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 宍道湖ぐるっと一回り  スタートは出雲市駅    10/08/21記述
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 やっと出雲にやってきました。
 
余部橋梁下を出発したのは7月30日の午後6時半。当初は、鳥取県の境港で、「おいしいお寿司を食べよう」という計画でしたが、カー・ナビで境港到着時間を検索すると、なんと22時30分。これでは、店は閉まっています。
 そこで、夕食は鳥取市内の寿司屋で済ませ、できるだけ西に走って、次の7月31日の計画の実現が容易になるように考えました。
 国道9号線、米子からの山陰道はとてもスムースに走ることができ、おかげで、22時30分過ぎには、山陰道の一番西のインター、
出雲インターでおりることができました。おかげで、当初から予定の出雲市駅にほど近い出雲市西部のホテルに宿泊できました。

 翌7月31日。 
 今日のメインは、
一畑電車への乗車です。もちろんこうなった経緯は、映画『RAILWAYS』です。(→日記2010年6月20日)
 ただしそれだけでは面白くありません。
 そこで、出雲市駅から反時計回りに
宍道湖を一周することとしました。
 つまり、
JR山陰線で宍道湖の南を松江まで行き、帰りは反対に、宍道湖の北を一畑電車で出雲市へ帰るのです。途中で、松江城・出雲大社・県立古代出雲歴史博物館を見学します。
 ホテル出発は、5時55分。
 この日1日で、最後は、
温泉津温泉(ゆのつおんせん)の旅館に18時30分までに入らなければなりません。得意?の早朝出発です。

 写真03−01 ホテル日本海 (撮影日 10/07/31)

 今回素泊まりしたホテルは、ホテル日本海。なかなか壮大な名前です。外見は今一でしたが、9000円の値段にふさわしく中味は豪華でした。 



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 写真03−02 JR出雲市駅です。 (撮影日 10/07/31)

 JR出雲市駅は、さすが出雲大社の玄関駅です。駅舎も立派な神社風です。
 マイカーは、この日1日、出雲市駅前市営駐車場に駐車しておきました。1日で1000円でした。


写真03−03 出雲市駅料金表(撮影日 10/07/31)
写真03−04 出雲市駅時刻表(撮影日 10/07/31)
 宍道湖の南側ルート、出雲市駅から松江駅までは、32.7kmで570円です。出雲市駅06:46発で松江駅07:26着、所要時間40分です。
 出雲市駅の時刻表を見ると、松江・米子方面へは、1時間3本程度のダイヤが組まれてますが、列車の半数以上は特急列車です。
 「やくも」(出雲市−岡山:伯備線・山陽本線経由)、「スーパーまつかぜ」(益田−鳥取)、「スーパーおき」(新山口−米子)、そして、寝台特急列車「サンライズ出雲」(出雲市−東京:伯備線・山陽本線・東海道本線経由)です。


 写真03−05 特急おき(撮影日 10/07/31)

 写真03−06 普通電車 (撮影日 10/07/31)

 右の写真、私たちが乗る予定のローカル・ディーゼル列車が、出雲市駅に入線してきました。列車の先頭に何か動物が描かれています。 


 写真03−07 ネズミ男?(撮影日 10/07/31)

 写真03−08 なるほど (撮影日 10/07/31)

 かの有名な鳥取県境港市(地図06参照)が「水木しげるロード 妖怪タウン」となっていることに因んで、JR西日本もJR境線に4種類の「鬼太郎列車」(鬼太郎・ネズミ男・目玉親父・ネコ娘)を走らせています。
 これはその一つ、「ネズミ男列車」です。2006年から走っていた初代は朱色を基調とした色彩でしたが、2010年3月から登場した2代目は、作品中のネズミ男が「金がすき」ということから、金色を基調とした色彩に変わりました。もちろん、ペンキで描かれているのではなく、キハ40形ディーゼル車両に全体にラッピングがされています。
 今回の旅行では、スケジュール的に難しく境港は行程から外してしまいました。鬼太郎列車見ることはできないとあきらめていましたが、意外にも、山陰線にも走っているとは、ラッキーでした。


 写真03−09 ネズミ男列車側面 (撮影日 10/07/31)

 ネズミ男列車とはいえ、他のキャラクターも描かれています。中央の女性は妖怪ではありません。念のため。


 一畑電車出雲市駅 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 JR出雲市駅に隣接して、一畑電車出雲市駅があります。


 写真03−10 一畑電車出雲市駅(撮影日 10/07/31)

 写真03−11 駅東側 (撮影日 10/07/31)

