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 一畑電車 雲州平田駅  10/08/28記述

 ユニークなスイッチバック構造を持つ一畑電車一畑口駅を09:00ちょうどに出発した電車は、数分して宍道湖の湖畔を離れ、出雲平野へと向かいます。
 そして、まもなくして、私たちの最初の降車地、
雲州平田駅に到着しました。


 写真04−01 3000系車内(撮影日 10/07/31)
 写真04−02 ワンマン電車の降り口案内 (撮影日 10/07/31)

 一畑電車の3000系の車内です。
 無人駅では、進行方向後側の車両の扉は開きません。運転手さんの所まで行って、写真中央奥の赤い印のある料金箱へ、料金を入れて降車します。右は、車内に掲示されている降り口の案内です。


 雲州平田駅は、一畑電車唯一の車両基地・検査場がある駅です。映画『R』では、この駅で多くの場面が撮影されました。
 そこで、一畑電車としては、映画ファンへのサービスと収入アップを企図して、「
雲州平田駅 RAILWAYS ロケ地ガイド」を実施しています。
 その企画に参加してきました。


 写真04−03 雲州平田駅(撮影日 10/07/31)

 写真04−04 ロケ地ガイド (撮影日 10/07/31)

 ロケ地ガイドの入場券は、1000円です。

 写真04−05 伝言板(撮影日 10/07/31)

 写真04−06 ホテル? (撮影日 10/07/31)

 平田駅の待合室(といっても改札口と一体となっています)にある、映画関係の伝言板。映画出演者が残したメッセージがそ、のまま残されています。 


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 平田駅ロケ地見学ツアー      | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 ロケ地ガイドに参加するには、予約は必要ありませんでした。1日2回(午前10時と午後2時)の出発時間の前までに、出札口で上のチケットを1000円で購入すればOKです。
 そして、この7月31日午前の部の参加者は、なんと私と妻の二人だけでした。二人に、説明をするガイドさん一人がつくのです。ガイドさんはアルバイトではありません。れっきとした一畑電車の社員です。お名前は、
Tさん。この春入社したばかりの長身美人の女性アテンダントでした。

「ロケ地見学ツアー」の以下の記載内容・掲載写真については、一畑電車営業課担当の確認をいただいています。実際にお話を聞いたことでも、秘密にしておいたほうがよい部分については、あえて記載していません。お読みになって、行ってからのお楽しみです。

「こんにちは、よろしくお願いします。たった二人で恐縮です。いつもこんなに参加者は少ないのですか?」

「こんにちは、本日はロケ地ガイドにご参加いただきありがとうございます。前回の私の担当の時は、20名以上のお客様がご参加でしたので、今日は偶然お二人だけになったと思われます。」

「人数が少ないのは、参加している当人たちにはとてもラッキーなので、いろいろ質問しますが、お願いします。また、私自分のHPを作っていますので、そこにあなたのお話や、あなたの写真を載せていただいてもいいですか?」

「どうぞ、たくさん宣伝に使ってください。」

「ありがとう。ところで、Tさんは、見たところ一畑電車の社員さんですよね。普通はどういう仕事をされているのですか?」

「通常は、駅の業務や電車のアテンダントとして、乗車して観光地の説明や切符の取扱等をしています。今日も、このガイドの仕事の後は、11時15分の電車に乗務して、出雲大社前駅へ向かいます。」

「そうですか。ご苦労様です。ではお願いします。」

「はい、まず最初は、この雲州平田駅1番線のホームです。」




 写真04−07 雲州平田駅1番ホーム   (撮影日 10/07/31)

 地点、雲州平田駅1番ホームです。駅隣のコンビニ駐車場のフェンス越しに撮影しました。松江しんじ湖温泉行きの2100系電車が到着したところです。
 このホームを舞台にした一番の見せ場は、ちょっとした不祥事を起こして責任をとってやめることになった主人公肇(中井貴一)に対して、いつも世話になっている乗客が、
「やめないでください」
と引き留めるシーンです。
 どんな仕事をしていても、お客さんからその必要性を認められてと言うとは、最高の賛辞です。

 肇はまた別の所で言います。
「毎日同じ所を運転しているようで、天気も違えば、お客も違う。毎日が新鮮で楽しい。」
 そういう感受性、謙虚さが、人から頼られる、感謝される仕事っぷりを生み出します。

