名鉄揖斐線・廃線物語01
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 □名鉄揖斐線の廃線発表 and 沿線紹介part1
   04/11/11 作成  05/07/14修正 10/06/30追加修正     
 はじめに−何が起ころうとしているのか                        

 2002(平成14)年11月2日、岐阜の地方紙『岐阜新聞』朝刊は、名古屋鉄道(名鉄)が沿線各市町に対して、 揖斐線・美濃町線・田神線・岐阜市内線に関して、「今後の経営状況によっては廃線を余儀なくされる可能性がある」とを伝えていたと報じました。(以後の表記では、田神線美濃町線に含めて、「3線廃止」、「3路線撤退」などと表現される場合もあります。
 廃線を余儀なくされる理由は、いうまでもなく、利用者減による赤字の増大です。

 10月の下旬、 
揖斐線・美濃町線・岐阜市内線の沿線各市町助役等(岐阜市・関市・大野町・北方町・真正町(当時、現在は合併により本巣市の一部))は、平成13年度の路面電車に関する経営状況報告を受けていました。
 それによると、3線の1日の輸送人員は平均1万7000人、10年前の6割に減少し、約17億円の赤字を計上し、100円の収入を得るのに313円の費用がかかる状況であり、経営の維持は困難ということでした。
 
 電車がなくなってしまう−。
 交通手段が変化していくことは世の常ですが、高齢化社会に適した輸送手段として、又環境問題にも貢献できる輸送手段として、最近では、世界的に都市近郊の電車があちこちで見直されています。ヨーロッパでは、新しい都市交通として脚光を浴びています。

 なのに、ここ岐阜市では、路面電車や近郊電車が消えていこうとしています。

 果たして本当に消えゆかねばならない運命なのか?
 3線の現状と将来をレポートするために、このテーマを設定しました。

 右は、田神線市ノ坪駅に停車中のモ800形。美濃町線の競輪場前停留所から分岐して南進し、市ノ坪の西で各務原線に接続し、新岐阜駅へ向かいます。
 左の赤い電車は、市ノ坪検車区の退避線上の市内線用電車モ574。今は運転休止中。(撮影日04/10/24)

 朝の市内線徹明町交差点。手前は、徹明町停留所から右折して新岐阜向かう770形特別塗装車。
 向こうは、
美濃町線の終点徹明町停留所に止まるモ593の特別塗装車。この2両の特別塗装についてはあとで説明します。(撮影日04/10/24)


 3(4)路線の説明                                          | このページの先頭へ |

 下の地図をご覧ください。
 現在存続が危うくなっているこの3(4)路線は、岐阜市の中心部と北東、北西の郊外を結ぶ鉄道及び軌道です。
 名鉄名古屋本線や各務原線が架線の電圧1500Vの線区なのに対して、この3(4)路線はいずれも600V線区です。
 ただし、
岐阜市内線・美濃町線・田神線が、法律上は軌道法の適用を受ける軌道であるのに対して、揖斐線は、鉄道法の適用を受ける鉄道です。
 いろいろな違いはありますが、一つはスピードです。軌道法の適用を受ける
美濃町線は、郊外の線用軌道上でも、時速40km以上は出すことはできません。

 各路線の詳細は次のとおりです。
  


路線名

駅と経路

距離

岐阜市内線

岐阜駅前−徹明町−忠節(複線)

3.7km

揖斐線

忠節−黒野(単線)

12.7km

美濃町線

徹明町−競輪場前−関(一部複線)

18.8km

田神線

田神−市ノ坪−競輪場前(単線)

1.4km

 岐阜市生まれの私にとっては、どの路線も愛着のある路線です。
 市内線は、小さい頃から市民の足でしたし、
美濃町線の徹明町−競輪場前、田神線の田神−市ノ坪−競輪場前は、私が通った中学校の校区を走っています。
 
田神線は、他の線区が太平洋戦争前に開通したのに対して、1970(昭和45)年の開通と、まだ新しい路線です。
 実は、
田神線の開業そのものも、名鉄の経営努力を語る物語です。開通の経緯を説明します。
 
 名鉄の岐阜工場(車庫と車輌検査場)は、1918年からずっと新岐阜駅のすぐ東、岐阜市の中心部の長住町にありました。(1918年以前は岐阜市寺町)現在のロフトの北東、長住町通を挟んだ反対側の名鉄新岐阜駐車場のあるところです。
 市中心部の一等地にかなりの面積の車輌の基地があるのは都市計画上うまくないということから移転が検討され、1966年8月に
市ノ坪に新工場が移転しました。私ごとながら、これは、私が中学校入学の前年のことです。
 余談ですが、名鉄工場ができる前の市ノ坪は、現在も工場に沿って流れる荒田川の周りに田んぼが広がるのどかな郊外の田園地帯で、小学生時代は、「小ぶな釣りし かの川」といった感じの場所でした。
 
