| 旅行記のメニューへ | | | 全行程目次・地図へ | | | 一つ前へ | | | 次へ | |
| クイズ「日本史自由民権へ | |
まずは群馬県富岡市の位置です | 全行程目次・地図へ | | 説明図06北関東の地図へ | |
8月10日(日)、上越新幹線高崎駅で下車して駅前で予約していたレンタカーを借り、群馬県富岡へ向かいました。レンタカーのナビは、高崎駅前から山越えの県道を通るルートを指定しました。曲がりくねった道を北西に向かって18km程、時間にして30分と少し走って、富岡市の中心部に着きました。 |
|
富岡市は、群馬県の西北部にあります。上の写真で分かるように、関東平野も高崎あたりで終わり、そこから西は、なだらかな丘陵地帯や河岸段丘となっています。 |
写真03−01 (撮影日 08/08/10) |
富岡製糸場の裏(南)を西から東へ向かって流れる鏑川(かぶらがわ)。西の上流を方面を向いて撮影。遠くの山は群馬・長野県境の荒船山。峰のすぐ南は信濃へ抜ける十石峠です。写真には写っていませんが、さらに南には、1986年の日航機墜落現場、御巣鷹山があります。 |
生糸の生産の基本 | 全行程目次・地図へ | | 説明図06北関東の地図へ | | 先頭へ | |
富岡製糸場は、群馬県のほかの絹産業遺産群とともに、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、2007(平成19)年に世界文化遺産の暫定リストに掲載されました。 |
このページの解説や基本データは以下の資料を参考にしました。
特に1の書物は、新書版ですので、富岡製糸場の過去と現代を理解するには、内容・価格ともに、最高の参考文献です。 |
明治から昭和前半にかけて、日本の生糸の主要生産国であり、海外特にアメリカに輸出されて、外貨獲得に貢献しました。しかし、当然ながら現在では、生糸の原料となる養蚕業や生糸生産業は、日本では希少価値のものとなってしまいました。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
日本の近年の生糸生産の状況は、じり貧状態となっています。21世紀になってからの生産高の推移は右のとおりです。 |
|
生糸生産がさかんだったころはどのくらい生産していたのでしょうか? |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
1935年の日本の生糸生産高、43,732トンは、なかなかの数字です。現在の世界総生産高14万5000トンや生産高第1位の中国の56,000トンに比べでも相当なものです。もっとも20世紀前半は現在のように化学繊維がなく、生糸の需要は圧倒的でした。 |
これがかの有名な富岡製糸場です | 全行程目次・地図へ | | 先頭へ | |
さて、富岡製糸場です。 |
写真03−02 富岡製糸場正門 (撮影日 08/08/10) |
現代の富岡製糸場の正門です。上信電鉄上州富岡駅から歩いて10分弱です。町の真ん中に正門があります。 |
富岡製糸場そのものについて、一つクイズをします。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
この工場も、つい最近の、1987(昭和62)年まで操業をしていました。佐渡金山と同じく、自分が教員になった頃(1977年)はまだ現役の工場だったわけです。そんなこととは夢にも思わず、ずっと「過去の遺物」として扱ってきました。大反省です。
富岡製糸場に取って最大の幸運だったのは、3つ目の民間所有会社が、当時世界のシルク王と呼ばれている片倉製糸紡績株式会社だったことです。片倉は、当時全国に62の製糸工場を持ち、従業員総数は3万8000人という、世界最大級の製糸会社でした。 |
写真03−03 写真03−02の1階にある資料展示場の桑の葉と蚕です。 (撮影日 08/08/10) |
写真03−04 繭です。 この白さには神々しさを感じます。 |
写真03−05 生糸です。 繭や生糸を現物教材として利用する場合はこちらへ(→)どうぞ。 |
建物群の紹介は、次ページに掲載します。 |
| 一つ前に戻る | | | 次へ進む | |