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 写真04−08 駅構内西北端の待避線 (撮影日 10/07/31)

 地点です。
 後の電車は、本線上を走っているのではなく、駅西端の引き込み線に止まっている
2100系です。本線はその隣の線路です。
 写真中央で分厚い手帳を参考にしつつ、一生懸命説明をしている女性が、私たちのガイド、
Tさんです。もっと笑顔の時にシャッターを切ればよかったです。とても美人です。彼女の他に、説明を担当するアテンダントの方が4名おられるそうです。

「後に停車している電車は、我が一畑電車の2100系です。もともとは東京の京王電鉄の車両で、1994年・95年に4編成8両が導入されました。
 現在一畑電車には、引退した
デハニ50形以外に、南海電車から購入した3000系が4編成8両、一番新しい車両として、京王電鉄から購入した5000系が2編成4両、在籍しています。」

 ということは、一畑電車の電車はデハニ50形を含めて、合計、22両です。上の「説明図09」にあるように、私たちが訪問した時、この雲州平田駅構内には、合計13両が停留していましたので、半分以上を一度に見たことになります。

  ここから、左手前に見える構内の通路を渡って本線を横切り、南側の待避線の方へ向かいます。

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 写真04−09 車両基地の電車群      (撮影日 10/07/31)

 地点から通路を通って、上の説明図10の地点に向かう途中で、東側を向いて撮影した写真です。検査場や洗車場に停留する電車群です。


 写真04−10 元事務所(撮影日 10/07/31)

 写真04−11 案内板 (撮影日 10/07/31)

 地点、これは一畑電車創業以来現存する古い建物です。本来は単なる倉庫でしたが、映画の撮影の際に監督の目にとまり、乗務員休憩所という設定で撮影されてものです。
 この建物の手前では、肇と三浦貴大(宮田大吾が演じる肇と同期で入社する元甲子園球児)が、新入社員同士で昼食を取るシーンが撮影されました。三浦が食べるメロンパンは、この駅の近所の評判のパン屋さんのものでしたが、私たちが行った時は、ご主人が病気になられ、パンの製造を中止しているとのことでした。残念でした。 

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 写真04−12 古い中央指令盤 (撮影日 10/07/31)

 その古い建物の中に、映画の際に実際に使われた、古い中央司令室の指令盤が展示?してあります。映画では、これに少し装飾を加えて、本物らしくなっていました。

「もちろん、ここが中央運転司令室ではありません。本物の中央運転司令室は他のところにちゃんとあります。
 さすがに、現に運転がなされている以上、電車の安全運行から考えても、本物の司令室で撮影をすることはせきません。そこで、撮影は、雲州平田駅の一つ松江市側にある布崎駅のそばにある布崎変電所の一室で行われました。全く無関係の部屋が古い指令盤を使って、にわか中央司令室となったわけです。」

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「では、次に工場の方へご案内します。(上の地図では、地点)
ところで、ご主人は鉄道には詳しいようですが、映画の中で、肇が運転して電車を動かしているように見えるシーンが幾度かありますが、あれはどのように撮影したかわかりますか。」

「確か、VFX(特殊撮影)は一切使わず、全部実写だったんですよね。」

「運転の方法を教えてもらったとか。」

「それは無理ですね。
 映画でも出てきたように、ちゃんとした営業線の上を運転するには、運転士の試験に受かる必要があります。」

「電車は動かないままで、背景を動かしたとか?」

「それはすごい発想ですが、残念ながら違います。
 主に二つの方法がとられたと聞いています。
 一つは、・・・・・・・・・。」

ここは、秘密です。営業課担当さんの「夢を壊さないで」との趣旨に賛同しました。
現地に行けば、ちゃんと説明してもらえます。
 

「なるほど。さすが監督さんは、賢いもんだ。」 

 構内をとことこ歩いて、駅中央の検査場に着きました。地点です。


 写真04−13 洗車機(撮影日 10/07/31)

 写真04−14 中央検査場内部 (撮影日 10/07/31)

 検査場の建屋は、中央と東端と二つあります。中央のそれは、線路が屋根の下を貫通して、東側に続いています。右の写真は、検査場南の洗車機のある線路上の2100系です。
 右は、検査場中央の線路の5000系です。