 JR西日本出雲市駅のすぐ東側に隣接して、一畑電車の電鉄出雲市駅があります。
 右の写真の、駅右手の薄茶色の大きな建物は、一畑ツインリーブスホテルです。一畑電車は、1912年創業の古い電鉄会社ですが、今ではグループ会社全体として、ホテル・百貨店・路線バス・貸切バス・タクシー・自動車関連事業など幅広い事業を経営しています。

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写真03−12 料金表・時刻表(撮影日 10/07/31)
写真03−13 一日乗車券(撮影日 10/07/31)

 電鉄出雲市駅−松江しんじ湖温泉駅間の料金は、670円です。通勤・通学時は1時間2本ですが、それ以外は、1時間1本の運行です。
 私たちは、この日は、何回も往復する予定ではありませんでしたが、記念に、「一畑電車フリー乗車券」1500円を購入しました。出雲和紙製の切符で、「いいご縁」の語呂合わせで、1500円だそうです。
 一畑電車は、電鉄出雲−松江しんじ湖温泉間の本線(北松江線)33.9kmと、川跡−出雲大社前8.3kmの支線(大社線)のみの小さな鉄道です。


 松江市と松江城        | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 ネズミ男列車に乗って、32.7kmを40分でJR松江市駅に着きました。いつも、東海道本線で岐阜-名古屋間を快速電車で30.3km20分で走っているのに比べれば、ローカル列車ののんびりした旅です。
 JR松江駅と一畑電車松江しんじ湖温泉駅との間は、距離にして2km弱、歩いて25分ほどでしたので、朝の心地よい海風の中を散歩しました。

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左上 写真03−14 松江駅前
右上 写真03−15 竹島日本領土の主張  
左下 写真03−16 剣先川 
 宍道湖から隣の中海へ流れる剣先川と宍道湖大橋です
右下 写真03−17 松平直政像
 
 江戸時代の松江の藩主と言えば松平家です。藩祖松平直政は、結城秀康の3男(つまり家康の孫)で、大坂の役での活躍によって大名となり、堀尾氏・京極氏のあと、出雲の国持ち大名となりました。(撮影日 10/07/31)

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 写真03−18 県庁と松江城(撮影日 10/07/31)

 写真03−19 松江城 (撮影日 10/07/31)

 全国で12しか現存しない、江戸時代やそれ以前に建造された天守閣です。堀尾氏によって1611年に築造されました。天守閣は山陰では唯一のものです。また、天守閣の平面積の広さは2番目、高さ約30mでは3番目、古さでは6番目だそうです。


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 一畑電車・松江しんじ湖温泉駅   | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 1時間ほど松江の町を歩いた後、一畑電車の松江しんじ湖温泉駅につき、08:33発の出雲市駅行きの電車に乗りました。いよいよ、一畑電車です。


 写真03−20 一畑電車の駅(撮影日 10/07/31)

 写真03−21 電鉄出雲市行き (撮影日 10/07/31)

 松江市にある一畑電車の松江しんじ湖温泉駅です。出雲市駅もJRと並んだ立派な駅でしたが、この駅も、ローカル私鉄には不似合いの近代的な駅です。
 右は、3000系の電車です。行き先表示板は、先頭のヘッドではなく、運転台右側の車内に表示されています。 この車両は元南海電鉄の車両です。


 写真03−22 3000系運転台(撮影日 10/07/31)

 写真03−23 説明 (撮影日 10/07/31)

 運転台の元からの機器は、いかにも古いという感じです。ローカル私鉄では、自前の車両を製造すると言うことは基本的には、難しいことです。一畑電車の現役車両3種類は、いずれも大手私鉄から譲渡されたものです。


 写真03−24 長い駅名(撮影日 10/07/31)

 写真03−25 宍道湖 (撮影日 10/07/31)

 松江しんじ湖温泉駅を出発して最初の駅は、松江イングリッシュガーデン前駅です。停車しているのは、一畑電車の最新式車両、5000系です。出雲大社号として、松江と出雲大社を直接結んでいます。
 
松江イングリッシュガーデン前駅は、2007(平成19)年4月までは、『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』と呼ばれており、これは日本一長い駅名でした。これは2001年に同美術館が駅近くに開園したことにより、改称されたものでしたが、同庭園美術館が僅か6年で廃館となり、現在の駅名に改称されました。(イングリッシュガーデンは同美術館の付属施設で、これのみが残りました。)
  ※この結果、一番長い駅名は、南阿蘇鉄道の
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅となっています。
        →旅行記『九州中部鉄道旅行2』
 
