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| クイズ「日本史自由民権へ | |
ここが製糸工場です | 全行程目次・地図へ | | 説明図06北関東の地図へ | |
このページでは、現代に残る富岡製糸場の建造物群の紹介をします。
まずは、航空写真を利用して工場全体の様子を確認します。 |
建物の配置です | 全行程目次・地図へ | | 説明図08製糸場航空写真へ | | 先頭へ | |
工場内の建物の配置を詳述します。
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説明写真04−01 製糸場内の説明資料 (富岡製糸場の資料室にある説明図) |
教科書にも載っている有名な絵図です。東南の上空から見た鳥瞰絵図です。中央に蒸気機関が設置され煙突が立っています。 |
写真04−02 製糸場の全景写真 (富岡製糸場の資料室にある写真) |
明治期よりはもっと後の写真と思われます。上の絵図とは違って北側上空からの撮影です。 |
建物の説明です | 全行程目次・地図へ | | 説明図08製糸場航空写真へ | | 先頭へ | |
これまでの写真は、4枚とも借り物でした。以下は、私が撮影してきた写真です。 |
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写真04−03 正門から撮影した東倉庫です。 (撮影日 08/08/10) |
右の碑は、2005(平成17)年の国の重要文化財指定を記念して建てられたものです。 |
写真04−04 東繭倉庫の南半分 | 写真04−05 木骨煉瓦造り |
建物の構造は「木骨煉瓦造り」といって、木の柱の間に煉瓦を積み上げた作りです。鉄骨ではなく木骨です。柱は1辺が1尺(約30cm)ほどある太いもので、屋根まで継ぎ目なしの1本柱となっています。 |
写真04−06 (撮影日 08/08/10) |
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東繭倉庫の入り口にある「明治五年(1872年)」のキーストーン。 |
写真04−07 (撮影日 08/08/10) |
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西繭倉庫です。 |
さてここで一つ日本史の勉強をしましょう。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。 |
現在の養蚕農家数では、群馬県が圧倒的な割合を占めています。 |
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敷地の東南側に1号館・2号館・3号館が並んでいます。いずれも、開設当時は、生産等の指導を行ったお雇いフランス人達の住居でした。 |
写真04−08 1号館ブリュナ館 (撮影日 08/08/10) |
1号館は、ブリュナ館です。フランス人ポール・ブリュナは、富岡製糸場建設の責任者として招かれたお雇い外国人です。1873年に建築された、広さ320坪の木骨煉瓦造りの平屋建ての建物です。高床で回廊風のベランダを持つこの家には、ブリュナ一家とメイドが居住しました。 |
写真04−09 2号館フランス人女性教師宿舎 (撮影日 08/08/10) |
2号館と3号館はほぼ同じ作りをして並んでいます。こちらは2号館です。木骨煉瓦造り2階建てで、コロニアル風の回廊が付いています。2号館は日本人工女に器械製糸の方法を教えるために雇われたフランス人女性教師の宿舎でした。 |
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工場心臓部は、なんと言っても繰糸(そうし)場です。繭から糸を繰(く)る作業場です。この建物がまた圧巻です。 |
写真04−10 繰糸場入口 (撮影日 08/08/10) |
繰糸工場の東側の入り口です。外からではこの建物の偉大さは分かりません。 |
写真04−11 繰糸場内部(東入口付近から中央部を撮影 (撮影日 08/08/10) |
これが教科書等に錦絵で紹介されている富岡製糸場繰糸場の内部です。 |
写真04−12 トラス構造の説明 |
写真04−13 ガラス窓 |
工場の内部には、トラス構造を示す説明模型が置かれています。 |
写真04−14 座繰り製糸の説明 |
写真04−15 明治期の繰糸の様子 |
工場内部には、いろいろな説明・解説が、パネル・VTRによってなされています。 |
写真04−16 繰糸工場中央やや西よりから東の入口を向いて撮影 (撮影日 08/08/10) |
工場の長さ140.4mというのを実感いただけるのではないでしょうか。 |
写真04−17 休眠中の製糸機械 (撮影日 08/08/10) |
ビニルの隙間から覗いた休眠中の機械です。 |
写真04−18 操業中の機械です (撮影日 08/08/10) |
これは操業中の機械の様子です。現在我が国で大規模製糸工場として稼働しているのは、たったの2工場だけです。同じ群馬県の碓井製糸農業協同組合と山形県の松岡株式会社です。 |
富岡製糸場の意義は、なんといってもそれが官営模範工場であったことです。
この点については、従来は「模範的な役割をあまり果たさなかった」という評価が大勢でした。 |
これで、2008(平成20)年夏の旅行をもとにした、「産業遺跡訪問記 新潟佐渡・群馬富岡」を終わります。両産業遺跡とも世界文化遺産への登録を祈ります。最後まで読んでいただいてありがとうございました。 |
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