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 検査場の中を通って東側地点に出ると、そこに、軌道自転車が止めてありました。
 映画中で、肇(中井貴一)と保線区の方が、この自転車を漕いで、本線上を走ります。とても気持ちよさそうなシーンです。

「これ漕いでいいですか。」

「はいどうぞ。お二人で漕いで動かしてください。ブレーキは、奥様の方にあります。しっかり止めてください。」


 写真04−15 軌道自転車      (撮影日 10/07/31)

 二人で乗って、レールの上を5m程移動しました。自転車のようにペダルで漕ぐほかに、左後部にエンジンが付いていて、長距離はそれで走ります。右側のハンドルには、警報のサイレンが付いています。ウ〜ウ〜とけたたましく鳴ります。
 印象として本体そのものは重そうで、漕ぐのが大変に思えます。しかし、鉄のレールの上を鉄の車輪で走るので、摩擦係数は思ったより小さく、素人でも楽々と走らせることができます。


「映画の中では、肇が右側に座っています。左側には保線区員らしき方が座って漕いでいますが、実はあの方は、この一畑電車の社員です。社員の中からオーディションしてあの方(かなりおじさんでした)が選ばれました。」

「へーえ、そうなんだ。」

 次は、地点に動いて、停留してあるデハニ53と東側の検査場を見学です。

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 写真04−16 3番ホーム(撮影日 10/07/31)

 写真04−17 デハニ53 (撮影日 10/07/31)

 写真04−16は、3番線にとまっている回送電車3000系です。
 写真04−17、この位置に停車したデハニ53の前では、肇と三浦貴大(宮田大吾)が列車脇の台に座って話をしているシーンが撮影されました。


「デハニは、の意味はご存じですよね。」

「電車のデ、イロハのハ、つまり一等車、二等車の次の三等車、すなわち普通車。そして、ニは荷物も積める車両。」

「はい、正解です。デハニ50形は、51・52・53・54と4両あったのですが、今では、この53ともうひとつ、52が出雲大社前駅に展示してあります。この4両は、1928(昭和3)年・29年に、一畑電車のオリジナル車両として、製造されました。80年以上活躍しましたが、老朽化によって、2009(平成21)年3月で営業運転から引退しました。
 その後、2009年の8月に、映画
『R』の撮影に使われました。
 自由に中に入って写真を撮ってください。」


 写真04−18 検査場前のデハニ53と軌道自転車 (撮影日 10/07/31)

 1番ホームの東、本線横の駐車場からの撮影です。手前に写っているのは、左手の検査場(東)の中で整備されている3000系の台車です。

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 写真04−19 運転席 (撮影日 10/07/31)

 写真04−20 シート (撮影日 10/07/31)

 運転席の幅は非常に狭く、居住性は劣悪です。万一、電車となにかが正面衝突したら、運転手は運転台に挟まれます。(+_+)
 この電車は、映画撮影前は、畳が敷かれたお座敷列車でした。それを撮影用に、昔の座席付きに改良されました。その時点ではつり革は撤去されてありませんでしたので、撮影用に他の車両のを借りてきました。また、座席も撮影用で、ただの板張りです。座っているといたくて仕方ありません。


「もうこの電車も、通常のダイヤで復活することはないでしょう。
 ところで、映画は当初、『
BATADEN』という名前になるはずだったと言うことはご存じですか?」

「そうですか。それは知りませんでした。
 いやそうならなくて、よかったですね。そうですね。
映画『
RAILWAYS』は、この電車のことも含めて、肇、家族、お母さん、そして、三浦貴大と、いろいろな人の人生、「RAILWAY」が描かれていて、とても感動的でした。『BATADEN』では、単なる一畑電車の映画になってしまいます。やはり、それぞれの「A RAILWAY」が集まって、『RAILWAYS』です。そうでなければ行けません。

「なるほど。そうですね。」

「いい、解説でしょう。」


 写真04−21 荷物室 (撮影日 10/07/31)

 写真04−22 手動ドア (撮影日 10/07/31) 

 片側の運転席のすぐ後は、荷物室となっています。扉は手動式です。

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 写真04−23 東の検査場(撮影日 10/07/31)

 写真04−24 1番ホームから (撮影日 10/07/31)

 東の検査場にあった3000系は、台車が外されていました。右は、1番ホームから、東検査場の3000系を撮影したものです。左手は、本線上を雲州平田駅に到着する2100系です。


