色丹島との草の根交流記16

 これは、私が2002(平成14)年9月18日(水)〜9月22日(日)に参加した北方領土色丹島訪問以来、友人となった色丹島のロシア人英語教師一家との間に続いている草の根の交流について記録したものです。


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016 あけましておめでとう。冬の色丹島。

  2004年1月1日、色丹島に電話しました。

 10月に地震の被害を聞くために電話した時、
「今度は、正月に電話します。」
と約束しておいたのです。ナターシャは、今度はちゃんと家にいました。

「あけましておめでとうございます。」
私が、「Happy New Year」といおうとする前に、ナターシャのほうから、ちゃんと勉強していた新年の挨拶を日本語でしてくれました。

「日本は、今、正月の休みだけど、ロシアはどうなの。」
「正月休みという形ではないけど、クリスマスのあとから新年にかけて2週間以上の休みがあるの。」

「じゃ、日本とほぼ同じだね。
雪は降っている?」
「寒いけど、雪はあまり積もっていないわ。」
「冬の色丹島の様子を知りたいんだけど、写真を撮影して送ってくれるかい?」

「いいわよ。ところで、前に10月に電話をくれた時、私は、サハリンに行っていたの。サハリンから手紙を送ったけど、届いた?」
「いや、きみからの手紙は、8月にアンドレイが根室で投函したもの以外届いていないよ。」

「えっ、ほんと。あれ以後、3回送っているわ。」
「そうなの、一通も届いていない。僕が、カーチャ(ナターシャの娘)に送ったクリスマスプレゼントは届いた?」
「ええ、届いているわ。」
「きみの手紙だけ、どうなってしまったんだろう。」
 ロシアの郵便事情はわかりませんが、何通も途中で行方不明になっているようです。

「今年も、カーチャにたくさん手紙を送るから、そう伝えてほしい。じゃ、今日はこれで」
「ありがとう。カーチャはとても楽しみにしているわ。期待しているわ。」
   

 色丹島を穴澗湾北側の上空から鳥瞰したイメージ映像。
 正確には、北緯43度51分49秒、東経146度42分1秒の上空高度1000メートルから見た冬の色丹島のイメージ画像です。
 中央の切れ込みが穴澗湾。ナターシャたちのすむ穴澗は湾の奥に位置します。
 このアニメーションは今話題の3D地図作製ソフト「カシミール3D」を利用して作成しました。(国土地理院の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を利用)
カシミールについては、「ITを活用した授業」参照。(こちらです。


   ナターシャとカーチャからの手紙は、予想以上に早く、

 カーチャからの手紙。語学の才のある母親の娘だけあって、7ヶ月前よりもずいぶん上達した。漢字もちゃんと使ってあります。
立派立派。

1月27日に届きました。あれからすぐに書いたとしてもちょっと早い気がして不思議に思いながら開封すると、その事情がわかりました。

 「これは、去年の夏以来、私からあなたへの4通目の手紙です。
 実は、島の行政官が東京で開催されるノービザ交流の会議に出席するために出張する機会があることを知ったので、彼にこれを託しました。東京から投函してくれるはずなので、確実に届くはずです。」

 確かに封筒には我が国の80円切手が貼ってあり、消印は埼玉の入間局のものです。
 こんなに苦労しなければ手紙すら交換できないというのは、全くの悲劇です。貴重な手紙です。

「色丹島の冬は、寒いです。1月の今頃で、日中の気温は、−1度から−5度ぐらいです。時々、+5度ぐらいまでなることもあります。
 周りは雪に覆われています。
 大人や高齢者にとっては、なかなかつらい季節です。きっとあなたの記憶にあると思いますが、私の島は、平坦な土地は少なくて上り下りが多い道ばかりです。滑って転ばないように歩くのが大変です。

 でも、こどもたちにとっては、そんなつらいことばかりではありません。
 夫のアンドレイは、冬になって、大忙しです。子どもたちのために、スケートリンクを作っています。」


 「1月17日の土曜日、日本語学校を2時間やったあと、あなたに送る写真を撮りに行きました。
 ここは、あなたも知っている穴澗湾が見下ろせる高台です。学校と自宅のあるところから歩いて10分ぐらいの近いところです。」(左カーチャ、右ナターシャ)

 「日曜日には、アザラシを見つけに、海岸まで行くことがよくあります。
 冬でも、海のそばにいることは好きです。磯の香り、波の動き、海はエネルギッシュそのものです。
 カーチャ(黄色い服)とその友達です。岸辺のつららは長いものは1メートルほどあります。」


 「寒くても家に閉じこもっていると健康に良くないので、天気のいい日は、森へ出かけてバーベキューをすることもあります。
 今、私の学校では、インフルエンザがはやっています。たくさんの子どもや先生が、罹っています。我が家では、レモンとガーリックをたくさん食べて、インフルエンザにならないようにしています。
 そちらの冬はどうですか。風邪に気を付けて、お過ごしください。」


 まもなく、色丹島に流氷がやってきます。
 2004年は、全体に流氷の流れは遅く、網走では流氷初日は1月31日でした。これは、観測史上4番目に遅い記録で、平年は、1月20日ということです。
  ※『網走新聞社』2004年1月31日 
 
 流氷といえば、北見工業大学の土木開発工学科寒冷地工学講座雪氷研究室のサイトは、アメリカの衛星ノアからの画像を加工して、オホーツクの流氷の様子がきれいに示されている写真を、毎日掲載しています。流氷が動く様子を毎日見ることができます。
 サイトのトップページはこちらです。
 オホーツク海の写真のページはこちらです。

 現在は、知床半島から南には、まだ流氷は流れていっていないようです。

 しかし、まもなく、ナターシャの島の周りに流氷がやってきて、気温はさらに下がっていくでしょう。
 色丹島の冬はまだまだこれからです。
 ナターシャさん、どうか、風邪など引かないように。


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