| 旅行記のメニューへ  | | 九州両端旅行 旅行日程図へ  |  | 前へ | | 次へ |

 今回は九州新幹線さくら号で鹿児島へ   | 先頭へ ||旅行記目次へ

 夏の旅行で、九州に行ってきました。鹿児島と関門海峡です。名付けて九州両端旅行です。

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

「きみがまだ行ったことがない都道府県は、どこだっけ。」

「茨城・宮崎・鹿児島・沖縄。あなたは?」

「まだ、あちこちに残っているもんだ。僕は限定されている。残りは、青森と秋田のみ。」

「こういう時は、課題が多い人を優先するべきね。」

「先に達成できる人の分をやっつけてしまうという手もあると思うが・・・・・。」

「九州がいい。鹿児島がいい。新しい新幹線に乗っていこう。」

「う~ん。仕方がない。確かに、岐阜と違って中世以来の歴史と伝統が豊かな鹿児島は、見るものが一杯ある。遠いところだし、久しぶりに、完全2泊3日で豪勢に行こう。バス夜行とかではなく、ホテルで2泊。予算大丈夫?」 

  「なんとかなるって。決定。ぽーん。(ハンコを押す音、(^_^) )」 

 妻は、NHK大河ドラマ『篤姫』の大ファンで、今も、4回目の再放送とかを見ていますので、鹿児島が行きたいところ一番ということになりました。

「ただし、飛行機の方がいいかもしれない。比較して決めよう。」 


 岐阜県からだと、鹿児島まで飛行機を利用するか、新幹線を利用するかは、微妙なところです。料金と節約できる時間の兼ね合いです。
 比較すると次の表のようになりました。


 朝、30分早く出発することと、12,000円多く支払うと、2時間弱の節約。「これなら飛行機」という発想の方があっても、不思議ではありません。ANAの場合、往復運賃なら、さらに片道分で3,100円安くなります。
 私たちは、天候のこと等も考慮に入れて、使い慣れた新幹線を選びました。
 電車に5時間の乗るというのは、なかなかしんどいとも考えられますが、結果的には、今回は、二つの要因で気にはなりませんでした。

 新大阪から乗車した九州新幹線さくら号は、普通車でも1列4席のゆったりシートで、窮屈さはなく快適な車中となりました。

 

 ロンドン・オリンピックが始まって、慢性的寝不足が続いていましたが、新幹線の中での爆睡で、かえって旅の英気が養われました。


 写真01-01 九州新幹線  (撮影日 12/08/05)

 写真01-02  ゆったり4席 (撮影日 12/08/05)

 九州新幹線さくら号です。車内の横1列・4席はとても魅力です。これなら新大阪から4時間でも、苦痛ではありません。 


  <九州両端旅行行程図>


 訪問地を順に説明します。





 南の端 鹿児島 3題  | 先頭へ |

 九州両端旅行というタイトルを付けた以上は、両方の端を訪問しなければなりません。
 なんの端かといえば、陸地の端というよりは、鉄道の端です。 まずは、その話です。

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ
 その1 鹿児島中央駅   | 先頭へ |

 その最初は、九州新幹線の終点の駅、鹿児島中央駅です。名古屋から5時間かけて、JRの南西の端っこの駅につきました。正確には、新幹線の端っこの駅です。
 上の地図02↑をご覧ください。鹿児島には、北の福岡県へつながる鹿児島本線(福岡県の門司港駅-鹿児島駅、熊本経由)と日豊本線(福岡県の小倉駅-鹿児島駅)の起点があります。しかし、この鹿児島駅は、両線がつながる駅となっており、端っこの駅ではありません。鹿児島本線の鹿児島中央駅も、もちろん、ただの通過駅です。
 つまり、九州新幹線の駅のみが、端っこの駅となっています。


 写真01-03 鹿児島中央駅 (撮影日 12/08/05)

 写真01-04 鹿児島中央駅(撮影日 12/08/05)

 2004年の九州新幹線暫定開業の際に新しく整備され、それまでの西鹿児島駅から鹿児島中央駅へと生まれ変わりました。ここには、大学生の時、1973年に1度夜行列車で来たことがあります。その時とはすごい様変わりです。その時、駅の前のラーメン屋さんでラーメンを食べました。おばちゃんの鹿児島弁がほとんどわからなくて、友人と「さすが鹿児島」と感激しました。今回も駅前の屋台で黒豚ラーメンを食べましたが、店員のお兄ちゃんの言葉は普通に通じました。(^_^)

 駅の直ぐ横側には、アミュ・プラザが建設され、屋上には観覧車も設置されました。なかなかいい眺めです。
 

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 写真01-05 鹿児島中央駅(撮影日 12/08/05)

 写真01-06 鹿児島中央駅(撮影日 12/08/05)

