西濃鉄道石灰石専用列車と
大垣赤坂金生山04
 通称「矢橋ホキ」って知っていますか?貨物列車の1編成から産業と故郷を考えます。
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 美濃赤坂駅2 矢橋ホキ到着  

 前回に引き続いて、美濃赤坂駅の様子を説明します。
 前半は、駅の現状を、後半は到着した空荷
矢橋ホキの機関車入れ替えなどの様子を説明します。 


 美濃赤坂駅の現状

 美濃赤坂駅は、現在も広大な敷地をもっています。
 電車が入る本線(1本1ホーム面)以外に、敷地中央の幅広のホームには大きな荷物の集積場の建て屋が見られます。中央ホームを挟んで、東西各4本合計8本の線路が敷かれています。貨車入れ替え用の線路です。
 しかし、残念ながら、これらはすべて過去の遺物になっています。
 今は、9本の線路のうち、使われているのは、本線と東の6番・7番・8番のみです。 



 

 地図02のように美濃赤坂駅には、旧国鉄線路と西濃鉄道線路が合計9本走っています。
 一番西が本線、その東から順に1番〜4番、中央の幅広のホームを挟んで、さらに東に5番〜8番です。
 昔は、これらの線路には貨車があふれ、活気ある駅でした。

 右上1975年、左下1982年、右下1987年と過去の航空写真を眺めると、有蓋車・ホッパー車・無蓋車・タンク車など、たくさんの貨車が見いだせます。

地図02は線路を書き込むため、左右の長さが縦の2倍になっています。

これらの写真は国土交通省のウェブマッピングシステムのカラー空中写真から引用しています。
  ○国土交通省ウェブマッピングシステム 
      (http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/)

 写真04−01  美濃赤坂駅  (撮影 1975年)

 写真04−02 美濃赤坂駅   (撮影 1982年)

 写真04−03 美濃赤坂駅  (撮影 1987年)

 どの写真にも、たくさんの貨車が写っています。 

 写真04−04 駅西構内  (撮影日 08/07/05)

 写真04−05 駅東構内  (撮影日 08/12/23)

 現在では、駅構内には1日3往復登場する矢橋ホキ以外には、貨物車両は見られません。中央のホームには荷物が一杯積んであります。
 駅員さんに聞いて見ました。

「あの荷物って、貨車で運ぶのですか?」 

駅員

「いや、あれはトラックで運ぶ。あそこのホームは今は倉庫の代わりになっている。」


 写真04−06 駅東構内  (撮影日 08/12/23)

 戦前はよく使われたという、東隣の矢橋大理石工業の工場への引き込み線。
 今も一応線路は続いてはいます。 

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 矢橋ホキ、空荷到着

 後半は、空荷でやって来た矢橋ホキの機関車付け替えの様子をレポートします。 


 写真04−07   大垣方面からやって来たEF65と矢橋ホキ    (美濃赤坂A空 撮影日 08/12/23)

 美濃赤坂線を進んできた矢橋ホキEF65(この日は1072号機)は安楽寺大門踏切の手前で本線から脇線(貨物線1番)へ移ります。

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 写真04−08   安楽大門踏切                   (美濃赤坂@空 撮影日 08/07/19)

 午前5時50分前、美濃赤坂駅の入口に当たる安楽寺大門前踏切を通過するEF65矢橋ホキの1番列車空荷は、6時前に美濃赤坂に着きます。この写真は夏に撮影しましたから、太陽はすっかり昇って明るいですが、現在のような冬なら真っ暗です。
 後ろの緑は、通称
お勝山と呼ばれている小山です。金生山とは繋がってはいない独立の丘陵です。丘陵の北部には大垣市のお勝山葬儀場、墓地などがあります。踏切の向こうに見える石段は、この踏切の名前になっている、浄土宗勝山安楽寺への石段です。
 
EF65矢橋ホキは、この踏切の手前で、渡り線を通って、貨物線1番線に入ります。

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 写真04−09   EF65、構内へ                   (美濃赤坂A空、撮影日 08/12/23)

