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 GWの旅行は 富山県の自然と電車  10/05/16記述 | 全行程目次・地図へ |

 2010年4月30日深夜から5月2日にかけて、ゴールデンウィークの旅行に行きました。これで2008(平成20)年8月の新潟佐渡・群馬富岡旅行以来、5回連続の妻と二人の旅行となりました。もう、なかなか子どもたちと一緒というわけにはいきません。

「ねえねえ、ゴールデン・ウィークの旅行はどこがいいかな?」

「そうくると思った。3月に高知・松山へ大遠征旅行に行ったばかりだから、いくら5連休とはいえ、あまり遠いところはやめよう。お金もないし、またまたスピード違反で危ない目に遭いたくない。あれは冷や汗だった。」

 このスピード違反については、前回の旅行記、「土佐高知・伊予松山旅行」には詳しく書きませんでしたが、実は、とてもひやひやして1ヶ月間を過ごしました。
 瀬戸内海を渡る橋と、高速道路がつながっていると勘違いして、一般道路をかなりのスピードで走ってしまったのです。前を大きなトラックが走っていたので、それにつられて走りましたが、実はそこは「制限時速60km」の一般道路だったというわけです。もしそこにオービスがあったら・・・・。
 オービスで検挙された経験者に聞くと、「撮影されたら絶対分かる。バシャと盛大だから」と言うことで、おそらくは撮影されていないと祈っていましたが、場所が場所です。私が警察なら、あの区間は絶対オービスを設置します。

 これも経験者から聞くと、「オービスされると、1ヶ月ぐらいで現地の警察から連絡が来る」とのことでしたので、この1ヶ月間、非常〜に心配していました。
 もう50日ほどたちましたので、どうやらお目こぼしいただいたようですが、あまりいい気持ちではありません。長距離ドライブはいいですが、慎重に運転しなければなりません。(-_-;)

「では候補地は、石見銀山讃岐の金比羅様三内丸山の縄文遺跡。」

「君には地理的な感覚はないのか。今の三カ所は、魅力的な場所だとは思うけど、島根県香川県青森県だぞ。頼むからもっと近いところにしておくれ。」

「もう大河ドラマシリーズは今年の分は行っちゃったから、次は、大自然シリーズ。

「よーしよーし、いい子だ。それならいいところがある。立山連峰の黒部峡谷と、立山連峰を海越えで眺める、富山県氷見市の雨晴海岸。これなら大自然を満喫できる。」

「わあ、面白そう。

「では、2010年のゴールデンウィークの旅行は、隣の富山県の自然を楽しむことで決定。そして、ついでだが、富山県の富山市高岡市には、全国で19カ所しかない路面電車が、なんと3路線も走っているので、それも見に行こう。出発は、前回同様、休日前の金曜日の夜。計画決定。決定。」 

 ここまでこの未来航路、とりわけ旅行記を読み続けていただいた方は、上の妻との会話の中に、私の希望がきっちり盛り込まれたことに気がつかれたと思います。「目から鱗の話」には、「各地の路面電車」が掲載中です。これまで、全国19カ所のうちの3カ所を訪問しています。今回さらに一気に3カ所増えるわけです。
 しかも、黒部峡谷と言えば、かの有名な
トロッコ列車が走っています。
 とてもいい計画です。


 ルート説明と経費      | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 前回の「金曜日夜出発、とりあえずその日の内に目的地の近くまで行く」という作戦は大成功でしたので、今回も採用となりました。しかも、前回の高知と違って、今回は初日の最初の目的地が氷見市の雨晴海岸ですから、楽なものです。仕事を終えた金曜日の夜、20時過ぎに出発して、3時間でもう目的地到着です。

地図01全行程図||地図02黒部峡谷と周辺図||地図03立山黒部アルペンルート説明図
説明図01黒部水系ダム発電所等模式図||地図04宇奈月温泉地図||地図05黒部峡谷詳細図
地図06欅平駅周辺地図||地図07欅平駅イメージ図