 左:観覧車から見た鹿児島中央駅新幹線ホーム。九州新幹線は背後のトンネルから出て東進し、南北に走る鹿児島本線に垂線の形で交わって終点となっています。
 右:新幹線ホーム東端の車止め。ここが端っこです。正面のビルの向こうに桜島があります。
 


 写真01-07 鹿児島本線(撮影日 12/08/05)

 写真01-08 駅前の留学生群像(撮影日 12/08/05)

 3階の新幹線ホームの先頭車両の端からの撮影です。1階には、新幹線と直行する形で南北に鹿児島本線鹿児島中央駅があります。左端の黄色い列車は、指宿・枕崎線のディーゼルカーです。陸橋の奥の電車は鹿児島本線の電車です。
 新幹線は、9時台から15時台までは、1時間2本の運行で、1本は博多行き、1本は新大阪行きです。つまり昼間時間帯は、新大阪から鹿児島中央へ向かうさくら号は、1時間に1本と言うことになります。
 

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 都道府県庁所在地の駅の前の広場にどういうモニュメントを飾るか?
 私は、ある意味、これはその都道府県の思いや意気込みを示していると考えています。何度も言いますが、岐阜駅前は黄金の信長像です。(→岐阜・美濃・飛騨の話:「JR岐阜駅北口前広場 織田信長像と岐阜の歴史」
 
 鹿児島市内には、この
鹿児島中央駅の駅整備事業がはじまる前に、すでに、西郷隆盛像・大久保利通像など高校の日本史の教科書にも掲載されている維新の英傑の銅像があちこちに建てられていました。
 新しく整備する駅のモニュメントとして何がいいか?
 そこで考えられたのが、使節・留学生らのモニュメントです。


 写真01-09使節・留学生像(撮影日 12/08/05)

 写真01-10 説明板(撮影日 12/08/05)

 左:駅前広場にある使節・留学生の群像です。

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 生麦事件において謝罪をおこなわない薩摩藩に対してイギリスは鹿児島湾に艦隊を派遣し、1863年薩英戦争が起きます。この戦いでイギリスや西洋軍事技術の優れた点を肌で理解した薩摩藩は、幕府の許可を取らずに無断で藩の使節と留学生をイギリスに派遣しました。当時は日本人の渡航は原則禁止のため、南西諸島への出張という名目で船出し、イギリスではみな変名を使いました。3使節は、新納久修(34歳)、松木弘安(34歳)、五代友厚(31歳)。留学生は、森有礼ら15名でした。

 使節はフランスの貴族モンブラン伯爵と薩摩の物産の販売と軍艦・武器弾薬・機械類の購入を目的とした商社設立の交渉を進め、仮契約を結びました。話が発展しますが、モンブラン伯爵は、1867年にパリで開催される予定の万国博覧会への参加を勧め、範もこれを受けて参加を決定しました。パリ万博へは幕府ももちろん参加することになりますが、薩摩藩は「統一参加」を拒否し、あくまで、「日本薩摩太守政府」の名で、砂糖や泡盛などを出品しました。
 つまり、この使節・留学生派遣も、薩摩の「独自路線」「意気込み」を示す象徴的な出来事だったのです。そういう群像を駅前のモニュメントに設置できる。
 歴史と伝統が豊かな鹿児島県は、うらやましいところです。
  ※参考文献1 原口泉他著『鹿児島県の歴史』P251・252 

このページの参考文献一覧へ九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ
 その2最南端の駅二つ 最初は西大山駅 | 先頭へ |

 私たちのこの旅行の最初の訪問地は知覧でしたが、この報告は3ページに回して、あと二つの南の端を紹介します。
 
 一つ目は、
JR指宿・枕崎線西大山駅です。
 この駅は有名な駅です。以下の駅の案内掲示板を見てください。

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 写真01-11 単なるローカル駅(撮影日 12/08/05)

 写真01-12 西大山駅の位置(撮影日 12/08/05)

 この指宿枕崎線の西大山駅は、鹿児島中央駅から1,250円、時間にして2時間弱と鹿児島市からは遠く離れた駅です。もちろん無電化・単線で片面の短いホームに、ディーゼルカーが1日に上下各8列車が通るのみのローカル線の駅です。上りは、9:01発の次は、14:17発までありません。
 
 しかし、この西大山駅こそが
JRの最南端の駅なのです。

 ついでに、 案内板によれば、最西端はJR佐世保線佐世保駅最東端はJR根室線東根室駅最北端はJR宗谷本線稚内駅です。
 ここでちょっと鉄道クイズです。この4つの最○端の駅についての質問です。難しいですから勘で答えて下さい。