 安楽寺大門踏切を越えたEF65は、直近の渡り線に入って1番線路から7番線路へ移動していきます。

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 写真04−10   矢橋ホキ構内へ                  (美濃赤坂@空 撮影日 08/07/19)

 7番線路に入り、定められた位置に停車する矢橋ホキ。 

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 EF65からDDもしくはDEへ

 美濃赤坂駅まではJR貨物としてEF65に牽引されてきた矢橋ホキは、美濃赤坂駅構内で西濃鉄道のディーゼル機関車に付け替えられます。
 西濃鉄道では、
DE機関車もしくはDD機関車を使っていて、今度はそれが矢橋ホキを牽引します。
 2008年12月23日は、DE10が牽引しました。


 写真04−10 到着    (撮影日 08/12/23)

 写真04−11 切り離し   (撮影日 08/12/23)

 左:EF65−1072号機は、7番線路を白旗を振る係員の位置へ向かってそろりそろりと進み、停車します。
 右:連結器を切り離した後、単機でこれまた赤と緑の旗に持ち替えた係員の誘導で、次のポイントへ向かいます。
   後方右端に見える赤い屋根の機関車は、
DE10−501号機で、次に矢橋ホキを牽引します。 


 写真04−12 入れ替え   (撮影日 08/12/23)

 写真04−13   バック (撮影日 08/12/23)

 左:ポイントの先まで来ると再び停車です。
   写真04−10の時と、写真04−11以降とでは、同じ方向へ進んでいても、ライトの点灯の仕方が違います。
 右:係員さんが乗るところを反対側に換えて(この写真では見えません)、バックです。
   この間に、西濃鉄道の
DE10−501号機が近づいてきます。

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 写真04−14 DE10その1 (撮影日 08/12/23)

 写真04−15 DE10その2 (撮影日 08/12/23)

 左:EF65−1072号機が7番線路から6番線路へ渡ります。そしてだんだん遠ざかります。
 右:8番線路にいたDE10−501号機はこちらに近い付いてきて、手前の渡り線に向かいます。 


 写真04−16 DE10その3 (撮影日 08/12/23)

 写真04−17 DE10その4 (撮影日 08/12/23)

 左:DE10−501号機はポイントのこちら側に来て停車、バックします。
 右:渡り線を渡って7番線路に入ったDE10−501号機は、そのままバックして矢橋ホキと連結します。

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 西濃鉄道では通常は、DD40という機関車を使っています。 


 写真04−18 DD403待機 (撮影日 08/07/19)

 写真04−19 DD403接続 (撮影日 08/07/19)

 左:8番線路に待機するDD403号機です。
 右:
EF65との交代が完了し、連結をする寸前のDD403号機です。


 写真04−10    DD403準備完了              (美濃赤坂@空 撮影日 08/07/12)

 DD403号機と矢橋ホキとの連結が完了し、出発直前の状態です。EF56は、矢橋ホキが石灰石を満載して戻ってくるまで、約2時間待機です。


 写真04−10   DD403出発                 (美濃赤坂@空 撮影日 08/07/12)

 1番列車のDD403+矢橋ホキが、朝6時過ぎ、西濃鉄道乙女坂駅へ向けて出発します。
 ただし、時刻表上の出発の時間は6時18分で、EF65の美濃赤坂駅到着の28分後ですが、実際にはこのとおりではありません。機関車の交換作業が終わり次第、すぐに出発します。通常は到着後10分ちょっとぐらいで出発となります。


 写真04−10 金生山へ                   (美濃赤坂@空 撮影日 08/07/12)

 DD403号機に引かれた矢橋ホキは、8番線路から西濃鉄道市橋線に入り、乙女坂駅へと向かいます。駅北端の農業会入口踏切を越えて赤坂の市街地に入ります。
 この踏切が、「0K412M」ですから、起点は7番線路の南の分岐点でしょうか?(未確認です)

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 次回は、この列車の向かう先、この列車輸送のすべての源である赤坂金生山について説明します。 


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