  <訪問地と時間、走行距離>
 

日付

時間 行 程 距離 

30日

20:25

岐阜出発   0km
 

 

 

2315

高岡着  209km 

1日

05:45

高岡発  
 

 

  

06:00

雨晴海岸着 216km

06:23

雨晴海岸発   
 

  

06:53

高岡古城公園着 227km
 

高岡市内中心部周遊

  

08:24

高岡古城公園発 659km
     

08:40

富山新港海王丸着

  245km
10:25 富山新港海王丸発   
 

  
10:25 富山市内着   268km
  富山市内周遊  
15:20 富山市内発   280km
     
16:40 宇奈月温泉着   341km

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日付

時間 行 程 距離 



午前

06:30

宇奈月温泉周遊

  

07:32

宇奈月発:トロッコ列車  
 

 

  

08:47

欅平(けやきだいら)着

10:43

欅平発
 

 

  

12:05

宇奈月着   

全走行距離は640kmとなりました。
実質運転時間は、約11時間30分でした。(休憩時間を含む)

日付

時間 行 程 距離 



午後

13:20 宇奈月発  
 

  
14:50 雨晴海岸着   427km
15:37 雨晴海岸発   
     
15:58 高岡駅着   438km
16:03 高岡駅発   
  ↓(途中高速道路渋滞)   

21:18

岐阜着 640km

 今回も、安い高速道路料金、そして安い宿のダブル節約旅行で、費用は大変安く上がりました。
 参考までに、経費です。 


項 目

説 明

単価等

合計金額

高速道路料金    

美濃−小矢部東本線

1,000

4,150

小矢部東本線−高岡自動車道路往復

800

富山−黒部

600

黒部−小杉   750
小矢部東本線−美濃   1,000

ガソリン代

全走行距離640km@ 燃費16.9km/リットルA
ガソリン単価 134円/リットルB @÷A×B 

5,075

鉄道料金等  

トロッコ列車往復

1,660

3,320

宿泊   

ホテルアークスクエア(素泊まり)

5,250

宇奈月温泉 ペンション チャーリーズクラブ(食事なし)     9,300

駐車場料金

富山市内駐車場

200

総費用

(交通費・宿泊費の総額) 

 

27,295


 今回の二人分の総費用は、27,295円となりました。

 この3月の高知・松山旅行の総費用が 57,031円、昨年の長野・群馬・新潟・富山旅行が 45,237円 であったのに対して、今回は近いところだったために、大変お値打ちな旅行となりました。そりゃそうです。2か月前にも旅行に行っているのですから、そう簡単には贅沢な旅行はできません。給料もカットされているし・・・。(-_-;)
 宿泊費が2泊で、僅か14,550円なのが、その最大の原因です。1泊目のことは以下に詳述します。2泊目は、宇奈月温泉の食事なしのペンションでしたから、安く上がりました。実は、宿の予約にチャレンジしたのは、4月10日過ぎで、その時点では、インターネット上では、普通のホテル・旅館は、ほぼ全部埋まっていました。窮余の策として予約可能だったこのペンションにしたわけです。デラックス・豪華とは究極の反対側にある質素なペンションでしたが、ちゃんと24時間入浴可の温泉もあって、まずまずでした。他にお客は少なくて、温泉は一人でたっぷりゆっくり入れました。

 ところで、走行距離が短いのでたいしたことはありませんが、ガソリン代がじわじわ値上がりして、ついに、130円台半ばまで来ました。2009年3月の奈良旅行の時は、111円でしたから、ずいぶんな値上がりです。


  今回も、3月の高知・松山旅行と同じく、休日前日の夜に出て、目的地近くのホテルに深夜宿泊というパターンを選択しました。宿泊場所は、普通の「モーテル」です。今流に言えばラブホテルですね。(^_^)
 前回の旅行でも、節約する目的でこの手のホテルに宿泊したのに、混んでいて、そのホテルの最高級の部屋に宿泊する羽目になり、料金は、9,240円も払うことになってしまいました。(ただし、値段に違わず、普通のホテルではありえないとても広いゴージャスな部屋でした。(+_+))
 そこで、さらに節約がねらいの今回は、インターネットで十分に調査しました。高岡市周辺のホテルを10数軒チェックし、宿泊者の意見も読んで、安くてまずまずのホテルを選択したのです。最初から予習たっぷりです。
 地図的には、東海北陸自動車道路からつながる能越自 

