名鉄揖斐線・廃線物語18
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 □廃線後その4 あれから1年
    

 揖斐線を含む、名鉄岐阜市内および周辺の600V線区が廃線となってから、平成18年4月1日で、ちょうど1年が過ぎました。
 名鉄揖斐線は、まだレールははがされていませんが(JR駅前−新岐阜駅前間の一部のみは、県道の整備のついでに撤去されました)、踏切の信号機、架線、駅舎の一部などは撤去され、だんだんその実体を失いつつあります。

 今回は、廃線1年後のレポートです。

 まず、2006年1月21日に、尻毛駅の小さい駅舎が解体されました。

 現役時代の尻毛駅。(撮影日 04/11/23)

 尻毛駅遠望。廃線直後。(撮影日 05/04/09) 

 尻毛駅駅舎の解体。(撮影日 06/01/21)

 名鉄揖斐線は、忠節−黒野間の専用軌道部分も、最終段階では、すべて無人駅でした。しかし、美濃北方には立派な駅舎が、尻毛駅と北方千歳町駅などには、ささやかながら駅舎がありました。そのうちの一つ、尻毛駅駅舎が、解体されました。
 

 岐阜バスのバス停の表示は、まだ「尻毛駅前」。これはレアものです。ただし、正式な時刻表には「尻毛」と記載されています。
(撮影日 06/01/21)


 市ノ坪車庫−去りゆく車両群                        | このページの先頭へ |

 市ノ坪の車庫も寂しくなりました。
 
 前回、「廃線後その3」でレポートした状況は、2006年1月中旬までは変わりませんでした。
 復習します。車両の移動は次のようになっていました。

 <移動した車両>   2006年1月20日現在

車両名

移動先・時期

モ591・592

2両

高知県の土佐電鉄に譲渡。

モ770形

4×2=8両

全4編成が福井鉄道へ。

モ780形

7両

全7両が豊橋鉄道へ。

モ800形

3両

1両は豊橋鉄道へ。2両は、福井鉄道へ。


 <残存している車両>2006年1月20日現在

車両名

説明

モ880形

5×2=10両

福井鉄道へ譲渡決定。

モ510形(モ513・514)

2両

大正時代製の丸窓電車

モ570形(モ571・572・574)

3両

市内線線用だった赤電車

モ593

1両

美濃町線専用だった旧塗装車両

モ606

1両

名鉄最初の600V・1500V併用車両

モ870形(モ871・872、875・876)

2編成4両

札幌市電出身


 しかし、2006年1月下旬から、次々と車両の「処分」がはじまりました。

 
 2006年1月21日の市ノ坪です。
 車庫左の待避線には、モ513・514・593、モ870形が停留しています。
 車庫内には、福井鉄道行きのモ880形がいます。左側は福井鉄道塗装、右側は名鉄塗装のままです。
 
 車庫北側の旧美濃町線市ノ坪駅には、福井電鉄塗装のモ880形と、モ606が停留されています。

 モ880形の塗装以外は、現役時代のままです。


 次の週には、変化が生じました。

 1月28日の市ノ坪です。

 東側の待避線に集まっている、モ606、モ571・572・574、モ514・513、モ593、モ870形2編成。

 前の週と同じように思えますが、近くで見ると実は違っていました。

 左上の写真は、上の写真の右側と中央の車両群を、反対側から撮影したものです。変化があるのがおわかりですか?
 右上の写真は、モ574のアップです。よく見ると、窓ガラスがありません。 

 右から、モ574・571・572、モ606です。
 窓ガラス・窓枠も、扉もはずされ、幽霊電車のようです。

 上の左の写真は、その上のモ572のアップです。
 これらの、車両群は、この次の週には、スクラップ工場へ運ばれました。

 「市ノ坪の追っかけ」をしていて分かったことですが、車両群は、おおむね、私がこの列(車庫東側のいちばん南の待避線)に並べられるているのを土日で確認すると、その翌週には、大型トレーラーで、外へ運ばれていくという運命をたどりました。

 右の写真は、1週間後の1月28日の同じ場所の写真です。もう、モ570形3両とモ606はいません。

 その一方で、車庫の中のモ880形は、着々と福井鉄道カラーになっていきます。


 2006年2月4日には、札幌市内電車出身のモ870形2編成に変化が生じました。

 モ870形は、2両の車両を真ん中の台車でつなげている連接台車の形式でした。
 この日は、2編成とも、バラバラにされ、しかも、台車がはずされて、仮の台車に乗せられていました。

