幕末〜明治維新期3 |
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<解説編> |
608 この小さな島は何? | |||||||||||||||
正解、これは東京のお台場にある、東京湾品川沖第6台場の現在(2003年7月)の写真です。
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左上は、レインボーブリッジの遊歩道から見た第6台場の写真です。 右上は、芝浦埠頭側から見たレインボーブリッジと第6台場。向こうはお台場のビル群です。ゆりかもめの中からの撮影です。 |
左は、フジテレビの社屋から見たレインボーブリッジと東京都心。橋の下に見えるのが第6台場。この写真は、友人から借りました。 |
1 海防とペリー来航 |このページの先頭へ| |
「お台場」というと、このサイトの日記「踊る大捜査線2レインボーブリッジを封鎖せよ」にも登場しますが、最近の東京の名所の一つです。 |
左は、長崎防備につかわれた大砲、出島にて撮影。右は、大阪湾の天保山砲台にあった大砲。現在は大坂城にある。大坂城の大砲は、明治から大正時代まで、正午の時刻を知らせる大砲として使われ、「大阪のドン」と親しまれたという。しかし、旧式の青銅砲は、幕末においては、欧米列強の大砲の前には無力であった。 |
2 台場建設 |このページの先頭へ| |
危機感を感じた幕府は、ペリーが去ったすぐあと、いくつかの国防充実施策を実施します。 |
第3台場全景。第6台場より大きい。 |
第3台場の北側の船着き場の部分のアップ。 |
ゆりかもめの台場駅やや北東の展望デッキからの一望。中央がレインボーブリッジ。デジカメ6枚の合成写真。 |
3 レインボーブリッジを徒歩で渡るの記 |このページの先頭へ| |
番外ですが、上の第3及び第6台場の写真は、レインボーブリッジの上からの写真です。 |
お台場側のゲートの入り口。料金がいると思ったら、無料だった。 |
橋の上は車道が2段になっている。下段の真ん中をゆりかもめが走る。 |
レインボーブリッジの全長は、中央の吊り橋部分と東側のスロープ部分を足して、1523m |
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遊歩道は、写真のような落下防止柵が付いている。 |
芝浦埠頭側の出口から。 |
写真をとりながらゆっくり歩いて30分ほど。 |
4 お台場付近校区撮影写真(2004年3月20日追加) |このページの先頭へ| |
これはお台場クイズの追加説明編です。 |
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昭和59年撮影の「国土画像情報カラー空中写真」(国土交通省)をもとに作成しました。 |
5 品川区台場小学校(2004年3月20日追加) |このページの先頭へ| |
レインボーブリッジを渡った埋め立て地のいわゆるお台場以外に、他にも台場と呼ばれる所があります。もちろん、第3台場、第6台場以外のところです。 |
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昭和59年撮影の「国土画像情報カラー空中写真」(国土交通省)をもとに作成しました。 |
右は上の空撮写真の拡大版です。台場小学校は、グランドの形が普通の小学校の正方形・長方形と違って、変形した四角形となっているのが判別できますでしょうか。 |
正解は、台場小学校の開校周年記念誌『ふるさと台場』からの引用で説明します。 |
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日陰で見づらいですが、左は台場幼稚園、右は台場小学校。(デジカメ写真2枚の合成。) |
工事をした人々は、ここを通って大砲をお台場にはこびこんだり、また、仕事の帰りには、「お台場銀」というお金をうけとったりしたそうです。御殿山の下にあることから、ここは、「御殿山下台場」とよばれていました。 |
左 台場小学校にある灯台のレプリカ。元は第2台場に設置してあった品川灯台。 |
余談ですが、台場小学校30周年記念誌『ふるさと台場』の引用部分には、 |