 写真01−01 ホテル(撮影日 10/05/01)

動車道路の高岡砺波道路の現在の終点、高岡北インターから降りて、高岡から氷見に向かう国道160号線(通称氷見街道)から分岐した枝道沿いにあります。
 朝撮影した上の写真は、なんか山の中の寂しい一軒家という感じですが、実は、国道の分岐点から、その手のホテルがいくつも連なっている、いわゆる「ラブホテル銀座」(その手のホテルの群集地帯)の一画で、夜はそれはそれは明るくきらびやかな一帯でした。(正確な住所は高岡市ではなく氷見市です)
 ここから第一目的地の雨晴海岸までは、距離にして7km、時間にして15分の至近距離です。

 ただし、いい年齢して学習しました。
 この手のホテルも、部屋の面積とお泊まりの値段はちゃんと適正に比例しているということです。都会の中心部と地方都市とか言う別の要素はこの際考慮外にすると、同じ地方都市の地価がそれほど違わない郊外なら、やはり、値段の高い部屋は、それなりに広く立派です。
 正直、前回の坂出北インター近くの9,240円の部屋と、今回の5,250円の部屋とでは、部屋の広さ・風呂の広さ・全体のゴージャス度が違います。
 次回は、間を取って、7,000円前後の部屋を試してみたいと思います。(^_^)

「この車の前に立てかけてある大きな板は何?」

「これはね、自動車のナンバーを隠すためにおいてある目隠しの板。」

「なんで?」

「不倫とかいろいろ秘密の相手とここに来ている人は、車のナンバーを見られると、『あ、この車、確か○○さんの』とかなるでしょ。浮気や不倫がばれてしまう。」

 夫婦でこういうところに泊まる場合は、この手の板は必要ありませんね。公明正大です。(^_^) 

地図01全行程図||地図02黒部峡谷と周辺図||地図03立山黒部アルペンルート説明図
説明図01黒部水系ダム発電所等模式図||地図04宇奈月温泉地図||地図05黒部峡谷詳細図
地図06欅平駅周辺地図||地図07欅平駅イメージ図


 最初の目的地 雨晴海岸  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 今回の旅行の最初の目的地は、富山県氷見市の雨晴海岸あまはらしかいがん)です。
 富山湾の南西側にあるここからは、天気のいい日には、海を隔てて東南側の立山連峰が一望できます。海の中からそそり立つ3,000m級の山並みが見られるかも知れないと期待して、ここに行きました。

 結果的には、天気はよかったにもかかわらず、空気の透明度は今ひとつで、立山連峰はもやの中に隠れていました。とても残念です。


 写真01−02    雨晴海岸女岩と義経岩             (撮影日 10/05/01)

 朝6時過ぎの雨晴海岸です。海の中の岩が女岩、右の海岸線の岩が義経岩です。
 本当は、海の向こうに立山連峰が臨めるはずなのですが・・・・。線路は、高岡と氷見を結ぶJR氷見線です。


 写真01−03  義経岩国道側(撮影日 10/05/01)

 写真01−04  義経岩海側 (撮影日 10/05/01)

 義経岩は、その昔1187年に、戦いに敗れた義経が北陸路を経て奥州に逃げる際に、雨宿りをしたという言い伝えがある岩です。


 写真01−05 義経雨晴の岩の説明です  (撮影日 10/05/01)


 写真01−06  JR氷見線ディーゼルカー    (撮影日 10/05/01)

 雨晴海岸を高岡へ向かうJR氷見線のディーゼルカーです。氷見線は、高岡駅を含めて8つの駅、16.5kmを結ぶローカル線です。この車両は、氷見市出身の漫画家、藤子不二雄A氏の漫画、『忍者ハットリ君』のキャラクターがラッピングされています。
 本当はこのアングルですと、列車の背後に立山連峰が見えるはずです。


