岐阜県の東海道線あれこれ7
 写真を題材に、岐阜県の東海道線についてあれこれ紹介します。
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 垂井線の謎1 一見右側通行電車 08/01/13掲載 08/01/20修正

 まずは問題提起、次の写真の「異常」なところは?

 このシリーズ3つ目のテーマは、「垂井線の謎」です。

 最初は問題提起。電車内部から写した次の線路の写真を見てください。
 「えっ、こんなことあるんですか?」というふうに、「
異常」に気付いていただけますでしょうか。

この写真での問題提起は、実は、2007年7月の日記で予告しています。(こちらです→)それから説明するまで、半年もかかってしまいました。(^_^)

 関ヶ原−垂井間 豊橋行き3108F車内より撮影(撮影日 07/09/01)

 

 この写真は、関ヶ原駅から垂井駅に向かう上り電車の中から写したものです。 
 場所は、東海道線が旧中山道とクロスする
出屋敷踏切の少し東で、垂井駅へ向けて急な下り坂が続く地点です。

 ちゃんと運転手が映っていますからこれは
先頭車両です。
 問題は走っている線路です。
 2本の複線のうち、
電車は右側を走っています。これはどうしたことでしょう?日本の鉄道は左側通行のはずですが、この電車は右側通行をしています。
 このまま走ると正面衝突??そんなことはありません。

 これがここでいう
垂井線の謎です。

 たいした謎解きではありません。
「google検索」で「垂井線、右側通行」を検索すると、30件がヒットします。その程度の先人は存在しているということです。
 では、この未来航路の見所は?
 ご存じ、大量の写真と、現場を詳細に見ずに書いておられる他のサイトとは違った視点からの説明(現場100回はオーバーですが、かなり足を運びました)、そして、他の関連事項とのつながりです。(知識のネットワークこそが重要です。)

 ちなみに、上の写真ですが、「
列車が右側通行している」という記述はあちこちのサイトにありますが、その様子を撮した写真は、HP上では見かけたことはありません。なぜそうなのかの秘密は、後で話します。
 乞うご期待。


 では謎解きです まずは垂井線の説明から

 そもそも、私が勝手にタイトルに付けた、この「垂井線の謎」という言い方が、不思議な言い方です。
 普通にネーミングすれば、「
JR東海道線 関ヶ原−垂井間 上り線の謎」というべきところでしょうが、簡単に、「垂井線の謎」となっています。
 「
垂井線」って、なんでしょうか?
 
 鉄道マニアの方には、有名なことですが、そうでない方もこのページをお読みになることでしょうから、まず、
垂井線そのものについて説明します。
 そのためには、
現在のJR東海道線が大垣と関ヶ原の間で、二つに分かれていることから説明しなければなりません。
 下の地図をご覧ください。

上の地図は、グーグル・アースGoogle Earth home http://earth.google.com/)から複写した写真から作製しました。


 地図10の右端(東端)に大垣駅があります。(県都岐阜はさらにその東(右方)です。)
 中央やや左寄りに、歴史上、1600年の関ヶ原の戦いで有名な関ヶ原町の
関ヶ原駅があります。(駅は旧戦場のど真ん中にあります。)
 この間に、いくつかの鉄道線路が示されています。上の地図の凡例に従って説明します。
関ヶ原以西と南荒尾信号所以東の普通のJR東海道線上下線を示しています。
東海道新幹線です。
南荒尾信号所−関ヶ原間の東海道線下り専用線です。大きく北側に迂回しています。
南荒尾信号所−関ヶ原間の東海道線上り専用線とそれと平行して走るまったく別の路線となっている垂井線です。
本題には無関係ですが、同じく南荒尾信号所で分岐する支線の美濃赤坂線です。

 つまり、南荒尾信号所と関ヶ原の間には、北側の山側に迂回して離れて走っている東海道線下り専用線と、並んで走っている東海道線上り専用線と別の路線の垂井線の3本の線があるのです。

 図式化すると次のようになります。 



 つまり右側通行電車の本当の姿は・・

 もうおわかりと思いますが、上の写真の2本の線路は、実は、正確には、JR東海道線の上下線ではなく、東海道線上り専用線(写真左側の線路)と垂井線(私が乗っている電車が走っている写真右側の線路)の2本の線路なのです。
 つまり、電車が走っているのは、東海道線上下線の複線の右側の線路ではなく、
垂井線という独立した単線路線の線路なのです。複線の右側を走ると右側通行で普通に向かってくる電車と正面衝突は必至ですが、まったく別の独立した単線路線なら、普通に信号を守ればどちら向きに走ろうが安全です。
 
 
一見右側通行の電車は、実は、東海道線上り線に並んで敷設されている、単線の垂井線を走っている電車でした。言い換えれば、東海道線線路の右側通行ではなかったのです。
  
  ※どうしてこんな複雑な線路が敷かれているのかについては、
「垂井線の謎2」→で説明します。


 では、一見右側通行の電車はいつ走る?

