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二つの天空の城、二つ目は但馬の竹田城です | 先頭へ ||日程表へ| |
10時過ぎまで姫路城を見学した私たちは、急いでバスで姫路駅に戻り、次の目的地、朝来(あさご)市の竹田城に向かいました。乗った鉄道は播但(ばんたん)線という、兵庫県西部を南北に結ぶローカル線です。もちろん、初乗車です。久しぶりのローカル線の旅です。 |
1 | どうせ行くなら二つ一緒に |
2 | 天空の白鷺です |
3 | 大天守の外側です |
4 | 播但線です |
5 | 天空の城・竹田城です |
4 播但線です |地図01行程説明へ||説明図01旅行日程へ||目次へ| |
兵庫県西部は、旧国名で言うと、瀬戸内海側の播磨(はりま)と日本海側の但馬(たじま)とに別れています。播磨の中心都市は姫路市、但馬の中心都市は、海側の豊岡市、内陸の朝来市です。 |
写真01-01 姫路駅の1番線に入線しようとする播但線電車 (撮影日 13/12/23) |
中国山地を越えて分水嶺の向こう側に行く鉄道路線というイメージでしたので、てっきりディーゼルカーがやってくるかと思っていたら、なんと、赤い電車がやってきました。失礼しました。 |
写真01-02 時刻表 01-03 播但線電車 (撮影日 13/12/23) |
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左:播但線は、単線ですが、姫路から50分ほどの寺前までは電化されており、時刻表を見ると、朝夕の通勤時間帯は、結構多い本数が運行されています。姫路に近い部分では、田舎のローカル線とは少し趣が違い、大都市姫路への通勤路線です。 |
写真02-04 香呂駅 (撮影日 13/12/23) |
写真02-05 寺前駅 (撮影日 13/12/23) |
左:姫路駅から5番目の香呂駅で姫路行き上り電車とすれ違いました。ラッピングの色は違いますが、同じ103系です。寺前までは、平坦地でもあり、電車は昔取った杵柄といわんばかりに、モーターをうんうんうならせて、快調に走ります。 |
写真02-06・07 寺前からは非電化区間。ディーゼルカーの登場です。 (撮影日 13/12/23) |
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左:寺前-和田山間はディーゼルカーのキハ40やキハ47が運行されています。私たちが乗ったのは、片運転台車両を両運転台に改造したキハ47形でした。 |
写真02-08・09 生野駅。分水嶺の生野の周辺は雪でした。(撮影日 13/12/23) |
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左:姫路-寺前間は距離にして29.6kmです。駅は寺前を含めて11ですが、そこを電車は45分で走りました。時速に換算すると、39.4kmです。 |
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【生野について -補足】 |
5 天空の城・竹田城です |地図01行程説明へ||説明図01旅行日程へ||目次へ| |
のんびりとローカル線の旅を満喫した私たちは、12時29分に竹田駅に到着しました。シーズンオフということもあって、竹田駅で降りる人はほんの数人です。
現在は①のルートは工事中で閉鎖のため、選択できません。左膝が変形性膝関節症のためできるだけリスクを避けたい私としては、標高差の少ない安全な方法というわけで、タクシー代往復1880円を払って、⑤の方法をとりました。 |
上の写真は、Yahoo から正式にAPIキーを取得して挿入した、「竹田城」周辺の地図です。 |
写真02-10・11 竹田駅と竹田城 (撮影日 13/12/23) |
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左:竹田駅の背後の山の山頂に竹田城があります。ちょっと写真では見づらいですが、石垣が見えます。 |
写真02-12・13 山城の郷 (撮影日 13/12/23) |
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左:「山城の郷」の駐車場。シーズンオフでしたが、駐車場は8割方埋まっていました。 |
写真02-14 大手門登山道の途中から見た竹田城。左の大きな石垣が本丸です。(撮影日 13/12/23) |
登山道は最後の山道以外は舗装道路です。勾配も急ではなく、ピクニック気分で登れます。 |
写真02-15 南千畳 (撮影日 13/12/23) |
写真02-16 南二の丸への通路 (撮影日 13/12/23) |
最後の山道を上がると南千畳の広々とした空間が広がっています。 |
写真02-17 南二の丸から撮影した本丸と二の丸です。(撮影日 13/12/23) |
この時は本丸は工事中で立ち入り禁止でした。11月から工事に入っていますが、朝来市のHPを見ても完成期日は書かれていません。 |
シーズンオフで天気も今ひとつのため、褐色と灰色の写真ばかりになってしまいました。唯一、観光客が少なく、ゆっくりと散策ができ、比較的思い通りの写真が撮影できたことはよかったです。 |
写真02-18 本丸下から撮影した南二の丸と南千畳 (撮影日 13/12/23) |
せめて天気がよければもう少しいい写真になったんですが・・・・。 |
写真02-19・20 左:二の丸から見た南二の丸。 右:北千畳から見た本丸。 (撮影日 13/12/23) |
「山城の郷」の2階にある竹田城の資料館に展示してあった城の歴史をまとめた年表によれば、竹田城を始めて構築したのは、かの有名な山名持豊(宗全)です。
竹田城は、1431年に築城を開始し1443年に完成したといわれています。その直前の1441年には嘉吉の乱(播磨の守護大名赤松満祐が将軍足利義教を謀殺した事件)が起こっており、この事件で山名持豊とともに赤松討伐に手柄を立てたのが但馬の国人(地方の有力武士)である太田垣光景で、播磨の守護山名持豊のもとで守護代に任命され、竹田城主となりました。山名持豊が細川勝元と争って応仁の乱が始まるのは、この少し後の467年のことです。太田垣氏は、このあと、1570年前半まで7代にわたって竹田城主を世襲します。 |
竹田城といえば、雲海に浮かぶ城の写真が有名です。天空の城、日本のマチュピチュといわれる所以です。 |
写真02-21 竹田城の模型(「山城の郷」2階の資料館にあります) (撮影日 13/12/23) |
雲海に浮かぶ城の写真はありませんから、代わりに地元の中学生の作成による竹田城の模型です。 |
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写真02-22 雲海と岐阜城 (撮影日 06/04/02) |
岐阜城の場合、山裾に長良川という1級河川が流れていますが、そこから大規模に川霧が発生すると言うことは、たぶんあまりないと思います。竹田城と違って、川面から山頂までは300m以上ありますから、そんなに分厚い霧の層は期待できません。 この写真の雲海は竹田城の円山川の川霧と違って、普通の雨雲です。雨が降っていて天気が回復に向かう時、雲の動きと雨が上がるタイミングがうまくいくと、まれにこういう状況が出現します。 |
次に竹田に行く時は、竹田城を緑が覆っている季節、または川霧の出る晩秋の早朝がいいですね。JR山陰線で。(^.^)ついでに生野銀山にも行ってみたいと思います。 |
【天空の城 兵庫県日帰り旅行 参考文献一覧】
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