 上の日程表を見ていただけると分かるように、この雨晴海岸へは、5月2日の午後にも再び立ち寄りました。この日は、5月1日よりも空の透明度が高いような気がしたので、敢えてまた行ったわけです。その時の写真が下の写真です。


 写真01−07  2度目の雨晴海岸 (撮影日 10/05/02)

 肉眼では何とか見えたのですが、デジカメの写真では本当にぼんやりとしか見えません。立山連峰の残雪の模様がおわかりいただけるでしょうか。
 この写真は、何とか山が見えるようにするため、画像処理を施しています。そのために海が異様に青くなっています。


 これでは満足できません。是非近々もう一度行ってみたいと思います。ただし、基本的に、初夏や夏では確率は低いでしょうね。雨晴観光協会のHPによれば、やはり、11月から3月がよいようです。

 ※

 雨晴観光協会のサイトはこちらです。   http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/
 ライブカメラの映像は、こちらです。     http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/liveapplet.htm


 高岡古城公園と市内の路面電車  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 雨晴海岸での眺望をあきらめた私たちは、そのまま早朝の高岡城に向かいました。
 高岡城は、江戸時代初期の1615年に廃城となり、その後は城郭は存在しませんでした。しかし、その城跡は今の市内の中心部にしっかりと残されていて、古城公園となっています。以下の経緯によります。

 1585年

 越中(富山県地方)を領していた戦国大名佐々成政が、豊臣秀吉の遠征に屈し、越中の大半35万石(射水郡・砺波郡・婦負郡)は、前田利長(利家の長男)の領国となる。

1599年

 前田利家が没し、利長が跡を継ぐ。 

1600年

 前田利長は関ヶ原の戦いで徳川家康方に立って参戦し、戦後論功行賞により、加賀・越中・能登の大半を有する  

1605年

 利長(加賀藩初代藩主)は、養嗣子の利常(異母弟)に家督を譲って引退。越中の富山城を居城とし、15万石を有する。 

1609年

 富山の町で大火が起こり、富山城の主要建物を焼失。
 利長は、あらたに現高岡の地に城を築城することを家康に願い出、伏見城の廃材などを利用して
高岡城を築城する。  

1614年

 前田利長、高岡城で没。 

1615年

 大阪夏の陣後に発令された一国一城例令により、高岡城は廃城となる。
 以後加賀藩は、この町を
高岡町奉行所の管理下に置き、城跡に米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などを設置して、前田家の越中領支配の要とする。  

1639年

 加賀藩2代藩主前田利常は、幕府の許しを得て次男利次を越中に10万石を与えて分家させ、富山藩を作る。以後、越中前田藩は廃藩置県まで富山城を居城とする。

 ちょっとややこしいですが、高岡城富山城と城主の前田家のことについて復習しました。 


 写真01−08 高岡古城公園案内図              (撮影日 10/05/01)

 入り組んだ堀がとてもいい雰囲気を作っています。私たちが訪れたのは早朝でしたので、ラジオ体操帰りの人々で賑わっていました。


 写真01−09  高岡古城の堀                (撮影日 10/05/01)

 浮かんでいる船は、本丸周りの堀を周遊する遊覧船です。1周30分だそうです。


 写真01−10  高岡市内の路面電車です           (撮影日 10/05/01)


 高岡市内には路面電車が走っています。
 2002(平成14)年にそれまでの加越能鉄道の路線を引き継いで誕生した第3セクターの
万葉線です。これについては、目から鱗の話:各地の鉄道あれこれ14「各地の路面電車その4 高岡万葉線」にあります。


 富山新港海王丸  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 いつも電車の話ばかりでは、能がありません。今回は、「海の乗り物」も訪ねてみました。
 富山の外港、富山新港(伏木富山港新湊地区)にある
海王丸です。
 
