この表を見ると、むしろ、この10年間の大きな動きとしては、発電電力量から見ると水力発電所の建設よりも、火力発電所の建設の方が多くなっています。9電力会社総計では、9年間に水力は、344万8千kWの増加ですが、火力は、578万1千kWの増加となっています。明らかに、時代は、水主火従から、火主水従へと移り変わっていきました。
関西電力そのものも、火力発電所による発電の増加量が水力のそれを上回り、1960年には、全体として火力が水力を引き離しています。
それなのに、なぜ黒4の建設が必要なのかと言うことです。
お待たせしました。ここで問題の正解です。
関西電力自身の説明がとてもわかりやすいので、ちょっと長いですが、引用します。(注:赤い太字は、引用者が施しました。) 「電源開発方式の転換
電力需要の急速な増加傾向に対処するため、電源の開発には一刻の中断も許されない状態が続いたが。しかし、開発の進展に伴って、水力においては、経済性の上から開発可能な地点が、次第に残り少なくなってきた。その一方、火力においては、熱効率の高い、したがって経済性のすぐれた設備が出現した結果、開発め重点は、火力に移行する傾向になってきた。
従来、わが国の電源は、水主火従の形をとってきた。この開発方式が発達した背景には、わが国エネルギー対策の特徴として、比較的豊富な水力資源を有効に利用し、それによって貧弱な燃料資源の消費節減を図ることが必要であるという事情があった。
また、経済性の上からも、これまでの火力発電は熱効率が低く、水カに比べて発電原価が高価であったので、火力は、渇水時における水力出力低下の補給用として水力と併用し、それによって総合的に発電原価の低減を図るという基本的な考え方があったのである。
しかし、火力において、その技術進歩による著しい経済性の向上があった反面、水力では包蔵水力資源に限度があって、経済的にみて開発可能な地点が減少してきたので、ここに残された水力資源の最も有効な利用方法の検討が必要になった。その結果、電力供給の主体を火力に置き、ピーク負荷供給用として、大貯水池式水力を建設することが、最も経済的であるとの結論に達した。
元来、電力需要は、夕刻の点灯時などピーク時には、深夜軽負荷時に比べて最大電力が約2.5倍に達し、また冬期においては、夏期に比べて、概して需要が増加する。このように、電力需要は、1日のうちに、また年間において、大幅な変動を示すという性質を持っているが、これに対し常に安定した電力を、最も経済的に供給するためには、供給施設を最も有効に利用し得るよう、水火力の合理的な組み合わせによる運用が必要である。
火力発電設備は、一度発電を開始した後には、需要に応じて一日のうちに出力を大幅に変更し、あるいは停止・起動をたびたび繰亡返すと、はなはだしく効率の低下をきたすという特性がある。したがって、火力によってピーク負荷供給を行なうことは、非常に不経済である。これに対して調整能力のある水力は、負荷即応が容易であり、しかも、経済的損失を伴わずに、そのような運営ができるいう利点がある。
ここにおいて、電力のベース負荷供給を、経済的な新鋭火力に受け持たせ、ピーク負荷供給を調整能力の大きな水力に受け持たせるという、新たな供給方式が生まれたのであり、したがって電源開発も、それに適応するような方式によって、行なわれることになったのである。
27年度の第2回電源開発調整審議会における電源開発の構想は、Iまだ従来どおり水主火従方式によるものであったが、その後各地において新鋭火力の建設があい次ぎ、また水力では電源開発株式会社の佐久間発電所のような、大貯水池式発電所の建設が行なわれるに及んで、31年度策定の電力5カ年計画では、従来と異なる水火力最も経済的な組み合わせの開発方式がとられた。
これよりさき、当社においては、すでにこの方式に着眼し、(昭和)30年秋大貯水池式大出力の黒部川第四発電所建設を決意するとともに、翌年1月には、当時わが国最大、最新鋭と目された大阪火力発電所(出力 624、000kW)の建設準備を開始したのであった。
ピーク時負荷供給力としての価値
黒部川第四発電所は、それ自体の最大出力は、258、000kWである。しかし、標高1、448mの高地点に建設された大貯水池は、1億5、000万立方メートルの有効貯水量を保持し、年間を通じて下流の既設発電所の設備をフルに稼働せしめ得るので、渇水時には10万kW程度に低下していた既設発電所の出力が、27万kWにまで回復することになる。したがって、実質的には、この差が黒四の建設によって加増となり、43万kWの大電源を開発したと同様の結果になる。」
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関西電力株式会社 黒四建設記録編集委員会編『黒部川第四発電所建設史』(関西電力1965年)P9−11
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つまり、黒四は、火主水従時代へ移行していく電源開発の戦略の中で、ピーク時負荷供給の調整能力を期待された大貯水池式発電所という位置づけであったわけです。
※立山黒部アルペンルートの旅行記は、こちらです。→『立山黒部アルペンルートはすごかった』
※黒部渓谷トロッコ列車のyろこうきは、こちらです。→『高岡・富山・宇奈月旅行2』
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