「はいこれで終わりです。お疲れ様でした。

「ありがとうございました。」

雲州平田駅見学ツアーは、1時間で終わりました。

「このあと、次の11時15分の電車で、出雲大社前駅まで乗務しますので、よろしくお願いします。」

 さん、ご苦労様でした。なかなか面白い体験でした。

 ところで、私たちが旅行を終えた後、一畑電車のHPを見ると、なんと次の仰天企画が案内されていました。
デハニ50形体験運転実施
 
雲州平田駅構内で、デハニ50形の体験運転を企画するというのです。期間は2010年8月〜12月。運転体験距離は、駅構内の70mです。料金は13000円です。
 ※HPはこちらです。→https://www.ichibata.co.jp/railway/dehanidream/

「もういちど、出雲へ行っていいか。」

「どうぞ。私もつきあう。」

 さて、どうしたものか。(*_*) 


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 川跡駅・出雲大社前駅     | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 10時から始まった雲州平田駅見学ツアーは、予定通り11時には終わりました。11時15分発の電車で、出雲大社へ向かって出発です。
 出雲大社に行くには、川跡駅で北松江線(本線)から支線の大社線に乗り換えなければなりません。
 川跡駅を出ると10分ちょっとで出雲大社前駅に到着です。


 写真04−25 川跡駅(撮影日 10/07/31)

 写真04−26 電鉄出雲市行き (撮影日 10/07/31)

 川跡駅では、北松江線(本線)の上下線と、支線の大社線の電車、合計3編成が必ず連絡するようにダイヤが組んであります。左の写真04−25は、左から出雲大社前行き、松江しんじ湖温泉行き、電鉄出雲市行きです。
 右は、乗り換えた出雲大社前行きの先頭車両から、カーブして去ってゆく電鉄出雲市行きを撮影したものです。
 中央の電車の横を、自転車を引いてホームを降りてくる少年がいるのがわかりますか?
 映画『
』にも描かれていましたが、一畑電車は自転車も乗せることができます。


 写真04−27 保育園の電車       (撮影日 10/07/31)

 川跡駅から大社線を出雲大社前駅に向かって少し行くと、左手にデハニ50形と同じ塗装の電車が見えてきます。遠くから最初に目にとまった時は、どこかの駅のホームにデハニ50形が停まっているのかと錯覚しますが、近づくと、何と線路に隣接する保育園に展示されている電車でした。
 これは、以前に引退した、一畑電車の
デハ3デハ6です。デハニと違って、の部分、つまり荷物室はありません。この電車のことも、雲州平田駅のロケ地ガイドさんが説明してくれました。
 この保育園、「さとがた保育園」のホームページは、電車が走っていてとてもユニークです。
  →さとがた保育園 http://www.satogata.ed.jp/pc/top/index.html

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 写真04−28 スピードは出せません (撮影日 10/07/31)

 雲州平田駅での説明の中で、ガイドさんが、
「うちの電車は余りスピードは出せないんです。線路がまっすぐじゃないもんですから。」
といっていましたが、大社線は、本当にそうです。線路を見てください。別に陽炎でゆがんでいるのではありません。小刻みで曲がっています。そのせいか、とくにゆっくり走っているように思えました。(+_+)


 写真04−29 出雲大社前駅(撮影日 10/07/31)

 写真04−30 デハニ52 (撮影日 10/07/31)

 出雲大社前駅に近づきました。南側の引き込み線にデハニ52が留置されています。
 
デハニ52は、昼間の時間帯なら、中へ入って見学することができます。


 写真04−31 お疲れ様(撮影日 10/07/31)

 写真04−32 駅舎 (撮影日 10/07/31)

 アテンダントとして乗務してきたTさんは、降車するお客様に、ご挨拶です。(青い法被を着ている女性です。この法被が何の意味かは聞き忘れました。)
 お疲れ様でした。ありがとうございました。
 この日は、夏休みなのに、修学旅行風の女子高生が多く乗っていました。

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 出雲大社と県立古代出雲歴史博物館| 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 一畑電車出雲大社前駅から出雲大社拝殿までは、ゆっくる歩いて15分ぐらいです。途中で昼食の出雲そばを食べました。
 出雲大社に参拝した後は、その東隣にある、島根県立古代出雲歴史博物館に行きました。出雲古代史三昧です。
 その帰りは、名物ぜんざいを3時のおやつに食して、駅に戻りました。


