西濃鉄道石灰石専用列車と |
大垣赤坂金生山05 |
通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。 |
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赤坂金生山1 山の歴史 化石館 虚空蔵 |
矢橋ホキを追っかけて、赤坂金生山の麓まで来ました。ここらでその本家本元の赤坂金生山について説明します。ここは鉄道の説明ではなく社会科や理科の勉強です。矢橋ホキは脇役です。 |
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【参考文献一覧】
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写真05−01 南荒尾信号所を通過する矢橋ホキ (南荒尾@積 撮影日 08/07/12 ) |
朝1番の石灰石列車が美濃赤坂線から南荒尾信号所を通過して東海道線に入ります。背後には、矢橋ホキが石灰石を積み込んだ金生山が見えます。中央部の緑がはがれている山がそれです。もちろん、石灰石の採掘によって緑は失われています。その手前の緑は金生山の南にある独立の丘陵、お勝山(標高53m)です。 |
金生山とは1 写真と地図から |
金生山とはどんな山なのでしょうか? |
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金生山とは2 文献から |
金生山とはどんな山なのでしょうか?文献からの引用で、その姿を概観します。
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写真05−02 美濃赤坂駅と矢橋大理石工業 (撮影日 08/12/27) |
石灰石より先に、大理石の説明をします。美濃赤坂駅の東に隣接して、矢橋大理石の原石ヤードが有ります。駅構内には、まもなく到着する矢橋ホキ2番列車空荷を待つ、DE機関車がいます。(右端)上の地図03の■の位置からの撮影です。 |
写真05−03 矢橋ホキを待つEF65。背景は矢橋大理石の原石ヤード。 (撮影日 08/12/27) |
矢橋ホキ一番列車の石灰石積み込みを待つEF65機関車です。背景は矢橋大理石の原石ヤードです。 |
写真05−04 (撮影日 08/07/05)
矢橋大理石の原石ヤードの北部にある巨大なクレーン。 |
金生山の石灰岩はどうしてできたか 理科の勉強です |
上述のように、金生山は石灰石・大理石の産地であると同時に、化石の宝庫であり化石研究のメッカです。石灰岩と化石の結びつきは、日本に存在している石灰岩がどのようにして生まれたのかを確かめると理解できます。
金生山上には、赤坂商工会によって設営された金生山化石館があり、金生山で産出した化石約300点が展示されています。 |
写真05−05 美濃赤坂駅で出発を待つ矢橋ホキ (美濃赤坂@積 撮影日 08/12/27) |
出発を待つ朝一番の矢橋ホキ。美濃赤坂駅の7番貨物線。後方の緑の山が金生山。見づらいですが手前の部分と奥の部分が重なって写っています。手前の山(黒い屋根白い壁の2階建ての家の右手)の山頂部分に金生山化石館があります。自動車でも登れます。駐車場も有ります。 |
写真05−06 (撮影日 08/07/05) |
写真05−07 (撮影日 08/07/05) |
金生山化石館の外観です。 |
内部には数々の化石が展示されています。 |
写真05−08 (撮影日 08/07/05) |
写真05−09 (撮影日 08/12/27) |
石灰産業に関する説明もあります。 |
元赤坂小学校校長・元赤坂町長の熊野敏夫先生のコレクションが展示品の中心です。先生を讃える讃える銅像です。 |
発展学習です |
上の勉強の確認です。 |
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写真05−10 住友大阪セメント岐阜鉱山 (撮影日 04/12/05) |
廃線になった名鉄揖斐線の薮川鉄橋を渡る電車と住友大阪セメント岐阜鉱山(揖斐郡大野町稲富)です。虹と一緒に撮影できました。 |
金生山 100年の変化 |
金生山は、標高217m、東西約1km、南北2kmの全山が石灰石からなる山です。 |
しかし、近代以前は採掘技術も未熟なため、それほど大量の岩石が掘られたわけではありませんでした。脇水博士が描いた20世紀初頭の金生山は、山の周辺部のみが採掘されたにとどまっています。(下左の地図04) |
1900年頃の金生山は、南部を中心にほんの山裾の部分が採掘されているにとどまっていました。 |
以下、現在の金生山の姿をいろいろな角度から写真で紹介します。 |
写真05−11 金生山全景 (撮影日 08/12/06) |
岐阜駅前の岐阜シティ・タワー43の43階からの撮影です。中央に中央が金生山の全景です。その真後ろには伊吹山が見えるのですが、残念ながら雲の中です。 |
写真05−12 金生山北部の東側面 (撮影日 08/11/01) |
揖斐川鷺田橋上流の堤防上から撮影した金生山北部の東側面です。中央部は大きくえぐられています。後方は伊吹山です。標高1377.3mです。 |
写真05−13 金生山北部の北東側面 (撮影日 08/07/19) |
上のと同じ部分を角度を変えてずっと北東側から撮影したものです。中央部のえぐれた部分がよく分かります。 |
写真05−14 金生山北面。旧名鉄揖斐線薮川鉄橋から。 (撮影日 05/02/27) |
懐かしい写真ですみません。今はなき名鉄揖斐線の薮川鉄橋を渡る高橋尚子デザインの電車です。鉄橋の右半分の後ろに金生山の最北部が写っています。背景は、岐阜・滋賀・三重県境の霊仙岳です。 |
写真05−15 金生山化石館と虚空蔵菩薩 (撮影日 08/07/19) |
上に比べると緑の多い部分です。左端の緑は金生山化石館がある部分、右の緑は虚空蔵菩薩(金生山明星輪寺)がある部分です。ついでですから、下にその説明を掲載します。 |
写真05−16 虚空蔵菩薩(撮影日 08/12/27) |
写真05−17 虚空蔵菩薩説明(撮影日 08/12/27) |
写真を撮ってくるのを忘れましたが、虚空蔵菩薩の裏手(北側)の未採掘部分には、石灰岩地帯につきもののカルスト地形がほんの少し残っていて、「奇岩」を見ることができます。 |
写真05−18 金生山南面 (撮影日 08/09/27) |
手前の道路は名神高速道路です。大垣インタチェンジと養老サービスエリアの中間部分に当たります。大垣養老高校西の牧田川堤防上からの撮影です。中央部のえぐれた部分が痛々しい感じです。 |
写真05−19 金生山南部西側面 (撮影日 07/12/26) |
西側の東海道線下り本線(緩勾配路線)を米原に向かう、富山行き特急しらさぎ号です。南西部には昼飯地区の大工場群があります。これは次のページで説明します。 |
写真05−20 金生山遠景、東南側 (揖斐川鉄橋@積 撮影日 08/12/27) |
このページ最後の写真は、もう一度ちゃんと矢橋ホキの登場です。石灰石を満載して、揖斐川鉄橋にさしかかった矢橋ホキです。背景の低い丘が金生山です。南東側から眺めです。 |
このページはこれで終わります。 |
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