 松江しんじ湖温泉駅から3つめの長江駅を過ぎると、左手、南側に宍道湖が眺望できます。


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 ロケ地1 伊野灘駅・実家・一畑口駅 | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 いよいよロケ地の紹介です。(映画については、鑑賞記をご覧ください。→日記2010年6月20日)
 説明上、登場人物の基本をご理解ください。以下、
映画『RAILWAYS』『R』と表現します。
  ・筒井肇(中井貴一):東京の大手商社マンを辞職し、49歳で一畑電車に運転手として就職
  ・筒井由紀子(高島礼子):肇の妻、東京でアロマショップを営む
  ・筒井倖(本仮屋ユイカ)肇・由紀子の娘
  ・三浦貴大(宮田大吾)肇と同期で入社する元甲子園出場球児


 写真03−26 伊野灘駅(撮影日 10/07/31)

 写真03−27 肇の実家? (撮影日 10/07/31)

 『R』で肇が実家に帰省する時、降り立つ駅が、伊野灘駅です。駅の南(進行方向左手)には、宍道湖が広がります。
 肇の実家に想定された立派な民家は、伊野灘駅の松江よりにあります。茶畑の向こうに、車内から眺めることができます。本当に立派な家です。


 『R』の終盤で、肇と妻の由紀子が大事な会話を交わすのが、一畑口駅です。駅の独特な構造が絶妙な会話を生みだしました。この駅をこの舞台に利用できたのは、さすが地元出身の監督ならではです。

 電鉄出雲市駅から運転してきた肇は、この駅で一旦運転席から離れるのです。 
 そして、それまで前の車両(一畑電車は2両連結)から降りて、ホームを歩いて後の車両に向かいます。
 その時、この電車に乗っていた妻由紀子が、同じくホームに降りてきて肇と会話を交わすのです。

「なんだ乗っていたのか?終点までちゃんと乗ってくれよな。」

 妻は笑顔で答え、それまでのややもすればすれ違いを見せていた二人の気持ちが一つになる、という大事なシーンです。
 これは、普通の駅では起こりえない会話です。
 なぜなら、途中の普通の駅では、運転手は電車を降りないからです。
 この駅はいったいどうなっているのでしょうか?


 写真03−28 駅を出る電車(撮影日 10/07/31)

 写真03−29 駅に入る電車 (撮影日 10/07/31)

 上の2枚の写真は、先に写真03−29を撮影し、後で写真03−28を撮影しています。地理的な位置関係から言うと、上のように並べるのが現地の理解に役立ちます。
 写真03−29は、松江しんじ湖温泉駅側から来た電車が一畑口駅に入るところを先頭車両から撮影しています。
 写真03−28は、一畑口駅を出発して電鉄出雲市駅へ向かう電車の最後尾車両から撮影しています。 


 つまり、一畑電車は、この一畑口駅で、スイッチバックをしているのです。そのために、運転手は、着いた車両から降り、ホームを歩いて、新しく運転席となるそれまでの後尾車両の端の運転席に乗り込むわけです。


 写真03−30 運転手移動準備(撮影日 10/07/31)

 写真03−31 運転手移動 (撮影日 10/07/31)

 写真03−30は、運転手が移動の準備をしているところです。すでに、ドアのこちら側の運転手の名札は取り外してあります。ブレーキハンドルのレバーも外されています。
 写真03−31は、歩いて移動する運転手です。ただし、映画では、この位置には電車は停車していませんでした。下の説明図08・09の説明をご覧ください。


 なぜ、この駅でスイッチバックなのでしょうか?
 日本の鉄道のところどころに
スイッチバックはありますが、多くは、急な傾斜を登るための手段として設定されています。この駅は、湖に近い平地にあり、急傾斜とは無関係です。
 一畑口駅がこのような形になっているのは、急傾斜とは全く異なるわけがあります。それには
一畑電車の会社の歴史から説明しなければなりません。

 鉄道の名前が示す通り、本来、この一畑電車が、
1912年に一畑軽便鉄道として創業された時は、出雲市や松江市方面から、一畑薬師寺への参詣客を運ぶことを主目的としていました。
 ・1914年 現
電鉄出雲市−現雲州平田間開通(当時は電化されておらず蒸気機関車が運行)
 ・1915年 現
雲州平田一畑間開通