 もとへ戻します。
 市ノ坪への工場移転にともなって、電車は
美濃町線から分岐し市道上に敷設された引き込み線を経由して工場へ入っていました。この線路の軌道敷設特許取得は、1963(昭和38)年5月、線路の使用開始は、1966年5月です。
 その後、高まるモータリゼーションに抵抗すべく、名鉄は、
美濃町線の各務原線新岐阜駅乗り入れを図ります。
 
美濃町線の終点徹明町は、岐阜市の繁華街柳ヶ瀬に近い非常に便利なところですが、名鉄名古屋本線の駅新岐阜駅までは直線で600m離れており、乗り換えには不便です。
 このため、
美濃町線から市ノ坪の岐阜工場までの引き込み線をさらに延長して田神駅東で各務原線に接続し、各務原線に乗り入れて新岐阜駅につなぎ、美濃町線沿線から名古屋本線利用者の増加を図ろうというものでした。(名古屋本線と各務原線の新岐阜駅は、通りを挟んだ隣同士で、道路を越える専用歩道橋で結ばれています。)
 1970年の開通後、一時は急行も走り、新岐阜−新関間は、最速40分で結ばれていました。

 しかし、この挑戦も、結果的には乗客増には、つながりませんでした。
 現在では、普通のみが所要時間54分で、新岐阜と関を結んでいます。
  ※徳田耕一著『まるごと 名鉄ぶらり沿線の旅』(河出書房新社 2004年7月)P125   


 揖斐線に愛情を込めて・・・路線・駅・停留所紹介part1        | このページの先頭へ |

 名鉄が廃線を計画しているのは、上記の3(4)路線すべてです。
 このページのタイトルを、「
名鉄揖斐線・廃線物語」としたのは、そのうち、特に揖斐線(含む市内線)にしぼって、その現状と、ひょっとしたら廃線になってしまうまでの経過を記録に残そうということです。
 「何故
揖斐線に格別の愛情か」というと、現在私が居住しているところは岐阜市の北西近郊で(上の地図のの位置です)、揖斐線と市内線は、いわば私の「日常の風景」となっているものであり、また、自動車通勤ながら、年に20往復ぐらいは乗車する電車であるからです。(乗るのは、職場の宴会とか、車が利用できない時のみですが・・・・。(-_-;))

 揖斐線だけではなく、市内線も含める理由を説明します。
 現在の運行では、黒野発の
揖斐線のすべての電車が市内線への直通となっており、市内線は、揖斐線からの電車+市内線のみの電車(本数は少ない)という運行状況となっています。つまり、おおざっぱに言えば、市内線揖斐線は一体となった状況になっているのです。

 では、あらためまして、本編の主役の揖斐線と市内線の経路と駅・停留所を紹介します。

<空から見た名鉄揖斐線沿線>

 【追加】この写真は、2005年7月14日に追加しました。
 岐阜市街から長良川を渡ったところ、忠節駅で、市内線は終わります。
 忠節駅から揖斐線となり、濃尾平野の北端を西へ走ります。伊自良川鉄橋、北方町市街地を経て、根尾川(薮川)鉄橋を過ぎると大野町へ入り、北上して終点黒野駅に到着です。

 この写真は、NASAのWorld winds により作成したものです。
 このソフトについては、こちらをご覧ください。
 


 市内線には、JR岐阜駅前停留所から早田(そうでん)停留所まで、路面電車としての9つの停留所があります。延長は、3.7km。所要時間は、路面電車ですから、自動車の混雑の状況に左右されてしまいますが、朝8時台で、新岐阜駅−忠節間が19分の計算となっています。
 忠節駅手前で専用線路に入り、以下、終点の黒野まで、忠節を含めて、13の駅があります。忠節以西が揖斐線です。12.7kmで、所要時間は朝8時台で29分です。 
 沿線を写真で紹介します。   

 JR岐阜駅前。
 左の写真の上の建物がJR岐阜駅。この2枚には残念ながら市内線電車は映っていません。(他の電車は映っていますが・・・。)
 実は、駅前のこの道路、県道の54号線の改修工事にともない2003年12月1日から2005年3月31日まで名鉄は市内線の電車の運行を休止しています。3路線の廃止が2005年4月1日からですから、実質的にはこのまま復活されずに、廃線の運命となります。
 JR岐阜駅は、高架化が完成のあと、旧ステーションビルの解体、駅前広場の整備と、矢継ぎ早に整備がなされ、10年前とは面目が一新しました。
 高架駅内には、JR電車が停車中です。(よく見えません(-_-;))