 写真04−33 出雲大社(撮影日 10/07/31)

 写真04−34 因幡の白ウサギ(撮影日 10/07/31)

 出雲大社は現在本殿の工事中でした。写真右後ろに見える大きな建物が、その覆いです。


 写真04−35 島根県立古代出雲歴史博物館 (撮影日 10/07/31)

 出雲大社のすぐ東隣に、といっても広い境内ですからあるけば10分ほどかかりますが、歴史博物館があります。
 その目玉拝観物は、下の、
古代出雲大社の柱(宇豆柱(うづばしら))と、出雲荒神谷遺跡から出土した358本もの銅剣加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸です。その量は壮観です。
 残念ながら柱以外は撮影が禁止されているので、写真はありません。
  ※島根県立古代出雲歴史博物館のサイトです。→http://www.izm.ed.jp/


 写真04−36 古代の出雲大社の巨大な柱=宇豆柱 (撮影日 10/07/31)

 この柱については、以前にクイズに仕立ててあります。
 
日本史クイズ飛鳥〜平安時代編1をご覧ください。→「平安時代後期、子どもが文字をならう教科書のひとつとして、源為憲著の『口遊』というのがありました。その中に、当時の大建築物のベスト3が記載されています。3位は平安京の大極殿、2位は奈良東大寺の大仏殿でした。では、第一位は、何でしょうか。」


 写真04−37 ぜんざい発祥の地(撮影日 10/07/31)

 写真04−38 アイスぜんざい (撮影日 10/07/31)

 出雲大社参道の名物と言えば、出雲そばぜんざいです。
 出雲は、
日本のぜんざいの発祥の地ということになっています。
 江戸時代寛永期に成立した、『
祇園物語』(仮名草紙、当時の庶民むけ読み物)の中に、次の一節があります。

【原文】
 「十月には日本國の諸神みな出雲國におあつまり給うゆゑは神在と申すなり、その祭りは赤豆をにて、汁をおほくし、すこし餅を入れ候て、節々まつり候を、神在もちひと申すよし、又神在と申す宮もあるとなり」
【現代語訳】
 「十月には、日本国中のあらゆる神様が出雲国に集まられるので神在という。
その祭に赤豆を煮て、汁を多く入れ、餅を少し入れたのでお祀りをするが、これを神在餅と言うそうである。又、神在という宮も有るとのことである。」
 ※島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 
佐太神社のHPより引用 →http://sadajinjya.jp/?m=wp&WID=5612 
 
 10月は、旧暦の古い月名の言い方では、神無月(かんなづき)です。これは日本中の守様がみんな、出雲の神に集まってしまうので、各地に神様がいなくなってしまう、つまり「神が無くなる」ということから名付けられた月名です。
 ところが、出雲では、反対に10月は神在り月となります。
 その時に、お祭りに食したのが、小豆に汁を入れて餅を少し入れたお供え食でした。これを出雲では、神在(かみあり)といいました。
 これが、他の地域に伝わり、「じんざい」→「ぜんざい」となまって、ぜんざいという言い方になったと言うことです。

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 再び電鉄出雲市駅    | 全行程目次・地図へ || 先頭へ |

 残るルートは、出雲大社前駅から乗換駅の川跡駅まで行き、そこで、電鉄出雲市行きの電車に乗り換えて、終点に向かいました。
 雲州平田駅の
ロケ地ガイドさんから、電鉄出雲市駅に着く手前に、『R』の中で肇のお母さんが入院している病院の設定となっていた、ある学校(高校?)を見ることができると聞いていましたが、特定できずに残念でした。


 写真04−39 電鉄出雲市駅 (撮影日 10/07/31)

 3000系が電鉄出雲市駅に到着しました。お疲れ様です。


 15時30分には、無事電鉄出雲市駅に戻ってきました。
 これで
宍道湖一周が完了しました。朝の6時46分に出発して、9時間弱の旅でした。

 このあとは、駐車場に止めておいた自動車に乗って、国道9号線を西に進み、今日の宿泊地、
温泉津(ゆのつ)温泉に着きました。
 明日は、石見銀山見学です。


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