 翌2月11日には、ばらばらにされたモ870形は、以前のモ570形と同じように、窓枠等をはずされて、車庫東のいちばん南の待避線に並びました。
 
 そして、次の週には、市ノ坪を離れました。

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 2月の中旬には、市ノ坪の車両は、次のようになっていました。旧美濃町線塗装のモ593、福井鉄道行きを待つモ880形5編成。そして、モ513、514です。(撮影日 06/02/18)


 2月25日には、福井鉄道行きの、モ880形5編成の塗装がほぼ完成しているのが確認されました。

 

 モ880形の行き先表示は、「福井駅前」「武生新」などとなっています。
 これらの車両の出発も間近です。


 下は、モ880形と、モ593、モ514およびモ513。
 
 実は、このあと、モ593は、2006年3月3日に、旧美濃駅に運ばれました。


 モ593、美濃へ   06/05/05追加部分                   | このページの先頭へ | 

 モ593は、2006年3月3日に、旧美濃市駅に運ばれました。

 同駅は、本来、岐阜−美濃町間の美濃町線の終点駅でしたが、2005年4月の全線廃線に先立って、1999年4月には、美濃駅−関間が廃線となり、同駅も役目を終えました。その後、歴史を語る生き証人として、美濃市の管理の元、資料館として整備されました。

 これまでは、モ512とモ601が展示されていましたが、それと並んで、モ593も展示されました。なお、モ870形の先頭部分だけも、切断されて展示されています。 


岐阜県美濃市の中心にある、旧名鉄美濃駅。(撮影日 04/12/15)


旧駅舎の前の説明。(撮影日 04/12/15)


写真右から、モ593、モ512、モ601、そして先頭部分だけのモ870形。(撮影日 06/05/04)



 モ514、谷汲へ                                | このページの先頭へ |

 2006年3月19日、旧谷汲線の谷汲駅に、モ514が運ばれ、翌3月20日に駅に安置されました。

 これは、市民グループ「赤い電車友の会」が主体となって進めた「赤白電車」保存運動が実ったものです。
 友の会の自身の募金(70万円)と揖斐川町および同町観光協会の支援(70万円)によって、車両輸送費が捻出され、名鉄から譲渡されたモ514が、無事谷汲駅に運ばれました。

 この駅には、すでに、友の会の運動によって保存されたモ750形(谷汲線を走った車両)もあり、2両揃っての保存となりました。 

 この車両は、1926(大正15)年に製造されたもので、正面の5角形の窓、および側面の丸窓が独特のイメージを作っています。
 


 モ880形、福井へ                               | このページの先頭へ |

 同じ日、2006年3月20日、市ノ坪の車庫東待避線のいちばん南の列に、モ880形5編成がずらりと並んでいるのが確認されました。

 この列に並ぶと、翌週は、「出発」です。

 モ880形は、福井での活躍を期待されて、3月下旬に岐阜の市ノ坪を離れました。


 そして1年後                                 | このページの先頭へ |

 2006年4月1日、廃線から1年後の市ノ坪です。
 残ったのは、モ513ただ1両のみです。
 この電車が去れば、もう、この「名鉄揖斐線廃線物語」も終わりです。


<2006年4月1日、廃線1年後現在の車両>

車両名

移動先・時期

モ591・592

2両

高知県の土佐電鉄に譲渡。

モ770形

4×2=8両

全4編成が福井鉄道へ。

モ780形

7両

全7両が豊橋鉄道へ。

モ800形

3両

1両は豊橋鉄道へ。2両は、福井鉄道へ。

モ880形

5×2=10両

全5編成が福井鉄道へ。

モ514

1両

大正時代製の丸窓電車谷汲駅で保存。

モ570形(モ571・572・574)

3両

市内線線用だった赤電車。すべて解体。

モ593

1両

美濃町線専用だった旧塗装車両。旧美濃町線美濃駅で保存。

モ606

1両

名鉄最初の600V・1500V併用車両。解体。

モ870形(モ871・872、875・876)

2編成4両

札幌市電出身。すべて解体。

モ513

1両

市ノ坪に唯一残存。


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