、渡る川を教えていくのは、自動車でブーと目的地というのといささか違うと思う。 |
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