各務原・川崎航空機・戦闘機14 |
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□追加3 −航空自衛隊岐阜基地その2 戦争遺跡V 弾痕− |
その前に、上の地図と下の地図、つまり現在と昔の各務原基地を比べて、違うところ同じ所を確認します。
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基地の塀に現在も残る機銃掃射の弾痕 | このページの先頭へ | |
すでにこのシリーズの説明の至る所で触れてきたように、現在の各務原市には、太平洋戦争当時の「戦争遺跡」(戦時遺跡)が多数残っています。 |
左の写真は、地図のCの部分を跨線橋の下からから見たものです(西向きで撮影)。 |
国道21号線三柿野跨線橋と航空自衛隊岐阜基地の間の細い道を通ると、各務原市歴史民俗資料館お墨付きの、「機銃掃射によって破壊された塀の支柱」を発見することができます。 |
左上の写真は、跨線橋を西側に降りた所の、国道21号線の歩道に沿った部分での撮影です。弾痕と思われるものが映っています。 |
この2枚写真は、塀の別の部分のものです。 |
基地基地の外には、説明も看板もありませんが、実は、基地の中には、ちゃんと説明版があります。(以下の写真は、友人のT氏の撮影によるものです。協力感謝。) |
基地内からみた外壁部分。塀の向こうの斜めの構造物は、国道21号線の跨線橋です。 |
説明板のアップです。こういう説明板を基地の外にも作ってほしいです。 |
説明版の西側部分の弾痕です。 |
基地内の戦争関連の遺物・碑などなど | このページの先頭へ | |
以上の弾痕の他、基地内には、いろいろな戦争関連の遺物や碑が残っています。いくつかを写真で紹介します。 |
古くからの格納庫。この撮影のあと、3棟のうち2棟は解体されました。 |
陸軍航空廠史跡碑。 |
飛行第一連隊の記念碑。 |
少年飛行兵の記念碑。 |
上左:戦時中の零式三座水上偵察機の残骸。 |
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1998年、三菱重工に渡され、機体の修復がなされました。 |
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