 これで、出雲市方面から一畑薬師寺へのルートが完成しました。この時終着駅となった
一畑駅は、現在の一畑口駅(当時は小境灘駅)ではなく、この駅から一畑薬師寺の方(北)へ3.3km登ったところにあり、まさしく同寺への参詣のための駅となっていました。この場所には、現在は、一畑薬師寺へ向かう平田生活バス(出雲市都市交通公社の運営するコミュニティバス)の路線に一畑坂下というバス停がありますが、そこから、1300段余りの階段を上って、本堂へ到というのが、一畑薬師寺参詣の普通の方法でした。
 ・1927年 現
電鉄出雲市一畑間電化(昭和2年)
 ・1928年 現
一畑口−現松江しんじ湖温泉間開通(現北松江線全通)
 ・1930年 現
川跡出雲大社前間開通(現大社線開通)

 この時点で、現在は存在していない一畑口−一畑間も含めて、一畑電車の全路線は開業しました。
 つまり、一畑口駅は、一畑から見ると、同駅から出発した電車が、出雲市方面と松江市方面へ分岐する駅だったわけです。

 ところが、この状況は、しばらくして変わります。
 1941年から太平洋戦争が始まりますが、戦況の悪化は、地方私鉄にも影響を与えました。
 一畑グループのサイト、『Ichibata Group Official Web site』の「一畑グループの歩み」には、次のように書かれています。(→http://www.ichibata.co.jp/GROUP/history/
「1944(昭和19)年11月 小境灘〜一畑間の鉄道路線(3.3km)の軌条を企業再建整備のため運輸省より供出を命じられて撤去、営業を休止。(現・一畑口〜一畑坂下間)」

 つまり、
乗降客が少なかったからでしょうか、太平洋戦争末期の不要な鉄の回収(供出)の号令の元、一畑口−一畑坂下間の線路がはぎ取られてしまい、現在のように、一畑口駅のスイッチバックのみが残るという形になりました。
 下の写真03−32の先にある2車線の立派な道路は、戦後になって廃線跡に整備されたそうです。


説明図08の記述は、一畑グループオフィシャルサイト(→http://www.ichibata.co.jp/)の「一畑グループの歩み」から作成しました。

説明図09の航空写真は、国土交通省の「国土情報ウェブマッピングシステム」の「カラー空中写真閲覧」の航空写真を借用しました。サイトはこちらです。→http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html


 通常の一畑電車の電車の運行では、■■の松江市方面行きは、まっすぐ@番線に入線し、出発時にクロスのポイントを渡って松江方面へ向かいます。
 反対に、
■■の出雲市方面行きは、まっすぐA番線に入線して、出発時にクロスのポイントを渡って出雲方面へ向かいます。
 映画の中での、肇の運転する
デハニ50形は、このどちらの位置でもなく、実は、上図のB番線■■に停車していました。これは撮影によって、通常の電車の運行を妨げないように、わざわざ特別な停車場所にデハニ50形を止めて、撮影を実施したと考えられます。


 写真03−32 一畑口駅の線路の端 (撮影日 10/07/31)

 一畑口駅の2番線ホームです。
 奥に線路の端が見えます。この向こう、3.3kmの所に、1915年〜1944年の間、
一畑駅がありました。廃線になって、すでに66年がすぎました。
 映画では、
肇の運転するデハニ50形は写真右側の通常は使われないB番線に留まりました。


 【写真追加】 以下の3枚は、2010年の12月、2度目に一畑口駅を訪れた時のものです。 

 写真03−33 一畑口駅の北側からその1 (撮影日 10/12/11)

 一畑口駅の1番線ホームに出雲市駅発松江しんじ湖温泉駅行きの電車が入ってきました。

 

 写真03−34 一畑口駅の北側からその2 (撮影日 10/12/11)

 運転手さんが電車から降りて、反対側に向かいます。

 

 写真03−35 一畑口駅の北側からその3 (撮影日 10/12/11)

 線路を二つまたいで、松江しんじ湖温泉駅へ向かいます。

 

 映画『R』の感動する所は、別に、いい中年のおじさんが電車の運転手になるということではありません。
 この映画の監督の錦織良成氏は出雲地方の出身で、これまで同地方を舞台にした、映画『白い船』、同『うん?何』を制作し、この映画が3作目となりました。
 当初は、映画の題名は、ズバリ『
BATADEN』と想定されていました。BATADENバタデンとは、そのものずばり、一畑電車のこの地方での呼び名です。
 そうならずに、『
RAILWAYS』となって、正解でした。
 別に電車の運転手になることだけが、この映画の言いたいことではありません。あくまで、それぞれの『
A RAILWAY』が集まって、『RAILWAYS』となるところに、この映画の意義があります。
 一畑口駅での夫婦の会話は、その重要なポイントでした。


 ずいぶん長いページになってしまいました。
 ページをあらためて、
雲州平田駅での見学ツアーの様子を説明します。美人ガイドさんも登場です。


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