日本政府は緊急人道支援として、2艘のはしけを北方4島のために建造しました。
希望丸
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1997年建造。費用1億395万円。国後島古釜布ではしけとして使用される。
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友好丸
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2001年6月3日完成。費用1億8900万円。
総トン数91トン、全長31.7m、幅7.5m、喫水2.6m、速力10ノット、旅客12人が乗船可能。積載貨物量最大60トン。航続距離1200km、航海用レーダー装備。
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友好丸は、2001年6月に根室造船所で完成した後、「緊急人道支援」物であるにもかかわらず、しばらくの間、ロシアに引き渡されませんでした。
その理由は、日本政府は本来色丹島用のはしけとして供与するつもりでしたが、ロシア側は、国後島と色丹島の定期航路に使用するつもりだと言うことが分かり、「話が違う」ということで送れなくなってしまったのです。
緊急人道支援に関する法律とルールがあって、はしけなら供与できますが、インフラの整備に該当してしまう定期航路用の船は送れないという理由からです。
そして、これが、かの有名な、国会における鈴木議員追求の質問の発端となりました。
2002年2月13日の衆議院予算委員会において、佐々木憲昭議員(日本共産党)が、鈴木宗男議員の海外支援をめぐる疑惑を追求しました。
佐々木議員の追求は、この友好丸の完成後半年以上の放置からはじまり、希望丸・友好丸の入札に関する疑惑、国後島古釜布の「友好の家」が事実上「ムネオ・ハウス」となっていること、色丹島斜古丹の人道支援診療所が「鈴木診療所」と呼ばれていること、またまったく別件のアフリカ・ケニアへのODAの問題などなどに及び、「鈴木議員の疑惑」が明らかになっていきました。
その発端となったのが、この友好丸でした。
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鈴木議員は、このあと3月11日に、衆議院予算委員会に証人喚問されました。この時には辻元清美議員(後に秘書給与流用で逮捕)が、鈴木氏を「疑惑の総合商社」という名文句で表現しました。
6月19日、証人喚問における追求事案とは別のあっせん収賄事件の容疑で逮捕され、6月21日に議員辞職勧告決議が可決され、辞職しました。
2004年の参議院選挙には無所属で出馬しましたが、落選。
2005年8月18日、松山千春とともに新党大地を結成して代表に就任し、2005年9月11日、第44回衆議院議員総選挙に比例北海道ブロックより当選し、現在に至っています。
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結局この船は、国後島で使われていた希望丸が古くなったからという理由で、色丹島ではなく国後島で使われることになりました。
この決定が、2002年夏になされています。したがって、上の写真の2002年9月の友好丸は、デビュー直後の姿と言うことになります。
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