 この一見右側通行の電車の写真は、HP上や書籍上では見かけません。
 マニアがたくさんいるのになぜ写真に撮られていないのでしょうか?

 一つの発見が、この写真の掲載を実現しました。
  そもそも垂井線と関ヶ原駅の構造に言及した書き物は多く、そこにはたいていの場合次のように書かれています。

「東海道線下り線は現在では特急や貨物列車専用となっており、通常の普通電車は大垣から垂井線を通って、垂井・関ヶ原に向かう。そして、関ヶ原止まりの電車の場合、大垣方面へ引き返す場合も、また、同じ垂井線上を引き返してくる。したがって、時々ではあるが、一見右側通行する電車が見られる。」

    ※なぜこうなるのか、関ヶ原駅の線路配置の説明は、次ページの「垂井線の謎1の続き」
 この表現をそのまま鵜呑みにすると、
一日に何回か、関ヶ原止まりの電車(つまりそこから大垣方面へ逆もどりする電車)があって、それが大垣から帰る時に、垂井線上を一見右側通行するのを見ることができ、写真に撮ることもできそうです。
 しかし、現実にはそれは簡単ではありません。

 理由はというと、現在の時刻表では、関ヶ原止まりの電車というのは、平日の夜に3本あるだけなのです。
名古屋発関ヶ原行きのホームライナー関ヶ原1号(関ヶ原到着20:27)・同3号(同21;28)・同5号(23:01)の3本です。ホームライナーとは、空いた特急車両を帰宅時間帯に運転する特別電車です。
 この電車は、垂井線を通って関ヶ原駅に着くと、運転乗務員さんがホームの端から端まで歩いていって、名古屋方面の先頭車両に乗り換え、また、同じ垂井線を垂井へ向かって運転していきます。(ちゃんと自分の目で確認しました。)
 この電車を写真にうまく撮って、写真らしいいわゆる「絵になる」ものにするのは、なかなか技術が必要だと思います。関ヶ原からの帰りは、回送電車ですから、ヘッドライトとテールライトは付いているものの、客室のライトは消えていて真っ暗です。これでは写真らしい写真は難しいと思いますが、写真の専門家の方、いかがでしょうか。

 写真の素人である私は、名案が浮かばず、右側通行電車の撮影は一度はあきらめました。いくら時刻表を探しても、昼間に関ヶ原止まりの電車一つもありません。
 しかし、西村京太郎の列車ミステリーやTVの推理ドラマではありませんが、ちゃんと写真に撮影できる電車が存在したのです。
 ※ここで間合いです。にくい演出です。(自分で言ってどうする (^_^)) 


 上の写真は、先頭の写真と同じ垂井線を走る電車から撮影しました。右側通行です。(撮影日 07/09/01)
 下の写真は、普通に米原から来た電車で、
東海道線上り線を走っています。左側通行です。

 窓の右端から見えるのは、国道21号線ですが、上下二つの写真に同じ
赤い四角い看板(コーヒーとお好み焼き きみちゃん)が映っています。上の窓から見える先のカーブを曲がると垂井駅です。(関ヶ原−垂井間 撮影日07/09/01)


「関ヶ原止まり」=「名古屋方面から関ヶ原行き」=「下り線」=「下りの時刻表を探す」という発想から抜け出さなければ、この電車を発見し撮影することは実現しませんでした。
 「待てよ。ひょっとして、
早朝関ヶ原始発の電車があれば、それも、その日の朝大垣から来て、垂井線を通って行くのではないか?」

 時刻表を探すと、ありました。ありました。嬉しいです本当にあったのです。
 
関ヶ原を早朝5時55分にに発車する豊橋行き電車3108Fです。

08/01/20追加修正 あとでもう1本見つけました。平日のみのダイヤ、関ヶ原発07:21の2308F電車です。それについては次のページに「垂井線の謎1の続き」を書きます。

