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銃砲と歴史3-7 |
銃砲と歴史について、シリーズで取り上げます。 |
高島秋帆と高島平7 西洋火砲の発展と日本210/02/21 作成 |
銃の発達のポイントの説明2 | このページの先頭へ | |
銃の発達のポイントの説明の続きです。 |
ここでは、続き、A〜Cについてを説明し、最後のまとめを示します。 |
※このページは前ページに引き続いて、以下の書物等を参考に記述しています。 |
A銃身の内側の細工 |
銃身の内部は、当初の銃では何の加工もしていないすべすべのものでした。のち区分するために、このタイプの銃は滑腔銃と呼ばれます。弾丸が銃腔(筒)内を滑っていくという意味です。 |
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銃腔内にライフルを切って、弾丸を回転させることがいつから行われたのかというと、これも、時期・場所は定かではありません。しかし、この工夫も意外に早い時期に行われ、1500年前後には、オーストリア・ドイツの複数の銃工がライフルを施した銃を作製し、16世紀前半に改良が進められたと考えられています。
以上のような理由から、安価で大量生産が必要、かつ使い勝手がよくて射撃時間が短い必要がある軍用銃としては、なかなか普及が進みませんでした。 |
ライフルを施した銃の利用が進んだのは、ヨーロッパではなく、アメリカ植民地においてでした。 |
B弾丸の種類 | ||||
この項目では、弾丸の種類(球形弾丸か椎の実型弾丸(円錐弾)か)について説明します。
つまり、椎の実型弾丸は同じ重さの球形弾丸に比べ、射程も威力も優れていましたが、Aで説明したライフル化が実用化しないと、命中率が期待できないという課題がありました。 |
球形弾丸の場合、ライフルが刻んであった場合の装填は次のようにしました。
これによって、パッチと球形弾丸と筒とにうまく摩擦が生じ、球形弾丸が筒内でライフルに沿って回転していくという仕組みです。一見球形弾では回転する効果は今ひとつと思われますが、実験のデータでは、球形弾でも回転させる効果はあり、命中率を大きく向上させるということです。 |
一方、説明図の右側の椎の実型の弾丸は、フランスのミニエー大尉によって発明されたもので、この弾丸がミニエー弾と呼ばれ、この弾丸を使用する銃は、他の機構が異なっていても、ミニエー銃と総称されています。
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皮肉なことにフランス人ミニエー大尉の考案したミニエー弾を最初に採用したのは、フランス軍ではなくイギリス軍で、1844年のことです。 |
C弾丸を装填する(込める)方法 |
この項目では、弾丸を装填する方法(先込め=前装か元込め=後装か)について説明します。 |
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現代では、発射ガスの漏れを完全に防ぐことをどのように解決しているのでしょうか? |
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説明図05C・Dは現代の銃弾です。弾丸と火薬・雷管が、金属のカートリッジの薬莢によって一体となっています。これが近代的弾薬包(やくほう)です。 |
また、後装銃そのものは、今話題にしようとしている確立期の19世紀中盤を待たず、もっと早く世に出たものもあります。早くは、1811年にジョン・ハリス・ホールが特許を申請し、のちにアメリカ陸軍が制式採用をした、フリント・ロック式ライフル銃のM1819があります。この銃はある程度は量産されました。しかし、この銃にはまだ金属薬莢は使用されておらず、まだまだ完成品とはいえないものでした。 |
まとめです | このページの先頭へ | |
銃の発達のポイントである、発火の方法・銃腔内のライフルの有無・弾丸の形・装填の方式、の4点について、およそ400年の発達を概観しました。 |
これで、火縄銃から近代軍用歩兵銃(小銃)までの発展が整理できました。 |
西洋銃の発展と高島秋帆及び幕末の銃の輸入 | このページの先頭へ | |
さて、話を高島秋帆と結びつけます。 |
※例によって、黒板をクリックしてください。正解が現れます。 |
秋帆が輸入し、徳丸ヶ原で使用した歩兵銃は、オランダ製のゲベール銃と呼ばれている銃でした。(彼の輸入した武器のリストはこちらです。→P3へ) |
ここまで2ページにわたって、歩兵銃の発達の歴史と高階秋帆の学んだ銃砲について説明してきました。 |
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