 ※例によって、黒板をクリックしてください。答が現れます。
九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 西大山駅は、最南端の駅といっても、終点の駅ではありません。指宿から枕崎へつながる路線の途中駅ですが、緯度的に最南端になっているというわけです。そういう意味では単なる通過駅です。ここでは、あえて、「端の駅」としています。
 
 ちなみに、
最東端の東根室駅も通過駅です。根室本線は、根室半島の付け根で、ぐるっと回って東から西へ向かって根室駅に入ります。したがって終点の根室駅より、東根室駅の方が東側に当たり、その東根室駅が最東端の駅となっています。
  →ここで説明しています。旅行記:「北方領土・北海道訪問記15 あの時のことそれからのこと2 「東」について」
 
 また、
最西端佐世保駅も厳密には終点の駅ではありません。


 写真01-13 佐世保駅  (撮影日 10/06/18)

 写真01-14 線路は続く (撮影日 10/06/18)

 出張の帰りに立ち寄ったJR佐世保線の終着駅、佐世保駅です。日本最西端の駅の標識があります。しかし、終点の駅の割には、ホームの端には、まだ西の方にむかって、線路が続いています。これはなんの線路?
 続いているのは、
松浦鉄道西九州線です。元々は国鉄時代の松浦線ですから一本の線路でつながっています。西九州線は、北西に向かって平戸口まで行き、ぐるっと東に回ってさらに南下し、伊万里を通ってもう一度JR佐世保線の有田駅につながっています。
 松浦鉄道西九州線はJRになったあとの1988年に第三セクターとして、開業しました。
 


 最○端の駅で、本当の端っこの駅(行き止まりの駅)は、最北端の宗谷本線の稚内駅だけです。残念ながら私は、4つの端の駅のうち、ここだけはまだ行ったことがありません。 


 回り道をしました。JR指宿・枕崎線西大山駅の紹介です。

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 写真01-15 北緯31度11分(撮影日 12/08/05)

 写真01-16 鐘もあります(撮影日 12/08/05)

 写真01-17 幸福の黄色いポスト(撮影日 12/08/05)

 写真01-18  開聞岳 (撮影日 12/08/06)

 駅の西には、九州南端の名峰、開聞岳が臨めます。薩摩富士という別名です。円錐形の本当にきれいな山の形です。 

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 写真01-19 枕崎行き (撮影日 12/08/06)

 写真01-20  指宿行き  (撮影日 12/08/06)

 右は西大山駅と大山駅との間にある陸橋からの撮影です。写真18~20は、8月6日の早朝の撮影です。妻の批判を防ぐため、自分一人早起きして、一番列車を撮影に行きました。こういうときレンタカーは便利です。 


 写真01-21 開聞岳の後に夕陽が沈みます。頂上が見えない開聞岳の標高は924mです。(撮影日 12/08/05)

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 上の地図は、Google から正式にAPIキーを取得して挿入した、鹿児島県薩摩半島南部(開聞岳・山川・指宿)の地図です。

 左に開聞岳、中央に薩摩半島最南端の長崎鼻、そして右に山川港です。 
九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ
 その3最南端の駅二つ 二つ目は山川駅 | 先頭へ |

 指宿・枕崎線の駅は、西大山・大山・山川・指宿と続いています。
 そのうち、
山川駅(発音は、「やまがわ」と濁ります)も最南端の駅です。
「えっ、さっき西大山駅が最南端という紹介ではなかったんですか」という疑問が出るのはもっともです。


 写真01-22  JR指宿・枕崎線山川駅             (撮影日 12/08/05)

 山川湾にへばりついた国道沿いの駅です。


 なんの条件も付けない「最南端の駅」は、西大山駅です。ということは、山川駅は、何か条件付きの最南端の駅ということになります。さてその条件とは?

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 写真01-22 山川駅正面  (撮影日 12/08/06)

 写真01-01 カエル  (撮影日 12/08/05)

 山川駅正面の標識には、「日本最南端の有人駅」とありました。なるほど。
 隣の石像は、「蛙」(かえる)です。案内板によれば、「わたくしは、その昔天照大神のお使いとして、あちこち道案内したと伝えられることから、旅行安全・交通安全の守り神として広く信奉されている」とのことです。
 

九州両端旅行記 旅行日程図へ||九州両端旅行記 鹿児島県訪問地地図へ

 山川については、いろいろ面白いことがあります。
 ページを換えて、続きを説明します。

このページの参考文献一覧へ

 【九州両端旅行 参考文献一覧】
  このページ01の記述には、主に次の書物・論文を参考にしました。

原口泉・永山修一・日隈正守・皆村武一著『県史46 鹿児島県の歴史』(山川出版 1999年)


| 旅行記のメニューへ  | | 九州両端旅行 旅行日程図へ  | | 前へ | | 次へ |