 右の写真には、JR岐阜駅前に停留所の安全地帯です。以前、国鉄駅前であった当時は、ここにも上下2本の線路が敷かれていて、安全地帯も二つありました。今は一つです。
 ところで、この安全地帯は、岐阜市内線で唯一のものです。
「えっ、路面電車なのに他には安全地帯がないの?」と驚かれる方もあるかもしれませんが、他の8つの停留所には、安全地帯はありません。これは、岐阜市内線の弱点の一つです。別の項目でまた説明します。

 写真の中央、線路は、安全地帯の向こうで、はぎ取られています。

 道路の奥、画面を横切っている赤と白の電車は、名鉄名古屋本線新岐阜駅(2005年1月末より名鉄岐阜駅と改称予定)に停車中の電車です。(撮影日いずれも 04/11/13)


 余談ですが、左の写真は、岐阜駅前に2004年2月に開業した「コンフォートホテル岐阜」の13階から撮影しました。
 フロントとでの、係の若くてとても素敵な女性とのやり取り。

「すみません。お客でなくて申し訳ありませんが、13階から、前の通りと岐阜駅の写真を撮影したいのですが、お許し願いますか?」

「何かの営業ですか。」

「いえ、まったくの趣味です。」

「ちょっとお待ちください。13階まで私がご案内します。」

「いえ、怪しいものではありません。身分は岐阜県の教員です。」身分証明書を見せました。

「あやしいとか、そういうことではなくて、当ホテルとしては、また何かのご縁でホテルを利用していただくときもあるかとも思います。よろこんで、ご案内させていただきます。」


 立派なホテルです。感謝、感謝。


 新岐阜駅前停留所。 
 左の写真、手前は新岐阜百貨店、向こうはPARCO。
 右の写真、金宝町から新岐阜駅前へ向かい来るモ770形。新岐阜百貨店より撮影。
 昔は、この百貨店にも屋上にミニ遊園地があり、ジェットコースターなどがあって、小さい頃はよく遊びました。今は、屋上は閉鎖されていて、上がることはできません。
 この写真は、百貨店3階の文具売り場から撮影しました。本来は窓にカーテンが閉まっていて外を見ることはできませんが、売り場主任に特別に頼んで、窓を開けてもらいました。感謝。(撮影日はいずれも 04/11/03)

 同じく新岐阜駅前停留所。
 右の写真は、今まさに出発しようとする黒野行きモ780形の2両連結。この日は、沿線のハイキングの催しがあったため、増結されて2両となりました。通常は、この時間帯は、1両です。 
 左の写真は、右の写真の背景に見えるJR岐阜駅のホームから撮影した新岐阜駅前停留所に停車中のモ780形。
 上で説明したように現在は、新岐阜駅前−JR岐阜駅前が運転休止となっているため、新岐阜駅前は事実上の終点です。
 黒野から来た上り電車は、写真中央、右側の線路の停車場所(緑色のエリアを白線で囲ったところ)で乗客を降ろし、手前のポイントで、左の下り線路へ移動します。左右の写真では、同じ位置に電車が止まっています。(撮影日 左 04/11/13 右 04/11/03)


 左、忠節駅方面から来たモ780形。このあと徹明町の交差点を右折し、南進して新岐阜駅前に向かう。(撮影日 04/11/06)
 右、金町停留所を出発する、早朝のモ572。自動車が少なく、快適に走る。(撮影日 04/10/24)


 西野町から忠節橋に向かうモ780形。日曜日の午後、自家用車に囲まれて。(撮影日 04/11/03)  

 忠節橋をわたるモ770形。この橋は独特のアーチが美しく、写真になる橋です。(撮影日 04/11/07)  


 忠節橋から坂を下り、交差点西北の角から専用軌道に入るモ780形。(撮影日 03/02/01)  

 残雪が残る忠節駅西の待避線のモ571とモ785。(撮影日 03/02/01)  


 旦ノ島から伊自良川橋梁へ向かう坂を登るモ780形。忠節−黒野間は単線。(撮影日 04/10/24)  

 伊自良川橋梁(通称 尻毛橋梁)を渡るモ782。 (撮影日 03/02/01)  


  伊自良川から西の路線については、次回に紹介します。  


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