西濃鉄道石灰石専用列車と |
大垣赤坂金生山06 |
通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。 |
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赤坂金生山2 石灰石採掘と石灰工業 |
前ページでは、金生山の歴史・全体像について説明しました。 |
まずは復習です |
まずは復習です。前ページで金生山の姿が理解できた方なら、初めて見る次の写真について、いろいろうんちくが傾けられるはずです。いかがでしょう。 |
写真06−01 矢橋ホキ、長良川鉄橋へ向かいます。 (長良川鉄橋@積 撮影日 08/11/26) |
石灰を満載して穂積駅を出発し、長良川鉄橋へ向かう矢橋ホキです。堤防の上の表示板には、青地に白字で「長良川」と書かれています。背景に写っているのは金生山の北半分の南東側面です。 |
1枚目は簡単でした。それでは次はどうですか?今度は石灰石専用列車は写っていません。この川が何川か分かる方は、もう金生山の通です。 |
写真06−02 杭瀬川上流からの金生山北部北東面 (撮影日 08/07/19) |
池田町八幡の杭瀬川の橋の上からの撮影です。杭瀬川は金生山の東側を北から南へ流れる川で、鉄道ができる前は、石灰石輸送の水運に利用されました。 |
石灰石はどのように利用されるか 石灰石の用途と工場 |
本編の最初は、石灰石がどのように利用されるかの勉強です。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
少し細かい数字を挙げます。(数字は、日本石灰石鉱業協会のHPの説明を参考にしました。)
2007年には日本全体で、約1億7000万トンの石灰石が採掘されました。出荷別の数字は次のようになっています。
ただし、この数字はあくまで全国平均であり、採掘場所や企業によっては大きく異なります。 |
金生山の採掘現場と工場群 |
金生山における現在の採掘は、中央部の旧愛宕山地域(下の地図06参照)を中心に行われています。 |
写真06−03 (撮影日 08/07/05) |
写真06−04 (撮影日 08/07/05) |
旧愛宕山地域の現在の採掘の状況です。下の地図06の■部分を撮影しています。(もちろん地図06の写真は1987年のものですから正確には地平面が異なっています。虚空蔵菩薩の東北、最高峰の更紗山南のこの地域は、岩石が赤みを帯びています。これは、岩石が鉄分を含んでいるためです。実は、1968(昭和33)年までは、この地域で赤鉄鉱と呼ばれる鉄鉱石が採掘されていました。 |
写真06−05 (撮影日 08/07/05) |
写真06−06 (撮影日 08/07/05) |
左:採掘場内だけで活動するダンプカーです。 |
金生山の工場群の位置を説明します。 |
写真06−07 産業道路東入口 (撮影日 08/07/05) |
新産業道路の東入口です。矢橋鉱業の乙女坂工場そばから金生山へ入ります。非常に見づらいですが、左の煉瓦色の屋根の建物の下に、同じく煉瓦色の矢橋ホキが写っています。背景は金生山の南部当面で、虚空蔵菩薩の少し南に当たります。この地域は山の上部は採掘がなされていません。 |
写真06−08 乙女坂地区工場群 (撮影日 08/07/05) |
上の写真06−07とは逆に地図06の■の部分の道から撮影した矢橋工業乙女坂工場です。上の写真の煉瓦色のサイロ状の建造物(矢橋工業の名前入り)は、下の写真では中央やや上の2本の円筒形のものです。 |
写真06−09 昼飯地区工場群 (撮影日 08/07/05) |
昼飯地区の上田石灰工業の石灰石焼成炉等のプラントです。 |
写真06−10 (撮影日 08/07/05) |
写真06−11 (撮影日 08/07/05) |
左・右とも昼飯地区工場群です。 |
工場群の紹介だけでは面白くありません。ここで、このページのとっておきの写真です。 |
写真06−12 特急しらさぎと昼飯地区工場群 (撮影日 08/05/25) |
昼飯地区工場群を右に見て、東海道線下り本線(緩勾配線)を米原に向かって走る特急しらさぎ号です。麦秋です。 |
ここまでこの「未来航路」をしばしばご覧の方は、この次にどういう写真が準備されているか、推察いただけると思います。これがこのページの一番売りの写真です。 |
写真06−13 昼飯地区の石灰焼成プラントのアップと・・・・・ (撮影日 08/07/25) |
石灰プラントのはるか向こう、東海道線下り本線を米原に向かって走る特急しらさぎ号です。 |
最後にまた社会の勉強です 日本一の鉱山は?金生山の可採年数は? |
最後にまた勉強です。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
上で説明した(→)ように、日本の年間石灰石産出量は、 約1億7000万トンです。 |
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もう一度、金生山に話を戻します。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
お話を聞いた大垣市役所商工観光産業振興室の担当の方の話では、「90年から100年で金生山は平になります」とのことでした。そうなると、その時は上の工場群はどうなるでしょうか? |
最後に、2009年正月用に作った私の年賀状に使った、金生山から見た朝の岐阜市の写真です。いい眺めです。 |
写真06−14 冬の夜明け直後、金生山虚空蔵菩薩境内から見た岐阜市 (撮影日 08/12/27) |
左手の山は金華山、右手は岐阜駅前の岐阜シティ・タワー43です。その右上のぼんやり見える山は恵那山です。手前を左右に横断しているのは、揖斐川です。 |
これで金生山そのものの説明を終わります。 |
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