海王丸というのは、1930年に建造されて、1989年に引退した海洋練習船です。現在は国土交通省所管の独立行政法人となっている航海訓練所に所属していた船です。
 
航海訓練所というのは、東京海洋大学(東京商船大学と東京水産大学が2003年に合併)・神戸大学海事科学部や各地の商船高等専門学校の学生や生徒さんが航海訓練を受けるための施設です。
 海王丸は、その役目を2代目の
海王丸U世に譲って引退し、それを引き取った財団法人帆船海王丸記念財団によって、富山県富山新港に係留されることになりました。当初は富山と大阪と5年間の交代展示という案でしたが、大阪港は別の帆船が展示されることになり、結果的に海王丸は富山新港が安住の地になりました。


 写真01−11  海王丸、船首から                      (撮影日 10/05/01)

 海王丸は帆船ですが、非常用や港湾近くでの推進用にディーゼル・エンジンを2機積んでいます。
 帆の数は29枚あり普段はたたんであります。写真で見ると必ず帆を張った姿ですから、いつも張ってあるものと思っていましたが、実は違うのです。
 そりゃそうですね。乗組員がちゃんと乗船している帆船なら、帆をはったりたたんだりすることは、日常的な仕事になります。しかし、現在は、海王丸は係留されて「展示物」になっています。いつもは僅かの職員しかいません。したがって、帆は常に巻かれてしまってあります。
 29枚の帆をすべてはることを、
総帆展帆そうはんてんぱん)といいます。普通のワープロでは変換できない専門用語です。
 これは、4月から11月始めの間に、
年に合計10回行われるのだそうです。
 その時の人員はどうするのかというと、少数の専門職員以外は、一般から募集したボランティアでまかなわれると言うことです。1回の総帆展帆に必要な
ボランティアの数は、100名ほどということです。
 
HP海王丸パークには、その詳細が掲載してあります。面白そうで末ね。参加してみたいですね。
   ※海王丸パーク http://www.kaiwomaru.jp/index.html
 
 連休前の日曜日と、5連休中の5月4日が総帆展帆の日で、私たちが行ったのはその中間の日でした。残念。


 写真01−12  右舷側が海王丸パークの広場となっています。       (撮影日 10/05/01)

 真横から見ると面白いことに気がつきます。マストというのは、まっすぐに立っていると思いきや、実は、後方に少し傾いているのです。その角度は、5度程度ですが、実は、4本の1本1本が角度が少しずつ違っています。こうすると風をよりうまく受けるのだそうです。


 写真01−13  メインマスト(撮影日 10/05/01)

 写真01−14  ブリッジから (撮影日 10/05/01)

 前から2本目のメインマストの最頂部は、海面から46mとのことです。


 写真01−15  左舷を斜め前から撮影しました。          (撮影日 10/05/01)

 帆船ファンならずとも、「美しい」と見とれてしまう姿です。三角の帆が4枚だけ張られています。


 次は、総帆展帆の日にぜひ行ってみたいものです。


 富山といえば薬売り  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 富山新港から富山市内へ向かいました。
 さて、富山と言えば・・・・。


 写真01−16  この木の箱は・・・                (撮影日 10/05/01)

 これは、その昔、富山の薬売り(行商人)が、各家庭においていた、置き薬の入れ物の箱です。以下で説明する、池田屋安兵衛薬種店で撮影しました。


 私が小さい頃は、私の家にも富山の複数の薬商の置き薬がありました。腹痛の時、「熊の胆」(くまのい)を服用したのを覚えています。それを飲むとすぐ直りました。昭和30年代の話です。あの「Always 3丁目の夕陽」の世界です。
 そういえば、大人になってからは、そういう腹痛も経験していません。
 子どもだったから、「腹痛-熊の胆」という図式が存在したのか、それとも、「昭和中期」のそういう時代だったのか・・・・・?