 しかし、実際に駅に行って自分の目で見るまでは、へたなことは言えません。
 そして、確認したのがこのページの写真群です。


 左の写真 大垣の電車庫から、関ヶ原5時55分発上り1番電車として出発する電車がやって来ました。2番線に入りました。これはもう間違いありません。
 右の写真 出発すると、すぐにポイントで右の垂井線線路に移りました。真っ直ぐ行くと、旧新垂井経由の下り専用線に逆戻りしてしまいます。(左右とも撮影日 07/07/16)


垂井線を関ヶ原方面から垂井へ向かう5時55分発上り一見右側通行電車。先頭車両を示すヘッドライトが点灯されています。
 右は出屋敷踏切から撮影。(踏切の場所は上の地図に示してあります。地図へ↑
 左は、右の写真の青い陸橋(日の出橋)から撮影。(関ヶ原−垂井間 撮影日 左 07/08/04 右 07/08/19)


 左右とも1段上の右の写真と同じ出屋敷踏切から撮影。
 左の写真は、
垂井線を垂井から関ヶ原方面へ向かう下り電車の最後尾。こちらは普通の左側通行電車です。赤いテールライトがついています。
 右は、同じ場所の
東海道線上り線路を垂井方面へ向かう当たり前の上り電車。(左右とも 撮影日 07/08/19)

 左 先頭車両からの撮影です。垂井線を通ってきた上り一見右側通行電車が垂井駅に入ります。カーブの途中での撮影のため、カメラ位置が線路間の草の中に見えて変ですが、電車そのものは、右の線路を走っています。

 右 垂井駅を出た電車は、一番右の線路から、ポイントを渡って本来の
東海道線上り線へ移ります。したがって、ここから先は、一見右側通行電車ではありません。
 書籍やHPによっては、
「大垣まで右側通行」とかかれているものもありますが、それは事実を確認していないための錯覚です。
 この
早朝電車も、上で説明した、ホームライナー1号・2号・3号も、垂井駅で一見右側走行を止めて、東海道線上り線に入って、普通の左側通行電車に戻ります。

 左 1段上の右の写真で、ポイントで線路をまたいでいく直前の電車の車内からの撮影です。
 右 そのポイントを過ぎると、普通に東海道線上り線を左側通行して大垣へ向かいます。(左右とも 撮影日 07/09/01)


 さて、これで、垂井線の上り一見右側通行電車の実態が理解していただけたと思います。くどいくらいの写真を使ってしまいました。何しろやたらたくさん時間を使って撮影したものですから。(^_^) 
  
 最後のだめ押しですが、この電車の写真が余り撮影されていない理由を説明します。

 時刻表を丹念に確認し、早朝に上り一見右側通行電車(関ヶ原始発電車)があることに気が付く人(マニア・探究心熱心な人)はそれほどいない。

 

 気が付いた人がいたとしても、早朝、5時55分の電車では、わざわざ出かけて撮影するには、やる気と根気が要る。(私は、この撮影のためだけに、朝4時半起きというのを5回もやりました。(*_*))

08/01/20追加修正 あとでもう1本見つけました。平日のみのダイヤ、関ヶ原発07:21の2308F電車です。それについては次のページに「垂井線の謎1の続き」を書きます。

 

 撮影しようとしても、右側通行する時間帯は関ヶ原駅から垂井駅までの間の5分、つまり5時55分から6時ちょうどまでに限られる。
 日の出の時間の関係上、
早朝のこの時間帯に上のような写真が撮影できるのは、1年のうち7ヶ月程度に限られる。(これを読んで明日出かけても、1月では、真っ暗です。この地域の日の出の時間を考えると、太陽が昇ってある程度明るいという時間帯にこの電車を見ることができるのは、春分の日前後から秋分の日前後ぐらいまでです。この電車の撮影は、期間限定です。) 

 かくて、上の写真群は、たぶん、貴重な写真となることと思います。 


【補足】 08/01/20 追加記述
 この部分は、最初のアップロードから1週間遅れて書いています。
 
 上の、
関ヶ原発05:55の電車の発見に浮かれて、明るいうちに走る上り一見右側通行電車が、もう1本あることを見落とすところでした。
 詳細は、次のページに「
垂井線の謎1の続き」を書きます。 


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