 写真01−17 老舗、池田屋              (撮影日 10/05/01)

 このお薬屋さん、池田屋安兵衛商店は、1830(天保元)年の創業です。


 「るるぶ」を見ると、丸薬(がんやく)づくりの体験ができる店ということで、この池田屋安兵衛商店が紹介されていました。そこで早速行ってみました。


 写真01−18  これが丸薬製造器             (撮影日 10/05/01)

 お店のベテラン職員が、指導してくれます。
 職員の方が、まず、丸薬の元の入った容器から、金属の棒を巧みに操って、直径5mm、高さ3mm程度の円柱を切り出します。


 写真01−19  これが丸薬の円柱           (撮影日 10/05/01)

 板の上に並べられた丸薬の元の小円柱です。


 写真01−20  板を載せます  (撮影日 10/05/01)

 写真01−21 板を回します  (撮影日 10/05/01)

 円柱を球形にする方法はといえば、その上に重い板を載せて、微妙な力を加えて回転させつつ押して、コロコロにするのです。
 これは大変難しい技術です。
 妻は、力不足で、不揃いな大きな丸薬を作ってしまいました。
 私はといえば、「それでは力をもっと入れて」と思ってやった結果、下のようになりました。


 写真01−22  私の作った「丸薬」        (撮影日 10/05/01)

 きれいに全部つぶれました。これでは丸薬ではなく、扁平薬です。そう簡単にはいきません。
 正しい丸薬は、写真右隅に写っている、正露丸のような本当にコロコロの丸薬です。係のおじさんが作ると毎回こうなります。専門家の熟練の技術は、さすがです。


 富山に来て驚いたのは、今でも、ごく普通に市内の薬局で昔懐かしい「富山の薬」が売られていることです。
 つまり、
富山の薬売りが行商で売り回った薬が、昔と同じような長方形の袋に入って、売られているのです。


 写真01−23 富山の伝統的な薬(撮影日 10/05/01)

 写真01−24  駅前の薬店 (撮影日 10/05/01)

 左のような懐かしいパッケージの薬が、右のような普通の薬屋さんで売られています。この薬屋はJR富山駅に隣接するテナントです。写真右手の窓の向こうがその陳列棚です。
 大事なことを言い忘れました。
 お世話になった
池田屋安兵衛商店の目玉商品は、写真22の右端にある、「越中反魂丹」です。
 「反魂丹」は江戸時代中期に越中の薬行商が始まるきっかけとなった商品と言われています。
 1690年に江戸城内で福島三春藩の大名がにわかに腹痛を起こしました。同席していた越中富山藩前田家の第2代藩主前田正甫(まさとし)が懐にあった「反魂丹」を飲ませたところ、すぐに効き目があって腹痛が治りました。それを見ていた他藩の大名衆が、この薬を売ってほしいと言うことになり、富山の薬の名が広まったということだそうです。
 まさに、伝統の一品です。
 ただし、池田屋安兵衛商店は、1830年の創業ですから、後発組です。反魂丹は他社からも製造販売されており、写真中央には、広貫堂の「胃腸反魂丹」があります。
  ※広貫堂のHPです。 歴史体験スペース広貫堂資料館 http://www.koukandou.co.jp/shiryoukan/index.html


 富山の路面電車 2路線  | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 富山市内のもう一つの見所?は、富山市内を走っている、2路線の路面電車です。(^_^) 


 写真01−25 富山市内の路面電車       (撮影日 10/05/01)

 2つの路面電車のうちのひとつ、富山市内JR富山駅南の中心街を走る、富山地方鉄道の路面電車です。


 ここまでくると、次の展開が予想されてしまいます。(^_^)

 この
富山市内の路面電車2路線については、目から鱗:各地の鉄道「各地の路面電車5 富山市内の2路線」をご覧ください。


 さて、旅行記の1ページ目のエンディングです。
 富山市内で
反魂丹路面電車を十分堪能した私たち(妻は渋々電車につきあった)は、15時20分に富山を出発して、この日の宿泊地、宇奈月温泉へ向かいました。
 この旅行のメインは、
海王丸でも路面電車でも反魂丹でもなく、やはり、黒部峡谷とトロッコ列車です。
 
 次ページから紹介します。


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